06


 あちこちに散らかっていた私物を元に戻し、部屋を元の通りに整えた中でリゾットは静かに息を吐く。ここ最近は浅い眠りばかりだったのだろう。久しぶりに深く眠ることが出来た夢主の様子に心から安堵した。
「じゃあ後は任せたから」
 そう言ってあくびと共に部屋を出て行こうとするメローネに感謝の言葉を送る。
「助かった、メローネ」
「別に俺じゃなくてもよかったと思うけど……素直に受け取っておくよ」
 ひらひらと手を振ってドアをくぐり抜けていく。後に残ったのは穏やかな寝息と窓の向こうに続く波の音だけだ。
「今回は俺も気を回しすぎたか」
 彼女が必死で隠そうとするので男には話せない非常にデリケートな内容だと思ったが……理由を知った今では、単に自分の過失に巻き込みたくなかったのだと理解する。落ち目だった暗殺チームはDIOによって組織からも一目置かれるようになり、以前とは比べものにならないほどの好待遇を与えられているが、しかしそれだけに何かあればリゾットが真っ先に処罰の対象になるのも分かっているのでなかなか言い出せなかったのだろう。
(指輪でよかったと思うのは彼女に悪いか……)
 大切に扱っていたのは見て知っているし、幸せそうに眺めている事にも気付いていた。無くしたことに気付いた時は大いにショックだっただろう。
 それでも、物ならまだ取り返しがつく。
「見つけ出すには少し時間が必要だな」
 指からするりと抜け落ちるほどサイズの合わない指輪を贈ったDIOの心理は分からない。ただ一つ言えるのは、小さなそれに全員が振り回されているという事実だけだ。
 リゾットは近くにあった椅子に深く腰掛けると、意識を集中させて休暇の始まりから記憶を探り始めた。誰よりも優れた観察眼を持ち、物事を冷静に判断することが彼の持つスタンド以上に強い武器だ。
(車から降りる時に触れた手に指輪はあった。あの日の夕食にも身に着けていたな。二日目の朝も、読書を楽しんでいた時も問題はなかった。ギアッチョが買った際どい雑誌まで読んでいたのは驚きだったが……。ああ、そういえば……イルーゾォから背中にオイルを塗って欲しいと頼まれた時はさすがに指輪を外していたな。だが、手を洗った後にすぐ身に着けていた……)
 リゾット自身が誘って浜辺で過ごした時も、プロシュートやペッシと海に入った時も、指輪は確かにそこにあった。本人も気をつけていたのだろう。
(おそらく海ではないな。ふとした瞬間に気が緩み、意識が散漫になるような……そんな時間はあっただろうか)
 就寝の際はベッドサイドに置かれたリングケースに戻していたらしい。しかし今、その中身は空だ。
 夢主の一日の行動を思い返しながらこれまでの休暇を振り返ってみる。ペッシと釣りをし、プロシュートとワインを飲み比べ、そのつまみには何が合うかイルーゾォと話し合い、サッカー用語についてギアッチョから講義を受けていた。リゾットが買い込んだシチリアの甘いお菓子を食べては子供みたいに喜んでいた。グラニータも大変気に入ったようで、ナポリでも食べたいとせがまれたことを思い出す。
 暗がりの中で生活していた頃に比べて活動的になったし、何より青白くなくなった。海に潜って指輪を探した時間が長かったおかげか、太陽をたっぷりと浴びて実に健康的な顔色になった。それだけでこの休暇の意味があったとリゾットは心から満足だ。
「今は少しでも寝ておけ。……大丈夫だ、俺が見つけ出す」
 優しい声色でそう告げた後、静かに立ち上がって部屋を後にする。捜索場所をいくつかに絞り込み、階下で待つ仲間たちにいかに簡潔な説明をするかを考えながらリゾットは階段を降りていった。


 街の明かりがぽつぽつと消え始めた深夜、薄暗い通りをヘッドライトをつけた二台の車が走り抜けていく。別荘地帯の中でもひときわ大きく、海に接した一等地の中へ悠々と滑り込んでくる。物々しい警戒を抜けた庭先に車を停めると、気合いの入った剃り込み頭がすぐに降りてきて広い玄関先に走り寄った。
