酒宴


 昼間はあれほど高く上り詰めていた太陽も、夕刻を過ぎる頃になるとあっという間に身を隠してしまう。西日が差す洋室がほんのりと暖かかったのもわずかな時間で、すぐに凍えるほどの冷たい空気に変わってしまった。
「ようやく夜か」
 温度差に気付いたDIOが身を起こして修繕した棺の蓋を押し開けると、暗い室内にディエゴの体に染みついた馬の匂いがかすかに漂っている。ベッドに彼のコートが無造作に放り出されているので、つい先ほど厩舎から荒木荘へ帰ってきたのだろう。
 のそりと起き上がってリビングに続く引き戸を開くと、まばゆい人工的な明るさがDIOの目を突き刺してきた。
「あ、おはようございます。DIOさん」
 狭い台所に立っているのは隣の部屋に住む夢主だ。彼女は持参した炊飯器の前でしゃもじを持ったままこちらを振り返った。側には鍋から皿へ肉じゃがを盛り付けるディアボロと、今日は早めに帰宅したらしいプッチが配膳の支度をしている最中だった。
「ほう、これはこれは……お隣の可愛いお嬢さんではないか。ここでの生活にも慣れてきたようで実に喜ばしい。私が贈ったエプロンも似合っているぞ」
 DIOはそう言ってにこやかに微笑みかけつつ、腰で結ばれた紐をくるりと指先に巻き付ける。
「DIOさん……まだ根に持ってますよね?」
「さぁて何のことだろうか? 私には分かりかねるな」
「じゃあ、何でこんなエプロンなんですかっ」
 夢主が身に着けているのはありきたりなレースや花柄ではなく、一面に血塗れのゾンビが描かれた恐ろしいものだ。
「くじで当てたハロウィンの景品なのだから仕方がないだろう? あの夜を忘れないためにも素晴らしい物ではないか」
 あの夜、に力を込めて囁きかけてくるDIOの目は笑っているようで笑っていない。棺ごと外に持ち出され、呆れるほどひらひらした衣装で恥をかかされた事を深く恨んでいるのがそこから見て取れる。あれから何度も謝ったのだが、彼が許してくれる日はまだ来ないようだ。
「安物とは言え、このDIOからの贈り物をまさか粗末に扱っていないだろうなァ? お前の目の届くところに置き、単調な日々に彩りを与えているとそう信じてよいのだろう?」
「うぅ……」
 何度、押し入れに戻しても気付いた時には外に出て来ている。そんな不気味で不吉なエプロンを強制的に身に着けさせられている夢主は、DIOの流し目に押し流されつつ頷いた。
「何だ、またいじめているのか」
 そこへシャワーを浴びて着替えてきたディエゴが姿を見せた。濡れた髪をタオルで拭きながら二人の元へやってきて、趣味の悪いエプロンを見て笑いながら言う。
「遊んでやっているだけだ」
「たちの悪い遊びだな」
 とはいえ、ディエゴも恥ずかしい思いをしたことに変わりはない。なので夢主から助けて欲しいという視線を送られても、もうしばらくは無視することに決めた。
「そんなことより飯にしようぜ。今なら残すと口うるさい吉良も、大食らいのカーズも居ないんだ」
「それもそうだな」
 こちらを一切手伝うことなく、プッチから渡されたお箸を手にDIOとディエゴはちゃぶ台につく。ディアボロが不服そうに山盛りになった皿を彼らの前に置いた。
「何でこの俺が……」
 という文句を聞き流して二人はさっさと肉に箸を伸ばしている。食前のお祈りを終えたプッチとご飯を用意した夢主が席に着くと、それだけでもうちゃぶ台に隙間はなくなってしまった。大きな体を持ちながら嫌味をチクチク言ってくるDIOと、長い髪が不意に触れてくすぐったいディアボロに挟まれた夢主は、出来るだけ身を小さくしながらお隣さんとの食事を開始した。
「吉良はまた残業か」
「忙しい時期だからね。仕方ないのさ」
「案外、飲み会かもしれないぜ」
「一人だけいい物を食うなど許せんな」
「吉良さんなら何かお土産を買ってきてくれるかもしれませんよ」
