04


 爽やかな風が吹き渡り、隅々まで太陽に照らされた開放的な屋上では、厳つい四人の男たちが並んだ椅子に腰掛けて思い思いにくつろいでいる。彼らの前にあるのは花が飾られた大きなテーブルとこれからのランチを楽しむべく用意されたカトラリー類だ。近くには部屋の主が大事に育てているハーブの鉢植えが置かれ、風に揺れる度にかすかな香りを届けてくれる。
「遅ぇな〜……腹減って死にそうだ……」
 すでにワインを二杯も飲んだホルマジオはなかなかやって来ない昼食に思いを馳せた。
「そう思うなら見てくればいいだろ」
 彼の向かい側に座ったイルーゾォは小さな鏡の手入れをしながら肩を竦めて言った。
「そうしたいところだが……あの部屋、苦手なんだよなァ〜。洞窟のようで気味悪ぃし、時々なら我慢も出来るが……ずーっと真っ暗なんだぜ? 正直、リーダーはよく我慢してるよなぁ。俺なら一日……いや、半日で根を上げる」
「あ〜、俺も無理だな〜。三日ぐらいまでは別に平気だったけど、四日目で限界になった。窓を開けたくてウズウズしてたらリゾットに追い出されてさぁ。すぐに海へ行って日光浴してきたよ。人間辞めるのも大変だよな。俺は太陽を拝めないなんてゴメンだね」
 メローネは氷の入ったグラスを揺らしつつ、青空と太陽に向けてキスを投げた。
「その点、夢主はスゲェよ。いくら慣れてるって言っても、あの暗がりの中で一日を過ごすんだぜ? 外に出掛けるのは日が落ちてからだし……」
「惚れた相手が悪すぎたな。もっとマシなのが他にも居ただろうが……ま、選んだからには仕方ねぇ」
 紫煙をフーッと吐きながらプロシュートは笑う。いつもなら下の階で賑やかなランチを取っている頃だが、DIOが同棲し始めてからというもの、居心地の良かった部屋は暗い闇に包まれてしまった。気まぐれに起き出してテレビを鑑賞するDIOや、二人が眠る主寝室を気遣いながら声を潜めて食事をするのはストレスが溜まるばかりだ。外へ食べに行く事ももちろん考えたが、観光シーズンを迎えた市内は美味しい料理を求める観光客でどこも一杯だった。
「唯一、正解だと思うのはこの屋上付きの部屋を与えてくれた事だな」
「ハハ、違ぇねぇや」
 プロシュートの言葉にホルマジオは笑いながら同意する。
「夢主はどうするんだ? いつもなら一緒だが」
 イルーゾォは鏡をポケットに仕舞ってドアに視線を向けた。
「朝にDIO様と仲良くご飯食べてたぜ。あれって二人には夕食なんだよな……。俺としては彼女が居た方が嬉しいけど、どうかなぁ」
 のんきな声を出すメローネの耳に屋上へ繋がる階段から複数の足音が響いてくる。最初にドアから顔を出したのは話題に上がった本人だ。
「お待たせ〜。今日はペッシ特製のペスカトーレだよ」
「おおッ! やっと来た!」
 空腹の胃袋を刺激するように、アサリや手長エビ、それにムール貝の乗った大皿からトマトとニンニクの香りがふわふわと漂ってくる。すぐにホルマジオの腹が限界の音を上げた。
「兄貴、遅くなりやした」
 エプロン姿のペッシは両手に人数分のワインを抱えてプロシュートに謝罪する。構わねぇと言うように彼は軽く手を振って弟分を席へ座らせた。
「オイ、これはどこに置けばいい?」
 新鮮なトマトとチーズのカプレーゼ、それから少し形の崩れたティラミス、それらが乗った皿を手にギアッチョは給仕する夢主に話しかける。
「すぐに空けるから待ってね」
 テーブルに置かれた空っぽのワイン瓶を退けて場所を作った。両手の空いたギアッチョはイルーゾォの隣の席にドカッと腰掛ける。
「あ、パンを忘れてる」
 テーブルを見渡した夢主は大事な一品が抜けていることに気付く。取りに戻ろうと振り向いた先で、それらが入った籠を手にしたリゾットが階段を上ってくる姿が見えた。
