閑話2


 太陽が上り詰めてそろそろお昼を食べようかという時間帯に、二人は部屋の前でばったりと鉢合わせた。
「こんにちは。ディアボロさん」
「Buon pomeriggio、今から買い物か?」
 何度も死ぬ度にボンジョルノを封印したディアボロの挨拶はもっぱらそれだ。イタリア語でこんにちはという意味だと教えてもらった夢主は、笑顔を返しながら首を横に振る。
「買い物は夕方に行くつもりです。お昼作るの面倒になったので、どこかで食べようと思って……」
「ああ、分かるぞその気持ち。一人だと面倒だよな」
「ディアボロさんはお仕事……ですか?」
 少しだけ言い淀んでしまったのには訳がある。いつも部屋に籠もりきりで、滅多に外へ出ることはないと説明された彼が、今日に限ってやけに着飾った姿でドアの前に出ているからだ。黒地に薄い縦縞が入ったスーツ、網目模様の変わったシャツとネクタイはブランド品だろうか。靴は丁寧に磨かれたフェラガモで、腕にはシンプルながら宝石が飾られた時計が巻かれてあった。
(まるでホストかその筋の人みたいな……)
 しかし、そんな訳はないとすぐに思い直した。
「仕事はドッピオに任せてある。私はこれから久々にイタリア料理を食べに行くのだ」
「はぁ……」
 面倒なことはドッピオに押しつけて自分はランチに出掛けるらしい。さすがにそれはと思ったが、彼の言う“久々”は一週間や一ヶ月単位ではない事にも気付いた。
「ここで会ったのも縁だ。どうだ、一緒に行かないか? 世話になってる礼もしたい」
「イタリアンですか……」
「無理にとは言わないぞ。俺のような呪われた者と飯を食うのは苦痛だろうからな」
 何もそこまで卑屈にならなくても……夢主は慌てて笑顔を浮かべる。
「いえ、折角なのでご一緒してもいいですか? 私もイタリア料理は大好きです」
「そうか? それなら、いいんだ」
 どこかホッとしたような表情を浮かべる相手に、夢主の方こそ選択を間違わなかったようだと安堵する。
「では行こうか。店はすぐそこだ」
 二人で荒木荘を後にして駅の方へと歩いて行く。ディアボロの背丈と服装、そしてなにより髪の色が文句なしに目立つのだが、外国人が多く暮らす土地柄のおかげなのか人々は気に留める様子はない。
 それよりも車が近くを通る度に、ギクリと身を竦めつつも車道側を歩き続けてくれる気遣いの方に夢主は参ってしまった。
「ディアボロさん、良ければ変わりましょうか?」
「いや、大丈夫……なはずだ。俺以外のスタンド使いを巻き込むことはこれまでなかったからな」
 夢主はその初犠牲者にならないことを心で祈りながら、横断歩道と踏切を越えて賑やかな通りを後にする。何度か角を曲がり、落ち着いた雰囲気の漂うカフェや雑貨店がひっそりと立ち並ぶ裏路地に彼の言うイタリア料理店はあった。
 “トラサルディー”の名が掲げられたドアをディアボロが押し開くと、チャリーンという涼やかな呼び鈴が鳴った。扉を手で押さえて先に通してくれるディアボロに礼を言いつつ、店内に入ると白いコック帽にコックコートを着たイタリア人男性と目が合った。
「いらっしゃいマセ。さぁ、お席へドーゾ」
 席と言われても店の中にはテーブルが二つしかない。その内の一つはTRILLIONの刺繍を入れたいかにも不良な強面の男子高校生がランチの最中だった。
「ナーゾさん。お久しぶりデス」
「やぁ、トニオ。君の料理が恋しくて死んでも死にきれない想いだったぞ」
(ナーゾ? ディアボロさんの苗字かな?)
 まさか偽名だとは思わず、夢主は素直にそのまま受け止める。
「それはそれは。では私の店で心と体を癒やしていってくだサイ」
「ああ、もちろん」
 ディアボロの切実な声を聞きながら、トニオは笑顔を浮かべて夢主の為に椅子を引く。
「どうぞ、シニョリーナ」
「ありがとうございます」
 硬い声で礼を言って席に着くも、内心では滝のような汗を流していた。
(うわぁ、どうしよう! まさかこんな本格的なお店だなんて!)
 日頃から金が無いと嘆くお隣さんだ。駅にあるファストフードか、良くてファミレスチェーンだろうと気楽に考えていた夢主は、まさかこんな高そうなレストランに案内されるとは露ほども思っていなかった。
(財布にいくら入ってる?!)
 青くなりつつ脳内でお金を数える彼女を一人置いて、その向かいの椅子に腰掛けたディアボロはトニオに手の平を見せる。
「またひどく胃が荒れていますネ。睡眠不足に肩こり、腰痛、すべてストレスから来るものでしょう。失礼、シニョリーナ。お手を借りても?」
「え? あ、はい……」
 促されて手を見せると、
「寝不足に冷え性のようですネ。体は労らなくては駄目ですヨ」
 と不調を当てられてしまった。見た目こそコックだが本当は医者か占い師ではないだろうか? 夢主はそんなことを思ってしまう。
「それでは料理をご用意してきマス」
 どこかの山の雪解け水だというミネラルウォーターをグラスに注いだ後は、メニューを広げることもこちらの要望も一切聞かずに厨房へ戻ってしまった。
「……あのぉ、ディアボロさん」
 すでにグラスに口を付けて喉を潤している相手に怖々と話しかける。
「いい店だろう? 料理はもちろんだが、少人数で予約制というところが気に入っている。この静かで落ち着いた雰囲気。この俺に安らぎを与えてくれる唯一の場所だ」
 夢主が荒木荘に引っ越してきた当日、吉良から説明されたあまりに衝撃的な内容を思い出す。彼は死に続ける運命にあること、そしてそれは過去に敵対したスタンド使いの能力だということ。
「だから、あいつらには内緒にしてくれ」
 テーブル二つに椅子が四つという限られた場所に彼らが入る余地はないだろう。薄幸めいた微笑みを浮かべるディアボロに夢主は心から同情する。何度も頷いて秘密にすることを誓った。
「さて、では久々に故郷の味を楽しむとしよう」
 トニオが運んできた色鮮やかな前菜に二人は目を輝かせてフォークを取った。

