天槍のユニカ



雲の向こう(4)

 相手を想う気持ちに立場は関係なくても、ユニカという人間からも、ディルクという人間からもそれぞれの立場は切り離せない。
 別に王族の妃になりたいなんて思ってはいなかった。そのことは確かなのに、自分はディルクの傍にいる資格がない人間なのだということは悲しい。
 悲しいほどに、彼という存在が自分の奥深くまで入り込んでいることを思い知り、余計に苦しくなる。
 ぽとりと音を立てて涙が落ちる。ユニカは我に返って乱暴に目許をぬぐった。
 一緒に黙っていたエリュゼは、あまりに強く顔をこするユニカの手を捕まえて、毛布の上へと優しく押さえつけた。
「ユニカ様は、殿下のことがお好きですか?」
 唐突な問いに思わず目を瞠るが、こみ上げてきたものでユニカの顔は再びくしゃりと歪んだ。
「……好き、よ」
 彼を想うと湧き上がる様々の感情に形を与えるなら、その一言がふさわしいと思う。ディルクに手を引かれて歩きたい、抱き寄せられるままくっついていてもいい。彼との口づけを、体温を思い出すだけで言葉にならないほどの幸福感が襲ってくる。
 ずっとゼートレーネにいられたら。あの穏やかな湖畔の村で、陽射しと風と水の匂いに見守られながら、ディルクの隣で過ごせたらよかったのに。
「でも、言えないわ」
 エリュゼの前では絞り出すことが出来たその言葉は、まだディルクに伝えられていなかった。いつもユニカは代わりに唇を差し出し、彼が言ってくれる言葉に頷き返すだけだった。
 口に出来なかったのは照れくさかったからだけではない。最後の最後で怖いという思いがぬぐいきれなかった。それを言ったら後戻りできなくなる、自分達の間に、断ち切りようのないものが生まれるような気がして。
 それはある意味正解だったろう。
 言っていたら、もっと苦しくなっていたと思う。しかし、言っていない今なら離れられる。
「城に戻らなくて済むなら、戻りたくない」
 ユニカが頭(かぶり)を振りながら言うと、エリュゼは微笑みながらかすかな溜め息をつき、隣に腰掛ける。
「そんなお顔で何をおっしゃるのです。好きな方には好きだと言わなくては。ご自分のお気持ちには素直に応えてあげなくてはいけませんわ」

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