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 鼻先にふわふわといい匂いが漂ってきた。おそらくそれは、淹れたての紅茶とテレンスお手製のジャム付きスコーンの香りだ。
 重たく感じる頭をわずかに起こせば、薄暗い寝室にある大きなベッドに寝かされていることを知る。今にも消えてしまいそうな淡い光が灯された間接照明に向けて、サイドテーブルに置かれた紅茶の湯気がゆらりと昇って消えた。
「テレンスさん?」
 白い枕の上から執事の名を読んでみるが、返ってきたのはすぐ隣からの声だった。
「起きたか」
「あれ、DIO?」
「階段を踏み外して頭から落ちた割に、元気そうではないか」
「えっ、落ちた?」
「これは何本に見える? 今がいつで、どこにいるか理解できるか?」
 馬鹿にしたような、心配するような、どちらとも取れる言動をしつつDIOは夢主の視界で指を振る。
「5本に見えるけど……えっと今は1988年? うーん89年だった? カイロ市内は今日も暑そう?」
「フフ、合っているのは最初だけだな」
 笑うDIOを不思議そうに見ていると、彼はベッドからゆっくりと起き上がり、何を思ったか寝ている夢主をシーツごと抱え上げるではないか。
「えっ、なに? どうしたの?」
 いつも半裸で過ごす彼に慣れているとはいえ、目の前に逞しい胸筋が迫ってきては平然とはしていられない。それに階段から落ちたとはどういうことなのか、詳しく聞こうとする夢主をDIOは無視して窓際に近づいていく。そしてそこに備え付けられた分厚い遮光カーテンをスタンドを使って左右へサッと開いた。
「えっ?」
 雲のない夜空に浮かぶ月は同じでも、その眼下に広がる景色のあまりの違いに目を見張った。そこには砂漠の砂を含んだ風も、エキゾチックな建造物もなく、海を囲うように広がる華美な港町が見えるではないか。
「今年は2001年。ここはイタリアのナポリ市内だ」
「イタリアのナポリ?」
 DIOからの思いがけない答えに夢主は瞬きを繰り返す。そんなところに一体何の用があるのか、わざわざエジプトを離れてまで訪れる理由は? いや、それよりも今は2001年だと彼は言わなかっただろうか。
 そこでようやく昨日までの日々を振り返ってみる。カイロにあるDIOの館でいつものようにテレンスとお喋りしつつ、ご飯を食べていたはずだ。暇になったら図書室で本を借りて、寝たり起きたりを気ままに繰り返すDIOの横で読書をして、彼と他愛ない話を暗く広い寝室でしていた……はずなのだ。
「??」
 それから何がどうしてイタリアに居るのか分からない。必死にそれまでを思い返そうとしてみるが、思考は霧に包まれたようにぼんやりとして要領を得なかった。
「う、うそ……どうして?」
「言っただろう。お前は頭を強く打ったのだと。私が不在の時に足を滑らせたらしい」
 そう言ってDIOは抱き上げたままの夢主に顔を寄せ、その呆然とした表情に唇を落とす。ぱちぱちと瞬きをする相手の額へもう一度キスをして、窓際から二人がいた先ほどのベッドへと足を向けた。
「……私、記憶を失っているの?」
 打ったという頭の中が曖昧でふわふわとしている。とても大事で、大切な何かが色々あったはずなのにそのすべてが思い出せない。青ざめ、震え始めた彼女を膝上に抱いたまま、DIOはベッド際に腰掛けると、まだ湯気の立つ紅茶のカップを差し出した。
「これを飲んで少しは落ち着いたらどうだ」
 シーツに包まる彼女に無理やり持たせ、間違っても落とさないよう手を添える。戸惑いながらもそのうち恐る恐るカップに口を付ける様子を、DIOは上から静かに眺めた。


「──私と離れてからの記憶を消せ」
 それが二時間ほど前にDIOが露伴に下した命令だ。
 ヘブンズ・ドアーを使う相手を知った露伴は眉を顰める。
「僕に彼女の記憶をいじれと? しかも離れてからの記憶を?」
 何のために? と聞かれてDIOは目を細めて嗤った。
「先ほどお前に感謝を告げたがそれは嘘だ。私が彼女を探し求めていた間、貴様らと過ごしていたのかと思うと……実に……実に、腹立たしい」
 歯を軋ませ笑う相手に露伴は詰め寄られた。
「恩人だと? 友人だと? エジプトで我が前から消え去った後は、随分と愉快な生活を送っていたらしい。不公平だとは思わないか? このDIOがどれほどの想いでいたか、お前などには分からないだろう」
 暗がりから大きな手がヌッと伸びてきて、鋭く尖った爪先が露伴の手首を掴み上げる。じっとりと冷たい汗が露伴の額から流れているのを横目にDIOはもう一度言った。
「だから、私と別れてからの記憶を消せ」
「オイオイオイッ! 待て待て待てッ! 謝って済むなら何度でも謝る! 僕が悪かった! 彼女に気安く近づいたことも、関係を偽ったことも深く謝罪する! 僕は昔から好奇心が抑えられないタチなんだ。本当に悪かった! それに……! それに、だ。記憶をごっそり失えば絶対におかしくなる。人は過去の思い出で出来ているんだ。最悪、廃人になるぞ! あんただってまさかそこまでは望んじゃあいないだろう!」
