天槍のユニカ



夜の片隅で(9)

 エリュゼは何か答えようとしたが、次の瞬間、レオノーレの興味は失せていた。機嫌良く葡萄酒を呷った彼女はユニカの方へと身体を傾け、肩がぶつかるような距離で顔を覗き込んでくる。
 彼女が距離を詰めてきたぶんだけ仰け反りたくなるのを、ユニカはぐっと堪えた。馴れ馴れしい距離を、ユニカが不快に思っていることなど見透かしているのだろう。レオノーレが耳許でくすりと笑う。
「ねえ、」
 そして芳醇な葡萄酒の香りと一緒に、まるで猫を撫でるかのような声がユニカの頬をさする。
「ずばりお聞きするのだけど、あなたが『天槍の娘』だというのは本当?」
 視界の隅、間近に迫ったレオノーレの青い瞳が、急に鋭い光を帯びた。彼女の声音は、たった今まで奔放に振る舞っていたレオノーレからは想像も出来ない、ぞっとするほどの色香をまとっている。
「エイルリヒがあなたに助けられたと聞きましたの。本当ならお礼を言わなくちゃ。可愛い弟の命の恩人ですもの」
 周囲の人間に聞かれることを厭わない音量が、ユニカの心拍数を跳ね上げさせる。
「それ、は」
「それは?」
 答えようとして、言葉に詰まった。
 自分が答えてもいいのだろうか。
 その一件は、王家と公国の使節が話し合い、処理を終えているはずだ。エイルリヒは毒を含まされ倒れた。しかしそれを救ったのがユニカであるとは、どの記録にも残っていないだろう。
 レオノーレの問いに答えるならば「是」だ。嘘ではない。けれど「事実」としても残っていない出来事を、ユニカが認めてしまったら。
 ここにユニカとレオノーレ、エリュゼに、公爵夫人しかいないのなら頷こう。周囲に無数の耳さえ無ければ。
「『天槍の娘』の噂は、公国にも伝わってきていますのよ。ただ信憑性はとっても薄くて。わたくしは信じていなかったの。でもこうしてそれらしい人物が目の前にいらしゃるじゃない? 王城に入る前に、エイルリヒのことも聞きました。確かめてみたいと思うのは当たり前でしょう? それで、ユニカ様は本当に『天槍の娘』なの? エイルリヒを助けて下さったの?」
 問いは積み重ねられる。
 やはり答えられない、とユニカは思った。
 頷き、答えれば、ユニカが『天槍の娘』であるだの、癒やしの力があるだの、やはりあれは魔女なのだという認識を、聞き耳を立てた人々の心に植え付けてしまうだけだ。
 ではなんと言って公女の問いを受け流せばよいのだろうか。
 好奇心で近づいてくる輩は追い払う、と言っていたはずのヘルミーネは、もの言いたげにレオノーレの横顔を見つめているだけだった。なぜ口を出してくれないのだろう。エリュゼも同じような顔をしているあたり、なにか貴族のしきたりが邪魔をして、この二人ではレオノーレに太刀打ちできないということかも知れない。

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