天槍のユニカ



かえれないひと(10)

 そして扉を閉める前にディルクとユニカを呼び寄せて別れのキスをねだり、それが済むと、これまで駄々をこねていたのはなんだったのかと思うほど颯爽と去って行った。
 思わずこぼした溜め息がディルクのそれと重なり、ユニカはつい彼と顔を見合わせた。
「……レオの口紅がついてる」
 途端にディルクは渋い顔になり、自分の左頬をつついてみせる。心当たりが大いにあったユニカはディルクが指し示したのと同じあたりをぬぐってみて、指先にほんのりと移った赤色を認めた。
 紅をはいた唇で思いっきり吸い付かれたからだ。
「女にキスマークなんかつけて何が面白いんだ、あいつ」
 ディルクは苦笑しながらハンカチを差し出してくる。
 拭いたところで、お色直しは確定だ。ハンカチを借りてもどうにもなるまい。
 そうは思ったものの、ユニカはおずおずとそれを受け取った。
「レオだもの。もう、あんまり驚きません」
「そう言われるとありがたいような、申し訳ないような」
 互いに力の抜けた笑みを交わし、二人は屋敷へ戻るためきびすを返す。
 歩きながら頬をぬぐったハンカチには、忘れたいはずのディルクの香りが移っていた。


 戻る途中、屋敷の玄関から妙な距離を置いて待っているエリュゼと合流したユニカは、早速化粧のやり直しを告げられる。予想出来ていたとはいえ、その宣告だけで少し疲れた。
 が、エリュゼが昨日の夜とは比べようもないくらい機嫌がよかったのでほっとした。先ほどクリスティアンとも話していたようだし……。
「婚約の話が、よい形でまとまったの?」
 よい形≠ニは成立のことなのか破談のことなのかユニカには分からなかったが、エリュゼが納得できる形にはなったのだと思った。
 しかし言われた当人はさっと頬を赤らめて眉を吊り上げる。
「まだです」
 違うのか。
 ではどうしてそうもすっきりした顔をしているのだろうという疑問が浮かんだが、部屋へ戻るとすぐに理由が分かった気がした。

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