 必死の形相で捲し立てる露伴をDIOは冷たくあしらった。
「出来ないと? このDIOの言葉が聞けぬと?」
 暗闇の中で光るのはドス黒く、それでいて赤い血に濡れたようなDIOの目だ。じわじわと手首を締め付けてくる指先はまるで死神の鎌のようだった。今この瞬間、手を無くす覚悟で露伴は威圧してくる相手を真っ直ぐに睨み返した。
「……断る! 僕にだって譲れないものはあるさ」
 長い沈黙がその場を支配した後、先に動いたのはDIOだった。露伴を掴んでいた手をあっさりと外し、もう興味は無いとばかりに背を向けられる。
「期限付きなら問題あるまい。そうだな……1日でいい。それで溜飲を下げてやろう」
「は? おい、」
 一歩踏み出した瞬間、露伴の目の前に夢主を抱え上げたDIOがパッと現れる。気を失っているのか目は閉じられ、体はぐったりと力なくDIOに預けられていた。
「さっさと書くがいい。お前もこれ以上、人の食事の邪魔をしたくはないだろう?」
「!」
 大きく口を開けて笑うそこに、唾液に混じった鮮血がだらりと糸を引くのを見た。そのおぞましさに露伴が慌てて確認すれば、夢主の首筋に深々と突き立てられた歯形の痕があるではないか。
「クソッ……!」
“1日だけエジプト以降の記憶が思い出せなくなる……、”
 躊躇いつつも出現させたヘブンズ・ドアーでそう書き込み、その箇所をDIOに見せつけるとようやく満足したらしい。夢主を抱えたままスッと体を引いて、あとは音もなく暗い廊下の奥へ姿を消してしまった。
「お、おい! 手当てくらいするんだろうな!?」
 追いかけようとする露伴の前に今度は執事が廊下の角から姿を見せた。
「後のことはお任せを。お帰りはあちらです」
 玄関から放り出されるようにして外に出された露伴を待っていたのは、運転席に座るギアッチョと後部座席のドアを開くリゾットの姿だった。


 ──温かい紅茶が胃に落ちたところで夢主の唇から思わずホッと息がこぼれた。
 安堵したのが分かったのか、添えられていたDIOの手がカップを奪って離れていく。次にジャムが塗られたスコーンが目の前に差し出された。食べろという事なのだろう。それほど空腹を感じてはいなかったが、DIOの珍しい行動に夢主は素直に口を開けて少しだけ囓ってみる。
「甘くて美味しい」
 テレンスの仕事はいつも完璧だ。変わらないその味に乱れた心が静まり、癒やされるようだった。
「……ねぇ、何だか首が痛いけど」
「血を吸った後だからな」
 悪びれずに言うDIOの前で夢主が首に手をやると、そこには大きなガーゼが貼られてあった。それなら階段から落ちたのは貧血が原因では? と思うが、確かめる術はないようだ。
「痛むか?」
 なぜか気遣わしげに見つめてくるDIOと視線を合わせることが出来ない。彼の膝上に置かれて、紅茶や甘味を手ずから与えられるなど初めてのことだ。照れくさくて、気恥ずかしくて、夢主はシーツにそっと顔を隠した。
「手加減はしたはずだぞ。久々の逢瀬に邪魔者がいて、腹は立っていたがな」
 クッと短く笑った後でDIOは夢主の顎を捉えると、力を抑えた動きでやや上を向かせる。唇に残るジャムを舌でべろりと舐め取ってから何度か口付けた。
「それほど甘くはないな。酸味の方が強い」
「な、っ……! そ、っ……!」
 そうじゃなくて、と言いたいのに喉の奥に言葉が詰まって出てこない。
「い、い、今の! なに!? えっ、まさかキスした?!」
 体に火でも点けられたかのように一瞬で全身が熱くなる。飛び上がるほど驚き膝上から慌てて降りようとする姿に、DIOは笑い声を上げながら片腕で押さえつけた。
「ああ、そうなるのか。お前の記憶では」
 キスなどすでに何度も交わし合っているのだが、そこまでの記憶がないのならこの反応も頷ける。
「考えてみれば再会してからか。私も我慢をしたものだな」
 強引に迫れば怯えて逃げられてしまう、そう考えたからこそゆっくりと囲い込んでいく作戦だったが……今になって思えば、どう足掻いたところで最終的には己のものになるのだから無駄な駆け引きだったとも言えるだろう。
「手を出さないって約束したのに!」
「処女ならすでに奪ってある。そもそも、抱いてくれと誘ったのはお前の方だ」
「!?」
 目を見開き、愕然とする夢主が面白くてDIOはそう言ってさらにからかった。
「嘘っ! ウソだよね? そんな、そんなことって……」
 あまりのことに絶句してそれ以上言葉にならない。必死に過去を振り返り、再び思い出そうとしても記憶は儚く溶けてしまう。ついさっきまでエジプトで暮らしていたはずなのに、そこから何がどうしてこうなっているのか、まったく見当がつかなかった。
