BBQ


 6帖の和室と洋室がある2DKで一人暮らしを初めることになった夢主は、畳の上に敷いた布団に潜り込んでとろとろとした惰眠を貪っていた。
 スタンドが発現してからというもの、安息は遙か遠くに消えて怯え暮らす毎日だった。街角で出会った異国の占い師からSPW財団の超常現象部門を紹介され、彼らのツテで荒木荘の大家に引き合わされたのが数日前だ。それまでの絶望感から考えれば、この布団の中でぬくぬくと眠っていられることがどれほど有難いことだろう。
 寝返りを打って時計を見れば、もうすぐお昼になろうとしている。さすがに起きようかな、と考える夢主の頭上に低い声がかけられた。
「おい。貴様が夢主とかいう新たなスタンド使いか?」
 その声にびっくりして飛び起きる。布団の上で辺りを見回してみるが、どこにもその声の姿がなかった。
「だ、誰ですか! 警察呼びますよ!」
「フン、今までのんきに寝ていたくせに。私の気配に気付かぬお前が悪いのだぞ」
 柱に掛けた時計が何の前触れもなく落ちた。びくっと身を強張らせる夢主の目の前でスーッと太い腕が壁から生えてくる。
 鍛え抜かれた肉体に宵闇色をした長い髪がふわりと揺れて、見間違いでなければ額飾りの上に三つの角が飛び出ていた。
 あまりの事に声が出ず、ただひたすらに眺めているとひどく迫力のある顔がずいっと近付いてくるではないか。いくら美形でもさすがに褌姿で近寄られて平気でいられる訳がない。
「ヒィッ!」
 投げた枕はすっと躱されて頭を掴まれてしまった。大蛇に頭から飲み込まれるような気分に襲われると、本体の危機を察知したスタンドが飛び出して相手を後ろへ跳ね飛ばそうとする。
「ムッ、この感じは……スタンドを出したのか?」
 周囲を見回すこの男には見えていないらしい。夢主が這うようにして部屋を出たところで、
「おい! カーズ! 無茶をするな!」
 そう言って玄関を叩くディアボロの声が届いた。
「ディアボロさん!」
 助けを求める夢主の横をすり抜けて、カーズと呼ばれた本人が玄関の鍵を外して開けた。
「まだ何もしていないぞ」
「嘘つけ、怯えきっているだろうが!」
 三日前に知り合ったディアボロが慌てて駆けつけてくる。腰が抜けたような夢主を見て、ディアボロはカーズを鋭く睨んだ。
「大事な食料源だというのに怖がらせてどうする! 飢え死にする苦しさがどんなものか、お前も味わえばいいんだ!」
「フン、挨拶くらいするつもりでいたぞ。勝手にこの女が騒ぎ始めたのだ」
「お前な……当たり前だろう」
 何から説明すればいいのか、怒りと呆れでディアボロは唇を震わせる。
「我が名はカーズ。この世のすべてを超越し、いずれは手中に収める究極生命体だ」
「……」
 その自己紹介にどう返事をしろというのか? 夢主は何も言わずただ頷いておくことにした。
「先日、私がいない間にここへ越してきたそうだな。私もお前を歓迎する。思う存分、馳走せよ」
 カーズとディアボロが何かを期待する目でこちらを見つめてきた。突然起こされて何がなにやら分からなかったが、ここにきてようやく自身の能力を求められている事に気付く。
「食料源……」
 先ほどディアボロが言った言葉がちくりと胸を刺す。毎日が赤貧だという彼らには安くて近いビュッフェコーナーにでも見えるのだろうか。
「あ、いやそれは……言葉のあやというやつだ」
 必死に繕うディアボロに夢主は小さな息を吐いて床から立ち上がる。しかし彼らが期待するスタンドは出てこなかった。
「ごめんなさい。あまりに驚きすぎて……ちょっと今は無理みたいです。代わりに昨日のカレーで良ければ食べていきますか?」
 夢主の提案にカーズは仕方なさそうに、ディアボロは何度も頷いてみせた。


