01


 その日、リゾット・ネエロはテーブルの上に置かれたいくつもの書類に重い溜息を吹きかけた。
 メンバーからの報告書と共に、領収書と被害損額の紙切れがそれぞれ束になって置かれてある。
「……はぁ……」
 それらすべてを吹き飛ばすほどに長い溜息だ。
「リゾット、大丈夫? お疲れだね」
 それまでソファーで雑誌を広げていた夢主が顔を覗き込んでくる。
「コーヒーでも入れようか?」
「ああ、頼む」
 ゆらりと椅子に腰掛けた彼の背後を通って夢主はキッチンへ入った。
 すぐにいい香りが部屋中に漂ってきてリゾットは何だかホッとする。
「はい、どうぞ」
「すまない」
 とりあえず書類とその請求書の束を横にどけて、リゾットは彼女の入れたコーヒーを味わう。
 ちらりと時計に目をやれば早くも夕刻だ。
「あの方が来るのは何時だ?」
「さぁ、わかんない。今日も来る気なら日が落ちてからだと思うよ」
 二人が窓越しに眺める向こうで太陽は緩やかに沈んでいく。数分もすれば外は夜を迎えるだろう。
「来ない日があったか?」
「もう……聞かないで」
 夢主は照れながらリゾットを恨めしそうに見上げた。
 そのうち夜が訪れて部屋の明かりを付ける。料理の支度はすでに終えているのでリゾットの言うあの方が来るのを待つだけだ。
「おーい、夢主ー、DIO様きたよぉー」
 ノックと共に間の抜けたメローネの声が廊下に響いた。
 すぐに部屋のドアを開け放つと、その胸へバサッと赤いバラが飛び込んできた。
「こんばんは。いらっしゃい、DIO」
 棘が抜かれたバラ越しにDIOが抱擁してくる。夢主は花の香りとDIOの温もりに包まれて笑顔になった。
「毎度毎度、お熱いね。ベネ・アモーレだ」
 頬にキスをしてくるDIOの後ろからメローネがひょいと顔を覗かせてくる。夢主は照れ笑いを浮かべてDIOの腕から離れた。
「今日はお前か、メローネ」
 同じく部屋に入っていくメローネにDIOが声を掛けた。
「ふふ、DIO様と一緒にご飯が食べられる権利、今夜は俺のものだよ」
 二人の逢瀬はいつもこのリゾットの部屋で行われる。夢主、DIO、リゾットの三人とチーム内の誰か一人が加わって夕食を楽しむのだ。先週はギアッチョ、その前はプロシュートだった。
 その食事会に同席するようになってから、リゾットは身も心も満たされるような感覚を味わっている。
 最初は二人の邪魔になると遠慮したが、
「夕飯は家族みんなで食べるのが普通でしょう?」
 彼女にそう言われた日、リゾットは不覚にも胸が熱くなった。こんなチームを家族という括りにまとめてしまったその言葉が嬉しかったのだ。
 最初は三人で、そのうち料理しやすい四人分を基準にこの部屋でDIOと夕食を共にするようになった。今のところ心から楽しんでいるのはメローネだけかもしれない。
 すでにテーブルセッティングされたダイニングで四人はそれぞれの椅子に腰掛け、夢主が昼から作った料理を前にする。
「そういえばさっき溜息をついてたけど、何かあったの?」
 彼女に言われるまでリゾットは事後処理の仕事をすっかり忘れていた。というより思い出したくなかった。
「ほう、心配事か?」
 DIOに聞かれてリゾットは苦笑を浮かべる。
「いえ、メンバーが持ち込んだ報告書の後始末が山のようにありまして」
「また経費を使い込んだの?」
 夢主はメローネをちらりと見つめた。
「えー? 俺は今回、ガソリンとホテル代だけだよー?」
 ホントかなぁ、という視線にメローネは意味ありげなウィンクを飛ばしてくる。
「じゃあ、またプロシュートが素敵なブランドスーツを買い込んだとか?」
「それもある。特殊な仕事だからな。何かと物入りなのだ」
 ターゲットを見つけて追跡し、暗殺するまでの時間と経費に割り当てられた金額はいつも釣り合わない。はっきり言って暗殺ほど割に合わないものはなかった。常に金が必要となる貧乏なチームなのだ。
「そっか……」
 お金のない辛さは夢主にもよく分かる。リゾットの暗い表情に同情した。
「私、リストランテでバイトしてもいいよ?」
 リゾットは首を横に振る。ボスの父親でありながら、ギャングと言わず他の様々な世界でその腕と頭脳を振るうDIOの想い人に、まさかそんなところで働かせるわけにはいかないだろう。
「腕も上がりそうだし、楽しそうだと思うけど。じゃあバールとかジェラテリアでも……やっぱり駄目?」
「そりゃ駄目でしょ!」
 とメローネに笑われてしまった。
「夢主は俺らの側に居てくれなきゃ。ねぇ、DIO様?」
「メローネの言うとおりだ。お前が働いてしまうと会える時間がさらに減ってしまうではないか」
 DIOは唇を尖らせて短い逢瀬の時間を嘆いた。
「でもそれじゃあ、どうするの?」
「ボスに掛け合うしかないだろうな」
 ボスの座に着いてからまだ日の浅いジョルノは何と返事をするだろうか。
「ふむ……ジョルノから引き出すよりもっと確実な方法があるぞ」
 DIOの言葉にメローネとリゾットが視線を向けた。
「運がよければ何倍にもなる」
「え、なになに??」
 メローネは目を輝かせてDIOを見る。リゾットは首を傾げたままだ。
「カジノだ。あれを利用すればいい。私も昔はよく行って荒稼ぎをしたものだ」
「おぉー! カジノかぁ!」
 メローネはぽんと相づちを打った。
「しかし、それでは組織に金が回らないのでは?」
「ああ、イタリアではな。私が言っているのはアメリカだ。ラスベガスに行けばここの何十倍もの金が動いている」
 ラスベガスと言う言葉にDIO以外の三人が目を見張った。
「しかし、行くにしてもその資金が無くては……」
 誰が飛行機に乗り、金を稼いでくるか、チームの誰一人としてギャンブルで儲けた者などいなかった。
 DIOはすでにワインを飲み終え一人で悦に入っている。
「ふむ、ラスベガスか。長く訪れていないな……」
 不意にDIOはニヤリと笑って宣言した。
「よし、これで決まったな。明朝、ラスベガスに行くぞ。リゾット、お前達もだ。私と夢主のボディガードを兼ねてもらおう。チームは九人だったな? 今からテレンスに言って飛行機を用意させよう。お前達も他のメンバーに知らせておけ」
 あまりに唐突なその言葉に、その場に居た三人は口を開けて呆然とするしかなかった。


