シングル・ピース(4)
「……先進の学舎、叡知の園」
懐かしいうたい文句を、思わず口にする。
その言葉と王家の紋章を掲げているのは、昨年までアヒムが在籍していた王立大学院だった。
十年も過ごした場所なので、思い出せば胸が温かくなると同時に少しだけ切ない。納得し、自分で決めたこととは言え、アヒムは亡くなった父の後を継ぐために大学院の卒業を目前にしてブレイ村に戻ったからだ。
「退学の手続きに何か不備でもあった? 向こうでよく確認してきたと思うんだけど……」
「ばか、違うよ。お祝いだって言ってるだろ。大学院が、お前に薬学科と医学科の卒業資格を認めるそうだぜ。これ、証書な」
「ええ?」
「それで、王妃さまとかオーラフ導師とかイシュテン伯爵とか、まあとにかく色んな人たちからお祝いの贈り物やら祝辞やらを預かってきてるから。全部部屋に運んであるぞ」
エリーアスが証書の入った筒を投げてよこす。彼の言葉も最後まで聞かずに、アヒムは中に収められていた羊皮紙を引っ張り出した。
その文面と国王の印章が捺してあることを確かめ、呆然としながら顔をあげる。
「どうして……」
「当然じゃないか? お前、知識も経験も充分だったしさ」
「そんなことはないよ。本当に、まだ勉強しなくちゃいけないことがたくさんあったんだ」
「お前がお勉強で『これで充分』なんて言うところは想像できないぜ? いいじゃねぇか、箔がついてよ」
エリーアスとヘルゲは気楽に言うが、アヒムは素直に喜べない。
我ながら可愛くない性格をしていると思う。正規の手続きを踏んでいないことがどうしても気になる。
それにこの認定には、多少の思惑を感じるのだ。
アヒムが大学院を辞し教会へ入ったのは、卒業まであと一年を切ったところだった。学友や教師たち、後見を引き受けてくれていたイシュテン伯爵にも、どれほど必死で引き留められたことか。
いくら説得されても、アヒムが彼らの期待に応えることは出来なかった。ブレイ村に帰り教会堂を継ぐというのは、父との約束だったのだ。
卒業したら必ず戻るのは勿論、父に万が一のことがあった場合にも、村の導師職を空席にしないよう速やかに帰る。都で学ぶために、父が出した唯一の条件だった。
グラウン家に名を連ねているとは言っても、アヒムのような田舎者の少年を、国で最高の学問が修められる場所へ入れるのにはどれほどの労力や費用がかかったことだろう。まだ幼かったなりに、アヒムにもそのことは分かっていた。
けれど父はそのことについて何も言わず、アヒムを送り出す際に出した条件はたった一つ。必ず帰ってくること。
そのたった一つを守らないわけにはいかない。ましてや父は亡くなり、もういかなるいいわけも聞いて貰えない。だからどうしても帰らなくてはならなくて。
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