Happy Halloween


 夜空に輝く星に負けじと電飾のカボチャと幽霊があちこちを彩っている。夢主の目に映り込むのはそうした怪奇と幻想が入り乱れる世界だ。
 10月31日。ハロウィンを迎えたこの日、夢主はとある遊園地にやって来ていた。
「人が多いね」
 笑顔を浮かべる夢主のすぐ目の前を、海賊姿の男の子と妖精姿の女の子が両親に手を引かれて入園ゲートをくぐり抜けていった。
「いつもより安いんだ。そりゃあ、みんな遊びに来るさ」
 夢主の隣に立つメローネはいつもの髪型に獣の耳と尻尾を付けている。頬に三本のひげを描いた彼は狼男の姿で夢主にぱちりとウィンクをした。
「俺としてはもっと別のコスプレが良かったけど……ま、ハロウィンだからね」
 カトリックのイタリアではハロウィンを祝う習慣があまりない。とはいえ、遊園地側としては外す事の出来ないイベントだ。夏と冬の休みの間、客足が遠退くのを避けるためにハロウィンの仮装をして遊びに来た客はいつもよりお得に遊べるような企画を立てた。それがウケて園内はお化けやモンスターで大混雑らしい。
「それにしたって……可愛いなぁ。見ず知らずの女より夢主と一緒に回ろうかな」
 コウモリの羽の飾りが付いたパンプスを履き、ふわっとした黒いドレスを着た夢主はトンガリ帽を頭に乗せている。露出した肩にはリボン付きのケープを羽織って随分と可愛らしい魔女に化けていた。
「……メローネ、それは本気か?」
 ひんやりと冷たい声が夢主の後ろで響く。振り返る夢主を後ろから抱きしめるとDIOはじろりとメローネを睨んだ。
「じょ、冗談だよ……やだなぁ〜! それにしてもやっぱり本物が着ると全然違うもんだね。いやぁ、凄い」
 大げさなまでに首を横に振って話題を変えようとするメローネをDIOは鼻先で笑った。
「フン、当然だろう」
 自前の鋭い牙を見せて笑うDIOは白いシャツに銀色のベスト、黒いズボンに裏地がワインレッドのマントを羽織っている。妖しい色気が全身から滲み出て見る者すべてを虜にする様は、吸血鬼というよりは淫魔に近いのではないだろうか。
「よく似合っている」
 愛想笑いするメローネから視線を外したDIOは抱きしめた夢主の頬に唇を落とす。黒い革手袋に包まれた手が夢主の腰を撫で、ドクロの飾りが付いたステッキが背筋をなぞり上げた。
「ありがとう……DIOもすごく格好いいよ」
 動き回る手を押さえつつ夢主が見上げるとDIOは小さな笑みを浮かべた。あまりに似合いすぎて直視することが出来ない程だ。夢主はすぐに視線をそらして熱くなる頬を両手で包み込んだ。
「まぁ、俺も楽しませてもらおうか。女と遊園地なんて久々だし」
「メローネ、仕事だということを忘れるな」
 舌なめずりをするメローネを注意したのはリゾットだ。彼だけはいつもの仕事着だがそれでもハロウィンには十分すぎるほど異色の姿だった。
「分かってるって」
 軽く受け流したメローネは耳に小型のイヤホンを取り付けると長い髪でそれを隠した。
「こちら狼男。準備出来たけど、俺の恋人はまだかな?」
『ゲート前で待機させてありますよ。うまくやって下さいね』
 メローネと同じイヤホンを装着したリゾットの耳にボスのクリアな声が届いた。
「Si、じゃまた後で」
 メローネはリゾットたちに片手を上げると、喜々として女が待つ場所に走り去っていった。
「リゾット……私にそれは必要ないの?」
 メローネを見送った夢主はリゾットの耳を指差す。
「慣れていないお前には無理だ。こちらを気にせず、自然体でいる方が警察の目も欺ける」
 リゾットの言葉に出てきた“警察”という単語に夢主はわずかに緊張する。今夜、ハロウィンパーティで賑わう遊園地に来たのはただ遊ぶためではない。組織同士の利益を深める大事な取引を行うためだ。始めは市内のホテルの一室で契約を結ぶはずが、捜査官が周囲を嗅ぎ回っているという情報によって延期になった。
