天槍のユニカ



小鳥の羽ばたき(11)

**********

 ここ数年、良い夢を見たことがない。朝起きても、良い夢だったなと思うことがない、と言うべきか。
 それに比べて、悪い夢というのはいつまでも記憶に残る。いや、これも言い換えた方がいい。嫌な記憶ばかりが夢に現れて、いつまでも忘れることを許さない。
 愛していたのに、彼らのことを早く忘れてしまいたいと思う。死者は何も言わないのだ。ディルクがどんなに薄情なことを思っていても、咎めてくれることすらない。
 忘れてしまいたい、早く。
 脚が重いな、と思って目が覚めた。悪い夢を見ていた。矢傷が痛む。最悪だ。
 薬の効果も相俟って、身体が怠くて仕方なかった。身体を起こすだけでくらくらと世界が回りそうになるが、それでもディルクはどうにか水差しに手を伸ばした。
 水を飲みながら広いベッドの足下を見てみると、ルウェルが剣を抱え、犬のように丸まって寝ていた。しっかり靴を脱いでベッドの上に上がっている辺り、「寝てしまった」というより「ここで寝よう」と思い切った様子だ。脚が重たかったのは彼のせいだ。
 雪が音を喰い、耳が痛いほど辺りは静かだ。夜も随分更けたようである。枕元にも明かりは無く、暖炉の火だけがぼんやりと室内を照らしていた。眠さを誘う明るさだ。
 瞼も身体も重いのだが、ディルクの意識ははっきりしていた。夢のせいだと思う。
 彼は痛む矢傷を押してもう少し身体を捻り、枕元に置いてある小さなチェストに手を伸ばした。一番上の引き出しを開け、ほとんど見えないその中から、手探りで一つの箱を取り出す。ワニスの艶が美しいが、目立った装飾は無い。
 中には片方だけのイヤリングと、羽根のような模様を、絹糸らしきもので象った装飾を水晶に閉じ込めたペンダントが入っている。ディルクはイヤリングを手に取り転がした。
 丸みを帯びた細い滴形のエメラルドが、金の金具に触れてちりりと鳴る。この片割れは、王家の冠を収めた廟の中に落としてきてしまった。ユニカの天槍によって弾き飛ばされたのだ。いつか探しに行ってやらねばなと思うが、これを外すきっかけになったので、このまま見つからない方が良いのかも知れない。忘れてしまいたいと思うのなら、尚のこと。
 しかし彼らを忘れてしまったら、自分は生きていけないだろうなということも分かっている。
 忘れても、忘れなくても、生きていくのは辛いことだ。
「へぐしっ」
 感傷を打ち破る間抜けなくしゃみが響いたので、ディルクはげんなりと溜め息を吐きながら足下のルウェルを見つめた。暖炉の火があるとは言え、確かに寒かろう。丸くなっているのはそのせいらしい。彼が怪我をしていることを思うと、そのままにしてやるのはさすがに可哀想だった。
 毛布を掛けてやりたいところだが、自分のを譲る気は無い。ディルクはイヤリングを箱に入れて引き出しにしまい、侍女を呼ぶための鈴を手に取った。今夜は誰か控えているはずだ。ルウェルに毛布をかけて貰おう。そう思ったのだが、鈴に呼ばれて顔を覗かせたのはユニカだった。
 驚きのあまり、言葉が出ない。ディルクが大きく瞬くと、彼女はするりとドアの向こうへ消えた。そして何事も無かったかのように、ティアナが入ってくる。

- 422 -


[しおりをはさむ]