「え、嘘でしょ?」
 リゾットと共に呆けていた夢主はそう言うのがやっとだった。
 ガタッと椅子から勢いよく立ち上がったメローネはすぐさま部屋を出て、
「おーい、みんな聞けよ! DIO様がラスベガスに連れて行ってくれるってぇー! マジだぜぇ!」
 なんて廊下で叫んでいる。その大声を聞きつけた仲間達が次々にドアを開けて出てきた。
「なに言ってやがる、この馬鹿ッ! 脳みそ湧いたか?」
 ギアッチョに蹴りを食らわされながらも、メローネはにやついた笑顔を崩さなかった。
「嘘だと思うなら本人に聞いてみろよ!」
 そう言うので彼らは夕飯を楽しんでいたリゾットの部屋へ押し入ってきた。
「DIOサマよぉ、あんまりこいつをからかうんじゃあねぇぜ?」
 スーツ姿のプロシュートとフライ返しを持ったペッシが現れる。彼らも夕食時だったのだろう。
「私はからかってなどいない。本気だ」
 DIOはジョルノに持たされた携帯電話を取り出すとテレンスの番号を表示する。
『どうされましたか、DIO様?』
「夢主と共にラスベガスへ行くことになった。暗殺チームに護衛してもらう。朝までに飛行機を用意しろ。ホテルはいつものところでいい」
『おや、それはそれは。また久しぶりですね……分かりました。夢主様と共にそのままお待ち下さい』
「分かった。任せる」
 プツッと通話を切ってDIOはむさ苦しい九人の男たちを眺めた。
「何をしている? 早く用意をしろ。朝日が昇る前に向かうぞ」
「おいおい! マジかよッ!」
 ホルマジオは呆然としつつも次第に笑顔を浮かべ始めた。
「ラスベガスか、いいじゃねぇか。女と金がウヨウヨしてそうだ」
 プロシュートは顎を撫でながらすでに目的地へ思いを馳せている。
「やったね、兄貴。俺、アメリカなんて初めてだ!」
「ソルベ、どうする? 何着ていこうか?」
「ジェラート、お前なら何でも似合うさ。しかし荷物をまとめるのは大変そうだな」
「それこそホルマジオの出番だろ」
 ソルベにジェラートもイルーゾォも半ば放心したような顔で言った。
「DIO、本気なの? ラスベガスなんて……」
 いくら何でも急すぎる。戸惑った表情で夢主はDIOを見上げた。
「行きたくないのか?」
 DIOにそう聞かれた瞬間、チーム全員が夢主を見た。彼女の返事次第でDIOはいくらでも予定を変えるだろう。
「そ、それは……」
 九人からあまりに熱のこもった視線を受けて口籠もる。
「テメェ、行かねぇつもりかよ?」
「君が来なかったらDIO様も行かないって事だよね?」
 半ばキレぎみのギアッチョとにっこり笑うメローネが怖かった。
「まさかなぁ? 行くよなぁ? そうだろ?」
「「夢主」」
 腕を組み上から見下ろしてくるホルマジオと声をそろえて名を呼ぶジェラートとソルベも怖かった。
「なぁ、頼む」
「俺も兄貴と一緒に行きたいなぁ」
 眉を寄せるイルーゾォと子犬が縋るようにペッシから見つめられてしまった。
「俺らはチームだ。すでに家族みたいなものだろう?」
 ここぞとばかりにプロシュートはそれを押しつけてくる。
「……夢主」
 そして最後に悲痛な顔のリゾットだ。
 とてもじゃないが拒否できる雰囲気ではない。それが分かっているのか、DIOは美しい笑顔を浮かべて顔を覗き込んでくる。
「お前が居なければ意味がない。私と共に行くか?」
「……うん」
 静まりかえった部屋に夢主が承諾する声がぽつりと響く。
「あまり嬉しそうではないな。私は無理強いしたくないのだ」
 そう言うが選択肢など最初から無いに等しい。大体、こんな風に責められては素直に喜べないではないか。
 夢主は小さく苦笑した後、
「みんなと一緒に行きたい。私も連れて行ってくれる?」
 そう言ってDIOを見上げると、
「ああ。お前がそれを望むのなら」
 甘い表情で頬に口付けてきた。
「やったぁ! 最高! 俺、荷物まとめてくるぅ!」 
 DIOの承諾を受けてメローネはいち早く部屋を出て行った。
「グラッツェ!」
 次々にみんながそう言って肩を叩いてくる。
「すまない」
 リゾットに謝られて夢主は首を横に振った。
「ううん、急で驚いただけだから。みんなとラスベガスなんて楽しそうだよね」
 それを聞いたリゾットはフッと優しく笑って一番最後に頭を撫でてくれた。




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