「期待したいところだが……」
「その頃にはカーズが帰って来ているよ。そのまま彼の胃袋に収まるだけだろうね」
 小さなテレビにニュース番組を流しつつ五人は淡々とした会話を続ける。
「吉良さんのご飯ってあるんですか?」
「この調子だと足りないだろう。悪いが君の炊飯器はまだまだ返せそうにない」
「いっそこのままでいいんじゃあないか?」
「そうだな。こいつがここへ食べに来ればそれで問題は解決だ」
「……それだと私の炊飯器、奪われちゃってるじゃあないですか」
 貸し出すようになってから早三日。このまま返ってこないのでは、と不安に思ったがどうやら当たりのようだ。
「悪いね。どうか給料日まで待って欲しい」
 神父のプッチが申し訳なさそうな表情をするのを見て言葉を詰まらせる。前にもそう言って鍋の買い換えを遅らされたのは気のせいではないだはずだ。
「良いではないか。いざとなればお前の能力で飯は出てくるのだから」
「そうは言ってもですね……私、まだ制御が……」
 DIOの投げやりな態度に夢主は眉を寄せた。相変わらずスタンドは気まぐれで、こちらの押さえ込みたい気持ちなど無視して勝手に発動する。以前より少しだけマシだと思えるのは、出て来た料理を晩ご飯として処理してくれる彼らのおかげだろうか。
「フッ……何だ、まだ制御が出来ないなどとほざいているのか?」
 DIOはにんじんを刺した箸の先を夢主に向けてクスッと笑った。
「だっていつも気が付いたら弾けてて……」
「いいや、それは違う」
 DIOが断言する力強い声にその場の全員が箸を止めた。
「スタンドは己の精神力。扱う者の精神が強く作用するのだ。お前は制御が出来ていないと言うがそうではない。単に気付いていないだけだ」
 さっきまで嫌味を言うだけだったDIOの顔を夢主はジッと見つめて目を見開く。彼の言うことが正しいのなら、それは……
「一つ、試してやろう」
 ニヤリと笑いかけてくるDIOに夢主は箸を置いて向き直る。この厄介な能力が少しでも扱いやすくなるのなら、美しすぎて怖いと思っていた相手の顔も見つめ返せるというものだ。
「夢主、私は上等なワインが飲みたい。洋酒だけでなく美味い酒なら何でもいいぞ。お前のスタンドでそれを叶えてくれ」
 薄く冷たい笑みを浮かべたDIOの口元に、雪よりも白い牙がちらりと見える。琥珀色をした目に自身の間抜けな顔が映り込み、いつの間にか伸ばされていた指が夢主の耳と首筋を優しく撫でていった。


「どジャアア〜〜ン」
 そんな効果音と共に和室へ姿を見せたヴァレンタインは、いつも以上に賑やかな室内に笑みを作った。
「おやおや、今夜は何のパーティかな?」
 歓迎会にティーパーティ、豪勢だった祝賀会には全員が舌鼓を打って、誰もが満足な眠りに就くことが出来た。そして今日は、その日に勝るほどの酒瓶が床にずらりと転がって封が切られるのを今かと待っている。
「ああ、ちょうどいいところに来てくれた。彼女を止めてくれ」
 リビングから逃げ出してきたプッチと入れ替わるように中へ入ると、ぷぅんと酒の臭いが強くなる。赤と白のワインだけでなく、ビールにウィスキー、ブランデーにウォッカ、テキーラに日本酒まで様々な酒瓶があちこちに見受けられる。中に居たのはそれらを豪勢にラッパ飲みするDIOと今にも吐きそうな顔のディアボロ、そして缶ビールを手にしたディエゴに絡むこの状況を作り出したであろう夢主の姿だ。
「ふむ、酒宴か。素晴らしい」
 意気揚々とアメリカワインを手に取るや、D4Cの手刀で栓を抜く。近くのグラスになみなみと注いで一気に煽った。
「仕事終わりの一杯は最高だな! やはり君をこちらの陣営に誘い込んで正解だった!」
 ヴァレンタインはプハーッと幸せそうな息を吐く。それに同意したのはDIOだけで、ディエゴはウンザリした顔で、ディアボロは今にも死にそうな声で文句を言った。
