n巡後の君と


 空から舞い降りた雪の結晶を鶴の羽で縫い合わせたように、どこまでも穢れない純白をまとった女性が赤い盃に唇を近づけている。
 静謐な神殿内に差し込んだ光が丸い綿帽子と白無垢に降り注ぐと、まるで純度の高い白金のように淡く輝いた。
「ブラボー! おぉ、ブラボー!」
 美しさのあまりつい歓声を上げてしまったフランス人男性の脇腹を、隣にいた日本人の青年が肘で容赦なく突く。痛みに悶える声が雅楽によってかき消される中、
「おい、ポルナレフ。静かにしないか」
 と反対側に座った褐色の肌の男性が小声で注意する。
「俺は別に騒いだつもりは……くそっ、花京院。お前のせいだぞ」
「うるさいぞ、ポルナレフ。アヴドゥルさんに注意されたばかりだろう?」
 よれた礼服の袖を直しつつ花京院は素知らぬ顔で呟く。その態度にポルナレフは悔しそうに顔を歪めるが、この厳かな空気を乱すわけにはいかず、すぐに諦めて表情を整えた。
「ちぇっ! あーあ、いいよなぁ承太郎の奴は。あんな綺麗な嫁さんもらってよォ。羨ましいぜ」
「へぇ……年中、女性を追いかけ回している君にも結婚願望はあったのか」
「当たり前だろ。妹のシェリーが結婚したと思ったら次は承太郎だもんなぁ。あいつ“恋愛なんかに興味ねぇぜ”って顔しておきながら、俺たちの中で一番早く身を固めちまうんだもん。納得いかねぇよ」
 ポルナレフの小言にアヴドゥルはくすっと笑う。
「お前は軽いノリで次々に誘うからな。だから逃げられるんだろう」
「フン! 俺はフランス人だぜ? 愛に生きるのがモットーさ。大体、承太郎のやつは彼女とどこで知り合ったんだ? 研究で忙しいはずだろ?」
「どこも何も彼女とは高校からの付き合いさ。三年間、二人はずっと同じクラスだったんだ」
 ポルナレフの疑問に答えたのは承太郎のよき友人である花京院だ。
「ふーん、片思いがようやく実ったってやつか。可愛いねぇ」
 長く妹と過ごしてきただけに女の子の純情には時に驚かされるものがある。ポルナレフが温かい目で新婦を見つめると、なぜか花京院が吹き出すではないか。
「可愛いだって? 止めてくれ、笑いが止まらなくなる」
「はぁ? 何だよ。何がおかしい?」
 花京院は肩を振るわせつつ小声で秘密を打ち明けた。
「片思いしていたのは彼女じゃあない、承太郎の方さ。一目惚れなんだよ」
「ほへぇ〜? マジぃ? それマジで言ってんの?」
 周囲できゃーきゃー騒ぐ女を一喝していた彼からは想像もつかない。黒の紋付き羽織袴姿で三三九度を行う新郎の承太郎を、ポルナレフは驚きに満ちた目で眺めた。
「あいつがねぇ……信じられんな」
「それは私も初耳だな。そうか、どうりで」
 訳知り顔のアヴドゥルに、ポルナレフはすかさず話の続きを促す。
「どうりで何だよ?」
「いや……実はな、まだ学生の頃に友人だと紹介された時、私はこれも縁だと恋愛運を占ったのだ。カードは星の正位置を示し、憧れの異性と進展があると出た。彼女が喜ぶ後ろで承太郎が妙に難しそうな顔をしていたのだが……。今思うとあれは、彼女の恋の行方が気がかりだったのだろうな」
「まったくのぉ、我が孫ながらじれったい奴じゃ。わしは何度も早く告白しろと言ったんじゃが……ジジイには関係ない、とそればっかりでの。結婚だってわしの一押しがなければ、今頃どうなっておったか!」
 アヴドゥルの更に隣から老年の男性が囁きかけてきた。新郎の親族席に座った彼は早くもこの堅苦しい空気に飽きたのか、灰色のあご髭を撫でながら三人の会話に乗ってくる。
「おぉ、ジョースターさん。あんたも知ってたのか」
「当たり前じゃ、このわしに見抜けぬものはない! 承太郎の奴、やっと重い腰を上げて半年前に愛を告白しよった。お前らにもあの無様な姿を見せてやりたかったわい」