「忘れ物だ」
「ありがとう、リゾット」
 彼からパンを受け取ってテーブルの中央に置く。最後まで残っていた上座の席にリゾットが腰を下ろすと、それぞれがグラスにワインを満たし、誰が言うでもなく軽く掲げたところでランチは始まった。
「それじゃあ、ごゆっくり」
 そう言って下へ戻ろうとする彼女にプロシュートが声を掛けた。
「おい、お前は食べないのか?」
「うーん、そうしたいけど……今から寝るところだから」
 日が昇る間は睡眠時間だ。以前とは真逆の生活だが、数日も経てば慣れてしまうものでもある。
「太陽に当たらなくなったせいか? 随分と顔色が悪いぞ」
 椅子に腰掛けたプロシュートは夢主を見上げてそう指摘する。
「お前は人間なんだ、無理をするのも程々にしておけよ」
「うん、ありがとう」
 プロシュートの気遣いに礼を言い、その場の全員から向けられる視線にはにかんだ笑みを見せる。それから「おやすみなさい」の言葉を残して階下へ戻っていった。
「……なんつーか、いいよなぁ。俺も女と同棲しようかな〜」
「やめとけやめとけ、お前は三日で飽きるのがオチだ。賭けてもいいぞ」
 羨ましそうなメローネの声にホルマジオはゲラゲラ笑って揶揄した。
「じゃあ俺は二日な」
「馬鹿言え、コイツは一日だって無理だろ!」
 イルーゾォはともかく、誰よりも短気な男の言葉にメローネはすぐに反応する。
「はぁ!? ギアッチョにだけは死んでも言われたくねぇ!」
「んだと、テメー!」
 食器が触れ合う音と共に笑い声が周囲に弾けた。
 そんな中、プロシュートも苦笑いしながら夢主が去っていった階段を見る。
(こればかりは仕方がねぇか……)
 ラスベガスで与えた助言を今は少し後悔する。彼女の背中を押してしまったプロシュートは、やはり選んだ相手が悪すぎるのだと心の中で短い息を吐いた。


 昼間に眠り、夜に活動する……そんな生活にリゾットまでもが慣れ始めた頃、いつもならまだ起きて朝食を作っているはずの彼女の姿が無かった。
「……夢主はどうした?」
「さぁ、もう寝たんじゃねぇか? DIO様ならさっきキッチンにいたぜ」
 鏡の前でネクタイの色を確かめるイルーゾォの言葉を受けてリゾットはキッチンを覗き込む。そこにDIOの姿はなく、粉々に砕かれた氷だけがシンクの中に残っていた。
「時間がない、早く準備した方がいい」
 年に何回かある幹部の定例会議に出席するため、イルーゾォは仕立てたスーツ姿で振り向く。会議に参加するのはこの二人だけだ。短気なギアッチョや飽き性のメローネ、喧嘩っ早いホルマジオや一度決めたら意志を曲げないプロシュートたちでは務まらず、単調で黒い腹の探り合いが出来るのは待ち伏せが得意で辛抱強いイルーゾォとリーダーだけだった。
「珍しいな……」
 リゾットは姿を見せない夢主を訝しく思うものの、イルーゾォの言うとおりだったので、結局、声を掛けたのは出掛ける間際になってしまった。
「夢主、俺たちは外に出るが……」
 静寂を保つ寝室のドアをノックしたが中から返事は無い。数秒待った後でリゾットがノブに触れるより早く扉は内側から開いた。
「……静かにしろ。声を出すな」
 そう言って顔を見せたのは彼女ではなくDIOだった。白皙の美貌を暗がりに浮かび上がらせ、冷えた声でリゾットに命令する。彼の手にはタオルと温度計……それらが意味するものは一つだ。
「まさか具合が……?」
 外が猛暑でも太陽を遮断したこの部屋は常に寒々しい。その温度差に体調を崩してしまったのだろうか。
「これまで何度も見てきた症状だ。おそらく風邪だな」
