病み彼


▼5部DIO
 眼下にいくつものビル群を見下ろしながら、そこにまだ明かりが灯っていることに執事のテレンスは気付く。朝も早くから仕事を始めているのか、それとも、主と同じく少しでも夜を楽しもうとしているのか……どちらにしてもカーテンの向こうに押しやられることに変わりはない。
「DIO様、もうすぐ朝になります」
 遠くの夜空が明け始めているを知らせに振り向けば、広いベッドを大きな体で独り占めする半裸のDIOが目に映った。
「そのようだな」
 気のない声を寝室にこぼしながらDIOは枕元に置いた精密機器を取り上げる。手の平に収まるそれはテレンスから使い方を教わって操作を覚えた。新聞、書籍、動画に音楽……百年前では考えられなかった娯楽のすべてがそこに詰め込まれている。
「随分とお気に召されたようで……」
 嫌味と呆れを織り交ぜたテレンスの声を無視して、DIOは高性能イヤホンを耳に付けた。高音低音はもちろんのこと、ノイズを減らした素晴らしい音質を提供してくれる物だ。
「ワインを持ってこい」
 テレンスにそんな指示を出して再生ボタンを押す。
 酒と共にクラシックでも楽しむのかと思えば、そこから流れてくるのはあられもない女の嬌声ばかりだ。
「承知致しました」
 頭を下げるテレンスの前でDIOはプラグを差し込む。すぐに音は消えてDIOの耳の中でだけ響くようになった。
「あっ、あっ……DIOっ」
「いや、もう……許して……」
「あぁ……ん、んっ、ひぃ……っ」
 熱い吐息もこぼれる喘ぎ声も、素晴らしい臨場感で鼓膜を震わせる。
 服を引き裂き、下着を剥ぎ取る惨めな音に濡れた肉を打つ音が重なった。ぬちゅぬちゅ、ぐぽぐぽ、ぬちゃぬちゃと、淫らな水音に泣きよがる夢主の声が聞こえてくる。
「ん……ん、やぁ……だめぇ……っ」
「DIOっ……くるし……」
「あっ、あ、ああっ……もっと……ゆっくりぃ」
「ひぃっ……ちが……ああっ、あ……」
 愛しい鳴き声にDIOは目を閉じてうっとりと音源に浸る。
 まぶたの裏に映るのは屋敷で組み敷いて抱いた彼女の艶姿だ。揺れる乳房に乱れた髪、キスを繰り返して紅を落とした唇からは小さな舌を覗かせていた。DIOの指と舌で丹念にほぐした秘所を大きく開き、涙をこぼして誘う姿に興奮が止まらなかった。
「いっちゃう……だめ……っ」
「ああ、ゆるして……はずかしい……」
「やだぁ……こんな姿……見ないでぇ……」
 恥ずかしがる姿がもっと見たくて騎乗位へ体位を変えると、恨めしそうな声に変わった。
 顔を赤く染めて嫌がりながらそれでも腰を振るのを止めようとはしない。それをDIOが指摘すれば、
「いや、いや……言わないで……」
「ああ、あ……うそ……あ、やぁあ……っ」
 淫茎を根元までしっかり咥え込んだまま、全身を震わせて絶頂に向かった。
 その時に見た淫らで恍惚とした表情と、精を吸い上げる膣肉の動きがDIOの目と体に焼きついている。
「はぁ……DIO……」
 果てた身体を預けてくる相手の背中を撫でれば、しっとりと汗ばんだ肌から鼓動の速さが伝わって、DIOの気持ちをさらに昂ぶらせた。
「好き……」
 どんな小さな呟きも集音マイクは逃さない。DIOはそこだけを繰り返し聞いて何度も耳に刻む込む。抱いた時にも感じた幸福感がまた押し寄せてきてDIOの頬を緩ませた。
「……いつ帰ってくるの?」
 切なさを滲ませる声にDIOの冷たい胸がチクリと疼く。可愛くて愛しくて、すぐにでも帰国して滅茶苦茶に抱きしめたい……
 だが今は我慢すべきだ。
 DIOは画面を操作して、いくつかの印が付けられたカレンダーを確認する。
 彼女を抱いたのは性欲が高まる排卵日だ。果てない愛と精液をたっぷりと注ぎ込んだが、馴染んでしまった吸血鬼の体では今回も妊娠には至らないだろう。
(薬を変えてみるか……)
 彼女が飲んでいる避妊薬を妊娠誘発剤に。
 すり替えて飲ませるのは得意だと静かに笑う。
「DIO様、ワインをお持ちしました」
 テレンスが注いだワインを傾けながら、DIOは別の日に盗聴した夢主の声を再生する。寝室、リビング、書斎に娯楽室、風呂場で淫蕩に耽ったものもある。知らないのは本人だけだ。
「次に会うのは生理が終わった頃か……」
 女の身体は実にうまく出来ている。お互いの寂しさが限界を迎え、再び性欲が高まる時期を狙って、二人で気持ちよくなれればそれでいい。
「DIO、DIOっ……」
 ワイングラスを戻した彼は、甘えるように名を呼ぶ夢主の声を入眠曲に選んで眠りに就く。
 その幸せそうに緩む美しい顔に、執事のテレンスは恭しくお辞儀をして寝室を後にした。

