14


 ディエゴを追うウェカピポを追跡しようとしたところで大統領の刺客に襲われ、二人を見失ったジャイロとジョニィの前にどこからか小さな影が近づいてきた。
「おい、まさか……誘いに乗るのか? 絶対に罠だぜ」
「いや……そうとは限らない。あいつだって狙われる立場だ。何しろ最後の一つを持ってるんだからな」
 9つの指輪のうち最後の1つはディエゴが所持している。それを狙いに大統領は必ず姿を見せるだろう。
 そう、あの輝く指輪……あれを手にすることでジョニィはようやく歩き始めることが出来る。ディエゴだろうと大統領だろうと関係ない。最後に得るのは己でなくてはならない……そんな激しい情熱を燃やしながら、目の前の小さな恐竜に導かれた先に彼らの姿があった。
「とっくに始まっていたらしいな」
 人通りの少ないうら寂しい路地に足を踏み入れたジャイロたちは、そこに大統領と戦うディエゴと半ばまで恐竜化させられた夢主の姿を見る。さらにその向こう側には、同じようにしてここへ導かれたホット・パンツの姿もあった。
「お前たちも来たか」
 銃で撃たれたのか、負傷した腕を庇いながら柱の陰からウェカピポが出てくる。すでに何度か鉄球を放ち、左半身失調の衛星を放っているようだ。
「恐竜ども……よく連れてきた。半ば賭けだったが……これで俺の勝ちだッ!」
 ジョニィとジャイロが同時に爪弾と鉄球を飛ばし、恐竜化したディエゴと夢主の爪が大統領の喉元を引き裂きにかかる。
「……それはどうかな」
 皮膚をかすめ取ろうとする爪先は空を切り、爪弾と鉄球も大統領の体には触れずに通り過ぎていく。反対側の壁にそれらが打ち込まれるのをジャイロたちは驚愕の表情で見た。
「おい、何だそれは……!」
「クソッ! ジャイロ、いいから次だ!」
 不敵な笑みを浮かべて笑うヴァレンタインの体は打ち抜くはずだった箇所だけが消え去って向こう側の景色が見えている。奇術で見るような異様で不思議な光景に目を見張りながら、ジョニィは次の攻撃に備えた。
「お前たちの方からわざわざ来てくれるとはな。これで手間が省けるというものだ」
 銃を構えた手が不意に消えたかと思うと、ジョニィの顔前にパッと現れる。
「な、なにぃい!」
 とっさに避けた彼の頬を弾丸がかすめ、ジョニィの爪弾は大統領の手の甲を小さく傷付けた。
「気を付けて! 大統領の能力は……」
 喋ろうとする夢主の前にまた銃を持つ手だけが現れて撃鉄を起こす。咆哮しながらそれを避けた先で、今度は足が空中に現れる。思い切り蹴り上げられる寸前にディエゴが後ろへ引っ張ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「クソ、少しは戦力になるかとジョニィたちを連れてきたが……予想外だな」
 射程内であれば体の部位を自在に移動させ、どこにでも出現させられる相手を前にディエゴは肩で荒い息をつく。ひとときも気を抜けない戦いが続く限り、このままではジリジリと追い詰められてしまうだろう。
「ディエゴ!」
 背後からウェカピポの鋭い声がしてディエゴはすぐさま身をひるがえす。しかし、大統領のスタンドがディエゴの頬をかすめ取り、浮き出た指輪をその手に掴んだ。
「うおおおおッ!」
 ヴァレンタインは抗おうとする彼を足で踏みつけ、止めようと飛びかかってくる夢主に銃を撃ち込む。その隙に頭部目掛けて撃たれた爪弾を頭の位置をずらすことで避けて、同時に鉄球を投げようとしたジャイロとウェカピポを殴り、あるいは蹴った。
「クソ、当たらない!」
 自身の体をシャッフルするように入れ替えて、かわすと共に攻撃へ転じる大統領の動きにジョニィは焦点すら合わせられない。
 しかしそれは直線的に狙うからで、誰かが攻撃を受けると分かっていれば、そいつの体からタスクを這わせて穴を開けさせる事は出来るだろう。多少の犠牲は出るが……それでライバルが減り、指輪が手に入るのなら……やらない手はない。
 目に漆黒の意思を宿らせたジョニィが迷いなくディエゴに狙いを定めたことに、ジャイロと夢主が同時に気付いて動き始める。それを察知した大統領が銃で反撃しようとしたところへ、ブシュウッと音を立てて肉のスプレーが吹き付けられた。