 そうなるとボスであるジョルノ自身が動くのは危険だし、人目に付かない場所では余計に警察を刺激してしまう。そこでジョルノが考えたのが家族連れとカップルの多い遊園地だった。ハロウィンで賑わうその中なら厳つい男たちの顔も隠せられるし、尾行されても他の客に紛れつつ衣装を変えれば目を眩ませやすいだろう。
 そうした理由もあって、スタンド使いであるリゾットとブチャラティのチームはそれぞれ仮装をしてこの任務に就く事になった。
「分かった……頑張ります」
 初めてジョルノやチームの役に立てる、と気合い十分な夢主は真剣な表情でリゾットを見上げた。
「……普段通りでいい。力を抜け」
 ジョルノから事のあらましを聞いて参加を申し出たDIOがクッと笑って夢主の腰を引き寄せる。
「そんな硬い表情で欺けると思うのか? お前は私と楽しむことだけを考えろ」
「だけど……」
 これは仕事であり任務なのだ。それなのに楽しんでしまっていいのだろうか……躊躇う夢主にリゾットは二枚のチケットを手渡した。
「DIO様の言うとおりだ。遊びに来ているカップルだという事を忘れるなよ」
「……はい」
 自分が楽しむ事で取引が成功するのならそれに越した事はない。
「じゃあ、行ってくるね」
 まだ少し緊張してはいるものの、普段の笑顔を見せる夢主にリゾットは頷き返す。
「後は任せておけ。行くぞ」
 DIOに腕を引かれ夢主は慌てて足を踏み出す。
 彼らがメローネと同じゲートをくぐり抜けるのを見届けるとリゾットは闇と同化するようにフッと姿を消した。



 楽しそうに会話を繰り返す人々の間をリゾットは慣れた様子ですり抜けていく。メタリカで姿を消した今、人や物にぶつかるとそれだけで厄介だ。そうでなくても今夜の仕事には警察が関わっている。今も彼のすぐ目の前を仮装した捜査官がヒソヒソと会話を繰り返しながら歩いていた。
『どうですか?』
 ふとイヤホンの向こうからボスの声が届いた。ここに来る事が出来ない彼は警察の監視下にあるホテルから部下たちに指示を出している。小型カメラを身に着けたリゾットはそんなボスの目になる役目を担っていた。
「捜査官が二名、夢主たちの後を追っているようだ」
 彼らを引きつけるために取引を行うのは男女のカップルだと情報をわざと流してある。今頃はメローネの方も同じように尾行されているだろう。
『ご苦労な事ですね。僕のモニターからもその二人と夢主たちの姿がよく見えますよ。そのまま彼らを追って下さい』
「了解した」
 パンフレットを手にふらふらと歩く夢主たちをリゾットと捜査官は少し離れた位置から跡をつけていく。人気のアトラクションには家族連れの長い行列が出来てとても並ぶ気にはなれなかったらしい。二人は並ぶ時間の少ないものを目指して歩いていった。
「……ホラーハウス?」
 とはいえハロウィンでホラーハウスは無いだろう。一番最初に楽しむアトラクションとしてもかなり微妙だとリゾットなどは思う。現にさっきまで笑顔だった夢主は表情が引きつっていた。
「……DIO、どうしてもこれなの?」
「あのような行列に1時間も並べというのか? 時間の無駄だ」
「だけど……」
 夢主はそろりと入り口を窺った。血が付いたナイフを手に殺人鬼姿の人形が笑っている。おどろおどろしい骸骨が手招いているし、恐怖を煽り立ててくる音楽が実に不愉快だった。
「まさか……このような子供だましが怖いのではないだろうな?」
 反論しようとした夢主の耳に先に中へ入って行った人たちの悲鳴が届く。ギャアとかウワァとか、とにかく大騒ぎだ。リアクションの大きい外国人だからと思いたい。思わずDIOのマントを握りしめる夢主にスタッフがどうぞと中へ通してくれた。
 暗闇に暮らすDIOと同じくリゾットも暗所には慣れている。客を驚かそうと仕掛けられた気味の悪い人形や音も、吸血鬼と暗殺者である彼らにはまったくの無意味だった。
「血の勢いが足りぬな。飛び出した臓器もリアリティに欠ける。人間の腸はもっと長く……」
「止めて、DIO! お願いだから……」