 ヒヒヒ、と人の悪い笑みを浮かべながらジョセフは三人に笑いかけた。
「まぁ、ジョセフ。そんなウソを言ってはダメよ。誰が聞いても情熱的で素敵な告白だったじゃない」
 ジョセフの隣に座った老年の女性は大きな眼鏡の向こうで微笑んで訂正を加える。
「スージー、そうじゃったか?」
「ええ。あの時、私たちみんなで聞いたでしょ。アメリカの大学に編入を決めたから一緒に来て欲しいって。でも承太郎ったら焦りすぎて告白の順序を間違えちゃったのよね……。突然そんなことを言われて戸惑うあの子が見ていられなかったわ。その後でようやく好きだから、愛しているから側にいて欲しいってお願いしたのよ」
「へえぇ、それがプロポーズの言葉か〜俺も見たかったな〜」
 スージーQの説明にポルナレフは身を乗り出して話を聞く。
「しかし、よくそんな場面に出会えましたね」
「私たちが空港から家に着いた瞬間のことだったもの。みんなでこっそり隠れて聞いていたの」
 アヴドゥルの疑問にスージーQは当時を思い出してくすっと笑う。
「さすがに聞かれているとは思わなかったんじゃろうなぁ。その時の承太郎の顔を見せてやりたいわい」
 ニヤニヤするジョセフにつられて一同が笑みを浮かべる。
「もう、パパったら……」
 彼らの前の席に座っていたホリィが急に振り返った。
「静かにしなきゃダメじゃない。後で承太郎に怒られても知らないから」
 新郎側にいた巫女や神官がうっすらと笑みを浮かべ、承太郎の父親の貞夫も笑いを堪えている。ジョセフがちらりと承太郎を窺うと、誓詞が書かれた和紙を広げる寸前に鋭く睨まれてしまった。
「Oh……no……」
 下げたはずの声のボリュームは意味を成さなかったらしい。辺りに響いていた笛の音はいつの間にか止み、よく通る彼らの声は筒抜けだったようだ。
「やれやれだぜ」
 承太郎が呆れたような溜息を漏らす横で、美しい花嫁もつられて笑みをこぼした。



 昨日まで何も着けていなかった左の薬指にシンプルなデザインのプラチナリングが輝いている。二人で選んだそれをじっと眺めてみるが、空条承太郎と結婚したという実感はなかなか湧いてこなかった。
「どうした」
 ぼうっとしている夢主に気付いたらしい。港に向かうタクシーの後部座席の大半を占めている承太郎が白い帽子の奥から見つめてくる。
「ううん、何でもないの」
「……」
 それ以上は聞かずに、承太郎は無言で手を繋ぎ合わせてきた。
 大きくて温かいその手に夢主は何度助けられただろう。関係を妬む女生徒からの嫌がらせ、しつこく迫ってくる不良たち、分からず悩む宿題から怪我を負った時まで、彼はすぐに手を差し伸べて助けてくれる。
 何度も勘違いしそうになるたび自分を叱りつけていたが、これからはそんな惨めで苦しい思いをする必要はないのだ。
 それでも……
「私でいいの?」
 と聞いてしまうのは相手があまりに眩しい存在だからだ。世界に冠たるSPW財団と繋がりのある大富豪の祖父を持ち、日本人とアメリカ人のハーフな彼の面立ちは格好いいの一言に尽きる。
 家柄も容姿も申し分ない彼がどうして自分を恋人に、果てには妻に選んでしまったのか、夢主は今でも理解が出来ないでいた。
「今更だけど……でも、」
「お前がいい」
 承太郎は一切の迷いを見せずに返答する。薄いグリーンの目に見つめ下ろされると、夢主は何も言えなくなってしまう。ただ、心の奥底からじわりと喜びが込み上げてきて繋いでいた手をそっと握り返した。
「お客さん、着きましたよ」
 タクシーの運転手の声にハッとして車から降りると、すぐに潮風が二人を包み込んだ。
 青い空とどこまでも広がる海、その手前に見上げるほどの巨大な客船が停泊している。荷物を持った乗船客が長い行列を作る中、こちらに気付いた一団が大きく手を振った。
