04


 鮮やかな色をした夏野菜のサラダとドライトマトのブルスケッタ、えびとズッキーニのパスタには爽やかな香りがするミントの葉が散らされて、夏の暑さを少しだけ和らげてくれるようだ。
「美味いな、このパスタ。お前が作ったのか?」
「それを作ったのはリゾットだよ。美味しいよね〜、一口で好きになっちゃった」
「マジか……まぁ、確かに美味いな」
 ギアッチョはリーダー自らが作ってくれた一皿を感慨深く眺めた。思えば彼の料理を食べるなど初めてかもしれない。
「朝に食べたレモンとコーヒーのグラニータを作ったのもリゾットだよ」
「マジか!」
 イルーゾォはフォークを動かす手を止めて驚きの表情を向ける。よくある市販品にしては美味いなァと思っていたが、まさかそれもリゾットが作ったものとは思いも寄らなかった。
「折角の休暇だってのに……」
 別にここで食べなくてもいいのだ。少し行けばいくらでも店はあるのだから。
「観光地から離れているとはいえ、この時期はどこも混むからな。それに俺は少し手伝っただけだ」
「手際よくて凄いんだよ。レモンの皮をナイフで削るのすごく上手で、どれも薄くてびっくりするんだから」
 それはそうだろう、とイルーゾォたちは喉まで出かかった言葉を飲み込む。リゾットほど刃物の扱いに長けている者はいない。何しろスタンドがスタンドなだけに……
「意外だけど納得だな。でもよォ、あまり二人でキッチンにいるのもなぁ……変に誤解されたらどーするんだよ」
「……誤解?」
「分かってるだろ、リーダーの女にだよ」
 にやにやとした笑みを見せるイルーゾォの顔をその場の三人が思い思いの表情で見た。
 今ここで聞くか? と驚きつつも興味津々なギアッチョ、恋人ではなく故人に花を贈っていることを知っている夢主は複雑そうに、当の本人であるリゾットはいつもと変わらぬ無表情だ。
「それを聞いてどうする?」
「いや〜、いつか紹介してもらえんのかなぁって思ってさ」
「イルーゾォ……お前はシチリア男の嫉妬深さを知らないようだな」
 その一言であからさまに肩を落とした。どうやらお披露目してくれる機会は永遠に来ないと悟ったのだろう。 
「あーあ。残念だな〜」
「馬鹿なこと聞く奴は放っておいて、そろそろメインを持ってこようぜ」
 席を立ってキッチンへ向かうギアッチョの後ろを夢主は慌てて追いかける。リゾットと共に牛挽肉をこねて丸めたシナモンとアーモンド入りのポルペッテを皿に移し、再びダイニングへ戻った。
「グラッツェ」
 料理をテーブルに置く間際、リゾットが真っ直ぐに目を合わせてくる。給仕への感謝、というよりはイルーゾォの質問に何も答えなかったことに対する礼のように思えた。
「どういたしまして」
 お互いに微笑んでから夢主も食事を再開する。あれこれと他愛ないお喋りに花を咲かせて冷えた白ワインを傾けていると、不意に玄関の呼び出しベルが鳴った。
 その瞬間、空気が異様なまでに張り詰めて、全員が動きを止めた。
 ここを訪れるのは日用品を扱う組織の息が掛かっている業者だけだ。早朝にしか来ない彼ではないと判断した三人は、仕事に向かうような硬い表情に切り替わった。
「あれ? 誰かな?」
 それを知らない夢主が素直に出迎えようとするのをリゾットが制し、代わりに鋭い目つきになったギアッチョがスタンドをまといながら玄関に向かう。
「夢主、イルーゾォの側にいけ」
 そう言って壁掛けの鏡に片手を突っ込んだイルーゾォの元へ彼女の体をぐっと押しやる。訳が分からず、それでも言われたとおりに夢主が移動したことを確認してから、リゾットはギアッチョに扉を開くように合図した。鍵を外し、扉をゆっくりと開いていると
