歓迎会


 ベランダから見える木の上で野良猫がぐーっと背伸びをするのに誘われて、吉良吉影も大きなあくびをついた。
 昨夜遅くまで持ち帰りの仕事をこなしていた彼は、昼過ぎまでたっぷりと寝たにも関わらず、疲れがまだ残っていることにウンザリする。
「日曜、か……」
 荒木荘と言う名の2DKで暮らし始めてから、その曜日は様々な意味を持つことになった。
 まず神父であるプッチが教会でミサを行い、ディエゴが馬に乗って競馬場を駆け巡る。そして重要なのが、近所のスーパーが週で最も大安売りをする日だ。
(この私がスーパーのタイムセールを気にするなど……)
 実家での気ままな一人暮らしとはまるで違う。多い時には7人ものラスボスだった奴らと同居する生活が続くのだ。そしてそれは世界が決めた事として、逃げる事も抗うことも出来ない規律となっている。
「今月も厳しいな」
 和室に敷いた布団の中から財布を取り、中を見て哀愁たっぷりに呟く。
 駅近の立地に対して家賃は破格の3万円(×人数分)、しかし築年数が古すぎて人気も人の気配もない。光熱費と水道代、食費とその他諸々を合わせると金はあっという間に消えて無くなってしまう。
 だからといって騎手のディエゴばかり頼ることも出来ない。勝ち取った賞金は馬主、調教師、厩務員と分配されて騎手の手元に残るのは5%だ。それでも大きなレースなら期待は出来るが、この世界ではまだまだ駆け出しの彼にそれを望むのは酷だろう。
「はぁぁあぁぁ……」
 大きな溜息がこぼれてしまって自分でも嫌になる。節約に節約を重ねても、その意味を理解しない他の同居人たちにすぐ食いつぶされてしまうのだから憂鬱にもなるだろう。
 デパ地下の美味しいおかずや、サンジェルマンの焼きたてパンが恋しい。“彼女”とそれらを楽しんだ記憶が鮮やかに蘇ってますます嫌になってしまった。
「とりあえず布団から出るか」
 のそりと起き上がって肌触りの良いシルクで出来たパジャマを脱ぐ。30代らしくスッキリとした服に着替えて、ヴァレンティノの香水とオブレイの腕時計を身に着けて台所に立つ。ご飯と味噌汁、漬け物の遅い昼食を一人で取っていると、和室の押し入れから長身のイタリア男がずるずると這い出てきた。
「うぅ……朝日が眩しい」
「まるでDIOみたいな事を言うんだな」
「仕方ないだろう、久々に出てきたんだ」
 派手に染めた髪を揺らしながらディアボロは恨めしそうに昼食を見る。そこに自分の食べられる物はないと分かったのか、すぐに諦めて小さなバスユニットへ向かった。
「隣があまりに煩くて目が覚めた。誰か引っ越してくるのか?」
「そんな話は聞いてないぞ」
 この部屋だけでも充分だというのに隣人が来てはますます煩わしい。険しい表情の吉良が台所の小さな窓から外を確認すると、荒木荘の前に小さなトラックが停まっているのが見えた。
「嘘だろう」
 色々と抱え込んだこの部屋の特殊性を他人に知られるのが何より恐れる事だ。もしそれが会社に伝わったりしたら……吉良はストレスのあまりすべてを爆破したくなるだろう。
「クソッ、これ以上の厄介事はご免だ」
 無理矢理にでも追い返そう、そう決めた吉良は食事もそこそこに席を立ち、玄関から飛び出した。
「あっ!」
「!?」
 ドアを開けた瞬間、段ボールを持った女とぶつかり合う。落としそうになったその荷物をとっさにキラークイーンが掴むと、もう一度あっという声が響いた。
「し、失礼しました、すみません!」
「いや、こちらも突然悪かった。申し訳ない」
 段ボールを受け渡す際にあたたかな手と触れ合う。久々に感じる他人の手に吉良は自身の胸が高鳴り、興奮するのが抑えられなかった。
「もしかして、隣に?」
「はい、今日から住まわせてもらいます。よろしくお願いします」
 落ち着いた声が廊下に響く中、吉良は相手の顔ではなく、手だけを見つめながら挨拶をする。
「こちらこそよろしく。私の部屋は何かと騒がしいので、文句があればすぐに言ってくれ」
「あはは、分かりました」
 冗談だと思われたのか女は会釈して荷物を運び入れていった。吉良はその後ろ姿を見送ってから自分たちの部屋に戻った。
「やはり新しい住人か?」
 溺死しないよう慎重に顔を洗ったディアボロが吉良に話しかけてくる。しばらく間を置いてからそうらしいと答えるのがやっとだった。
「どうした、まさか知り合いじゃあないだろうな」
「いや、知らない女だった。だが……」