 昼に炊きあがるよう炊飯器にセットしておいたご飯に温め直したカレーをかける。スパイシーな匂いが広がるのをディアボロが鼻をひくつかせながら待っていた。
「量が少なくてごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。急に来て無理を言ったのは俺たちの方なんだから、食べられるだけで充分だ」
 皿を受け取ったディアボロはじわっと溢れるよだれを飲み込む。
「実を言うとあの歓迎会から何も食べていない。そこに昨日の夜、この匂いが漂ってきて俺は……俺は……」
 スプーンをぷるぷるさせてようやく味わえる一口にディアボロは言葉を無くす。
「えっ、そうだったんですか? 何だか悪いことしちゃったみたいですね」
「気にすることはない。あの家ではいつもの事だ」
 カーズにそう言われても何だか罪悪感が残る。
「そ、そうですか……じゃあ、どうぞ食べて下さい」
 三人はダイニングの床に腰を下ろし、中古で買った小さなテーブルを囲ってカレーが盛られた皿にスプーンを沈める。夕飯用に多くご飯を炊いていたので、カーズとディアボロの皿にはこれでもかと白米が盛り上げられていた。カレーの量が少ない代わりだ。夢主は小鉢にちょっとだけのミニカレーを作ってそれで満足することにした。
「……」
 ガツガツ、という言葉がそのまま当てはまる食べっぷりだ。ディアボロはかき込むように、カーズは一口の量が半端なく多かった。二人で大食い選手権に出場すればきっと優勝間違いなしだろう。
「お茶を用意しますね」
 冷蔵庫からペットボトルに入った茶を出し、グラスに注いで二人の前に出す。飲んで食べてあっという間に完食した二人を前に、夢主はまだスプーンを持たず、口すらつけていなかった。
「うまかった! 生き返った気がするぞ」
「何の捻りもない冗談だな」
 ディアボロの言葉にカーズが笑う。ムッとする相手から視線を外して、カーズは夢主を見た。
「なかなかの味だった。また作ってくれ」
 随分と厚かましいお願いだ。それなのにそうした上からの言葉がよく似合う。整いすぎた顔といい、雄々しい体つきといい、人を従わせてしまう魅力に溢れている。
(あ、何だかDIOさんっぽい)
 思えば彼も支配することに慣れている感があった。人は美しすぎるものと遭遇すると、自分では太刀打ち出来ないと認識して降参してしまうのだろうか。よく見ればディアボロもそんな感じはあるにはあるのだが、どこか落ち着かない様子がマイナス点だった。
「そう、ですね。また機会があれば」
 今度は鍋でなく、寸胴鍋で作った方がいいのかもしれない。夢主はそんな事をちらりと思う。
「しかし、やはり肉が食いたいものだな」
 しんみりとしたカーズの声になぜかディアボロが大きく体を震わせる。
「おい、待て、よせ……!」
 後ずさる彼にカーズが腕を伸ばそうとしたところで、バァンっと大きな音が鳴った。
 テーブルの上に並ぶのは大量の野菜と肉の塊、そして銀色に輝く串とバーベキューコンロだ。それが何を意味するのかはもう考えなくても分かる。
「おぉ! 素晴らしい! bravissimo!」
 興奮するディアボロの横でカーズも目を輝かせる。
「これがお前の能力か? なるほど、聞いたとおりの現象だな」
 では早速、と肉に手を伸ばそうとするカーズをディアボロが慌てて止めた。
「これだから原始人は……! この機械が何のために出てきたと思ってる! バーベキューをするための物だろうがッ!」
「生肉で充分だ。お前は大人しく野菜でも食っていろ」
「えッ!? いくらお腹が空いててもさすがに生肉はダメですよ!」
 夢主は慌てて肉を退ける。それを恨めしそうに見てきたカーズが信じられなかった。
「すぐに焼きますから! ほら、ディアボロさんも手伝って下さい!」
 食材を取り上げて狭い台所で奮闘することになった。包丁は危険だから、と言って避けるディアボロの代わりに夢主が野菜と肉を切り、それを彼が串に刺していくという流れ作業を続ける。しかし、肉は大きくて切りにくく、串も危険だと言い出すディアボロになかなか上手くいかない。ただ時間だけが過ぎることに業を煮やしたのか、それまで座って待っているだけだったカーズがスッと立ち上がった。