「お、思い出せない……何も! そんな大事なこと忘れるなんて!」
 からっぽの部分を切り裂かれ、そこに出来た大きな傷が涙となってこぼれてくる。消え去ったその時間はきっと大切なものだったに違いない。自身でも驚くほどの深い悲しみに包まれてぼろぼろと涙を流してしまった。
「お前にとってそれほどか」
 杜王町で暮らした日々や、ナポリに来て過ごした毎日はDIOが思うより彼女の中に深く根差していたものらしい。DIO以外のことをそれほど思うのなら、やはり全てを消し去ってしまえばよかったとすら思う。
「私、もう一度階段から落ちてくる! そうじゃなきゃこんなの耐えられない!」
「馬鹿なことを言うやつだ」
 膝上で暴れ始める彼女をDIOは難なく押さえつけた。
「だって、だってDIOが……」
「私が?」
 恨めしそうに言う夢主を見下ろすと再び火がついたように赤くなった。涙で汚れた顔を手で隠し、耳まで熱くさせながら裏返った声で叫ばれてしまった。
「まるで……こ、恋人みたいに! キスなんかするから!」
 再び腕の中から逃げ出そうとする彼女を抑えて、DIOはしばらく無言で見つめ返す。視線をさまよわせ、落ち着かない様子の相手をしげしげと眺めた後、フッと笑いがこぼれた。
「みたいに、ではなく実際そうだが?」
「! ……本当に? 本気で?」
「ああ」
 信じられないほどの優しい声に夢主は身震いした。何度も闇の中で見た美しい顔が近づいてきて、そっと唇を触れ合わせた後に柔らかく微笑まれてしまう。全身に雷が落ちたかのような衝撃と、腰が砕けそうになる色香を目の当たりにして、感情が追いつかずまた涙がこぼれ落ちた。
「それなら……なおさら忘れたくなかった! 想いが通じた日があったってことでしょ? やっぱりもう一度、階段から……」
 自ら怪我を負おうとする彼女を腕に閉じ込めて、DIOはそれ以上の言葉を再び奪い取る。濡れた頬を手で拭ってやりながら何度も口付けると、今度は身を縮めて動きを止めた。その物陰に隠れるような臆病な様子にDIOの背筋がゾクゾクする。今すぐ裸に剥いて犯してしまいたい欲望と、何より自身との記憶を求めてくれた愛しさに、喉の奥が焼ける様に熱くなった。
「そう固くなるな。唇を開け」
「待って……もう、むり……」
 唇同士が触れ合う感触があまりに淫らだ。息を止めていないと心臓が爆発してしまいそうだというのに、DIOはやけに嬉しそうにしながら、夢主が言葉を発した瞬間を狙って舌先を潜り込ませてきた。
「……! っ、し、舌、入って……」
「甘くてしょっぱいな。泣きすぎだ」
 驚き慌てふためく夢主とは対照的に、DIOは余裕の顔つきで口の中を探り出す。
「ひ、……っ」
 ぬるついた相手の舌先に怯えて逃げようとするが、あっという間に追いつかれて絡め取られてしまった。息を吸って吐くのもままならない深いキスに夢主は目を回し、すぐに降参を示して解放するようにDIOの胸を叩くが、薄く笑うばかりで相手にもされなかった。
「やっ……もう、」
 苦しくて恥ずかしくて、これ以上は堪えきれなかったのだろう。何とか顔を背けようとする無駄な足掻きに、DIOは女の体をすくい上げてそのまま後ろのベッドへと押し倒す。左右に開かせた足の間に体を入れると、また大げさなまでに驚かれてしまった。
「こ、こんな体勢……誤解されたら……」
「このDIOの女になったとすでに全員が知っているぞ」
 全員とは一体どこまでだろう? 考え出すと止まらない疑問に夢主は手で顔を覆って隠した。
「いい加減、観念しろ。会えたのは久しぶりだと言っているだろう。これ以上、この俺に寂しい思いをさせるつもりなのか」
 そんな感情があったとは思いも寄らない。心から驚いてDIOを見上げれば、美しく逞しい彫刻のような裸体がぐっと迫ってきた。
「……! ……っ、」
 半裸姿などもはや見慣れているはずなのに、関係性を知ってしまった後ではこうも違って見えるものだろうか。夢主はしばし見惚れて言葉をなくす。それをようやく諦めたと察したDIOは体をぐっと近づける。首筋に鼻を寄せたところでふとあることを思い出した。
「ああ、忘れていたな」
 数時間前、露伴にスタンドを使わせるべく、テレンスとキッチンにいた夢主を捕まえた時の事だ。DIOは不意に嗅ぎ慣れないグッチの香水の匂いがすることに気付いた。それが長く一緒に居た露伴から移ったものだと理解した瞬間、怒りが抑えられずに強く噛みついてしまったのは我ながら気が短かっただろうか。
 思い出さないようにしていた事実が再び目の前にあって、DIOは彼女の首元を覆うガーゼを勢いよく引き剥がす。急な痛みに跳ねる体を無視し、DIOが贈った服に両手を添えて力任せに左右へ引っ張る。しっかりと縫い付けられているはずのボタンが飛び散って、部屋の隅々でカツンと音を立てた。
「!? なんで、こんな……。こ、恋人……なんだよね? 普通に脱がしてくれれば……」