「オイ! さっさと開けやがれッ! いつまで待たせる気だ!」
 バンッと乱暴な音を立てる先に真夏の太陽を背負う美丈夫が立っていた。
 金髪を左右から結い上げた彼は、この暑さの中でも個性的なスーツを着こなして険も露わに怒鳴っている。
「プロシュート……ッ! てめぇかよッ!」
 怒鳴り返したギアッチョの横をすり抜けてプロシュートはさっさと室内に入った。冷房が効いたリビングで上着を脱いでシャツをはだけると、イルーゾォの横で呆然と立っている夢主の前にやってきて顎を掴んだ。
「よぉ、悪いな。ランチ時とは分かっていたが、外が暑すぎて死にそうだったんだ」
 何かを確かめるように顔を上げ下げさせた後、今度は体をぐるりと一回転させる。されるがままの夢主の脳内に「?」がたくさん飛び交った。
「テメー! 来るなら連絡くらいしやがれ!」
 ギアッチョとイルーゾォに詰め寄られてプロシュートは鬱陶しそうに手で追い払う。
「うるっせぇなぁ……汗臭ぇ野郎は近付くんじゃあねぇ。ただでさえ暑いってのに、ますます暑苦しいだろーがッ」
「ハァ!? 大体、フランス女に会いに行くんじゃねーのかよ!」
「もう会った後だ。南フランスの海を前にしたトップレス姿を見せてやりたかったぜ」
 すでに休暇を楽しんできた後のようだ。裸に近い美男美女が海水浴をする姿を想像した二人は密かにダメージを受ける。
「おい、ペッシ! アレを持ってこい」
「兄貴、ちょっと……待ってくだせぇ」
 何度もタクシーと玄関を往復したのだろう。息を切らしたペッシが玄関先で大量の荷物の中に埋もれていた。その中でもひときわ華やかな紙袋を手にした彼は、皆が待つリビングの涼しさにホッとしつつ夢主に袋を手渡す。
「締めのドルチェに丁度いいだろ」
 プロシュートの言葉に中を見るとフランスの焼き菓子だった。夢主は漂ってくる甘い香りを吸い込んで明るい笑顔を向ける。
「ありがとう二人とも! 外は暑くて大変だったでしょ? 何か飲む?」
「とりあえず水を二杯だな。あとでビールを頼む」
「ペッシも同じ?」
 汗を拭う彼に聞いてみるが、もう待つほどの余裕がないのか一緒にキッチンへ向かうことになった。冷蔵庫を開けてグラスに氷を入れる涼しい音が鳴る中で、プロシュートはリゾットを軽く睨み付ける。
「どうやら無駄足だったみてぇだな。心配して損したぜ」
「……メールは送ったはずだ」
 ここに到着し、荷を解いた後でチームの各自に行き先を知らせておいた。返信の必要はない連絡事項なのでリゾットは気にも留めなかったが彼は違ったらしい。
「プロシュート、お待たせ。ランチもまだまだ残ってるし、食べるでしょ?」
 料理と追加の皿を持った夢主と、二つのグラスに水を波々と注いだペッシがプロシュートの元へやってくる。
「おう。それじゃあ、いつものランチに誘われるとするか」
 どこか安堵したような長い息を吐きつつ、プロシュートは空いた椅子にどっかりと腰を下ろすと水の入ったグラスを勢いよく飲み干していった。


 昼が過ぎて少しずつ傾き始めた太陽を感じながら、太股をくすぐる波の動きに合わせて釣り竿を大きく振った。リールが音を立てて回転し、えさ針をつけた糸が遙か遠くまで伸びて海面へ落ちていく。慣れ親しんだ一連の動作と、今日ばかりは人ではなく魚を相手にすることが出来る喜びにペッシは鼻歌を歌いながら糸のかかりを指で確かめた。
「どう? 何か釣れそう?」
「うーん……小魚ならたくさんいるみたいだ。でも夕飯のおかずにはムリだろうな」
 サーフパンツ姿で釣り竿を手にしたペッシは、なるべく静かに近付いてきた水着姿の夢主に向かって肩を竦めてみせる。
「そっか……大物はもっと沖だよね」
「ボートでもあればなぁ……沖釣りができるんだけど」
