天槍のユニカ



昔語りの門(5)

 そんな呼び方をしてくれる人も、もういないのだと。
 目の奥がじわりと熱を帯びてきたのに気づき、ユニカは慌てて深く息を吸った。涙の気配を胸の奥に押しこめ、どうにかして笑みをつくる。
「……長くご無沙汰していた無礼をお許しください、導主様」
 しわの寄った掌がぎこちなく笑うユニカの頬を撫でる。涙は流れていないはずだったが、パウルはユニカの目許をかさついた親指でさすり、またひげをもそりと動かして笑った。


「あの時ペシラへいらしていたのは、確か仕立てのお仕事を手伝うためでしたね。お針は続けていらして見事な腕前なのだとエリーアスから聞いていますよ。この新年の祝いに奉納していただいた刺繍も拝見しましたが、素晴らしい大作でした。教主もお目に留めていらっしゃったとか」
 賛辞とともにパウルが手ずから差し出した菓子を受け取りながら、ユニカはなんと返せばいいのか分からなくて曖昧な笑みを浮かべた。
 こんなに混じりけのない褒め言葉は久しぶりだ。老僧の温かな眼差しも背中をむず痒くさせる。
 そして同時に胸の端がずきんと痛んだ。
「仕立ての仕事というのは?」
 問うたのはカイだった。当然、そういう疑問が湧くだろう。
 カイにとっては会話についていくための事務的な確認に過ぎなかっただろうが、その答えはユニカにとって容易に口に出来ることではなかった。
 押し黙っている間も、じっと見つめてくる少年の、そして皆の視線が痛い。
「服はただ布を選べば出来上がるのではなく、切ったり縫ったりする職人がいるものですよ、カイ殿。ユニカ様はその卵であったのです」
 いくら労働に従事しない大貴族の子息であるカイだって、それくらいは分かっているだろう。けれど彼はユニカの代わりに答えた導主にからかわれたとは思わなかったようだ。
 やんわりと説明を誤魔化されたことを察しながら、ユニカに裁縫の心得がある情報だけをくみ取って「なるほど」と頷いてる。
 大人びた対応だ、と感心していると、彼の問いは再びユニカに向けられた。

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