「今だ、やれッ!」
 ホット・パンツの声に全員が攻撃態勢に移る中、ただ一人だけ彼女に向き直る人物がいた。
「お前もそうだったな。声を聞くまで忘れていたぞ」
 バラバラに攻撃していた体を一つに戻して大統領はホット・パンツを振り返る。彼は驚く相手の顔を見ながら、まるで飴でも与えるかのように二つの輝く指輪を放り投げた。
「……えッ!」
 レース以前から求め続けていた聖人の指輪がホット・パンツの手の中に転がり込んでくる。一度は奪われて、再び戻ってきたそれを信じられないような顔で見つめ下ろした。
「ルーシーの手によって指輪は一つになった。ディエゴから奪った私が触れても何の反応を示さないところから考えると……かの聖女のように、女の手によって生み出されるのだろう」
 そんなヴァレンタインの言葉と共に、辺り一帯が眩い光に包まれていく。
「これは……ルーシーの時と同じ!」
 追い詰められた小部屋で夢主が見た光景が再び現れようとしている。
 あの時はバラバラだった8つを1つに、今回は残りの1つを加えて9つに、すべてが揃った時に何が起こるか誰にも分からない。その場に集まった全員があまりの光の強さに目を細める中、指輪を手にしたホット・パンツを中心に鐘の音が響き渡った。
 澄んだ音色に荘厳な響きを乗せて、呆然とする彼女の頭上に天使が舞う。あの時と同じように光の中をぐるぐると飛び回り、白い花を舞い散らせながらホット・パンツの体にゆっくりと収束していった。
「あ、……ぁ……」
 涙を流してその光景に魅入る彼女をひときわ強い光が包み込む。花が咲くようにして光が弾けた時、その中には白い布を纏った機械的なスタンドが宙に浮いて全員を見下ろしていた。


「……おい、ちょっと俺をつねってくれ」
「そんなことしなくても現実だよ、これは」
 ジャイロとジョニィの声にウェカピポの声が重なる。
「素晴らしい……しかし、一体何なんだ」
 攻撃の手を止めた三人に、ディエゴは大統領を警戒しながら体を元に戻す。隣で同じく人間に戻った夢主を確認して息をついた。
「これが聖なる指輪の力か……」
 アリマタヤの地図を得て、レースを開き、スタンド使いの才能がある者に集めさせてきただけの事はある。ようやく目に出来た光景にしみじみと語るヴァレンタインの前で、指輪から姿を見せたスタンド像が言葉を発した。
『願いはあるか』
 清らかな声が広がって寂しい通りに反響しながら消えていく。天秤の形をした鋼色の手を前に差し出しながら全員に問いかけた。
「僕の脚を治してくれッ!」
 誰よりも先に叫んだジョニィに、歯車がキリキリと回って透明なガラス玉の目が向けられた。するとジョニィの体からスタンドが吸い出されて、天秤の片側へ乗せられる。
『釣り合わぬ。もっと』
 ジョニィの隣にいたジャイロの体から、自分そっくりの姿をした白いもやが抜け出していく。それが天秤に乗せられるのを見てジャイロはがくりと両膝を突いた。
「お、おい……ジョニィ、こいつは……まさか……」
「もっとだって? 他に何があるっていうんだ?」
 止めようとするジャイロを押しのけてジョニィは叫ぶ。ここまで身一つでやってきたのだ。他にあるのは……
『家族、相棒、功績……』
 指輪のスタンドが呟く度にジョニィの体から輝きが滑り落ちていく。
「……やばい、……ぜ、こいつは……取引だ」
「!? ジャイロッ!」
 胸を押さえながらジャイロが地面に倒れ込む。白目を剥く体に触れると、固く冷たい死体と同じような感触にジョニィは震えを起こした。
『馬術、経験……』
「止めろッ!」
 天秤が釣り合いそうになったところでジョニィが叫ぶ。制止の声を受けた途端にジョニィのスタンドが戻り、ジャイロは息を吹き返した。
「クソッ!! ふざけるなッ! ここまで来てッ!」
 地面を殴って悲痛な声で叫ぶジョニィにジャイロが静かに肩を叩く。泣き濡れるその顔を申し訳なさそうに、でも少しだけ嬉しそうに笑う彼にジョニィは涙を拭った。
『願いはあるか』
 問いかけてくる聖なる指輪のスタンドにウェカピポは一歩下がる。
「前はあったが、今はない」
