天槍のユニカ



はなびらの憂い(3)

 それも、いつぞやの危なっかしいステップが嘘のようだ。相当練習させられたのだろう。しかしとても楽しんでいるふうではなかった。
 憂鬱そうなのがもう一人いたわ。
 ほっとするような、心配になるような。
 というのも、エリュゼの顔色は先日と変わらず青白くて、むしろ先日よりずっと疲れているように見えたからだ。ステップには危なげがなくても、倒れてしまうのではないかと思うような顔色だ。
「ヘルミーネ様、エリュゼは具合が悪いのではないでしょうか。誰かと踊っているようですが、なんだか顔色が……」
「ユニカ様も、同じほどひどい顔をなさっておいでですわ」
 ヘルミーネの返答は素っ気ない。ホールの中にエリュゼの姿を見つけたようだが、侍女が蒸留酒を調達してきたのですぐに関心を失ったようだった。強い酒を水のように飲み、一緒に運ばれてきた軽食の皿も受け取っている。
 分かっているなら、ユニカやエリュゼの体調を慮って欲しいものだ。とはいえ多少の体調不良より優先されるのがこの場で様々な人と挨拶を交わすことなのだろう。人脈が貴族達の明日をつくる。
 人より丈夫な℃ゥ分はともかく、エリュゼが倒れてしまわなければいいのだが……。
 ヘルミーネの侍女からすすめられた料理の皿を断り、ユニカはむっとしながらも再びホールを見渡した。見ていても少しも楽しくないけれどほかにすることもない。
 エリュゼの姿を見失ってしまった代わりに、今度はちらりと王の席へ視線を向けてみた。彼はずっと自分の席にいて、目をやる度に違う貴族を傍に侍らせていた。彼は彼で忙しそうだ。
 そしてもう一人の王族であるディルクはというと、宴の開始に少し遅れてきて以来、人混みに紛れてしまってちっとも姿が見えない。
 まだ挨拶代わりの笑みを向けられただけで言葉は交わしていなかった。彼がさっさと社交に励み始めたために話す時間がなかったのだ。それはユニカにとって幸いなことだった。
 どんな顔をして話せばいいのか、この数日間で考えてみたがやっぱり分からなかった。勝手に受け取ってしまった秘密。それも、彼にとっては間違いなく不利な。
 エルツェ公爵や、当事者であるレオノーレはユニカに話してもよいと判断したからあの夜があった。けれどディルク当人は? ユニカに知られてもいいと思うだろうか? 
 床を伝ってくる無数の足音、そして華やかな音楽に香水と酒の香り。沈鬱な気分でその中に沈んでいたユニカは、ふとあることに思い当たった。
 ユニカが秘密を知ったことを、当のディルクが知っているだろうか。公爵やレオノーレが、あの話を本人の前で蒸し返す可能性は低いように思われた。何しろ、彼らの間では口にしてはならない禁忌という認識が共通してあったのだから。
 だったらユニカが何食わぬ顔をしていればいいのかも知れない。問題は「ユニカが何食わぬ顔をしていられるか」だが、ちょっとくらい挙動不審でも、宴の席でユニカがおどおどしているのはいつものことだから顔を伏せていれば済む気がする。どうせ、このところ彼の顔を真っ直ぐ見るのは気まずいのだから。

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