天槍のユニカ



ある少女の懺悔−火種−(20)

「そう、きっとだよ。でないとあたしがアヒムさんの女房になっちゃうんだから。あたしは別にそれで構わないけどさ」
 それはさすがにアヒムの同意なしで実現することではないのでは、と思いつつ、今はマクダの軽口がありがたかった。

     * * *

 翌日。
 礼拝にやって来た村人から「家人の具合が悪いので往診に来て貰えないか」と頼まれたアヒムは、祭壇を片付け終わるとすぐに家を出ることにした。
 朝食の後片付けはマクダの召使い達がやってくれていて、綺麗になった食卓の上では、伝師がアヒムの写本作業を手伝うと言って紙とペンを広げている。マクダは例によって二日酔いなのでまだ起きてきていなかった。
 ユニカが玄関の両脇に植えたハーブにせっせと水をやっていたので、ロヴェリーが来るまでは彼らと一緒に留守番をしているように言いつけると、彼女は緊張をあらわに「うっ」と呻いた。が、この間エリーアスに買って貰ったブリキのジョウロをお守りのように抱きしめて頷く。
「水やりが終わったら書き取りのお勉強だよ。帰ってきたら見てあげるから、今日は聖詠の九十二篇から九十四篇まで。分からない言葉があったら伝師殿に訊いて教えてもらいなさい」
 神々に祈る時の謳(うた)など、難しくて幼い娘にとっては分からない言葉だらけだ。しかしここは人見知りな彼女にちょっと挑戦させるつもりでそう言うと、ユニカはみるみる青ざめた。それでもアヒムはユニカの頭を撫でるのみで課題を撤回したりはしない。
 伝師には、娘が勉強を見て欲しいと頼みにきたら相手をしてくれるよう先にお願いしてある。ゆえに安心して置いていけるというもの。
 とはいえ震えそうなほど緊張している娘の様子に後ろ髪を引かれぬはずがない。庇護欲をどうにか抑え込んで、アヒムはようやく我が家を離れた。


 朝の空は清々しさに覆われている。まだ朝露の残った畑を目指して行く村人たちの背中を見送りながら、アヒムは往診の依頼があった村人の家を目指した。

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