 二人して青く広がる海の地平線を眺めていると、背後から大きな声が掛かった。
「オイッ! 準備運動もしねぇで海に入る奴があるか! さっさと戻って来いッ!」
 プロシュートの一喝に身を縮めた二人は、慌てて海水をかき分けて砂浜へ駆け戻る。腕組みをした怒りの体勢のプロシュートの前に来ると、鬼軍曹にしごかれる新米兵士のような気持ちになってしまった。
「浅いからって海を舐めんじゃねーぞ。死にてーのか、この馬鹿ども!」
 ペッシは力強く、夢主にはかなり弱めにデコピンを食らわせてプロシュートは怒りを解く。
「ほらよ、準備が出来たらこれに一杯になるまで釣ってこい」
 手渡された大きなバケツを見てペッシは困ったように眉を下げる。小魚しか釣れそうにない浅瀬でそれはどう頑張っても無理だろう。その事を伝えるべきかで迷っていると、
「スタンド能力の練習だ。限界を超えてみせろ」
 というお言葉をもらった。ただの釣り具なら無理だが、ビーチ・ボーイならいけるかもしれない。
「分かったよ兄貴! 俺、頑張ってみる!」
 勢い込んで準備運動を始めたペッシを置いてプロシュートは夢主へと視線を移す。男の目を喜ばせる可愛い水着はいいが、この季節に反した肌の白さがどうにも場違いだ。
「おい、少しは肌を焼かねぇのか」
「……だって痛いでしょ? それにあまり黒くなるのも……」
「きちっとケアすりゃあ痛くねぇよ。初日はコレで、少しずつ焼いていくのが基本だ」
 そう言って砂浜に広げたシートから日焼け止めのクリームを取り上げる。
「別にカリカリのベーコンになれって言ってるわけじゃあねぇ。だがな、夏に肌が白い奴は病人か吸血鬼ぐらいだぜ。少しは太陽を浴びて人間らしい生活を取り戻したらどうだ」
 吸血鬼とはまさにDIOの事をいっているのだろう。相手の真剣な表情にどうやら彼にも心配を掛けさせてしまったようだ。夢主はその心遣いに対して素直に礼を言った。
「ありがとう、プロシュート」
「……よし。じゃあ、準備運動の前に背中を見せろ」
 彼の言葉に従って夢主は彼に背中を向ける。明るい青の海面を見つめながら何が始まるのかと思っていると、背中にベタッと大きな手が張り付いてきた。
「!?」
 ぬるついた感触に飛び上がって逃げようとすると、力強く肩を押さえ込まれてしまった。
「おい、勝手に動くな。上手く塗れねぇだろーが」
「プロシュート?! いいよ、自分でするから! 恥ずかしい!」
 日焼け止めのクリームを背中に塗ってくれるのはありがたい。だが、出来ればそれは自分でしたかった。プロシュートの大きな手が背中に触れる度、居たたまれない気恥ずかしさに包まれてしまうからだ。
「まったく……お前といいペッシといい、いつになったらマンモーニを卒業するんだ? いいから背を伸ばせッ! 塗り残しがあっても痛いのはお前だぞ!」
 肩から腰にかけてしっかりとクリームを塗りたくる。羞恥に震えつつも、背筋を伸ばして耐えきった夢主を褒めるように、最後にベチッと背中を叩いてやった。
「これでいいだろう。後は自分でやるんだな、バンビーナ」
「……もう! グラッツェ!」
 荒い口調のお礼にプロシュートはクッと笑う。赤くなった耳が可愛らしい。まさに少女のような反応に笑うしかなかった。
「さて、俺はバカンスの続きを楽しむとするか」
 プロシュートはシートの上にごろりと横になると、冷蔵庫から持ってきた缶ビールに手を伸ばす。ジリジリと肌に感じる太陽が心地いい。これを味わえない人生など生きている意味がないとすら思えた。
「オイ、お前らあまり沖に行くんじゃねぇーぞ」