 終



▼承太郎
「学会じゃ、調査じゃと忙しすぎるにも程がある。老い先短いわしらに少しは顔を見せに来い」
 電話口でそんな愚痴を聞かされたのが三日前。拗ねるジョセフとスージーQに誘われて、食事会に参加したのが今日のことだ。
「ジジイのわがままに付き合わせて悪いな」
「大丈夫、すごく楽しかった」
 ジョースター夫妻の話は退屈どころかその反対だ。終始、笑わせてくれて危うく料理を喉に詰まらせるところだった。
「承太郎こそ平気? 今日は休みなのに……」
「気にするな」
 フッと笑う彼が格好良くて、夢主は帰りのタクシーの中でドキドキと高鳴る胸を押さえた。それは彼の素敵さに参っているだけではない。二人が暮らす家が次第に近付き、車から降りて見慣れた通りに立つとますます酷くなった。
「着いたな」
 料金とチップを多めに払った承太郎は、庭から玄関へと続くアプローチを夢主と共に歩いた。彼の指紋でしか解除できない玄関扉を開けて、新婚夫婦が生活するには広すぎる一軒家に足を踏み入れる。スイッチ一つですべての部屋の明かりが灯り、部屋の温度と湿度を保つ空調が作動する。
「あの、承太郎……休みの日くらいは……」
 彼女の言いたいことは分かっている。承太郎は夢主の唇を人差し指で押さえると、白いコートと帽子を玄関に置いたワードローブの中へ戻し、誰にも見せない優しい笑顔で手招いた。
「俺がしたいからするだけだ。素直に甘えてくれればいい」
「でも、申し訳なくて……」
 渋る相手を抱きしめて靴を履く時に使う椅子へ座らせる。その前へ屈み込みながら、パンプスをそっと脱がしにかかった。
「俺が嫌々やっているように見えるか?」
「……」
 沈黙する夢主に微笑み、承太郎はその体を横に抱き上げる。向かうのはバスルームだ。
 湯船の端に座らせた彼女の耳から星形のピアスを取り、ダイヤモンドの目を持つイルカのネックレスを首から外す。どちらも無くさないようジュエリーケースに戻しておいた。
「今日は少し暑かったか?」
「やだ……汗くさい?」
「いや、いい匂いだ」
 シャツの前ボタンを一つずつ外して肌を露わにする。承太郎の目の色と同じ下着が白で統一されたバスルームの中でよく映えた。
「恥ずかしいからイヤ……」
「そうか?」
 香水に混じる夢主自身の香りを見つけ出すと、承太郎は嫌がる相手の腕を押さえて胸の谷間に鼻を埋める。深く嗅いで舌を伸ばせば、ますます抵抗は強くなった。
「蹴られる前に脱いでおくか」
 苦笑しつつ体を離し、承太郎は自身の服に手を掛けた。ベストを脱ぎ、シャツを脱ぎ、スラックスと下着と靴下を脱ぐ。バスルームの使い方としては正しい、生まれたままの姿になるのを夢主はわずかに視線を逸らしながら待った。
「待たせたな」
 前から太い腕を回して胸を覆うブラジャーの留め具を外す。こぼれる胸を隠す夢主に口付けながら、脱がしやすいようにと買い与えたサイドで結ぶだけのショーツの紐を解いた。
「目ぇ閉じてろ」
 温かなシャワーを彼女の髪にあて、シャンプーやコンディショナーで整えていく。爽やかで甘い香りのするボディソープで全身をくまなく洗う頃には、赤い顔をして戸惑う夢主と目が合った。
「あぁ……堪んねぇぜ」