「女!? 女か……まずいな。あいつが騒ぎそうだ」
 ディアボロが洋室のほとんどを占拠する大きな棺桶を見てうめく。
「いや、だがそうなると俺は血を吸われなくても済むのか?」
 すぐに保身をはかるディアボロを置いて吉良は食べ終えた食器類を片付ける。先ほど触れた手のぬくもりを忘れるために水を長く流して冷やしてみるが、それが上手くいかないのは死んでも治らない自身の性癖のせいだ。
「とにかく、買い物に行ってくる。冷蔵庫が空だからな。考えるのはそれからだ」
 吉良は誰にいうでもなく呟いて、この部屋の住人が共同で使う財布を掴んで外に出た。
「!」
「わっ! また会いましたね」
 段ボールを抱えて運ぶ相手に吉良は目を丸くした。大学生のような社会人のような、とにかく若い女性だ。愛嬌のある笑顔がむさ苦しい男に囲まれてささくれ立った吉良の心に清涼な風を吹き込んでくる。
「ああ、どうも……何度もすまない」
「いえ、こちらこそ」
 頭を下げたことでバランスを崩したのか、段ボールを抱えてふらつく相手に、吉良は少し躊躇いつつも、やはり避けては通れない事だとキラークイーンを出現させて荷物を支えてやった。
 相手の反応は想像より大きく、ハッと息を飲んで手を離してしまう。悪い事にその中身は食器類だったらしく二人の間に落ちてガチャンと音を響かせた。
「見えているようだね。君もスタンド使いか」
「あ……」
 言葉に詰まった後、観念したように肩を落とす。
「あの、はい……大家さんから教えてもらいました。これって、スタンドって言うんですよね?」
 彼女の後ろにふわりと丸い物が浮かぶ。遊園地で子供がせがむような大きめのバルーンだ。派手な色でT.G.I.Fと描かれたそれは半透明で、吉良の視線の先でふわふわと揺れている。
 人型のスタンド以外にも様々な形があるとは知っていたが、まさかそんなビジョンで現れるとは吉良も思わなかった。無遠慮に眺めていると相手は焦ったように説明を始めた。
「ごめんなさい! 最初に見た時に言えばよかったですよね。大家さんがここはスタンド使いが多く住むアパートだから大丈夫だよって言ってくれたのですが……私のスタンドは被害が大きくて、知られたらまた追い出されるんじゃないかって心配になったんです」
「被害が大きい?」
「普通にしていれば大丈夫です! そんなに発動しないので……あっ、別に攻撃的な訳じゃあないですよ!? 見ての通りの姿だし」
 苦笑しながらふわふわと浮くバルーンを指でつつく。
「だからあの、出来れば内緒にしてもらえたら嬉しいのですが」
 そのスタンドのせいでこれまで大変な目にあってきたのだろう。怖々とした表情でこちらを窺う様子に、どうやら今すぐ害があるわけではないと吉良は判断した。
「そうか……いや、こちらも試すような事をして悪かったね。お隣で同じスタンド使いとして改めて挨拶するとしよう。私はここに住む吉良吉影。これといって特徴のない、影のうすい男さ」
 その説明は明らかに間違いだ。吉良と名乗った男は凜々しい顔立ちに記憶に残る爽やかな香りを漂わせ、服はシワ一つ無く、腕には高級時計を身に着けているのだから。それでも愛想良く微笑み返した女は、落とした段ボールを持ち上げてこちらも改めて挨拶をした。
「よろしくお願いします。同じスタンド使いの方が居て、本当に心強いです」
「そう言ってもらえるのは嬉しいね。私も君のように素直な子は嫌いじゃあない。心から歓迎するよ」
 そう言って吉良が荷物を支える振りをして相手の指先に触れた瞬間、バァンッと大きな音が辺りに響き渡る。驚きに顔を見合わせる二人の耳にディアボロのけたたましい叫び声が突き抜けていった。



『祝・歓迎会! ようこそ荒木荘へ!』
 ドアを開けた吉良の目にそう書かれた横断幕が飛び込んできた。先ほどまで昼食を取っていたちゃぶ台の上には和洋中の料理がずらりと並び、空っぽのはずの冷蔵庫からはジュースと缶ビールがゴロゴロと転がってきている。床には大きなクラッカーがいくつも落ちて、その中身をぶちまけられたらしいディアボロが胸を押さえて倒れ込んでいた。
「こ、これは……」
 慌てて靴を脱いで料理に手をかざしてみる。すぐに出来たての熱さが伝わって来る。ジュースとビールもキンキンに冷やされて氷のようだ。今も空中からハラハラと落ちてくる紙吹雪を掴んで、吉良は後ろを振り返った。
「あ、……」
「まさか、君が?」