 ジャイロから聞かされた妹の所在を確かめなければならない。この国から無事に逃れたいという思いはあるが、その天秤に掛けるほどではないことをジョニィたちを見て彼は理解した。
『願いはあるか』
 問いかけられたホット・パンツは涙を流しながら首を横に振る。
 周囲を回る天使の中に弟の面影を見つけ、祝福を受けた彼女にこれ以上のものはない。ヴァチカンに持ち帰る使命すら忘れてもう一度首を横に振った。
「なぁ、試しに聞きたいんだが……もしも、国すら買える金が欲しいと願えば、俺は何を奪われるんだ?」
『国籍、功績、能力、馬術、経験、記憶』
 ディエゴの問いにスタンドが答える。
「……なるほど。結構、俺には不要だ」
 大金を得たとしても、どこにも属さず、スタンド能力もなく、馬にも乗れず、記憶すらない者がその価値を生かせられるはずがない。また奪われるだけの生活に戻るなどディエゴには考えられなかった。
「では、もしも……この国の繁栄を願ったらどうなる?」
 大統領の質問にその場の全員が目を向ける。もっと私欲に満ちた願いかと思えば、実に意外なものだった。
『国籍、地位、権力、愛国心、ハンカチ、それから……他国すべての命』
 最後の一言に誰もが顔を強張らせる中、ヴァレンタインは胸元からゆっくりと一枚の布を取り出す。20 SEP. 1847と刺繍のされたハンカチに悩ましい溜息を吹きかけて、首を横に振った。
「……私の願いも叶えなくていい」
 自国以外が消え去って、果たしてそれで繁栄が望めるのだろうか。そんな疑問もあるが、それよりこの身から愛国心を奪われる事の方が何より辛い。他の誰かにこの国を任せるなど到底考えられない。この国を豊かに導き、最初のナプキンを取ることがヴァレンタインの宿望だ。
『願いはあるか』
 最後に残った夢主をガラス玉の目が射貫く。ゆらゆら揺れる天秤をジッと見つめながら、彼女は願いを口にした。
「一巡前に戻りたい」
「この馬鹿、少しは考えて……」
 ディエゴとヴァレンタインが仮定の話をした事を聞いていなかったのだろうか。呆れながらディエゴが振り返ると、彼女は怯えた風もなく見つめ返してくる。
『能力、能力、経験、記憶、思い出』
 引き寄せられたスタンドと共に、夢主の左腕から金の腕輪がするりと落ちて同じ場所へ乗せられる。それを悲しそうに見つめた後でディエゴに深く頭を下げた。
「今までありがとうございました。最後まで協力出来なくてごめんなさい……」
『釣り合った』
 再び鐘の音が辺りに鳴るとスタンドは指輪の輪の中へ吸い込まれるようにして戻っていく。それと共に夢主の体も浮き上がり、同じようにして消える間際にディエゴが足首を掴んだ。
 自身の馬を呼び、その力でこちらへ引き戻そうとする彼が馬ごと吸い込まれていくのを誰もが呆然と眺める。空中で形を無くしていく指輪をヴァレンタインが掴もうとするが、その手に触れるより先に溶け消えてしまった。


 ジャイロが離れていた馬を呼び、地面に座り込むジョニィを馬の力を借りて馬上へ戻す。
「そう気を落とすな……希望はあるさ。レースはまだ終わってないからな。俺とお前でワンツーフィニッシュを決めようぜ。もちろん、俺がワンだけどな」
「……ジャイロ、……そうだな。レースに戻ろう」
「目的は果たしたし、争う理由もなくなったな」
 何も言わない大統領に背を向けて二人は通りを駆け抜けていく。
 気付けば背後のホット・パンツも、ウェカピポもおらず、大統領ただ一人が裏路地に立ち尽くしていた。
「……そこに、いたのか……来てくれ、私よ」
 突然開いた扉からもう一人の自分が血を大量に流しながら現れる。
 彼の元からスタンドが移ると同時に、そのヴァレンタインは出血死した。
「基本世界、か……理解した」
 ジャイロの言うとおり、まだ希望は残されているようだ。意外な幕引きに悄然となったのは一瞬で、ヴァレンタイン大統領は再び目を輝かせる。
「彼女の願いは理解出来ないが……すでに終わったことか……」
 そう言って彼は自身の亡骸を跨いで扉の間に挟まると、平行世界から基本世界へ戻っていった。




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