ある少女の懺悔−火種−(16)
伝師の手にぎゅっと力がこもる
思いもかけない提案だった。アヒムはしばし呆然とする。
確かに、ペシラへ行けば教区の指揮系統は直に把握することが出来る。まず情報が集約される場所なのでビーレ領邦全体を見渡すことも可能だ。
王家との連携もより早く――
そう考えたところで、アヒムは我に返った。
「いいえ。私の持ち場はこの村です。ペシラへ行くことは出来ません」
「しかし導師、」
「私がこの村を離れて、誰がここの鐘と村人を守るのですか」
「それは、そうですが」
「仰りたいことはよく分かります。しかし我々が身を置く世界にはそう簡単に乱してはいけない秩序もあります。ですから、私を王都へ学びに行かせたパウル導主、コンラーディン導主、ヴィムリ導主、太守エメルト伯爵の合意をもって召喚された場合にはペシラへ行きましょう。ただしその時には、この村へ代わりの導師を派遣していただくことが条件ですよ」
伝師は「ああ……」と溜め息のような声を漏らし、アヒムの手を離した。彼の中で膨らんでいた熱が音を立ててしぼんでいくのが見えるようだ。
「……確かに、その通りでした。私や導師の一存で決められることではありませんでしたね。もうじき小麦の収穫も始まる……村には導師がいなくては」
「はい」
うつむく伝師の肩を叩きながら、アヒムも自分の中に小さな落胆があることに気づいた。
自分がペシラへ行けば、より多くの命を救えるかも知れない。詳しい病の症状を知ることも出来る。そうすれば具体的な処方も考えられる。
しかしアヒムが守るべきはこの村。父から継いだ教会堂の鐘と村人達、そしてユニカだ。
そういう役割をアヒムは選んだ。今から別の道を選ぶなら、アヒムの役割を継いでくれる者が現れてからでなくてはいけない。
たとえその条件が整ったとしても、王都にいる親友の顔を思い浮かべてしまう自分は指揮をとる側に回ってはいけない気がする。
彼女が誰よりも頼りになることを知っているが、もう、アヒムが何かを望んではいけない地位にクレスツェンツはいるのだ。
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