 それ以上聞きたくないと夢主は背伸びをしてDIOの口を手で覆い隠そうとする。その瞬間、頭上からバシュと勢いよく空気が放たれて辺りに悲鳴が響いた。
「フフ、まるで暗闇を怖がる子供だな」
 驚きのあまり飛びついてきた夢主を優しく抱きしめる。邪魔なトンガリ帽を近くにあった死体の頭に被せると、なだめるように背中を撫でた。
「すべて作り物だ。この私が居て、何を恐れる事がある」
 DIOは醜悪な姿をしたヴァンパイヤの長い牙を指で弾いた。本物が放つ力に負けて牙はパキリと折れ、隣に並んだ屍生人の額に突き刺さる。驚く夢主の前でDIOは身を屈め、唇をそっと触れ合わせてきた。
「……んっ!」
 血糊で汚れた通路の真ん中でDIOは幾度となくキスを繰り返す。恐怖を煽るBGMも彼の手に掛かると甘い曲になってしまうのだろうか……
「ぁ……、DIO……っ」
「いい声だ。もっと聞かせろ」
 舌を出してぺろりと上唇を舐められてしまった。愛撫をするようにふわりとしたキスが続けざまに与えられて夢主の足から力が抜け落ちそうになる。
 姿を消しているとはいえリゾットの目の前でそんな思わぬ展開が繰り広げられていく。声を掛けたくても出来るような雰囲気ではなかった。リゾットがわずかに困っていると、夢主たちを追いかけて走ってきた捜査官たちがモンスターに囲まれた通路でキスを交わす二人を見て足を止めるのが見えた。
「……! 他のお客さんが……っ」
 危うく甘ったるい口付けに流されてしまうところだった。夢主は慌ててDIOから離れると、恥ずかしいのかそれとも気味悪い人形たちを見たくないのか、顔を覆って出口へと駆け出していく。DIOは腕を引かれるまま小さな笑みを浮かべてそれに従った。


 DIOが残した魔女の帽子を詳しく調べている捜査官を置いてリゾットは二人の後を追いかけた。一時は怖さとDIOのせいで心を乱した夢主も外に出て夜風に当たると平常心を取り戻したようだ。
 夕食を早めに取ったので小腹が空いたらしい。ワゴンでクレープと飲み物を買い求めた彼女はそれらを手にパーク内を再び巡り始めた。頬を生クリームで汚す夢主を隣にいたDIOが指先で拭って食べている……そんな場面に出くわすとイヤホンの向こうでクスクスとボスの笑い声が響いてきた。
『楽しんでるようですね……夢主だけじゃなくパードレも』
 本来はチームの誰かとこの任務に当たらせるつもりだった。それをDIOが至極当然の顔付きで奪っていったのだ。DIOと遊園地……上手くイメージできなかったのか夢主は困惑気味だったし、チームの仲間たちはお互いをつねり合って漏れそうになる笑い声を噛み殺していた。
「かなり意外な光景ではありますが……」
 遠目から見ても仲の良さそうな恋人たちだ。彼氏役があまりに色気付いていて他のカップル客の視線を独り占めにしている事を除いても、二人はこの場所を楽しんでいるように見える。
『僕にもそうですよ。夢主はともかく、パードレのあのにやけきった顔……どうにかなりませんかね……』
 ジョルノの言葉にリゾットも苦笑するばかりだ。追いかけるリゾットとジョルノ、それから捜査官の向こうでそんなカップルは次のアトラクションに入って行った。



 多少、入り組んではいるもののケニーGが作り出す迷宮とは比べものにならない。待ち時間が少ないという理由で次に選んだのは宝探しに迷路が加わった体感型のアトラクションだった。平衡感覚を惑わせる仕掛けや鏡の迷路を夢主は渡された地図を元に歩いていく。
「あ、また突き当たり……」
 と思ったら、どこかの男女が抱き合っているではないか。夢主は慌てて目をそらし来た道を戻った。
「今度はどうした。迷子にでもなったか?」
 そう言って笑いながらDIOは夢主の顔を覗き込んでくる。見上げた先にあるDIOの姿がいくつもの鏡に映り込んでいた。まるで大勢のDIOに周囲を囲まれているような気分になる。合わせ鏡から現れるという悪魔も彼を見たら逃げ出すか、逆に虜になってしまうのではないだろうか。夢主はぼんやりとDIOを見つめてそんな事を思った。