「自ら脱いでくれるつもりだったのか? それは惜しいことをしたな」
 先ほどの行動とは一転して優しい手つきで露わになった肌に触れる。ゴミとなった服を無造作に床へ落とし、下着姿を隠そうとする夢主の両手を無視してDIOは高い鼻先を柔らかな谷間へと押しつけた。
「……!」
「鼓動がいつもより早い」
 手酷くされる不安と、DIOの顔が近すぎる驚きと焦りで心臓が高鳴り続けているせいだろう。
「記憶を無くした分、お前にとってはすべてが新鮮というわけか」
 女の甘い香りを嗅ぎながら舌を這わせて鎖骨から首筋へと至る。まだ血が滲むそこを執拗に舐めては柔らかく噛んでやると、夢主の腰回りがびくびく震えるのがDIOの下腹部に伝わってきた。手で隠されていない肌の上に何度も口付けて、甘く噛んでは痕を残す。
「それなら……一から十まで、丁寧に導いてやらねばなァ」
 美しすぎる微笑みは邪悪そのものだ。それなのに夢主の体はますます熱くなって、下腹部が切なげに疼いてしまう。そんなDIOの顔もいやらしい手つきも何もかもすべてが初めてのはずなのに、触れられたところから甘い刺激が走り抜ける理由を考えそうになる。
「まって、せめて……もう少しゆっくり、」
 身も心も、記憶すら落ち着かない間にこんな関係になってしまっていいのだろうか。抱かれる喜びは確かにあるが、それはまた記憶が戻った別日にでも……と夢主が思う間にDIOの指先がするりとショーツの上をなぞり上げた。
「ひっ! ど、どこをっ、触って……!? あ、あっ、うそっ!」
「体はしっかりと覚えているようで安心したぞ」
 藻掻く足の間で指を動かせば、ぬるりとした感触に笑みを浮かべる。会う度に時間を掛けてじっくりとほぐしてきた甲斐があったと言うものだ。
「お願い、待って! せめてお風呂、お風呂に入ってから……!」
「何を言っている。すでに入った後だろう」
 遠い昔に聞いた言葉を繰り返す彼女の焦り顔は実に愉快だ。DIOは震える薄い腹に口付けながら笑った。
「えっ……」
 それを聞いた夢主は自身の髪に触れてみる。濡れてこそいないがさらさらとした手触りだ。よくみれば手足も手入れがされた後で、かろうじて身に付けている下着類も普段使いではない、いわゆるえっちなもので、目を凝らせば見えてしまいそうなほど薄く、そしてやけに凝った作りの可愛らしいものだった。
 ……つまり、すでに準備万端で相手にこうして抱かれることを想定していた……ということになる。その事実に気付いた瞬間、夢主は短い悲鳴を上げてじたばたと手足を暴れさせながら身悶えた。
「おい、大人しくしろ」
 いつも以上に抵抗されるのは困るが、これまでの抱かれた記憶が一切無いのだと思えば実に面白い。DIOは笑って夢主の両足を捉えるとそのまま力任せにシーツへと押しつけた。ぐぇっと色気のない声が聞こえたのは無視して、浮いた腰からすべてが丸見えになった秘部へ顔を近づける。薄い下着越しに女の甘い匂いが香るそこは、すでにしっとりと濡れてDIOを待っていた。
「や、やだ……なんでこんな……」
「一から教えると言っただろう」
 記憶を奪った無垢な心に、己が一体誰のものなのか教え込ませる為だ。恩人というなら館に住むことを許したDIOも同じだし、友人というなら共に夜を語り明かしたDIOもそうだろう。ニヤリと笑う唇をそのままに彼女の一番感じる部分に吸い付けば、尻尾を踏まれた犬のような短い悲鳴が上がるのを聞いた。
「やだやだ、そんな汚いとこっ……!」
 麗しい顔が自身の下腹部にあるだけでも空恐ろしいのに、迷いなくショーツに舌を這わせるその行動が信じられない。心底止めて欲しいと手を伸ばして押し返しても、相手は少しも動かなかった。
「フフ、随分と可愛いことを言うじゃあないか」
 DIOは笑いながら探り当てた花芯を舌先でぴんと弾いてやる。途端に跳ね上がる体を愉快そうに見てから、舌に感じる突起をゆっくりと撫で回した。
「あっ、あ、……!」 
 ざらついた舌が薄い布の上を這い、その形を確かめるようになぞっていく。唾液を含ませなくても内側からとろりと溢れてきた愛液で、薄布はすぐに意味を成さなくなった。
「んっ、ん……! あっ、やだっ……」
 DIOの熱い吐息をそこに感じて、押しのけようとすればちらりと視線を向けられる。それがたまらなく恥ずかしくて夢主はすぐさま顔を覆うが、その分だけ力は抜けてますます思う様に花芯を嬲られてしまった。
「ひっ、あ、……だめ、ほんとに、やぁ……っ」
 強く吸われて甘噛みされ、目の前がちかちかするほどの快楽が襲いかかってくる。こんなのは知らない、身に覚えがない、と思っても体はDIOにされるがままに悦んでしまっている。その事実に混乱と歓喜が同時に押し寄せてきて、頭の中はぐちゃぐちゃになった。
(さっきまでDIOの部屋で本を読んでいただけなのに、何でこんなことに? もしかしてスタンド攻撃?)