 DIOの背後の暗闇で小さな明かりがぽつりと点いている。リゾットがそこに視線を向けると、氷袋を額に置いた夢主が緩慢な動作で起きあがった。
「ごめんなさい、リゾット……少し熱があるみたいで……」
「謝るな。横になっていろ」
 焦りを滲ませながらリゾットはそう促した。いつもとは違う実に辛そうな様子に彼は胸を痛めた。
「イルーゾォ、会議はお前だけで行け」
「はあ?! 俺だけで!?」
「病人を置いて行けというのか? 嫌なら誰か無理にでも付き合わせろ」
「誰かって……それこそ無理だろ」
 イルーゾォは眉を寄せて残りのメンバーを思い描く。強気に出れないペッシでは話が進まないし、会議などどうでも良さそうなジェラートとソルベでは印象が最悪だろう。
「大丈夫……心配しないで。それに今はDIOが側に居るから」
 熱の上がった赤い顔で夢主は安心させるように笑ってみせる。
「……しかし、」
 上に立つ者としては優秀だが、人として……いや、吸血鬼に病人の世話が出来るのだろうか。そう言いたげな顔つきでリゾットはDIOを見る。
「エジプトでも何度か看病をしている。問題はない」
 胡乱な視線をDIOは無表情で跳ね除けた。
「じゃあ大丈夫だな。DIO様が外に出れなくても連絡入れればチームの誰かが動くし、俺らもなるべく早く切り上げて帰ってくればいい」
「……そうだな」
 リゾットは張り付けた笑顔を見せる彼女を凝視しながら、イルーゾォの言葉に硬い声で返事をする。
「リーダー」
 なかなかその場を動こうとしないリゾットにイルーゾォは腕時計を指差す。予定の時間は確実に迫ってきていた。
「では……後をお願いします」
「任せておけ」
 とDIOは言うが、一体その自信はどこから来るのかリゾットは不安を感じずにはいられなかった。
 仕方なく玄関へ向かうその背に、
「オイ、待て。薬と替えのタオルはどこにある?」
 DIOからの基本的な質問に二人は立ち止まり、やはり心配そうに顔を見合わせてしまった。


「……リゾットたちは出掛けた?」
 しばらくして寝室に戻ってきたDIOに夢主はかすれた声で問いかけた。
「ああ。後でホルマジオを寄越すそうだ。どうやら私だけでは不安らしい」
 ムッとした顔に不満を滲ませて、DIOは薬と水が乗ったトレーを手にゆっくりと近づいてくる。それらをサイドテーブルに置いた後、夢主の背に腕を回して優しく抱き起こした。
「まずは薬を飲め。リゾットの話だと二錠だそうだ」
 水の入ったグラスと白い錠剤が差し出される。それを受け取って飲もうとするが、高熱で気怠い体は少し動くだけでも多くの体力を消耗するようだ。錠剤を手に呼吸を整えていると、それを見かねたDIOが気遣わしそうに様子を窺ってくる。
「毒は入っていないぞ? 安心しろ」
(……DIOが言うと洒落にならない)
 実際に実の父と貴族の義父を毒で苦しめた本人の言葉に夢主は困ったように笑い返す。のろのろとした動きで薬を口に入れ、水で流し込んだ。
「はぁ……」
 重い息を吐くと同時にDIOの指が伸びてきて、口元からこぼれた水滴を拭い取る。その指先を舐めた後、
「後は寝るだけだな」
 そう言って夢主の首筋を支えながら再びベッドへ横たえた。
「DIOは……どうするの?」
「私のことは気にするな」
 側に置いた読みかけの本をちらりと見せて、DIOは長い足をベッドの上に伸ばした。明かりを最小限まで落とし、氷が入った袋を夢主の額へ戻す。
「早く治してしまえ」
「……うん」
 目蓋を閉じて頷く彼女に遠い過去を垣間見る。病に臥した女の姿を見るのは嫌なものだ。DIOはつくづくそう思う。加えて、側にいることしかできない自分の無力さを思い知らされるのは屈辱的でもある。