 泡を洗い流した肩や胸、腹から太股にかけて舌を這わせてみる。なめらかで傷一つないその肌に触れながら、次は自身の体を清めた。
 お湯に浸かって温まった後はタオルで水気を拭いてバスローブに腕を通させる。濡れた髪に指を通して乾かせ、歯磨きを終えてから、再び抱き上げて今度は寝室へと運んだ。
「ねぇ、承太郎……」
「何だ?」
「どうしてここまでするの?」
 シーツの上……ではなく、横になった承太郎の体の上に乗せられた夢主は、彼の胸に耳をあてながら前から感じていた疑問を口にした。
「料理も掃除も……お風呂まで……私、やることなくなっちゃう……」
 庭の手入れと室内の清掃は専門業者に、食事は承太郎が作る日本食かデリバリー、もしくはケータリングで済ませてしまう。
 いっそシェフでも雇うか……と言われた時はジョースター家の金銭感覚に目眩を起こした程だ。結局は承太郎の目に適うシェフが見つからず、見つかっても男だという理由で選考から落とされてしまった。
「人に任せられることは任せればいい。それより仕事の方が大事じゃあねぇのか」
「それはもちろん……そうだけど」
 学会の準備をする承太郎を手伝って、調査に出掛ける承太郎と同じ船に乗って海に行く。仕事先でも家庭でも、承太郎は夢主の側から離れることはない。
 唯一、トイレに行く時間だけが一人になれる場所だ。この前、その世話まで買って出ようとした時はさすがに激しく抵抗して怒ったが、この調子ではまた同じ事を言い出しかねない。
「お前が好きだし、愛している。側に居て欲しい」
 ジッと薄緑の目で見つめられて、夢主は気恥ずかしそうに広い胸板に顔を隠す。側に居て欲しいという事だが、どう考えてもやり過ぎには違いないのだ。
「私だって承太郎が好き……でもトイレだけは嫌だからね」
「分かってる。そこはもう強制しねぇよ……それに、」
「……それに?」
 今は嫌でも歳を取って体が衰えればそうは言っていられないだろう。看護師に任せるくらいなら……と思う承太郎は、顔を覗き込んでくる夢主にキスをする。
「今はこれで充分だ」
「……本当かなぁ……」
 怪しみつつ、照れる彼女を抱きしめてその重みとぬくもりを全身で味わう。承太郎はうっとりと目を細めて微笑みながら、柔らかな尻を揉みしだいた。
 明日の朝にはコーヒーを淹れて、自身が選んだパンと卵とベーコンを食べてもらおう。歯を綺麗に磨いて、香水をつけて、似合う服を選ぶのも承太郎だ。イルカのネックレスもいいが、そろそろ違う物を身に着けさせたい。クジラでもヒトデでもいいが、素材はプラチナに限る。店になければ作らせるのもいいだろう。世界に一つしかない承太郎からの贈り物だ。
(頼りになる男がいい……そう言ったのはお前だぜ)
 支え助けて信頼され、いつかすべてを預けてもらえるようになりたい。人形のように愛したいのではなく、愛する夢主に求められ続けたいのだ。
「ねぇ、承太郎……あの、少し居心地が……」
「仕方ねぇだろ? お前が好きなんだ」
 硬く勃ち上がった肉茎を腹に押しつけて、早くその中に入りたいと願う。涙と愛液と睦言を堪能させてもらうために、承太郎は熱に浮かされたような目で優しく微笑みかけた。