「おーい、着いたぜ。誰でもいいから荷物運ぶの手伝ってくれや」
 呼び鈴を何度も鳴らして呼びつける。すぐに扉が開いて面倒くさそうな顔をしたギアッチョが姿を見せた。
「何だ、もう帰って来やがったのか」
「寂しかっただろ? 素直に喜べよ」
「んな訳ねぇだろ、一生向こうに住みやがれ」
「そうしたいところだが、こっちに残してきた女が会いてぇってうるせーんだ。仕方ねぇよなぁ〜、モテる男っつーのはよぉ〜」
 格好つけてニヤリと笑うホルマジオをギアッチョは無視し、トランクから荷物を運ぶジェラートたちのところへ歩いて行った。
「よぉ、ギアッチョ。助かるぜ」
「俺たちからのアメリカみやげだ。間違っても割るなよ」
「なんだコレ、クソ重てぇな……」
「酒だよ酒。ワインにブランデー、ウォッカにあと……まぁとにかく色々買ってきた。みんなで飲み比べしようと思ってな」
 ソルベの言葉にギアッチョの顔が明るくなる。
「それなら確かに割る訳にはいかねぇな」
 三人が荷物を抱える中、もう一台の車から見慣れた執事の姿が現れて、後部座席のドアを恭しく開け放つ。
「どうぞ、DIO様」
 真夏だというのに肌が震えるほどの寒々しい空気が流れ出し、それに相応しい気配を纏ったスーツ姿の男が中から姿を見せた。
「ここがリゾットの別荘か」
 冷えた目に明かりのついたいくつかの窓が写り込む。三つのほくろが飾られた耳には寄せては返す波の音が届いた。
「なかなか良い所のようだな」
 彼の住処を知っている者にとっては皮肉や嫌味に聞こえてしまいそうだが、それがアメリカから真っ直ぐシチリアへやってきたDIOの素直な感想だった。
「ようこそ。手狭なところで申し訳ない」
 リゾットが出迎えて奥へ案内する。ビリヤードをしていたプロシュートと氷を砕いていたペッシが手を止め、イルーゾォは部屋の隅に隠れるようにしながら挨拶をした。
「あれー、DIO様? アメリカに行ったんじゃないの?」
 そう言ってビールを手にしたメローネが絡むと、DIOはテーブルの上にいくつも転がった空き瓶や缶を見ながら冷ややかに言った。
「用事を終えて帰ってきたところだ。しかし、私からの土産を受け取る前に酔い潰れそうな勢いだな」
「まぁね〜、でも嬉しいことがあったから仕方ないよ」
 へらへらと笑う彼にDIOはそうかと言って視線を外す。ここに居ない誰かの姿を探してキッチンに目を向けた。
「夢主なら二階だよ。俺たちより先に酔い潰れちゃったから、もう寝てるかもしれないけど……」
 酔った赤ら顔でメローネは上階を指差す。
「あとさぁ、あまり怒らないであげてよ。わざとじゃないし」
「……何のことだ?」
 聞き返すDIOにメローネが答えようとして背後からプロシュートに口を塞がれた。
「気にしないでくれ。リゾット、後は任せたぞ」
 力尽くでメローネを引っ張ったプロシュートは、無理矢理にビリヤード台につかせてキューを持たせた。DIOがリゾットを振り返ると相変わらずの無表情で立っている。
「こちらへ」
 ホルマジオとジェラートたちが荷物を運び込み、一階で歓声が上がるのを背中で聞きながらDIOはリゾットと共に階段を上がっていく。その途中でリゾットが足を止め、振り返ってDIOに話しかけてきた。
「申し訳ないが、先に三階を案内させてもらいたい」
「いいだろう」
 上に行くに従って階下の声は小さくなり、三階の大きな扉をくぐって閉めた所で完全に聞こえなくなった。室内は暗く、換気をしていないせいか少し湿っている。常人には暗闇でも吸血鬼のDIOには部屋の隅々までがよく見えた。
「何もないな」
 その言葉通り、部屋には家具も明かりも調度品の一つも無かった。ただ埃だけが床を白く覆って、訪れた者の足跡を雪のように残しているだけだ。
 その上をリゾットが静かに歩き、部屋の端で壁際のごくわずかな窪みを押す。すぐにカチリと錠が外される音がして目の前の壁が数センチほど手前にずれた。隠し扉の向こうに見えるのは地下へ続く狭い階段だ。リゾットは明かりもつけずにそこへ足を踏み入れ、DIOも何も言わずその後に続く。かび臭いその中をひたすら降り続け、厳重に施錠された重い扉を開いて隠された部屋に足を踏み入れた。