 久々に感じた苦い思いを噛みしめながら、彼は開いた本へ視線を落とす。そのうち聞こえてきた寝息を耳にして胸にわだかまる感情を溜息としてこぼした。



 数時間前、イルーゾォから体調を崩した夢主の様子を見て欲しい、と連絡を受けたホルマジオは大きな玄関扉の前で足を止めた。いくつもの手荷物を抱えた彼は、鍵の掛けられていないそこを背中で押し開ける。
「こりゃあ、すぐには目が慣れねぇな……」
 小さな明かりだけを頼りに歩いてキッチンにたどり着く。外で買ってきた食材と飲み物を調理台の上に置くと、柔らかな袋が傾いて中から缶詰とオレンジがいくつかこぼれてしまった。
「おおっと、」
 ガラガラと大きな物音を立てるそれらを拾い上げていると寝室のドアが開いた。
「もう少し静かに出来ないのか」
「すまねぇ……。夢主を起こしちまったか?」
 DIOの冷たい声を聞いてホルマジオはバツが悪そうに謝った。
「今は深く寝入っている。……それで、お前は何をしに来た?」
「いや、まぁ……昼飯の用意を手伝おうと思ってよォ〜」
 ホルマジオの言葉にDIOは食事のことをすっかり忘れていたことに気付く。料理に関してはいつも執事任せなので無理もないだろう。
「……そうか。何を作る気だ?」
「ま、こういうときは胃に優しいリゾットだろうなぁ。オリーブオイルとパルミジャーノ入りの粥、それにビタミンたっぷり搾りたてのオレンジジュースが定番だと思うぜ」
 そう言って鍋を取りだそうと吊り戸棚を開けたとき、中から小さな箱が転がり落ちてきた。
「?」
 ホルマジオが空中で掴んだそれは、片手に収まるサイズで名の知れた宝石店のロゴと共に美しいリボンが飾られてあった。 
「よりによってお前が見つけてしまうとは……」
 実に面白くなさそうな表情でDIOは小箱を男の手から取り上げる。
「あ〜……夢主への贈り物か。悪ぃ、俺が先に見つけちまったら意味ねぇよな」
 密かなサプライズを壊してしまったらしい。ホルマジオは笑って誤魔化した。
「あいつも素直に受けとりゃあいいのによォ〜」
 高価な物は身に余ると言って遠慮する。だが、安物では男の矜持が許さない。
 ホルマジオは苦笑しながら鍋を取り出し、水を入れて火に掛けた。
「料理は俺に任せな。夢主が起きれるようだったら起こして、何でもいいから少しは食べさせた方がいい。弱ってるついでにソレも問答無用で贈りつければいいと思うぜ」
 箱を指差し、そそのかしてくるホルマジオに背を向けてDIOは寝室へ戻った。未だ熱のある彼女は赤い顔をして、夢うつつの中をさまよっているようだ。
「夢主……ホルマジオが料理を用意している。起きられるか?」
 寝汗で張り付いた前髪を指で退け、頬を撫でて目覚めを促す。薄く濡れた肌に視線が吸い寄せられ、そこから続く首筋に思わず喉が鳴りそうになった。
 普段より熱い血潮はそれはそれで美味だろう。口に広がる旨味と、活力に変換される高揚感を想像すればますます食欲が湧くようだ。
「……」
 しかし、今だけはそう感じる吸血鬼の体が疎ましく思う。DIOは感情と食欲をねじ伏せて、側にあったタオルで優しく汗を拭い取る。閉じていた夢主の目蓋がゆっくりと開き、眠気と気怠さが残る目に相手の顔を映し込んだ。
「DIO……?」
 そこにいつもの尊大さは無く、向けられた真剣な表情にもどこか陰りが見られるようだ。確かな違和感を感じ取りながらも、今は頭がうまく回らず原因が掴めない。不安そうに夢主が見つめ返していると、先に視線を外したのはDIOだった。
「起きて食事を取るといい」
 その一言を残し、彼はベッドから離れていこうとする。夢主は言いしれぬ焦燥感に駆られてすぐに呼び止めた。
