天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(1)

第四話 傷口と鏡の裏U


「あーあ、本当に気に入らない話だったわ」
 舞台と客席の間に緞帳が降り、その前では今宵の役者たちが揃って手を振っていた。刺激的な芝居の内容に観客たちは大満足で拍手を送っている。耳が痛くなるほどの拍手喝采の中、レオノーレの低い呟きは彼女の両隣に座っていたユニカとクレマー伯爵夫人の耳にはっきりと聞こえた。
「「え?」」
 伯爵婦人は熱烈な拍手を、ユニカも形ばかりの拍手を舞台に送っていたが、レオノーレの台詞はあまりに予想外で、二人は思わず手を止める。ざあざあと響く拍手の渦の中で、たった三人が手を叩いていないからといって誰も気にする者はいない。
「とっても不愉快な話よ。アマリア市長に垂れ込みして、後日取り締まって貰いましょう。新年の治安が悪い時期に密告があれば見逃してもおけないでしょうからね」
 言いながら、公女は扇子で口許を隠し大きなあくびをした。それなりに、少なくともユニカよりは楽しんで芝居を見ていたようなのに、何故。
「ま、まあ、公女さま、てっきり気に入って下さったのだと思いましたわ」
「面白くなかったわけではないのよ。でも気に入らないわ。これはいつから上演されている話だったかしら。まさかディルクが来た直後じゃないでしょうね。伯爵夫人、あなたが罰せられるようなことにはしないから、そのあたり、あとで詳しく教えてちょうだい」
「は、はい……?」
 伯爵夫人は不安げに頷くだけで、それ以上レオノーレの真意を確かめられなかった。
 呆気に取られる二人の連れをよそに、レオノーレは拍手の波が鎮まる頃になってようやく何度か扇子を叩いて鳴らした。座りっぱなしで凝り固まった背筋を気持ちよさそうに伸ばして、彼女は席を立つ。帰る準備は万端だ。
「そうだわ。せっかくだし、あの役者たちが逮捕される前に顔を拝んできましょうか。旦那役の俳優を間近で見てみたいわ。楽屋はどこかしら?」
 弾んだ声だが、言葉は残酷である。クレマー伯爵夫人は戸惑いながらもレオノーレに迎合して立ち上がったが、ユニカはそこまで付き合いたい気分ではなかった。座ったままでいると、レオノーレはきょとんとしながら問うてきた。
「ユニカ様は行かないの?」
「ええ、私は……」
「そう、じゃあ下に降りて待っていらして。馬車を間違えないようにね」
 いったい役者たちにどんな言葉をかけるつもりなのか。レオノーレは伯爵夫人を引き連れて二階席から降りていった。
 周りの客がすべて降りていくのを待ってから、ユニカも席を立った。薄暗い上に、階段は木造でぎしぎしと心許ない音を立てる。慎重に降りて一階のホールまでやって来たが、人でごった返していて身動きがとれない。どうせレオノーレたちが戻ってくるまで帰ることも出来ないし、馬車を間違えるなと言われたけれど、ユニカは自分たちがどの馬車に乗ってきたのかを判別して乗り込む自信も無かった。暗くて馭者や騎士の顔もよく見えていなかったから、彼らを探すのも無理だ。ユニカは仕方なく隅の柱に寄りかかって、ホールの入り口から吹き込んでくる冷たい風を感じながらレオノーレたちの戻りを待つことにした。

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