 吉良の問いかけに震え上がり、そのまま玄関先にずるずると座り込んでしまった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! わざとじゃないんです!」
「何を謝ることがあるんだ? これが君の能力だって? なんと素晴らしい! ああ、ビールなんて何ヶ月ぶりだろうッ!」
 嬉々とした表情で肩を押さえてくる吉良に、夢主は溢れそうな涙を拭って話しかける。
「怒らないんですか? 部屋をめちゃくちゃにしたのに」
「何を言っているんだ! おかげで今日の食費が浮いたじゃあないか! 大食漢のカーズのせいで毎月大赤字で、給料日はまだ先だというのにもう小銭しかなくて本当に困っていたんだ」
 初対面の相手の懐事情を聞かされて普通なら困惑する所だろう。しかし夢主はぼろぼろと涙を流し、縮めていた体の力を抜いた。
「よかった……よかったぁ! また怒られるんじゃないかって、怖くて」
「君の能力で誰が怒るというんだ? そんな必要があるとは思えないが」
 座り込んでいた夢主を立たせてその顔を覗き込む。
「自分でも制御できなくて……突然、何かのきっかけで発動してしまうんです」
 スポーツで勝敗の結果が出た瞬間、受験の合否が発表される時、中でも一番最悪だったのは人が悲しんでいる葬式の場だろうか。
「なるほど、そうか……」
 相手の言葉で苦労を察した吉良はしみじみと思う。平穏な生活を望む自分からしてみれば極悪のスタンドだ。側に出したキラークイーンを見つめて、改めてこの能力で良かったと安堵する。
「つまり君は、祝いの場を作るスタンドかな?」
「はい……ところ構わずパーティーが始まってしまう能力です」
 紙吹雪が舞う場の雰囲気とは正反対にしょんぼりと肩を落としてしまう。そんな彼女に吉良は微笑みかけた。
「そう気を落とさないでくれ。君が隣人で私は本当に嬉しいよ」
 これで少しは食費が浮くと思えばつい笑顔になってしまう。印象を良くし、度々訪ねてもらってパーティーでも何でも開いてくれれば、それ以上にありがたいことはなかった。
「吉良さん」
 優しい言葉に夢主はまた泣きそうになる。そこへ低いうめき声が響いて、二人は床に転がったままのディアボロを振り返った。
「貴様、何ということを! 心臓発作で死んでしまったではないかッ!」
 勢いよく体を起こして肩を掴んでくる外国人の迫力に夢主の口からひぃっと悲鳴があがる。
「新しい隣人だと?! スタンド使いだと?! また俺を殺すための奴の仕業かッ!」
「えっ、ええ?? ごめんなさい!?」
「君は謝らなくていい。ディアボロ、少し黙ってくれないか」
 カチリと音がした瞬間、夢主のすぐ前でディアボロが目を見開くのが見えた。と思えば、耳を裂くような爆発音がして彼の体は四散する。血肉のかけらも残さずに飛び散って消えたその向こうで、吉良がにっこりと微笑んできた。
「騒がしい同居人の一人が失礼をしたね。まずは……お嬢さん、そこから移動してテーブルに着いてくれないか。奴もその内に生き返るだろう。少し食べながら今度は我々の話を聞いて欲しい」
 人ひとりを爆殺した彼を愕然と見つめる。先ほどと同じ人物なのに、全く別人のようにも見えるから不思議だ。
 大家の「スタンド能力者が多く住むところだから大丈夫だぜッ!」という言葉を思い出すが、ほんの少しだって大丈夫ではないことに気付いてしまった。
 後悔先に立たず、の文字が夢主の頭を埋め尽くし、ガクガクとみっともなく震える体を支えられながら彼の言うちゃぶ台に着くことになった。


 壁に掛けられた振り子時計から、ボーンと夕刻が訪れたことを告げる音が鳴った。外界から完全に引き離してくれる棺桶の蓋を押し開くと、カーテンで覆われた窓の向こうに霞んだ月の姿がある。
 それを見上げながらDIOが身を起こし、少し乱れた金髪をかき上げると、整った鼻先に揚げた油の匂いが届けられた。
「夕飯は唐揚げか? コロッケか?」
 珍しいこともあるものだ、と引き戸を開けてディエゴと共同で使う洋室から一歩出る。目の前に広がる白い横断幕に『祝・歓迎会!』の文字が毛筆で書かれてあった。
「……なんだコレは」
 いつもはちゃぶ台が置かれただけの8帖のダイニングには、缶ビールを両手にした吉良とディアボロが酔い潰れて転がっている。確かに唐揚げとコロッケは大皿に乗せられているものの、二人が酒の肴としたのか残りは少なかった。