 壊れた蛇口のように流れ落ちる涙、肩から剥がれ落ちたバレーボール並みの垢、血飛沫をあげて飛び出る胃と腸、汗が止まらず危うく下着姿になりそうになったところで夢主は気付いた。
(違う! ここ普通のレストランじゃあないッ!)
 美しく丁寧に盛られた一皿は天に昇るほどの美味なのに、その後に待つ体への変化がとんでもないものだった。
 脱いだスーツや学生服を淡々と着込むディアボロと隣席の高校生の様子から、ここではこれが日常の出来事らしい。一方、あまりの展開に追いつけず半ば放心状態の夢主にディアボロがフッと笑いかけてきた。
「笑い事じゃあないですよっ」
 こんな店だと知ってたら着いてこなかった。席が二つしかないのも納得だ。あちこちでこんな異常現象を見せられては客も困ってしまう。
「いや、違うんだ。君を笑った訳ではなくて……その髪……」
「髪?」
 指摘されて手で押さえる。店内にある鏡をちらりと覗けば、今までにない美味しさと驚きの連続からかあちこちに乱れ飛んでいた。
「娘のトリッシュを思い出す。彼女もそんな髪型だった」
「はぁ……むすめ、えッ!? 娘さん!?」
 思わず水が入ったグラスを倒してしまうところだった。慌てて元の位置に戻しながらディアボロを正面から見つめる。若く見えるがまさか子持ちだったとは。
「赤ん坊じゃあないぞ。15歳だ」
「15!?」
「19の時に出来た娘だ。若気の至りとはまさにこの事を言うのだろうな」
「いや〜……え? えぇ??」
 34歳の子持ちという衝撃の事実にそれまであった料理の味が吹き飛んでいった。
「ディアボロさんが34歳なら、他の皆さんは……」
「まだ教えていなかったか? 君はこれからも俺たちと一緒に暮らすのだから、もっと詳しく知っておいた方がいいだろう」
 一緒に暮らすという一言にはかなりの語弊があるが、これからもお隣さんとして付き合っていくのなら必要な情報だろうと夢主は耳を傾ける。
「ディエゴは20歳、ああ見えてバツイチだ。プッチは39歳、吉良は33歳、共に独身だな。ヴァレンタインは48歳で既婚者。妻は色々とアレだから気を付けた方がいい。DIOは……20代後半ぐらいか? 悪魔のような息子が一人と他に腹違いの兄弟が三人いるらしい。カーズは……何歳だろうな? 俺にも分からんが捨て子を二人育てている」
(バツイチ? 色々とアレ?? 悪魔のような息子って??? いやそれより、あのカーズさんが子育て中??!!)
 あまりのことに理解がまるで追いつかない。混乱する頭を抱えていると、優しい笑顔を浮かべたトニオが締めのドルチェを運んできてくれた。
「当店特製のティラミスですヨ。どうぞごゆっくり」
 エスプレッソを染み込ませたビスコッティに、カスタードとマスカルポーネチーズが合わさった極上のクリームが口の中でとろりと溶けていく。
「……!」
 それまであった衝撃はこの天国のような味わいに上書きされて、夢主の頭の中はあっという間に『ンまぁ〜い』というバラ色の感情だけで埋め尽くされてしまった。

 終




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