「待って」
 半身を起こして服の裾を掴むと、DIOは離れた距離を埋めて顔を近づけてきた。
「どうした」
「あのね、少しだけ……甘えても……いい?」
 言ったそばから後悔したが、口から出てしまったものは仕方がない。夢主は恥ずかしそうにシーツへ視線を落とした。
 DIOは少し驚いた顔をした後、夢主の顎をすくい上げて微笑みかけてくる。
「何を望む? 何でもいいぞ」
「じゃあ……着替えを手伝ってもらってもいい? 寝汗が気持ち悪くて……」
「分かった。任せておけ」
 言い終わらぬうちにDIOはネグリジェのボタンに手を掛けた。性急に爪で弾き飛ばすような事はせず、一つ一つを丁寧に外し終える。腕を抜き、肌から布をはぎ取るとベッドの上で夢主が小さく身震いした。
「寒いか?」
「ううん、平気……」
 タオルを持ったDIOの手が額から首筋を通って心臓にたどり着く。
 肌の上を撫でるタオルの心地さに夢主が吐息を漏らすと、それを耳にしたDIOが上からジッと見下ろしてくる。
 その視線に堪えきれなくなった夢主は、気恥ずかしそうに下着を手で覆い隠した。相手のそんな様子を見たDIOはタオル越しに腹を揉み撫でてやった。
「……! く、くすぐったい……」
「もう少しだけ我慢しろ」
 身悶える姿を愉快そうに眺めて、DIOは手を素足の方へ移動させた。淡い色の下着を越えてゆっくりとタオルを動かすと、夢主はまたくすぐったそうに身を捩った。
(お預けを食らっている気分だな)
 DIOは柔肌に噛みつきたくなる衝動を堪えつつ、足先を拭き終えたところで彼女をベッドから抱き起こした。そのまま自身の胸に体を預けさせて小さな背中を拭いていると、それまで身を隠していた夢主の腕がそろそろと動くのを感じ取った。
「……DIOがいてくれて良かった」
 穏やかな表情で抱きしめてくる相手に、DIOの方が熱を出してしまいそうだ。心の奥がじんわりと温かくなって言葉に出来ない何かが込み上げてきた。
 DIOはすぐにタオルを放り捨てると、熱で赤い頬を両手に包み込む。そのまま上から覆い被さるように顔を近づけて唇にキスを落とした。
「!」
 驚く彼女の表情を堪能しながらDIOは何度も口付けを繰り返す。
「夢主……、」
 名を呼びながら何度も唇を重ね合わせていると、背を抱く夢主の腕から力が抜け落ちていく。潤んだ表情で身を委ねてくるのをいいことに、再びシーツの上へ押し戻そうとした瞬間、部屋の外から無粋な声が投げ掛けられた。
「おーい、昼飯出来たぜ。起きて来いよ。それとも部屋で食うつもりかぁ?」
 ホルマジオの声に夢主は飛び上がりそうになる。DIOを押し返そうとしてもすぐにその手を掴まれ、むしろそのまま強く抱き込まれてしまった。
「ん……、DIO……いや……」
 逃げ場のない腕の中でキスの合間に抗議するが、飢えた赤い目に射抜かれると否応無く心と体が蕩けてしまう。
「……っ、はぁ……」
 押しつけられるキスの激しさと吐息を吸い上げる強さに目眩がする。いつものような余裕がどちらにも無くて、部屋にはただ口付けの濡れた音だけが響いた。
 熱が唇に移る頃になってようやくDIOが顔を離すと、夢主は乱れた呼吸を繰り返しながら張っていた体の力を抜いた。ぐったりと身を預けてくる相手を抱いて、DIOは遅いながらもやりすぎたらしい事に気付く。
「オイ、大丈夫か?」
 夢主はクラクラする頭を一度だけ横に振る。上がりきった熱とDIOのせいで後はもう何も言えなかった。
「すぐに氷を用意する。料理と……ああ、着替えもまだだったな……」