 そしてその場に見知らぬ女がちょこんと居座っているではないか。正座をした若い女性は部屋から出てきたDIOを見て目を丸くし、酔い潰れている吉良を揺り起こそうと試みていた。
「オイ」
「はいっ!」
 上擦った声にDIOは小さく笑う。
「貴様は誰だ。そこの下僕が用意した私への献上品か?」
「あの……私は……今日引っ越してきた隣の住民です」
 下僕? 献上品? 相手の言葉に目を白黒させながらそう説明する。
「ほう……隣に?」
 ちゃぶ台にうつ伏せていたディアボロを足で転がし、部屋の隅へと押しやる。空いたその席に腰を下ろすと、近くからジッと女を眺めた。
「ふぅむ、よい年頃だ。血も肉も若さではち切れんばかりだな。どれ……」
 鋭く尖った爪先を向けられて、それまで半ば惚けていた夢主はサッと身を引いた。
「なぜ逃げる。歓迎会なのだろう? 私の」
「ち、違います!」
 麗しい顔に詰め寄られる興奮と、得体の知れない恐怖が身の内に沸き起こる。気が付いた時には二人の間に半透明のバルーンが浮かんで、それ以上近寄らせないようにDIOの指先を弾いていた。
「これは何だ? ……いや、まさかスタンドなのか?」
 疑問を確信に変えるためDIOはザ・ワールドを出して触れた。両手で掴むとまさに風船のような感触だ。力を込めると急に柔らかくなり、そのまま握りしめてみるが割ることは出来なかった。
「あの、ちょっと! 痛いです!」
「このようなスタンドは初めて見る。能力は何だ? 破壊力は? スピードは? 射程距離はどこまでだ?」
「痛い、痛いっ! 離して下さい! 言いますから!」
 ザ・ワールドの手が開き自由になったのを見届けて、夢主はこれまでの事を手短に話した。歓迎会をしているうちに吉良とディアボロは久々の酒に酔い、明日のことも忘れて寝落ちしてしまったこと。まだ引っ越しの片付けが終わってないので、もう帰ってもいいだろうか、ということを。
「フン、ビールごときで酔い潰れるとは貧弱な奴らめ」
 そう言って冷蔵庫から缶ビールを手に取るとDIOはプルタブを上げ、ぐっと一息で飲み干してしまう。
「話は分かった。下僕たちが引き留めたようで悪かったな。このDIOに免じて許してやってくれ」
「あ、いえ……はい……」
 流し目だけでくらくらする。背景はアパートの壁紙だというのに美しさが迫ってくるようだ。
「久しぶりの肉か。カーズが居ないのは幸いだ」
 そう言って唐揚げをつまんでビールで流し込む。それまでの近寄りがたい秀麗さがふいに消えて、嬉しそうにゆるみきった表情になった。
「おいしいですか?」
「ああ、旨い。今週中に肉が食えなければ、全員で山に猟をしに行くところだったのだ」
「……」
 それほどまでに貧窮していたのかと思うと涙が出てくる。自身のスタンドが活用された喜びも上乗せされて、少し引きながらも感動してしまった。
「お前の名は何という?」
「夢主です」
「日本人はファミリーネームを名乗るのではないのか?」
「それは……お葬式で追い出された日に捨てさせられました」
 DIOにはその理由までは分からないが、何となく琴線に触れる物があった。苗字だけでなく人間も捨てた自身に少しばかり重ねて、その哀れさを笑う。
「私の名はDIO。今日からお前のよき隣人となる者だ。歓迎するぞ」
 油にまみれた指先を舐めながら、汚れていないもう片方の手で握手を求める。直前までビールを持っていたせいか酷く冷たかった。
「よ、ろしく、お願いします」
 正面から向けられる強い色香に声が変なところで途切れてしまった。そしてその言葉が終わらない内にまたバァンッと大きな音が鳴り、クラッカーと紙吹雪が舞い散る中で横断幕が掛け変わっていく。
『祝・歓迎会! 夢主ちゃん、ようこそ荒木荘へ!』
 と書かれてあるのを二人はしばらく無言で眺めた。
「あ……、また料理が出たのでどうぞ食べて下さい」
「そうだな。冷めたものはカーズに残してやるか」
 DIOが次々にビールを飲み、肉を食らう様子を間近に見つめていると、夢主の胸に受け入れてくれる喜びと、これからの生活への不安が複雑に入り交じる。
(まだ引っ越し初日なのに……大変なところに来てしまった)
 次第に痺れてきた足を少しずつ伸ばしながら、まずはこの後に待つ膨大な片付けから目をそらすのだった。

 終




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