 悪夢を見せるスタンド使いなら知っているが、彼はまだ生後6ヶ月の赤ん坊だ。こんな淫らで肉感的な悪夢を見せる理由も想像力もないはずだ。ますます分からなくなって答えを求めるようにDIOを見つめ返すが、彼は楽しそうに目を細めてこちらを見るばかりだった。
「あ、あっ……もう、……だめっ」
 唾液と愛液で滑りがよくなったそこをびちゃびちゃと念入りに舐められて、腰が浮くほどの快感が押し寄せてくる。怖いのに気持ちよすぎて体はDIOからの愛撫を拒めないでいる。首を弱々しく横に振りながらこれ以上は無理だと伝えようとすると、ようやくその願いが通じたのかDIOは花芯をひと舐めしたあとで顔を離してくれた。
「疼いていたのはお前も同じようだな」
 濡れ汚れた唇を舐めながら、うっとりとした表情でそう囁いてくる。何のことかと夢主が聞き返すよりも先に、もう意味を成さない下着の隙間から太く長い指が潜り込み、とろけた蜜穴へゆっくりと挿し入れてきた。
「──!」
 その瞬間、限界まで膨れ上がっていた熱が一気に弾け飛んだ。夢主の腰と脳を直接揺さぶるかのような強すぎる快感が走り抜けて、声も出せないまま体を大きく震わせた。
「……っ、!、……ッ」
「我慢するだけ無駄だぞ」
 唇を強く噛んで身悶える様子を、DIOは声を上げないためのものだと思ったらしい。しかし夢主にはそんな余裕などすでになく、今初めて知った強烈な快楽をどう処理していいのか分からず、ただひたすら耐えるために強く噛んだに過ぎなかった。
「ン、……ぅ、う……」
 ぎゅっと強く閉じたまぶたの裏で白い光が明滅し、体は意思とは関係なく震えて強ばっていく。
(知らない、こんなの……絶対、記憶にない!)
 気持ちよさや羞恥よりも混乱や恐怖の方が大きくなって心のどこかが沈んでいくようだ。涙で何も見えなくなった顔をシーツに押しつけると、すぐに大きな手が伸びてきて正面へと戻される。熱い吐息が頬に触れて、未だ強く噛んでいる唇へと流れ込んできた。
「少しは力を抜いて、息をしろ」
 埋め込んだ指を強く締め付けてくる柔襞の感触を味わいながら、DIOはそう言って頑なに閉じた夢主の唇を奪った。破瓜の痛みに怯えられるよりはと、感じるところだけを余す所なく触れて昂ぶらせたが、それは思いのほか逆効果だったようだ。説明も短く、早々に体を求めたのも悪くはあっただろう。それでも、あの頃の何も知らない顔をしてDIOの隣にいた彼女を手に入れられると思えば、これ以上はどうやっても気持ちを抑えきれなかった。
「夢主、」
 優しい声色で囁きながら、怯え戸惑い恐れすら滲ませる相手に柔らかなキスを与える。急いてしまったことを詫びるようにそっと舌を差し込めば、唇を強く噛んでいた力が弱まった気がした。角度を変えつつひたすら啄み、逃げる舌を追いかけては絡ませる。あれほど強ばっていた体が次第に緩み、涙を押し出すようにきつく閉じられていた目がわずかに開くのを見計らって少しだけ唇を離してみる。
「ぁ……はぁ……」
 熱く速い呼吸を繰り返す夢主を間近に見ながら、DIOは彼女にだけ聞こえる声量で愛を囁いた。
「……え?」
 目を見開いて驚く様は実に初々しい。初めて告げた時も同じ反応だったことを思い出して、DIOはフッと小さく笑った。
「……からかってる?」
「いや、愛らしいと思っただけだ」
 さすがに冗談に取られては困る。DIOはもう一度、愛があることを耳元で言い含め、念を押すように赤くなっている夢主の耳を優しく啄む。その時、ようやく甘い声があがったので埋め込んだままの指を軽く動かした。
「んっ……、あっ」
「お前からの返答は記憶が戻ってからでいい」
 これまで聞いたことのない切なげな声に、夢主もさすがに嘘や戯れ言などではないらしいと気付く。しかしそうなると、本気で心と体を求められていることにもまた気付いてしまった。
「そんな……だって、……」
 止まっていた涙がまた溢れてくる。嬉しい気持ちと同時に、お互いの気持ちまでも忘れ去ってしまった悲しみが胸に広がった。
「悪いが、これ以上の余裕はないぞ」
 濡れた音がする秘部から引き抜いた指で、DIOは下着の奥から限界まで硬くなった陰茎を取り出した。べちんと夢主の腹を打ったものの正体を見て、悲しみは瞬時に消え去り、再び怯えが戻ってきた。
「うそ……! 無理、絶対無理っ、入らない!」
 見るからに太くて熱い塊が宛がわれ、夢主の言葉を試すようにじりじりと隘路を押し広げてくる。襲い来る痛みに体を強ばらせ、身構えるその様子をDIOはうっとりと眺め下ろした。
