天槍のユニカ



願いごと(5)

 わずかな星明かりと広間から漏れ出る灯りのほかに、近くには光らしい光がない。うっすらと見えるポラノ山系の山陰も遠近感を狂わせる。黒い布に包まれているようでユニカは急に不安になった。一歩先には床があるのか怪しいとさえ感じる。露台の縁にはちゃんと手すりがあるから、床がないわけがないのだが。
 思わずディルクの手を握り返す。すると彼は、辛うじて顔が見えるような薄闇の中でふっと笑った。
「エイルリヒからの招待状のことだけど、」
「ここにあるわ。でも、もう遅いし、」
「ああ、見るのは明日にする。ここは暗いしね。ただ……ユニカが嫌なら俺から断るよ。無理に公国に行かなくてもいい」
「私は、行ってもいいと思っていたのだけど……」
 それを聞いたディルクは目を瞠った。驚かれるとは思っていたが、いざその反応を見るとどうにも恥ずかしくなる。
「こんなに大切な行事ならあなたも呼ばれるでしょう? 一緒に連れて行って貰えるなら、それでもいい気がして」
「ゼートレーネに来るのさえ嫌がっていたユニカの言葉とも思えないな」
 先月の自分のぐずりようを引き合いに出されては気まずいことこの上ないが、ディルクは堪えきれずに肩を揺すって笑っていた。彼の気持ちがふっと緩んだことに、ユニカも少し安堵する。
「来てみたら、案外楽しかったから」
「よかった。君のそういう顔を見たいと思っていたんだ」
 そして、もごもごと言い訳をするユニカを、ディルクは穏やかで美しい村が与えてくれたのと同じもの詰め込んだ目で見つめてくる。
 大切で、大切にされていて、それが嬉しくて、大好きで愛しい――ユニカがそんな感情を周囲に抱き始めていることも見透かして、そう思うユニカのことも包みこむように。
 薄暗いのが幸いした。きっと明るかったら、ディルクのそんな視線は照れくさくてとても正面から受け止められない。
「でも、ユニカが行きたくないと言ってくれれば、俺はどんな手を使っても君をシヴィロに残して行けたんだが」
 ところが、次に聞こえてきた声は打って変わって沈んでいた。その声は湖があるであろう薄闇の中に向かって溶けるように消えていく。
「行かない方がいいなら、行かないけれど……」

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