「気が抜けているな……これは仕事だということを忘れているらしい」
 耳に囁きかけてくるDIOの口から“仕事”という単語を聞いて夢主は揺らめく意識から抜け出した。
「……も、もちろん分かってるよ」
 何よりもジョルノのためにこの役柄を引き受けたのだ。夢主は気を引き締め直し手に持っていた地図に視線を落とした。
「それとも……やはり私では楽しめないか?」
「え?」
 落としたはずの視線を再びDIOに向けると、彼は眉を寄せ少し不機嫌そうな表情を見せていた。
「こういった場所は初めてだ。何をどうすればお前が喜ぶか分からぬ……そんな私よりも、メローネの方が何倍も楽しむ術を知っているだろう」
「そんな事は……」
「ではどうしてすぐに視線をそらす」
「それは、だってDIOが……」
「私が何だ? いつもと違うこの姿が気に入らぬのか?」
 機嫌が下がる一方のDIOに夢主は大きく首を横に振る。
「違うよ。衣装はすごく似合ってる。……ただ、そんなDIOと遊園地で遊ぶなんて夢みたいで……」
 恥ずかしそうに頬を染める夢主を見て単に照れているだけなのだと理解した。DIOはようやく寄せていた眉を解き、俯こうとする夢主の顎を捉えた。
「私もその姿を見るのが楽しみだった。実に愛らしい……今すぐここで犯したいくらいだ」
「ありが……、えぇっ!?」
 最後の言葉があまりに物騒だ。ありがとう、と言えなかった夢主の口は情けない程にぱくぱくと空気を食べた。
「薄暗く閉ざされた空間……絶好の場所だとは思わないか?」
「思わないよ、何言って……!」
 喚く夢主の唇をDIOが静かに塞いだ。キスを交わす二人の姿が鏡に映り込み、様々な角度からそれを見せつけてくる。夢主は相手の銀色のベストを掴んで近づいてくる逞しい胸をどうにか押し戻そうと足掻いた。
「い、いや……」
 DIOはそんな抵抗などものともせず、逃げられないよう背後の鏡に体を押しつけくる。夢主が身に着けたケープ越しにその固さと冷たさが伝わってきた。
「他のお客さんに……」
 夢主の脳裏に先ほど鉢合わせたカップルの姿が浮かんだ。彼らと同じような体勢になっていると思うだけで体が煮立ってしまいそうだ。誰かに見られないうちにこの迷宮を抜け出したかった。
「気にするな。愛し合う姿を見せつけてやれ」
「そんな……」
 逃げようとする夢主の顔を追いかけてDIOは容赦なく唇を奪った。クレープを食べて甘く汚れた唇を舐め、淡い色の口紅を奪い取る。潜り込んでくる舌から逃げようとすると彼はそれを罰するように布の上から尻を揉み上げてきた。
「んっ……!」
 ぎゅっと強く掴んだ後、今度は詫びるように優しく撫でてくる。躊躇いのない指がスカートの端から忍び込んできて太腿をいやらしく這い回った。
「あっ、やだ……DIO……っ」
 思う以上に甘い声が響いて自分でも驚くほどだ。嫌だと首を横に振る相手にDIOは笑みを深めると、黒いマントを広げて夢主の体を包み込んでくる。
「これなら見えることはない」
「うそ……ちょっと、待って……!」
 大きな手がするりと内股を這って下着の奥に潜り込んできた。
「!」
 こんな場所で体に触れられるなど、とても耐えられない。夢主は必死でDIOの手を押さえつけた。
「夢主」
「……ぁ、」
 名を呼んで再び口付けてくるDIOに抗いきれず夢主は唇を受け止めてしまった。熱烈な音を響かせるそんな彼らの後ろを、先ほどキスをしていたカップルが口笛を吹きながら通り過ぎていく。
「……DIO、お願いだから……っ!」
 全身を震わせ、今にも泣きそうな赤い顔の夢主に懇願されてDIOは仕方なく体を離した。無粋な輩に邪魔をされた彼の眉間には再び皺が刻まれてしまう。
「早く屋敷に戻って思う存分にお前を抱きたいものだな」
「もういいから……! 早く出口に行って!」