「おーい、承太郎! こっちだ!」
「やぁ、二人とも。神前式では悪かったね」
「うむ……申し訳ないことをした。だがいい式だったぞ」
「遅かったのう、荷造りに手間取っておったのか?」
「あらあら、荷物はそれだけ? それとも先に送ってあるのかしら?」
 ポルナレフ、花京院、アヴドゥル、ジョセフにスージーQが一斉に話しかけてくる。
「ああ。別に構わない。そうだ」
 承太郎は彼らの質問を一息で片付けた。
「こんにちは、ジョセフさん、スージーさん。これからお世話になります」
 夢主がそう挨拶するとスージーQはすかさず手を掴んだ。
「そんな堅苦しいこと言わないの! 私たちのことはいいからハネムーンを目一杯楽しんでね」
「は、はい……」
 繋いだ両手を激しく上下に振った後、スージーQに思い切りハグされて夢主は息を詰まらせる。
「ああ! それにしても式は素晴らしかったわ! あんな素敵な着物があるなんて信じられない! もちろんウェディングドレスもいいけれど……」
 ぺちゃくちゃとお喋りを始めた女性陣を置いて、ジョセフは承太郎に乗船チケットとパンフレットを手渡した。
「わしらの部屋はここで、お前たち夫婦はここ。ポルナレフたちもすぐ近くに三部屋を取っておる」
 丸がつけられた客室をちらりと見て白いコートの中へしまい込む。
「香港からシンガポール、紅海を通ってエジプトまで25日の海の旅じゃ。この船の処女航海じゃからの、気合いが入るわい!」
 SPW財団とジョセフが共同で造りあげた豪華客船は彼の遊び心が詰まったテーマパークだ。妻の名を付けられた巨大な船は、千におよぶ客室とゲストを満たすためのレストランにカジノ、ショッピングセンター、それから大小様々な劇場とあらゆるスポーツが出来る一大都市になっている。
 子供のように目を輝かせて意気込むジョセフに承太郎は苦笑する。それでも記念すべき一回目の航海を、孫のためにハネムーンとして気前よく贈ってくれた祖父には感謝すべきだろう。
「ありがとうよ、じいさん」
「おっ! みんな聞いたか!? ようやくジジイからじいさんに格上げじゃ!」
「お〜、よかったなぁ、ジョースターさん」
 ポルナレフが拍手する横でアヴドゥルと花京院は笑い合っている。
「今だけだぜ」
 という承太郎の声は喜ぶジョセフには届かないようだ。
「あらあら、もうこんな時間! 早く乗船しましょ!」
 勢い込むスージーに腕を引かれて夢主がその後に続く。ジョセフはカメラなどが入ったいくつかの軽い荷物を抱えると、残された男性陣に向き直った。
「よし! 行くぞ!」
 気合いの入った声に促されて、彼らは未だ人で混雑するゲートへ足を踏み出した。


 まばゆく彩られた四階まで吹き抜けのエントランスホールを抜け、いくつかあるエレベーターで上階の客室まで移動する。誰もが感心の声を響かせる廊下を船首まで歩き、それぞれがルームキーを使って部屋の扉を開いた。
「おぉッ! スゲー眺め! お前らも見てみろよ!」
「言われなくても見てますよ」
「これは! ポルナレフが騒ぐのも無理はないな」
 三人が荷物を持ってドアの向こうに消えた反対側で、
「おぉ〜こりゃ凄いっ! さすがわし、いい仕事しとるの〜!」
「あら素敵! 海も穏やかで綺麗ねぇ〜!」
 と至極ご満悦なジョセフたちの声が聞こえてくる。
 新婚旅行だというのに早くも前途多難な気がしてきた承太郎は、一度うしろを振り返って夢主を見る。
「? どうしたの?」
 今更、家族や友人のあれこれを言っても仕方がない。これまで続けてきた研究と編入準備に追われる中、それでも結婚を先延ばしにすることだけは出来なかったのだから。
「いや……」
