天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(2)

 座っていただけなのに、ひどく疲れた。芝居の内容なんてほとんど覚えてもいない。結末がどうなったのかも知らない。レオノーレの言葉だけが、ひたすら頭の中を回っている。
 ずるい。
 自分はずるい≠フだろうか? 初めて言われた言葉だった。
 たくさんの人に守られているのに。謝罪の代わりに自分を孤独に追い込んで。
 レオノーレの指摘に、自覚が無いわけじゃない。でも、ユニカだって辛い。人に疎んじられるのは悲しい、恐れられるのは悲しい。それでも、王への復讐を遂げるまで生きていく、喪った愛しい人々を思いながら。
 それがユニカにとっての罰であり、命の保障。これしか無いのだ。だから、例え王家の身分を授けられたのだとしても、ユニカに果たせる役割なんてない。王妃クレスツェンツの後を継ぐ、または王太子の求婚を受ける? あり得ない。ユニカは項垂れ、ほとんど闇に包まれた足許を見つめた。
 王城で暮らし、王に復讐して、それで世界は閉じるのだと思っていた。でも、そうではないのだ。ユニカが歩いてはいけないけれど、光に包まれた道が、他に幾筋もある。
(どうしてそんなものを見せるの)
 復讐とともに終わる世界で良かったのに、まるで目隠しが取り払われるようにきらびやかな世界が現れる。そんな幻想に絆されたりはしない。そう決意していても、心が揺さぶられているのを感じた。
 エリーアス、エリュゼ、エルツェ公爵やヘルミーネ夫人に、レオノーレ、――それから、ディルク。ユニカを導こうとする彼らの眼差しに、記憶の温かな部分が揺れ動いた。かつてそうしてくれた人がいたように、真っ直ぐ目を見つめられることの心地よさを思い出すのだ。その心地よさに任せて、彼らの手を取ってしまえたら……ちらりとそんな考えが脳裏をよぎって、ユニカは慌てて頭(かぶり)を振った。
 ちょうどその時だ。誰かが近づいてくる気配がして、ユニカは顔を上げる。目の前に青年が立っていた。一見すると貴族の子弟だが、腰に剣を帯びている。顔に見覚えは無かったものの、剣を吊した臙脂色のベルトに獅子と月下美人の意匠が縫い込まれていたので、レオノーレの騎士だと分かった。
「姫さまと伯爵夫人はどちらに?」
「楽屋を覗いてくると言っていました」
「さようですか。お寒いでしょう。先に、馬車を回して参ります。中でお待ち頂けるようにいたしましょう」
 騎士は微笑み、丁寧にお辞儀をして再びユニカの傍を離れる。彼は公国の騎士だからユニカの複雑な立場にさほど頓着していないようで、普通の王家の姫として扱っているらしい。その対応にも慣れなくて戸惑う。
 経験したことの無い色んなものが一度に降りかかってくるので混乱し、いつもの冷静な考え方が出来なくなっているのだ。落ち着かなくてはいけない。ユニカは暗い思考を断ち切り、小さく溜息を吐いた。
 悶々と考え込んでいる内に、ホールの人気は減っていった。自分の馬車が玄関口まで迎えに来るのを待っている貴族はあとひと組で、それもまさに出て行くところだ。冷めやらぬ観劇の熱を語り合っていた庶民の客も続々と帰り、ユニカとはちょうど反対側の壁際に五、六人の小さな集団がいるだけになった。

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