07


 大通りを走り抜けるタクシーからはビルと看板の隙間に太陽が沈んでいくのが見える。通りには多くの人が溢れ、恋人たちと家族連れの間からは笑顔が絶えない。一攫千金を夢見るギャンブラーたちはそんな彼らを足早に追い越していく。ベガスに相応しい派手なネオンサインが映える夜の到来を、誰もが心待ちにしているようだ。
 そうしてマライアに連れられてホテルに戻ると部屋の扉を開いてプッチが二人を出迎えてくれた。
「お帰り。そろそろだと思っていたよ。おや、あの子たちはどこに?」
「あ……えっと……」
 彼から真っ直ぐな視線を向けられてすぐに言葉が出てこなかった。
「まだ遊び足りないそうよ。後のことはテレンスに任せてあるわ」
「そうか。まぁ、それなら大丈夫だろう」
 マライアの言葉を受けてプッチは頷いた。お守り役のテレンスが一緒なら問題ないと判断したらしい。
「おいで。DIOが君の帰りを待っている」
 玄関ホールに夢主を招き入れてプッチはリビングで待つ親友の所へ案内した。明かりが灯されたそこにはソファーに腰掛けてこちらを見つめてくるDIOの姿があった。朝と違うのはテーブルや床に帆船模型のキットが所狭しと並べられている事だ。
「外は楽しかったか?」
 長いピンセットを持ったDIOはそれをくるりと回しながら尋ねてくる。
「すごく楽しかったよ。DIOは何してるの?」
「これか? ただの暇つぶしだ」
 キング・オブ・ホビーと書かれた分厚いカタログをDIOは指先で弾いた。開いたページを見れば男の人がいかにも好きそうな帆船や鉄道模型、クラシックカーや飛行機のプラモデルなどで埋め尽くされている。電話で注文すれば部屋まで届けてくれるのだろう。DIOは細かい部品を摘むためのピンセットをテーブルに置くと、夢主の腰に腕を回して力任せに引き寄せた。
「!」
 すとんと落ちてきた体を膝上に乗せてDIOは後ろから緩く抱きしめた。
「夕食はプッチと共に取ろうと思う」
 太陽と人混み、タクシー内の匂い、それにマライアからわずかに移った香水が夢主の肌の上で混じり合っている。DIOは髪の間に高い鼻を潜り込ませ、それらを選り分けて彼女の香りを深く吸い込んだ。
「どこにするか決めておけ」
 DIOは手近にあった雑誌を手に取り、腕を外そうと無駄な努力をしている相手に押しつける。
 そんな彼らを微笑ましく見守っていたプッチは大きな一枚窓に足を向け、日が沈みきったことを確認してからカーテンを左右に押し開いた。プッチの眼下には噴水を使ったショーが行われる人工湖が広がって風で揺らぐ水面にネオンからの光を映し込んでいる。それらを囲むカフェやバー、レストランでは夕食を取る人々の姿があった。そのうち自分たちもあの中に加わり、食事と会話を楽しむのだろう。


 一緒に食事をと誘ってもマライアは「用事がありますので」そう言ってやんわりと辞退された。主であるDIOとはもちろん、そのDIOが心を許している二人に囲まれては流石のマライアも気楽に食事を楽しめないのだろう。一礼して去っていくマライアを見送って三人はホテルからほど近いレストランに赴いた。
 プッチは香り高いコーヒーに砂糖を加えながら向かい側の空席を見つめた。落ち着いた雰囲気が漂う高級なレストランで彼らはすでにフレンチのフルコースを食べ終え、ゆったりとした食後のひとときを味わっている。
「ダーツに貼りつけてあった紙を読んだが、なかなか面白そうな事をしているじゃないか」
「ああ、あれか……」
 九億もの賞金を狙って大勢が競い合うゲームのことだ。
「誰もが楽しめるいい案だろう?」
 そう言って口の端を上げるDIOの笑みにはどこか悪意が含まれている。プッチは神父としての立場をひとまず横に置き、興味深そうにDIOを見つめ返した。
「だが彼らは暗殺チームだろう? その上、私たちと同じスタンド使いだ」
 プッチの言いたいことは分かる。巨額を前にして彼らが裏切らない保証はどこにもない。
「チーム内で血が流れてもおかしくはないだろうな。もしくは束になって私に挑んでくるかもしれぬ」
 その時を想像してDIOは小さく笑った。たとえ世界を有するDIOの能力でも九人ものスタンド使いを一度に倒すことが出来るかどうか。
「危険なゲームだね。それとも君にとってはそれすらもただの暇つぶしなのかな?」
「プッチ……私はむしろそれを望んでいるのだ」
「何だって?」
「欲に目がくらんだ彼らが私を裏切り、組織を裏切り、夢主をも裏切ることを望んでいる」
 プッチはわずかに目を見開いてDIOの言葉を聞いた。
「手を下す理由を待っているのか?」
「まぁ、そう言うことになるだろうな」
 DIOはコーヒーを優雅に飲んで空になったそれを真っ白なソーサーの上にカチャリと置いた。
「組織の暗部を知っている彼らは色々と厄介だ。夢主の身の安全を任せてあるというのにすでに何度か守り損ねている。その上、裏切り者が出るようであれば理由としては十分だろう」
「だが、もし君のお気に入りを盾に取られたら?」
 例え一瞬でもDIOは不利な状況になってしまうのではないだろうか。
「それこそ好都合だ。私がこの手で粛正してくれよう」
 酷薄に笑うDIOの目は本気だ。プッチは冷めつつあるコーヒーを飲みながら化粧直しに向かった夢主を思う。何も知らない彼女がこの事を知ったらどう思うだろうか。裏切りを経験したことのない彼女のことだ。とても傷つき、嘆き悲しむだろう……そしてDIOはそれすらも望んでいるに違いない。チームを消し去り、手中に落ちてきた彼女をそれはそれは優しく慰めるのだろう。
「人が悪いね、君も」
「生憎、私はもう人ではないからな」
 少し呆れた口調のプッチにDIOは口の端だけでニヤリと笑う。どこかで聞いた言葉のやりとりをしていると不意にDIOが視線を外した。その先には化粧直しから戻ってきた夢主がテーブルの間を縫ってこちらに近づいてくるところだった。
「遅くなってごめんなさい。途中でテレンスさんから電話があったから」
 そう言って申し訳なさそうにプッチを見る。その表情から何か困ったことが起きたらしい。
「リキエルたちとテレンスさんがはぐれちゃったみたいで……」
 故意に撒かれた事に気付いて憤慨するテレンスの言葉を少しだけ言い換える。険しい表情になるプッチを見て慌てて付け加えた。
「あ、でもチームのみんなと一緒だから! リゾットが連絡を取ってすぐに合流するから心配するな、って言ってました。だけど帰ってくるのが遅くなるみたいで……本当にごめんなさい」
「君が謝る必要はないよ。そう言うことなら仕方がない」
 肩を竦めるプッチを見て夢主はホッと息をつく。
「とはいえ大丈夫かな……」
 さっきまでの話を聞いたプッチにはそのチームを信頼していいものか判断がつかない。
「好きにさせておけ」
 DIOは朝と同じ言葉を繰り返して愉快そうに笑うだけだった。