 恥ずかしげもなくそんな事を言うDIOの背中を押して夢主は迷宮から抜け出す事を優先する。二人が去ったそのすぐ側で彼らを密かに尾行する男三人と、モニター越しに戯れ合う姿を見せつけられた者が深い溜息を吐いていた。
 


『僕は何だか不安になってきましたよ……』
 ジョルノの疲れたような声にリゾットも同意したい心境だ。仕事として尾行しているあの捜査官たちもおそらく同じ思いだろう。
『あとは観覧車に乗るだけですが……二人は?』
 リゾットは轟音を上げて走り抜けていくジェットコースターを見上げた。夢主と他の客の悲鳴がカーブを曲がるたびに響いている。
「すべて予定通りです」
 そのうちふらふらな足取りで降りてきた夢主と、その腰を支えるDIOが取引場所である観覧車に向かって歩き始めた。
「……」
 長い行列に並んだ夢主は緊張した面持ちで順番が来るのを待っている。次第に無言になっていく夢主にDIOは苦笑するしかない。
「その顔ではすぐにバレてしまうぞ。もっと気を抜け」
「そんな事言われても……」
 警察官に尾行されているのだろうか……上手く取引が出来るだろうか……考えれば考えるほど夢主の表情は硬くなっていく。
「次の方どうぞ」
 観覧車スタッフが夢主とDIOのために扉を開く。彼らが乗り込むとすぐに扉は閉じられ、ゆっくりと上に向かって動き始めた。初めて乗った観覧車の中でDIOは足を組み、窓枠に肘を置きながら離れていく地上を見下ろしている。夢主はその隣に腰掛けてそわそわと落ち着かない様子で同じく外を眺めていた。
 窓に映るのは電飾された遊園地の姿だ。その下でまだ遊び足りない子供や大人たちがあちこちを歩き回っている。そんな彼らの様子を見ていると夢主の胸にふと寂しい想いが忍び込んできた。DIOと遊園地など最初は想像も出来なかった。この楽しくて素敵な時間が終わってしまうのがとても残念だ。
「何を考えている?」
 地上から視線を戻すとガラス窓越しにDIOと視線が合った。知らない間に顔を覗き見られていたようだ。
「もう少しだけ……遊びたかったなぁって……」
「取引の心配かと思えば……そのような事を考えていたのか?」
 咎めるような声に夢主は慌ててDIOに向き直る。
「もちろん取引の事も心配だよ。でも、」
 再びDIOの唇が覆い被さってきて夢主はそれ以上何も言えなくなった。先ほどの強引さはどこへ行ったのか、強く抱きしめる代わりに革手袋で覆われた大きな手が頬を撫で、柔らかな口付けが顔中に降ってくる。
「……DIO」
「嫌か?」
「だって……」
 ジッと見つめられて頬が熱くなってくる。二人だけの密閉空間とはいえ周りはガラス張りだ。上や下から見ようと思えばいくらでも見えてしまう。その証拠に夢主が他のゴンドラを確認すると外を見下ろす家族連れの姿があった。
「人の目がそれほど気になるか?」
 チラリと反対側の空席に視線を送った後、DIOは薄く笑って夢主の頭に黒いマントを被せた。
「どうして……?」
 姿を隠すのなら外から見える側だろう。夢主は不思議に思いながら無防備な体半分を震わせる。
「夢主、もう喋るな」
 体半分を覆い隠したDIOは肩を引き寄せて深く口付けてくる。くちゅ、と濡れた音がわずかに響いた。戸惑う夢主の唇にDIOの舌が潜り込み、表面を舐めては甘噛みして羞恥に悶える心と呼吸を奪い去っていく。緋色をしたマントの裏地でDIOの目と絡み合った。
「ん……」
 舌を吸われてDIOの口腔に誘い込まれると、絡まる舌に長く伸びた犬歯が触れた。いつもそれで吸血される時を思い出せば夢主の体に炎が灯る。流れ出るわずかな血をDIOに舐められて恥ずかしいほどに感じてしまうのはいつもの事だ。
「もっと舌を出せ」
「……っ、」
 じゅるりと舌と共に唾液まですすり飲まれて夢主の腰に痺れが走り抜けた。堪らずDIOの胸に縋り付くとそれを待っていたように太い腕が体を抱きしめてきた。
「あ、DIO、……」