「あっ、やだやだっ、ぁあ、……えっ?」
 思い描いた痛みは訪れず、代わりに腰が浮くほどの快楽が次々に押し寄せてくる。そのことに驚いていると、わざとらしい動きで蜜口を押し上げられて自分でも驚くほどの甘い声が溢れてしまった。
「あっ、ぁああっ……んっ、ぁ……っ」
「記憶など無くとも感じる部分は同じだな」
 嬉しそうに呟いてDIOは目の前で揺れる胸に指を這わせる。薄い布地ごと摘まみ上げて、優しく擦り合わせるとそこからも快感を拾い上げた声が響くようになった。
「や、もう……ぁ、ああっ」
 体の奥底から熱い奔流が駆け上がり、夢主の戸惑いと羞恥を限界まで引き上げる。愉しげに目を細めたDIOが顔を近づけて唇を奪うと同時に、淫茎の根元までを一息で突き上げた。
「……! っ……!!」
 声と息を奪われた中で夢主は深い絶頂に全身を浸す。目の前が淡くきらめいて、熱に浮かされたようなDIOの顔しか見えない。引いていかない気持ちよさだけが残り続けて、埋め込まれた襞の奥が悦びに泣き濡れているようだ。
(知らない、こんな……自分も、DIOも)
 女の悦びを覚えさせられてしまっている体が恐ろしい。相手の目に映っているのは本当に自分なのか、そんな疑問すら浮かんでしまいそうだ。
「ああ……素晴らしい。いいぞ、夢主」
 名を呼ばれてハッとする間もなく、再び奥を目指して分け入ってくる。挿入の深さと勢いに愛液が飛び散って二人の間で淫らな音を立てた。
「まって、……あ、ぅ、ああっ……DIOっ」
 喘ぐことしか出来ないでいる中、必死になって名を呼び腕を伸ばせば、それに応えるように体を強く抱きしめられた。
「だめ、……もう……っ」
 体を重ね合わした結果、もう二度とあの頃の関係性には戻れない。繋がってしまった喜びと絶望が深い快楽によってぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて、夢主の下腹部で切なげに泣いた。
「ああ、俺のものだ。すべてが」
 記憶はもちろん、髪の毛一つ匂いすらすべてDIOのものでなければならない。そんな狂おしい想いを突き立てながら、淫らでありながら初々しい反応を返す最奥に白い飛沫をたっぷりと浴びせかけた。



 不意に強い衝撃が首筋に走り抜け、鈍い痛みを伴ったそれは眠りに落ちていた夢主の体を揺り起こした。
「痛いっ!」
 思わず飛び出た声に自分自身で驚いて目を覚ます。開けた視界いっぱいに映り込んだのは心配そうにこちらを見つめる麗しいジョルノの顔だった。
「大丈夫ですか? 治療は終えたのでもう少しすれば痛みも消えると思いますよ」
 そう言って彼は背後に浮かぶスタンド、ゴールド・エクスペリエンスを消して夢主の首筋を優しく撫でた。
「ジョルノ? それに、テレンスさん?」
 側に控えている執事の名を呼べば、こちらもホッとしたような表情を浮かべた。何が何やら分からず、夢主が首だけを動かして周囲を見渡せば、昨夜DIOを露伴と共に出迎えた客間の一室だ。柔らかなソファーから慌てて体を起こし、立ち上がろうとするがなぜか足に力が入らない。すぐにジョルノの腕が伸びてきて、そっとソファーへと押し戻されてしまった。
「正直なところ、とうとう我慢が出来ずにあなたの足の健を切ったのかと思ったのですが……違ったようで安心しました」
「え?」
「でも僕がそう勘違いするのも仕方がないですよ。何しろずっと父の腕に抱えられていましたからね。僕を出迎えて食事を共にし、この部屋で談笑するまでずっとですよ?」
 くすくす笑うジョルノに対して、夢主の服を整えてくるテレンスは見るからに不満顔だ。
「酷い貧血と疲労で倒れる寸前でした。もっと手加減を覚えていただかねば、私の心臓は潰れてしまいます」
 どうやらテレンスがジョルノを呼んだらしい。わざわざパッショーネのボスを呼び出すくらいには緊急事態だったようだ。
「ごめんなさい、テレンスさん。ジョルノも忙しいのに来てくれてありがとう」
 迷惑をかけたらしいことを素直に謝り、感謝すると二人はやけに複雑そうな表情をする。
「この様子だと……」
「そうですね。でもまあ、その方がよいでしょう」
 露伴からスタンド攻撃を受けたことを本人は気付いていないようだ。もしくはそれすらも忘れてしまうように仕向けられていたのかもしれない。