「下がっていろ」
 一体、何をするのかと見守る夢主の前に白い光が満ちた。
「──輝彩滑刀ッ!」
 シュィンと刀を抜く時のような音が響いたかと思えば、まな板の上に置いた肉の塊が一口サイズの大きさに分解された。いくつかコロコロと転がって床に落ちそうになるのをカーズが空中で掴みながら、返すもう一振りで野菜を切り刻む。
「これでいいだろう」
 光が消えたあとに残ったのは用意が整った食材と、近くに置いてあった鍋が同じく切り刻まれて無残な姿を見せていることだ。夢主はバラバラと崩れて鉄くずとなった鍋の柄だけを持ち上げて、しばらく言葉が出なかった。
「あれもスタンドですか?」
 ディアボロに聞いてみるが彼は明らかに面倒くさそうな顔をする。
「いや……、まぁ……そういうことにしておこう」
 そういうことって何だ、どういう事だ。夢主は疑問に思うが聞き返すのも疲れてきた。
「火を熾したぞ。さっさと焼くがいい」
 先ほどの刀で炭に火を点けたらしい。部屋の中でやられては大問題だ。夢主は慌ててコンロを抱えると、狭いベランダに出して干していた衣服をすぐに取り込んだ。
「あまり煙が出ないな……これで焼けているのか?」
「焦げてはいるのだから大丈夫だろう」
 ジュージューと肉が焼ける音と匂いが辺り一帯に立ちこめる。夢主自身はベランダの窓を閉じて部屋側に避難したが……このままでは近所迷惑にならないだろうか。そう心配する彼女の前で二人は一心不乱に焼き続けていた。
「これはそろそろいいだろう」
「ム、こっちはまだ生焼けだったか……」
 焼いて食べることを繰り返す二人に夢主は話しかけるタイミングを完全に失ってしまった。本当に奇妙な隣人ばかりで理解するのも一苦労だ。スタンド使いは変わり者が多いと聞かされてはいたが、まさかここまでとは……と内心、ぐったりする思いだった。
「おい貴様、それは私の肉だ」
「ハァ? 何を言う、これは俺が苦労して串に刺した肉だぞ」
「そんなことは知らん。寄こせ」
「そっちに同じ物があるだろうが。俺はこれが食べたいんだ」
「私もそれが食いたいのだ」
「大体、お前は肉しか食ってないじゃあないか。野菜ばかりこっちに押しつけるな」
「食物連鎖の底辺にいる草食動物にはお似合いではないか?」
「何ィ? お前……前から思うが、性格が悪すぎるぞ」
「何を言う。私とお前では性格以前に、知能すら足下にも及ばぬぞ」
 二人の空気が少し変わってきたことに気付いた夢主が、あのお茶でも……と呼びかける前にキングクリムゾンの拳と光り輝く刀が目の前で交わった。
 カーズの腹に大きな穴が空き、ディアボロの体が縦に裂けて崩れていく。夢主の目の前の窓ガラスにバッと血飛沫が広がり、ゆっくりと流れ落ちていった。
「フン、愚かな奴め」
 修復されていく腹に再び肉を詰めながら、カーズはディアボロを嘲笑う。
「おい、さっきの米はもう無いのか?」
 カラカラと血濡れのガラス戸を開けて部屋にいる夢主に話しかけてみるが、彼女はお茶のペットボトルを持ったまま畳の上でひっくり返っていた。


 それから何時間が過ぎただろう。ふと気付けば布団の中だった。
「……夢?」
 そう思いたくて這いながらベランダを恐る恐る覗いてみると、火が消されたバーベキューコンロだけがそこに鎮座していた。血で汚れたはずの窓は何事もなかったかのように町の風景をガラスに映している。夢主はそれらを確かめるとカーテンを引いて視界からすべてを見えなくした。
「……よし、違う部屋を探そう」
 まずは近くのコンビニで賃貸雑誌を、荷物を段ボールに詰めるのはそれからだ。
 そう決心した彼女は財布を握って、夕闇が迫る外へフラフラと出て行った。

 終




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