 自分たちがマンモーニとマンモーナなら、プロシュートはまさに二人のマンマだ。念入りに準備運動をするペッシと日焼け止めを塗る夢主はお互いに顔を見合わせ、怖くて世話焼きの母親にバレないよう苦笑いを浮かべるのだった。


 残念ながらペッシの釣果は散々なもので、食べるには小さすぎるとすぐに海へ帰されてしまった。代わりに向かった市場で貝とイワシを買い込み、魚を捌くペッシの横でシチリア料理に詳しいリゾットと夕飯の支度をする。
 食前酒を飲みつつサッカーの話をする仲間たちの声を聞きながら、ムール貝のスープや新鮮なトマトと卵で作るクックルクー、それにいわしのベッカフィーコ、聞き慣れない料理名にわくわくしながら作って食べて、もう何もお腹に入らない状態になるまで夕食を楽しんだ。
「まだ苦しい……お腹いっぱい……」
 幸福と苦痛は紙一重のようだ。明日は海でしっかり泳ごうと心に決めて、後片付けを終えた夢主はリビングに戻ってきた。
「よぉ、お疲れ」
「悪いが先に飲んでるぜ」
 まだ飲み足りないのかビールを手にしたイルーゾォが話しかけてくる。
「そんなに飲んで大丈夫?」
「平気平気。これくらいで悪酔いするかよ」
 赤ら顔で言われても少しも信用が出来ない。自分の足で部屋に戻って休むことが出来るのか、心配する夢主の前にギアッチョが冷たい容器を差し出した。
「勝手に酔わせておけ。それより食えよ、冷やしておいたぜ」
 有名なジェラテリアの名が飾られた白いカップには、夢主が大好きな味のジェラートがたっぷりと詰め込まれている。突然の訪問ではあったが、美味しいフランス産のワインとつまみで機嫌のいいギアッチョは、わざわざスタンドを使って丁度良い冷たさを保ってくれたようだ。
「わぁ、ありがとう!」
 同じく冷やされていたスプーンを手に、夢主は笑顔を浮かべて受け取った。
「ここに座るといい」
 リゾットに勧められて三人掛けの大きなソファーの真ん中に腰掛ける。右側はいつもと同じくリゾットが、左にはワイングラスを揺らすプロシュートが占領していた。
「いいモンもってるじゃあねぇか。一口くれよ」
「……少しだけだからね」
 ジェラートをひと掬いしてプロシュートの色っぽい唇に近付ける。食後のドルチェに彼は満足そうにニッと笑った。昼間から飲んでばかりいるのでとても酒臭いのだが、それを払拭する爽やかさだった。
「美味いな……。おいギアッチョ、俺にはないのか?」
「テメーはテメーで用意しろや」
 素っ気なく答えたギアッチョは夢主の手からスプーンを取り上げ、新しい物に取り替えてやった。
「俺は病原菌か」
「こいつにオッサン臭が移るだろ」
「フン、いい度胸じゃねぇか。だがな、あと数年も経てばお前もその仲間入りだぜ? いや、もうそうかもな」
 嫌そうに顔を顰めるギアッチョにプロシュートはグラスを掲げる。
「ようこそオッサンの世界へ、歓迎するぜギアッチョ」
「ふざけんなッ、まだ俺はオッサンなんかじゃねぇッ!」
 なんて軽口を叩きあう二人を置いて夢主は渡されたスプーンでジェラートを口へ運ぶ。ひんやりと細かな氷に果物のしっかりとした甘味、それらが合わさって舌の上で溶けていく感覚に心が喜びに沸いた。
「悪いな、お前にはドルチェばかりで……」
「ううん。甘いの好きだから大丈夫だよ」
「そのうちお前に合う酒を用意させる」
 大丈夫と言っているのにリゾットはどこか申し訳なさそうだ。休暇には欠かせないお酒だが、彼らの嗜好をメインにしたおかげで非常に度数が高いものばかりが集められてしまったせいだろう。しかし、それを次々と空けてしまう彼らの胃袋の方が夢主には心配だ。
「ところで部屋割りはどうなってる? 俺らはここに泊まるつもりで来たが……野郎との相部屋はお断りだぜ」
「イルーゾォに用意させる。心配は無用だ」