「なかなかの物だな」
 感覚からして別荘の真下になるだろう。秘密の隠し部屋は相変わらず暗いが、DIOには外と同じ明るさでもって見渡すことが出来た。
「暗殺チームの秘蔵品か」
「……大した物はありませんが」
 ガンショップかと見紛うほどの壁一面に飾られた銃機器、それと弾薬が積み重ねられている。試し打ちでもしたのか、反対側の壁には無数の穴が空けられていた。
「チームの訓練所……と言ったところか」
「はい。前の持ち主は組織との取引に、我々は新人を鍛えるために使用していました」
「なるほど。夢主には見せたのか?」
「いえ、まさか……、ペッシにもまだです」
 あちこちに赤黒い汚れが付着した床を見つめて否定する。銃の扱いや暗殺技術は基本として、何よりスタンド能力を完全にコントロールするために使われた場所だ。血濡れた床が何を意味するのか、清廉な彼女にはとても話せる内容ではない。プロシュートが休暇を返上してここにやってきたのも、それまでの教育係を無視して勝手に訓練をすると勘違いしたためだ。もちろん、そんなことをする訳もないのだが……。
「組織にというよりは、DIO様に献上するつもりで案内しました」
「ほう……ここを、か。それはまたどうしてだ?」
「実は……別荘地ということもあって維持をするのも大変で……出来れば手放したいと思っています」
「それで私を地下へ案内したのか」
 日の光を嫌う吸血鬼にとって地下ほど優れた場所はない。
「清掃はいたしますが……」
「血の匂いなど今更気にもならん」
 DIOは壁際の拳銃を手にとってしみじみと眺めてみる。多くの警官から向けられたことはあっても、自ら手にしたことはなかった。ひやりと重く、無骨で無機質な感触を楽しんでいると、その危うい手つきに肝が冷えるのかリゾットの視線を強く感じるようになった。
「いいだろう。だが銃器は邪魔だな。我が息子にでも譲るか?」
「構いません」
 生真面目な返答をするリゾットにフッと笑いかけてDIOは元の場所へ戻す。
「当分はお前たちの保養所として使うがいい。細かいことはテレンスに言え」
 もう用はないとばかりに背を向けるDIOを追ってリゾットも来た道を引き返す。狭い階段を上ったあと、三階の扉を閉めるのを待たずしてDIOは二階へ降りていく。初めて訪れたはずなのに、誰がどこに居るのかすでに知っているような迷いのない動きだ。リゾットはわずかに躊躇ったが、それでも報告はすべきだろうと考えて二階の奧の部屋に向かう相手の背中に話しかけた。
「彼女に会う前にお知らせしておきたいことが……実は一度、DIO様から頂いた指輪を無くしました」
 DIOはドアの前で足を止めてリゾットの言葉に耳を傾ける。
「……それで?」
「酷く落ち込んでいましたが、キッチンの隙間から見つけ出して手渡したところ、ようやく気持ちが持ち直したようです。しかし何故、あのようにサイズの合わない指輪を……?」
 不思議そうに、あるいは非難するような視線にDIOは美しく整った笑みを見せる。
「単に店側のミスだ。私が帰ってきたあとで直すつもりでいたが……そうか、気落ちしていたか」
 どこか満足そうな微笑みに気付いたが、リゾットは何も言わずただ心の中で眉を顰める。度々思うことだが、どこか愛情表現が歪んでいるのは仕方のないことなのだろうか。
「朝までには帰る。テレンスに酒は飲むなと伝えておけ」
 DIOはスタンドを使って内側から鍵を外し、ドアをくぐりぬけて夢主の部屋へ足を踏み入れていく。閉じる音が静かな廊下に響いて消えるのを待って、リゾットは執事に伝えるために階下へ向かうが、どうしても胸の内からこぼれてしまう溜息を止めることができなかった。




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