 承太郎は扉を開けて夢主と荷物を先に通す。ドアを閉めると騒がしい声はすぐに聞こえなくなった。
「わぁ……ねぇ、お風呂から海が見えるよ!」
 リビングから続くバスルームには磨かれた大きなガラスがはめ込まれている。港の周辺に造られた数々のレジャー施設がその向こうに見えた。
「これって向こうからも見えるのかな?」
「何だ、見られたいのか?」
 慌てて首を横に振る彼女に笑いかけつつ、承太郎は荷ほどきに取りかかった。先に運び込まれていた六つものスーツケースには二人の衣服や日用品が押し込まれている。それらを手際よくウォークインクローゼット内に収納し、最後に大事な資料とノートパソコンの入ったケースを窓際の書斎机に置いた。
「ここでも研究の続きは出来そう?」
「ああ。あとはデータをまとめるだけだからな」
 良かった、と隣で微笑む夢主を見て承太郎は相手の髪へ指を伸ばす。
「一日中、机に向かうつもりはない。暇にはさせねぇよ」
 そう言って撫でるとみるみるうちに赤くなっていった。告白して結婚するまで半年。長く想いは重ねてきたが、まだそれだけしか二人きりの時間を過ごせていない。いや、様々な準備のせいで実質的には一ヶ月ぐらいだろうか。
「承太郎……」
 恥ずかしそうに見上げてくる彼女に愛しさが募り、少し屈んで軽いキスを頬に落とす。驚いた表情が少しずつ照れ笑いに変わるのを見て承太郎の心は温かくなった。
(あらゆるものから守ってやりたい)
 彼女を一目見たときから思っていることだ。身に降りかかるすべての苦難を取り除き、痛みや苦しみのないところにいて欲しい。そのためなら承太郎はあらゆる手を使い、どのような事でもするつもりだ。
「新婚旅行だってのに、騒がしい奴らと一緒ですまない」
「ううん。みんな大好きだから気にしないで。それに承太郎も友達とはなかなか会えなかったでしょう?」
 近所付き合いをする内に親友となった花京院、ジョセフと旅行中に知り合ったアヴドゥルとポルナレフ、愉快な彼らとは意外にも気が合って長い交友を続けているが、最近は忙しさから連絡を取っていなかった。
「……悪いな」
「平気だよ」
 そもそも、ジョセフがこの船に親族と友人を招待することを決めたのは何年も前のことだ。月日が経ってからは予定が合わず乗船出来なかった者もいるが……孫の承太郎はハネムーンとして、友人たちは結婚の参列後に帰国の移動手段、または夏休みの休暇として楽しむことになった。だからそれは今更の話で、夢主は首を振って謝ってくる承太郎に微笑みかける。
「みんなの帰国まで一緒に楽しもうよ」
「……」
 承太郎は腕を回して彼女をゆるく抱きしめる。背中を優しく叩き、その心遣いをありがたく受け取ることにした。
「いつもより近いね」
「フ……これからはずっとそうだろうが」
 耳が溶けそうな低い美声に頬を染めて、夢主は広く逞しい胸に顔を隠す。承太郎の存在があまりに近くて声と体が震えだしそうだ。遠慮がちに抱きついた夢主の頭を承太郎の手が何度も撫でた。
(幸せで死にそう)
 ふわふわする想いで胸がいっぱいになった時、
「お〜い、承太郎! 荷物は片付いたか? これからみんなで探索に向かうぞ!」
 ドアの向こうからノックと共にジョセフの大きな声が聞こえてくる。彼らも荷ほどきはすでに終えたらしい。
「……邪魔されても文句がいえねぇのが辛いところだぜ」
 二人は同時にくすっと笑いあって、すぐにドアを開くことにした。



 ブラスバンドの音楽と初出港を祝う人々の歓声に見送られ、大きな汽笛とともに船が離岸してから数時間。街の明かりもとうに見えなくなった暗い海の上で、賑やかな声を響かせながら船は滑るように波をかき分けていく。
 それらを窓の外に見ていた花京院は、周囲に沸き起こる拍手に視線を戻した。