 DIOは眉尻を下げつつ、ヘッドボードに集めたクッションへ夢主を寄り掛からせると、すぐにベッドから腰を上げた。彼女の私服が詰め込まれたクローゼットやチェストを手早く、かつ乱暴に開けて替えの寝衣を探し始める。
「パジャマならバスルームに……、」
 言葉の途中で夢主は大きなクシャミをこぼした。ぶるりと震える相手を見て、DIOはとっさに近くにあった物を掴む。クリーニングに出していたので清潔ではあるだろう。戸惑う彼女にそれを慌ただしく着せた後、彼は寝室のドアを蹴破る勢いで飛び出して行ってしまった。


 料理が出来たと知らせても返事が無かったので、仕方なく冷蔵庫に保存しておこうとホルマジオがその扉に手を掛けたとき、大きな足音を立ててDIOがキッチンへ戻ってきた。
「……別によぉ〜、俺はいいんだぜ? メローネのように独り身だからって拗ねるほどガキじゃねぇし、今更キスの一つや二つで照れるような歳でもねぇ。毎日飽きもせず、磁石のようにくっついてる奴らを身近に見てるんだ。だからいちいち気にすることなんかねぇぞ?」
 寝室のドアに背を預けたホルマジオは、苦笑混じりでこちらを恨めしそうに見つめる夢主にそんな忠告をした。未だ熱のある彼女は動くのも辛いのか、出来立てのお粥をベッドの上で食べている。意外なことに皿を持ち、スプーンに息を吹きかけて夢主の口元へ運んでいるのはDIOだ。彼は上半身を起こした彼女の横で椅子に腰掛け、他に見る者がいたらぶっ倒れそうなほど甲斐甲斐しい看護を行っている。
「まぁ……それはそうと、パジャマは買いに行った方がいいかもな」
 床に散らかった夢主の衣服から察するに、DIOは替えの服を見つけられなかったらしい。代わりにDIOのワイシャツを着させられた夢主は、大きすぎるその中に埋もれそうになっている。余った袖口を何度か折り曲げてはいるものの、それでは体が休まることはないだろう。
「他に何か居るものはねぇか?」
「うん……大丈夫」
 その質問に夢主はかすかに頷く。皿を置いたDIOから薬と水を受け取って飲み、ホッとした息を吐いた。DIOの指が優しく口元の水を拭い、氷枕を整えて横になることを促している。
 ホルマジオは二人の睦まじさと、ちょっとした色気が漂うそんな光景に頬を掻いてドアから背中を剥がした。
「その調子だと夕食も同じ物がいいな……。作っておくからお前はこの際、しっかり休んで甘えておけ」
「ありがとう、ホルマジオ」
 か細い声に片手を上げて応えた後、ホルマジオは寝室を出て再びキッチンに戻る。使用した鍋と包丁を洗って、もう一度イタリア米を用意した。
「……お、そうだ」
 米を煮込んでいる間に夢主が使った皿とグラスを下げようと、再び部屋の前へ足を向けたところで彼は立ち止まった。
 薄く開いたドアの向こうで、一瞬キラリと光る物が見えた。淡い照明をはね返したのはDIOが手にしている小さな指輪だ。先ほど戸棚から転がり落ちてきた小箱と解かれたリボンがシーツの上に落ちている。
 彼は眠る夢主の手を静かに掴むと、迷うことなく左手の薬指に通した。端正な顔を手のひらに近づけて音のないキスを落としている。
(あんな顔もするんだよなぁ……)
 普段はまるで氷を張り付けたような冷ややかな表情をしているくせに、彼女の前でだけは随分と人間らしい一面を見せるようだ。
 ホルマジオが物珍しそうに眺めていると、気配に気付いたDIOからジロリと鋭い一瞥が向けられた。取り繕うように笑ってドアを閉めたところで皿の片付けが終わっていないことに気付く。
「しょうがねーなぁ……後にするか」
 誰に言うでもなく呟いてホルマジオはその場を後にした。




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