天槍のユニカ



冷たい夢(12)

 これでは水の中に閉じこめられているのと同じだ。
「また崩れてくるかも知れません。ロッテさん、崖の様子を見ていてください」
 アヒムも薬や道具が入った鞄を放り出し、泥から引き抜いた板を使って土砂を掘り始める。
「レーナ、レーナ!」
 涙声で妻の名前を呼ぶヘルゲの声が、傾き始めた陽射しの中に痛々しく響いていた。

 しばらくして助け出された若い女は、もう息をしていなかった。


 レーナの遺体は毛布にくるまれて教会堂へ運ばれた。これから葬儀が終わるまで彼女はアヒムが預かることになる。
 泣きわめくヘルゲの隣に座って、アヒムは村の女手がレーナの身体から泥を拭ってくれているのをぼんやりと見ていた。やがて彼女を着替えさせるために目隠しの布が張られる。
 自分も泥まみれで、法衣を着替えなくてはいけないことを思い出した。しかし身体が動こうとしない。同じく泥だらけで、役に立たなかった薬と治療具の入った鞄を見下ろしてから力任せに泣いている幼馴染みをの横顔を窺う。
 肩に手を添えてやるのが精一杯だった。彼を慰める言葉も浮かんでこない。
 先代の導師だった亡き父ならどう言うか考えてみたが、悔しさがこみ上げてくるばかりだった。
 ヘルゲが亡くしたのは妻だけではない。レーナの腹の中にはヘルゲの子がいた。彼女が不調を訴えていたのもそのためだ。
 彼女の具合が悪いときは決して無理をさせず、休ませるよう言ったのはアヒムだった。それが間違った助言でなかったとしても、喉の奥に棘が刺さったような痛みが残る。
 彼の家の裏手にある斜面にひびが見つかった時、ヘルゲのために近所の空き家を整備し片付けたのだが、その時ヘルゲは「雪が本格的に降り始めるまでには移る」と言って家移りを面倒くさがった。レーナの悪阻が特にひどい時期だったので、妻をそっとしておきたかったのもあるだろう。
 アヒムは心配しつつもヘルゲの家のことだからと、引っ越しの時期は彼の判断に任せた。

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