 終



▼リゾット
 最初に彼女を見たのは、制限速度を超えた車に撥ね飛ばされる瞬間だった。
 奇跡的にも柔らかな茂みに受けとめられて、軽い骨折で済んだのは本当に運が良かったのだろう。
 その一方で周囲を巻き込み、救急隊員に手間を掛けさせ、それでもなお悪態をつく飲酒ドライバーが病院に運ばれて命が助かるなど、あってはならないことだ。
 リゾットは倒れ伏す彼女を抱き上げたその手で男の命を奪った。守らなければならないのは夢主の方で、それは誰にも譲れない、曲げることの出来ない信念だとそう思った。
「あの……リゾットさん」
「リゾットでいいと何度も言っている」
 彼女はイタリア芸術を学びに来た東洋人だ。事故の後は骨がくっついて治るまで寄宿先で休養する予定だったのを、リゾットは攫うようにしてセキュリティのしっかりしたアパート……つまりは自身の部屋に移させた。
「あの時、ありがとうございます。本当に。イタリア語へたっぴで……説明、無理だったの、助かりました」
 上手とはいえないたどたどしさが逆に愛らしい。辞書を引きながら必死で会話をするその様子が可愛くて、リゾットはしばらく彼女から目が離せなかった。
「リゾット? まちがえた?」
「大丈夫だ。伝わっている」
 子犬のような笑顔になるのをしみじみと眺めつつ、それに反して痛々しい足にそっと手を添えた。
「治るのは半年後だ。それまで俺が面倒を見る」
「半年……、迷惑になる?」
「いいや。これが仕事だ。安心しろ」
 辞書で安心の言葉を指差して、目を合わせて何度も頷く。仕事と言ったのも嘘ではなく、事実だから問題はないだろう。
 学校と寄宿先には手を回し、偽装のための金と手段は選ばなかった。そのおかげで彼女は超一流の暗殺者の側という、世界で一番安全な場所で暮らすことが出来るのだから。
「怪我をした留学生を助けるのが、俺たちホストファミリーの仕事だ」
 ファミリーはファミリーでも世間一般からかけ離れた犯罪組織だ。それを口にも顔にも出さずに説明したところ、とても清い川の中で育ったらしい彼女はさしたる疑いもなく信じてくれたようだった。
「お世話になります」
 感謝と共に頭を下げてしまう彼女を、リゾットは守らなければならないと改めて強く思った。
「リーダー、可愛い子拾ったね〜。俺にも見せて?」
「駄目だ」
「あのガキどーするつもりだよ?」
「ガキではない。夢主という名だ。俺以外の者は呼ぶなよ」
「何だよ情婦にでもするのか?」
「いや……確かに愛らしいが、そんなことは……」
 仲間たちを集めて説明する中でリゾットは次第にトーンを落とした。女として見ているわけではない。多分……今のところは。
「仕事の邪魔にならねぇなら別にいいぜ」
「俺、味見したい! ちょっとだけ!」
「メローネ、帰っていいぞ」
 騒がしい彼らを部屋から追い出すと、それまでソファーで成り行きを見ていた夢主がクスクスと笑った。
「面白い人」
「そうだな……」
 惚れ惚れするような無垢さにリゾットの方こそそう思う。
 彼女はこの生き地獄に遣わされた天使に違いない。きっと国でも希有な存在だったのだろう。その心を大事に守って育てられるのはリゾットだけなのだ。
「そろそろランチにしよう。ピッツァでいいか?」
「好き! お願いします!」
 それまで何もなかったキッチンにはパスタマシーンやピッツァを焼くためのオーブンが設置された。彼女の為に買った食器とグラスは棚を埋め尽くし、それに伴ってリゾットの物も増えていく。白い生地を彩るトマトのように、摘みたての新鮮なバジルのように、それまでモノクロだったリゾットの世界に明るい色彩が広がっていく。
「大丈夫だ、きっとすぐに治る。いい医者を見つけてあるからな」
 痛む骨を庇い、歩きづらそうな夢主を椅子に座らせながら、リゾットは半年後を思う。
 あの闇医者なら問題なくやってくれるだろう。足の筋を切るくらい暗殺者のリゾットでも出来る簡単な事だが、医療ミスの方が怪しまれることはない。
 学校には退学届を出したし、寄宿先はパッショーネの息を掛けた。親元には偽装工作をした遺体を送ったが、元から興味がないのか、それとも多額の見舞金に目が眩んだのか、何も文句は言ってこない。だから彼女は安心してこれからもリゾットの元で暮らすことが出来る。
「まずは言葉だが……あまり上手になられてもな」
 暗殺業を知られるのはとても困る。今使っている辞書もそのうちこっそりと取り上げなくてはならない。
 だが、最低でも愛の言葉だけは覚えてもらおう。
「君はもう一人で外を歩くことは出来ないが構わないだろう? 絵画も彫刻も好きなだけ用意しよう。俺は君だけを守り抜く。人も車も、穢らわしいこの世のすべてから。君の目に映るのは俺だけだ」
「? ……??」
 早口すぎたのか愛の告白も理解出来ないらしい。今はそれでいい、と微笑みながらリゾットは赤いトマト缶の蓋を開け放った。

 終




- ナノ -