 ジョルノが誰か分からず怯えながら初対面の挨拶をしたことも、テレンスしかここに残っていないことを知った悲しい衝撃も、もはや忘れてしまった方が彼女のストレスにはならないだろう。
「料理の準備をしていたところまでは覚えているんだけど……あの、露伴は?」
「昨日のフライトで日本に帰らせた」
 ジョルノの背後から姿を見せたのはリゾットだ。岸辺露伴に関する調査書をジョルノに手渡しながら、心の中で深く長いため息をこぼした。
(やはりあの漫画家は警察に任せるべきだった)
 彼女から必死に頼み込まれては断ることの方が無理だ。それでも、その本人がこうなってしまうのなら、他の手があったのではと後悔しかない。
「え、もう帰っちゃったの?」
「仕事が忙しいのだろう。早く漫画を描きたいと意気込んでいたぞ」
 それなら今回のイタリア旅行はいい刺激になったのだろう。露伴らしいと笑う夢主に、リゾットは苦く微笑むことしか出来ない。
「治療は終えたようだな」
 廊下へ続く扉が開き、それまで外で待たされ続けていたらしいDIOが部屋に足を踏み入れる。テレンスとリゾットが一歩下がる中、ジョルノだけが腕組みをして彼を出迎えた。
「傷は綺麗に塞ぎました。これで何回目です? 少しは人間らしく振る舞うことを学んだ方がいいんじゃあないですか?」
 ジョルノの横をすり抜けてDIOは夢主の隣へ腰を下ろす。
「お前も人をやめてみれば分かることだ。手加減することの難しさをな」
「それで愛する人を傷つけるなんてゾッとしますね」
 肩を竦めつつ、これ以上は押し問答だとジョルノは背を向ける。その後にリゾットとテレンスが続いて三人はDIOが入ってきた扉から静かに出て行った。
「……」
 間接照明だけが灯された中で夢主はそっと隣を窺う。暗がりの中でも輝く金髪に、えくぼを浮かべた不遜な口元、蜂蜜色をした目がちらりとこちらを見た。
「具合はどうだ?」
 DIOは長い足を組み替えながら視線の高さを合わせるように体をずらす。ジョルノに治療された首筋を辿るように指が這わされた。
「もう平気。でも……それとは別に、何だかとても……」
 言葉を濁し、言い淀む相手へDIOは視線だけで続きを促す。
「色々なことを忘れてる気がして……変な気分なの」
 露伴にこの屋敷を案内して、テレンスとキッチンへ向かったところまでは覚えている。それ以降の記憶がふっつりと消えて、今なぜここにいて立てないほど疲弊しているのか、それがよく分からない。
「奴のスタンド攻撃を受けた後遺症だろう。そのうち元に戻る」
「どうして私に? 露伴なら私よりもDIOに攻撃しそうだけど」
「されたが躱した。その時に手元が少しばかり狂ったのだろう。私の代わりにお前が攻撃を受けとめてしまったのは予想外だったはずだ」
 あの露伴がそんなミスを? とも思うが、本人はすでにイタリアを発ち帰路に着いている。
「立てなくするって書き込んだの? でも、それなら元に戻してから帰ってほしかった」
 勘違いしてむくれる夢主にDIOは笑いを隠しきれずに声を漏らす。
「安心しろ。そのうちそれも治る」
 そう言われても不安しかない。夢主はますます顔を曇らせてやけに上機嫌なDIOを見つめ返した。
「これに懲りたら他人を恩人と呼び、むやみに助けるのは私だけにしておくことだ」
 腕を伸ばし体ごと引き寄せれば、踏ん張ることも出来ない彼女はDIOの胸板へ倒れ込んでくる。あまりに無防備な姿が愛しく、愛玩するように頭を撫でてやれば曇っていた表情が少しだけ晴れたものへと変わった。
 “1日だけエジプト以降の記憶が曖昧になる……、その間の出来事は消えて思い出せない” と追記されていなければこうはならなかっただろう。昨夜、DIOが血を吸い上げながら愛を囁き散々に啼かせて、足腰が立たなくなるほどに抱き潰されたことを覚えていないのは残念だ。だが、怒って不機嫌になられるよりはいい。
「助けるのはDIOだけ? ジョルノもダメなの? リゾットやテレンスさんも?」
「当然だろう」
 あらゆる人を差し置いてDIOだけを優先しろとはあまりに身勝手だ。それでも、はっきりとそう言葉にしてしまう相手が好きなのだからどうしようもない。夢主は広い胸の上で笑って、優しい口づけがいくつも降り注いでくるのを受け止め続けた。



 露伴が帰国して数ヶ月後。暗殺チームのアジトは以前の面影を残しておらず、体を鍛えるための機械が並ぶスポーツジムと化していた。
「お前らハムスターかよ。毎日毎日、その上で走りやがってウルセぇってのが分かんねーのか」