 もうこのまますべてを預けたくなる。淫らなキスを何度も受けて頭の中がふわふわとし始めた時、まるでノックをするようにコツンと窓ガラスが鳴った。夢主がその音にハッとすると同時に、頂上に向かっていたゴンドラはいつしか下り始め、地上近くまで降りてきている事に気付く。
「どうしよう!」
 勢いよく体を離すとDIOのマントがハラリと落ちた。DIOは濡れた口元を舐めながら小さく舌打ちをした。
「何だ、もう終わりか」
「そんな事より、DIO……取引!」
 慌ただしく身を整え夢主は焦ったように叫ぶ。
「分かっている。落ち着け」
 苦笑するDIOの元に再びスタッフがやって来て二人のために扉を開け放った。


 一人佇むリゾットの目の前に一組の老夫婦がシートに腰を下ろした。それまで激しいキスを交わしていたDIOたちと入れ違いで乗り込んできた彼らは、ドクロが飾られた杖を慎重にねじって中に埋め込まれた書類にサッと目を通していく。
「……確かに。これで契約は成立した」
 組織の幹部らしい老人は低い声でハッキリとそう言った。リゾットがイヤホンを外して彼の耳に押し当てると、姿が見えていない証拠に相手はびくりと体を震わせた。
『ご苦労様です。とてもいい取引でした』
 ジョルノの声を聞いて冷や汗にまみれた老人はぎこちなく頷く。
 リゾットはその後、彼らが無事に退園し、車に乗り込むところまで見届けてようやくスタンドを解除する事が出来た。
『リゾット、用意した女性たちは駅へ送り届けて下さい』
「分かりました。……しかし、これほど手間をかける必要が?」
 リゾットはそれだけが腑に落ちない。どこへでも潜入可能な自身の能力を使えば、わざわざ遊園地などに来なくても書類の受け渡しくらい簡単に済ませる事が出来る。
『邪魔をしてくれた警察へのお礼と相手の組織への牽制、後はまぁ……デートらしいデートをした事の無い夢主へのプレゼントでしょうか』
 ジョルノの声を聞きながら、ゲート近くでぐったりと疲れている多くの捜査官たちと、彼らを振り回し続けた仲間たちの姿を視界に収める。リゾットに目配せをしてバスやタクシーを利用して駅に向かう彼らを見送った。
「DIO様、夢主様、少々お待ちを。車を回してきます」
 すぐ近くで聞き慣れたテレンスの声がする。リゾットが暗闇から見つめる中、夢主は街灯の下で笑顔を浮かべて隣に立つDIOを見上げていた。
「楽しかったね。ザ・ワールドもお疲れ様」
 観覧車から降りる寸前に取引相手と同じ杖を交換するだけの簡単な仕事だ。とはいえ、その万能な能力があればこそ簡単に出来ることだった。
「……ザ・ワールドの本体はこの私だぞ」
 操る自分よりもスタンドを労われてDIOはぴくりと片眉を上げた。
「DIOもお疲れ様」
 くすっと笑う夢主をDIOは力任せに引き寄せる。
「まさか……このまま仲間たちの元へ帰れると、そう思っているのではあるまいな?」
 薄い笑みを浮かべるとDIOは夢主の腰を淫らな手付きで撫で回した。
「……」
 夢主からの返事はない。どうやらアジトへ送り届けてくれるものと考えていたらしい。
「なかなかに楽しいところだった。次は二人きりで楽しむとしよう」
 そう言いながらDIOは闇の中にいるリゾットを鋭い視線で射貫く。終始、彼らの跡をつけていたことがバレているようだ。捜査官から守り、上手く取引を行うための行動だったがDIOには邪魔でしかなかったらしい。
「申し訳ない」
 こちらもキスシーンを覗き見てしまった立場だ。目の前で勝手に始まった事だとしても見た事には変わりがない。何も知らない夢主に対して少しばかりの罪悪感が湧いたリゾットはぽつりと謝った。
 DIOにしか拾えない小さな呟きが消える頃、運転席に座ったテレンスが二人の前に車を横付けする。ドアを開けるDIOに促されて夢主は後部座席の奥に消えた。彼らが去っていくのを見届けてリゾットはイヤホンと小型カメラを取り外す。こんなハロウィンはもう勘弁して欲しいと言わんばかりに深い溜息がこぼれ落ちた。

 終




- ナノ -