「──以上がテニール船長からの挨拶でした。続きましてSPW財団と共にこの船を愛し、造り上げたジョセフ・ジョースター氏からお言葉を頂きたいと思います」
 司会者からマイクを受け取ったジョセフは、オッホン、と咳払いをしてから口火を切った。メインダイニングに輝くシャンデリアの下、タキシードを着た彼は壮年の渋さを滲ませながら慣れた口調で造船への熱い想いを語り続ける。
 その隣では華やかなドレスを着たスージーQがにこにこと微笑みながら背筋を伸ばして椅子に腰掛け、アヴドゥルはエジプトの民族衣装、夢主は日本から持ってきた着物、ポルナレフと承太郎、そして花京院もこの時ばかりはタキシード姿だ。
「おい、これっていつまで続くんだ?」
 慣れない衣装に肩が凝ってきたのは花京院だけでなく、ポルナレフもそうだったらしい。
「ジョースターさんの晴れ舞台だぞ。大人しく待たないか」
 アヴドゥルの言葉に彼は仕方なさそうな顔をして、隣に座る新婚夫婦に視線を移した。
「珍しいな、承太郎。いつもの帽子はどうした? さすがにこの場では無理だったか」
「まあな。部屋に来たおばあちゃんに問答無用で取り上げられたぜ」
「ヒヒ、お前にも弱いものがあるんだなぁ……」
 ニヤリと笑った彼はすぐに相好を崩し、あでやかな着物に身を包んだ夢主を眺める。
「それにしても……マダム・空条、結婚式の時にも思ったがあなたは実に美しい。承太郎よりもっと早く俺と出会えたら良かったのに」
 うっとりと囁いてくる相手に何と返して良いか分からず、夢主は困り顔で曖昧に微笑む。
「人妻を口説くとは呆れた奴だ」
「ここに来る前、ウエイトレスにも振られていたな。あまりみっともない事をするんじゃあないぞ」
 花京院とアヴドゥルの言葉にポルナレフは唇を尖らせた。
「何だよ、見てたのか? 仕方ねぇだろ。スゲー綺麗な脚だったんだぜ。あれを見れば声を掛けたくなる気持ちも分かるっての」
「お前は脚だろうと何だろうと、すぐに声を掛けるじゃあねぇか」
「承太郎の言うとおりだな。そのうち椅子にも話しかけるんじゃあないか?」
「細く綺麗な脚ですねって? フフ、それはいい。見てみたいな」
 三人から笑われてポルナレフは顔を顰める。気付けば夢主やスージーQにもくすくすと笑われてしまっていた。
「ちぇっ、言ってろ。いつか口説き方を教えてくれってお願いされても、お前らには教えてやんねーからな」
 ふてくされたようにぷいっと顔を背けると、マイクを持って熱弁していたジョセフと目が合う。
「んん〜〜? わしの話が長すぎて乾杯が待ちきれないようじゃのぉ、ポルナレフ」
 その声に周囲がドッと盛り上がった。
「よし、つまらん話はここまでにしてさっさと始めよう。つまり、わしが言いたかったのは……皆さん、大いに遊んで下さい。良い旅を!」
 ジョセフがワイングラスを掲げるとあちこちでグラス同士が触れあう音が響く。誰もが一口を飲んだ後、ジョセフに拍手を送るとあとはさざめくようなお喋りが始まった。
「すまねぇ、ジョースターさん」
「気にするな、ポルナレフ。むしろ助かったわい。話の最後のオチを完全に忘れておったのでな!」
 ガハハと笑うジョセフにつられてポルナレフはホッと息を吐く。どうにも人前で静かに出来ない彼らだった。
「これでわしの仕事は終わったも同然じゃ。食べ終わったら早速、遊びに行くとするかの」
「まぁ、ジョセフったら。でもその意見には賛成ね」
 前菜からデザートまでが続くフルコースに全員が舌鼓を打つ中、老夫婦は船内が細かく書かれたパンフレットを開いた。
「カジノでパーッと騒ぐのもいいじゃろう」
「それより私はナイトショッピングの方がいいわ」
「俺は美味い酒とカワイイ女の子がいるところだな」
