天槍のユニカ



愛しさの代償(2)

「五分経過!」
 時計を持たせていた兵がディルクから十歩ほど離れたところで報告の声をあげる。それがどこか引き攣った声のように聞こえるのは、指揮刀を己の掌に打ち付けている王太子がさらに腹を立てると分かっているからだった。
 実際、報告を聞いた彼は間髪容れずに低い声で返した。
「やり直し」
 盆地の底をもたもたと動き回って縦列をつくろうとしていた数千の兵に向かって、すかさず信号旗が振られる。らっぱと太鼓の音に合わせて再び形を変え動き出す隊列は、やはりもたもたしていて美しい方形を維持していなかった。
 対して、同じ合図で動くウゼロの兵には一人の乱れもない。まるで一つの生きもののように、柔軟に、それでいて定規で線を引いたような隊形に次々と変容していく。
 あの動きこそが行軍の基本であるのに、シヴィロの兵は同じ命令をまったく実行出来ないでいた。
 ディルクが諸隊長を呼ぶための伝令を走らせてから天幕に戻ると、日陰にいたエイルリヒは大変機嫌がよかった。涼しいところにいたからではない。シヴィロ兵の無様な動きと、ディルクがその指揮に難渋しているのを見るのが面白いのだ。
「大変そうですね、兄上」
「のろまぞろいでな」
 部下を罵っても決していい結果に繋がらないと分かっているディルクだったが、そろそろ我慢も限界だ。
 王太子領の兵は、有事の際には近衛と併せてディルクの手足として働く直属の軍だ。それが隊形移行も満足に出来ないとあっては話にならない。
 王太子からの辛辣な評価に、天幕の中へ戻ってきたシヴィロの将校達は一様に肩を強張らせた。一方、何人かのウゼロの将校はにやにやと笑っている。ディルクがウゼロの一軍を担っていた頃の顔見知りだ。
 彼らにエイルリヒのような悪意はなさそうだったが、まるで「お気の毒様」と言うような視線で小ばかにされているのは分かる。彼らがかつての僚友でなければ本当に不愉快だったろう。
 今回エイルリヒが連れてきた部隊には知った顔が妙に多い。どうやら、ディルクがバルタス方面軍の総督をやっていた頃に使っていた兵や騎士が多数いるようだ。
 ディルクと先代のテナ侯爵が育てた軍の力もすべて自分のものにする。そういうエイルリヒの意思表示だろう。まったく、なんと嫌味な。

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