天槍のユニカ



かえれないひと(13)

 彼がやれやれと深い息をついたのは、ようやく座れたことへの安堵なのか、邪心でいっぱいの弟子の顔を見たからなのか。
「姫君がおいでになるまでにはもうしばし時間があったかな」
「お部屋で休まれるほどの時間はありません」
 短く師の言葉に応えつつ、彼の脚に膝掛けをかけて、その上から細った太腿や硬い膝の周りをさすってやる。
 もう少し椅子を火の傍に持って行ってやるのだったな、と思いながらパウルを見上げれば、老いた師は暖炉の装飾に彫られた女神達の姿を見つめてうっすらと笑みを浮かべていた。
「不思議なこともある。王妃様があの少女をお連れになってペシラを出て行かれた時、もう会うことはないだろうと思っていたが。よもやこの老いた身の方から会いに来ることになろうとは。アヒムに連れてこられたとしか思えぬ。このアマリアに」
 パウルの視線の先にいるのは、右から三番目の女神だった。
 姉妹である女神達が一様に携えている雷を固めた槍と、象徴である青い花を持った第十の女神――ユーニキア。
 ユニカ≠古い音で言い表すとこの女神の名になる。
 ユーニキアは救療の女神だ。彼女の持つ青い花は万能薬で、人々の病やけがを治すという。
 僧侶であるくせに信心の薄いエリーアスにはぞっとしない話だったが、パウルはユニカの持つ力を女神の加護だと考えていた。心からそれを信じているかは別として、エリーアスが住む世界ではパウルのように考えるのが普通だ。
 だけどそうは思えない。ユニカは生身の人間で、ただの非力な娘だ。
「……陛下がマグヌス導主に手を回されただけでしょう。まったく、こんな年寄りをこんな寒いところに。風邪でも引いたらどうしてくれるんだ」
 だからエリーアスはわざと話題を逸らそうとした。しかし師は黙ってしまう。そうするとエリーアスも黙るしかない。
 フォルカが暖炉の火で温めていた葡萄酒に蜂蜜を溶いてパウルに手渡すと、彼は白いひげの奥にある口で満足そうにそれを啜る。
 そんな師の強張った脚をほぐしてやりながら、エリーアスはじっと床を睨みつけた。
 あれから、ユニカは無事に過ごしているのだろうか。また王太子に無理に迫られているのではないだろうか。

- 712 -


[しおりをはさむ]