「そう言うのなら今すぐこの酔っ払いをどうにかしろ」
「本当だぞ……俺はもう吐きそうだ」
 ディアボロが酒瓶の登場に喜んだのは最初だけで、勧められて飲む内にストレスを抱えて荒れた胃が悲鳴を上げるまでそう時間は掛からなかった。
「え〜〜? 誰が酔っ払いですか〜〜? ディアボロさんもっと飲んで下さいよ〜〜」
「よせ、俺はもういいッ」
 ブランデー片手に近付いてくる夢主が恐ろしい。逃げ出そうとするディアボロをDIOが足で踏みつけて動けなくすると、その口へ近くにあったウォッカを無理矢理に注ぎ入れた。
「おいおい、ディアボロ。お前のその名は飾りか?」
 悪魔よりも悪魔的な笑みを湛えたDIOに容赦なく飲まされて、ディアボロはまさしく酒に溺れそうになりながらどうにかスタンドを出すことに成功した。
「キ……キング・クリムゾンッ!」
「私とやり合うつもりか? 望むところだ」
 まだ素面に見えたDIOだったが、彼は彼で相当に飲んでいたらしい。お互いのへろへろとした力ない拳がすれ違い、全く違う方向に振り落とされるやりとりにヴァレンタインは笑い声を上げた。
「ヴァレンタインさん、楽しいですか?」
「ああ、実に愉快だ! こんなに笑ったのは久々だよ。すべて君のおかげだ! 素晴らしい! あと出来ることならカルフォルニアワインを追加で頼めるかね?」
 ヴァレンタインの言葉に夢主は赤くなっていた顔をさらに染めて、嬉しそうな笑顔を彼らに見せた。
「聞いた?! ディエゴくん! やったー! ほめられた〜!」
 子供のようにはしゃぐ彼女にディエゴは苦笑するばかりだ。酔いやすい体質なのだろう。しかしグラス一杯でこの有様では先が思いやられる……と思いつつ酒を呷った次の瞬間、部屋にパッと紙吹雪が舞って大きな酒樽が落ちてきた。
 ドズンッと大きな音と振動が辺りに響き渡り、賃貸だというのに床には深い傷が付けられてしまった。よく祝い事で見られる二斗樽からは勢い余った酒がざばりと溢れ、リビング中を酒浸しにしながら玄関へと流れていく。
「お、おい……」
 先ほどまであった楽しい気分は消えて、ディエゴは赤ら顔から青くなる。
「これは……」
 同じくヴァレンタインも酔いが覚めたような顔つきだ。
「私、今まで一度も褒められたことなくて……本当に……嬉しいです!」
 今までにこやかに笑っていたかと思うと今度は急に泣き始めてしまった。引っ越してきてからまだほんの数ヶ月、家族に見捨てられ、見知らぬ土地で一人暮らしを始めてまだそれだけしか経っていない。色々と溜め込んで、思い悩むことがあったのだろう。
「少し落ち着け……な?」
「そうだ、まずはゆっくりと深呼吸をしてから……」
 わぁわぁと声を上げて泣き出してしまった夢主にディエゴとヴァレンタインが硬い笑顔で慰める。
「皆さん優しい!」
 悲しみと喜びと、酒の酔いも手伝って夢主の感情は乱れに乱れる。それに反応したスタンドが次々に弾けて、追加の酒樽とともに酒のつまみや出来たての熱い料理が部屋一面に落ちてきた。
「何ィ!」
「おい、よせッ!」
 怒号と悲鳴と凄まじい物音が響き渡り、暫くしてからフッと静かになる。
 それを部屋の外に逃れていたプッチが中を覗くと、見てしまったことを後悔したくなる惨状が待っていた。
 ヴァレンタインは能力を使って上手く逃げたらしい。代わりに逃げ遅れたDIOとディアボロは酒樽に頭を割られ、気絶させた夢主を押さえ込むディエゴの服は酒と料理でべったりと汚れてもう一度風呂に入り直さないと駄目だろう。辺り一面に漂う酒気にプッチも酔ってしまいそうだ。
「酒に酔ってはならないと最初に教えるべきだったな」
 プッチ一人が冷静に呟くそこに、酒樽の中からぷかりと枡が浮き上がってきた。

 終




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