 と憤っていたイルーゾォも、鍛えた体の方が女にモテるとホルマジオあたりに聞かされてからは毎日来るようになった。飲みきれないほどの酒があったはずだが、毎晩開かれる酒盛りや事あるごとに仕事祝いがされる内に、彼らの胃袋へと綺麗に無くなってしまったようだ。
「おーい、夢主。日本から荷物が届いてるぜ」
 外から帰ってきたメローネが小包を手にしている。リビングでのんびりしていた夢主へ手渡すと、にこにこした顔でカッター代わりらしい小さなナイフをくるりと回した。
「日本? 誰から?」
「あの漫画家先生だよ。ほらここに名前が書いてある。キシベってね」
「でも、漫画ならこの前もらったばかりだけど」
 お礼として贈られた沢山のサイン付きの漫画と最新刊は埃を被らないようガラス扉付きの本棚に飾ってある。無事に日本へ着いたらしい短いメールをもらっただけで、それ以降は何の連絡もなかっただけに不思議そうに荷物を見た。
「気前良くてホントいい先生だよなぁ。また来ないかな〜。今度は俺が案内するのに」
「俺は嫌だぜ。何考えてるのか分からねぇ奴なんか」
「そう言いながら買ってもらったやつ一番使い込んでるだろ」
 夢主の向かい側のソファーから口を挟んできたギアッチョをメローネはからかう。手に持っていた雑誌が飛んできたが、器用に避けて荷物の梱包をナイフで剥がしにかかった。
「何これ? また本? 緩衝材に現金を挟むといいよって教えればよかったな」
 想像した物とは違ったようでメローネはすぐに興味を失う。あからさまに落胆する彼とは違い、夢主は外箱付きの豪華な装丁がされた一冊に目を輝かせて喜んだ。
「短編集! すごい、いつ発売されたの?」
 日付を見ればほんの数日前だ。発売日と同時か、それより前にイタリアへ向けて発送してくれたらしい。几帳面なことにサインまでされてあるので、きっと康一くん用に取っておいた内の残りだろうか。
「何だ? 何かあったのか?」
 ギアッチョと同じく、毎日マシンを使い込んでいるリゾットがバスルームで汗を落として戻ってきた。興奮した様子で本を手にする彼女に気付くと、原因を知っていそうなメローネたちに話しかける。
「あの漫画家からの荷物だとよ」
「新しい本が出る度にこうなるんじゃあないかって心配してるとこだよ」
 一心に読みふける夢主の姿をその場にいた三人で眺める。漫画に興味は無かったリゾットも、彼女がそれほど面白いと思って読むものなら一読の価値はあるのだろう、そう思って彼女の手元をちらりと覗き込む。
「あっ……ダメ!」
 非常に慌てた様子で漫画は閉じられてしまった。
「ご、ごめんなさい。でも……私が一番最初に読みたかったから……」
 しどろもどろで謝る相手にリゾットは笑いかける。大事にしたい物が増えるのはいいことだ。
「気にするな。後ろから悪かった」
 そう言ってリゾットは夢主から離れ、飲み物を探しにキッチンへ向かう。ギアッチョもメローネも漫画に関心は無いようで、それぞれが飲んだり食べたり、違うスポーツ雑誌を広げたりと好きにくつろいでいる。
 そんな彼らを見ながら夢主はそっと短編集を開いた。
「これって……まさか?」
 特徴的な帽子を被り、全身を黒でまとめた男のキャラクターに何となく既視感を覚える。衝撃的な殺人現場を繰り広げつつ、息を呑むほどのサスペンスシーンへもつれ込む展開はさすがの一言だ。他の話でも口の悪い兄貴と弟分、そり込みの男やキレやすい少年がちらほらと出てきては、夢主の良心を突き刺していく。
(その人っぽいってだけだから問題ないよね?)
 たぶん、きっと、気のせいだ。リゾットたちに似ていても、★この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。という一文が露伴を守ってくれるはずだ。夢主はひとまず本を閉じて豪華な外箱の中へと戻した。
「でも面白いんだよね」
 ギャングの実情をまるで読んで知っているかのようなリアリティあふれる一冊に、賞賛の言葉と拍手しか出来ない。考えてみれば露伴が描く作中に出れるなら、それはそれで素晴らしいことではないか。
 いちファンとして羨ましい気持ちを抱きつつ、しばらくは誰にも読まれないよう本棚に鍵を付けたほうがいいかもしれない……と、夢主は本気で悩む羽目になってしまった。

 終




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