「は!? 俺かよ?!」
「いつものように鏡の中で過ごせばいい。簡単だろう」
 リゾットにそう言われては仕方がない。
「チッ……俺の荷物は後で運び出しておく。階段上がって右手が俺の部屋だったところだ」
 イルーゾォが缶ビールを呷りつつ投げたキーをプロシュートは難なく受け止める。
「ええっと、兄貴……俺はどこで寝れば……?」
「ペッシもイルーゾォと同じ鏡の中だ。嫌ならリビングになるだろう」
 リゾットの回答にペッシは素直に頷いて、イルーゾォによろしくと頭を下げている。
「オイ、誰かテレビをつけろ。そろそろ試合が始まる頃だ」
 プロシュートの一言にリモコンの一番近くにいた夢主が手を伸ばす。電源を入れると大きな画面一杯に熱気あふれるサッカー会場が映し出された。
「……夢主、少しいいか」
 隣から小さな声で囁きかけてきたリゾットに促されて、ジェラートカップを手にしたままソファーから立ち上がる。そのままリビングを抜けて階段を上っていく彼の後ろを素直に着いていった。
「どうしたの?」
「あいつらが騒ぎ始める前に休んでおけ」
 酒を飲むだけならまだいいが、白熱する試合の展開にそのうち大声で騒ぎ始めるはずだ。そこへさらに賭け事が加わると手の付けられない惨事になる。
「後のことは任せろ」
 休暇で羽目を外しすぎないよう、それを見守るのもリーダーの役目だ。リゾットは夢主を部屋まで送って夜の挨拶を交わした。
「おやすみ」
「おやすみなさい、リゾット」
 彼の言うとおり、閉じていくドアの向こうで大きな声が階下から響いてくる。プロシュートたちはこれからもハイペースで飲み続け、試合の流れに一喜一憂するのだろう。その大騒ぎの中にいるのは確かに懸命な判断ではない。いつも付き合わされるペッシが翌朝になると死んだような顔つきで酷い二日酔いに悩まされていることを思えば、リゾットの選択は正しいと言える。
「何しよう……」
 ジェラートを食べながら部屋に残された夢主はぽつりと呟く。DIOに電話を掛けてみるのもいいが時差を考えると躊躇ってしまう。ここは大人しく本を読んで眠気が訪れるのを待つのが最善だろうか。
 そう考えた夢主は食べ終えた後にすぐにシャワーを浴び、プロシュートに渡されたケア用品を素肌に塗りたくる。彼の指示通り、日焼け止めを塗っては30分ごとに海へ入って体を冷やしたおかげで肌は少しも痛くなかった。
「DIOは何て言うかな」
 焼けた肌を見て彼が何を思うか夢主には想像もつかない。嫌味の一つくらいは言われるかも……と小さく笑って旅行鞄の中から下着とパジャマを引っ張り出したところ、それに混じって白いシャツがこぼれ落ちた。
 出発当時、慌てて荷造りしたこともあって気付かないうちに紛れ込んだらしい。DIOが忘れていったそれを掴むと、同棲中の様々な出来事が脳裏にフッと蘇ってくる。
(ついこの間のことなのに……)
 懐かしく思うなんて変だ、と自身を笑いつつシャツを抱きしめると、ほのかに香るDIOの匂いに胸の奥が温かくなった。離れていることに寂しさがあっても、今はそれをかき消してくれる確かな物がある。カイロの館でもらったDIOが身に着けていた金の腕輪と、体調を崩したときにプレゼントされた一つの指輪だ。
 何も言わず指に嵌めていくあたりがDIOらしい……と夢主がそこへ目を向けた瞬間、それまでの思考の全てが吹き飛んだ。
「うそ……、指輪がない……」
 その事実に夢主の体からスーッと血の気が引いていく。青ざめたままその場に座り込み、輝きを失った左手の薬指を呆然と眺めた。




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