「バーなら4つあるぞ。お前の話相手をしてくれる女性がいるかは分からんが」
「僕は劇場が気になるな。何を上演するか今からチェックしておこう」
 各自が気になる場所を指してあれこれと話をする。
(迷子になりそう)
 同じパンフレットを眺めた夢主は改めて広い船内であることを再確認する。あらゆる娯楽を詰め込んだ海の楽園は、すべてを巡るのにどれほど時間が必要になるか分からない。日ごとに変わる内容を確認するだけでも大変そうだ。
「行きたいところはあるか?」
 承太郎に話しかけられて夢主はそっと隣を窺う。いつも帽子に隠されていることの多い黒髪が輝いている。彫りの深い目元に力強く凜々しい眉、精悍な顔つきはとてもセクシーで、厚い唇から放たれる口調はあまりに優しい。普段では見慣れぬタキシード姿であることも相まって、くらくらと目眩がするほどに格好良かった。
「も、もう少し待って」
 これまで何度も見惚れてきたが、今夜はまた一段と素晴らしい。夢主は高鳴る胸を押さえてそう返すのが精一杯だ。
「決まったら教えてくれ」
 ワインを一飲みする動作すらいちいちワイルドで、夢主は本気で心臓発作になりそうだと茹立つ頭の中で思った。


「色々悩んだが、せっかくのタキシード姿だ。007のジェームス・ボンドばりに、まずはカジノに行って来るぜッ!」
 ピシッとポーズを決めて意気込んだのはポルナレフだ。初日からかっ飛ばして騒ぎを起こされてはたまらない、という懸念のもと押さえ役としてジョセフとアヴドゥルも参加することになった。
「僕たちは一度、劇場内を見てきますよ」
「その後でカジノに向かうわ。それにしても、若い子に案内されるっていいわねぇ。私も若返るみたい」
 エスコートする花京院の腕に手を乗せてスージーQは明るく笑った。
「おいおい、わしの立場はどーなる?」
「うふふ、嫉妬しないでね。後で落ち合いましょ」
 エレベーター前で二人と三人に分かれた彼らを見送るのは、一人残った承太郎だ。
「アヴドゥル、ジジイとポルナレフを頼む。ばあちゃんは花京院を連れ回して遊ぶのも程々にな」
 スージーQと花京院は階下へ、ポルナレフたちは上階に向かうエレベーターに乗り込んで手を振った。
「ミセス・空条によろしくなぁ〜」
「お休み、承太郎。おばあ様のことは任せてくれ」
 扉が閉まり、仲間たちがそれぞれ目的の階へ向かうのを見送った承太郎は、その場でふっと息を吐く。整えてあった髪を手ぐしで乱し、首元の黒いタイをぐいっと緩めた。ジョセフと共に海外を旅行する際、一度は必ず着用してきた夜会服だが未だ慣れることはない。いつものコートと帽子で過ごせたらどれほど楽だろうか。
「ミセス・空条、か……」
 ポルナレフの一言に淡い笑みを浮かべつつ、自分たちの部屋がある船首に向かって歩き出す。この場に夢主の姿がないのは、愉快な仲間たちに勧められた酒を次々に飲んで足下が覚束ないほど酔ってしまったからだ。
 一番奥にあるどこよりも広いロイヤルスイートの扉を開いて中に入ると、リビングの向こうに見えるダブルベッドにわずかな明かりがついているのが見えた。
「具合はどうだ?」
 床に落ちた小物や帯を拾いながら寝室を覗くと、どうやら長襦袢を脱ぐ途中で力尽きたらしい。胸紐を緩めようとしたらしく、指を挟んだままベッドの上で深い眠りに落ちている。
「……やれやれ」
 承太郎は拾い上げたものをひとまとめにしてソファーに投げると、自身の上着とタイをその上に重ねてから靴を脱ぐ。夢主の体をずらしてシーツを広げ、その隣に承太郎も横になった。
「おやすみ」
 紐の間に挟んだ指を取り上げ、鬱血していないかじっくりと確認する。かすかに触れた柔らかな胸の感触は忘れることにして、初夜の一日目はただ目を閉じることだけに集中した。




- ナノ -