 カーテンを開け放った大きな一枚窓の向こうでは空高く水を吹き上げる噴水ショーが行われているのが見える。音楽に乗せて揺れ動くそれらをちらりと見下ろしつつ、夢主は客室に設けられたバーカウンターから氷が入った三人分のグラスを用意した。
 食事を終えた後、旅の思い出を求めるプッチに付き合ってあちこちを歩き回ったおかげでフルコースを食べて苦しかったお腹もようやく楽になってきたようだ。DIOが宿泊する最上階に着く頃にはすでに深夜を迎えていた。
「まだ連絡来ないね……」
 ソファーに座るDIOとプッチに挟まれたテーブルの上で夢主の携帯電話は沈黙したままだ。
「あいつらもスタンド使いだ。そう気にすることはない」
 放任主義なDIOはそんなことを言う。
(でも、それが一番危ないような)
 スタンド使い同士は引かれあう運命だ。何かトラブルがあって怪我でもしたらどうするのだろう。何だか不安に思ってしまう。
 ウィスキーを注いだグラスの中でカランと涼やかな氷の音が響いた。プッチはそれに口を付けつつ鳴らない電話から窓の向こうへと視線を移す。今はまだ夜が世界を支配しているが朝になれば帰る支度をしなくてはならない。
「とりあえず昼の飛行機までに間に合えばいいさ」
 プッチの口調も、もはや諦め気味だった。
「そうそう、言い忘れていたがまた新たなスタンド使いを見つけてね。なかなか面白い能力を持っているようなんだ」
 ディスク化したスタンドを取り出すとプッチは指に挟んで見せる。
「ほう……」
 興味深そうにディスクを眺めるDIOとプッチの後ろを横切って二人の邪魔にならないところへ移動した。静かにソファーへ腰掛けるとグラスの中のワインには口を付けず、手に抱えたままぼんやりと外を眺める。
(今日はたくさん遊んだなぁ)
 DIOの息子たちと一緒に歩き回ったおかげで疲れ果てていた。慣れない靴だったので余計だろう。スタンドの考察をし始めた二人から見えないところで夢主はそっと靴を脱いだ。
(明日はどこに行こう)
 なかなか決められずにいる夢主の耳に、ショーの音楽と二人が話す難しい会話が混じり込んでくる。
 DIOが決めた順番でいくと明日はギアッチョが護衛役だ。暗殺チームに属する彼らが誰かを護るなどおかしな話だが、DIOに命令された以上その任務を果たすしかない。
(買い物に付き合わせたらギアッチョ怒るかな)
 明日の予定に頭を悩ませているうちに目蓋は次第に降りていく。柔らかなソファーに全身を預けてしまうと力の抜けた手の中でグラスがゆらりと傾いた。それを見かねて手を伸ばしたのはプッチだ。
「おや、眠ってしまったみたいだね」
 グラスを取り上げそっとテーブルの上に戻す。遊び疲れた子供のように急激な眠りに落ちた彼女を見て彼は微笑んだ。
「子守りで疲れたのかな」
 あのけたたましい三人を相手に一日中遊んでいたのなら無理もない。プッチは同じく夢主を見つめるDIOの表情を窺った。
「何だもう寝てしまったのか? まだ夜は長いというのに」
 これ見よがしな溜息をつきながらDIOは夢主の髪に指を絡めた。大好きな風呂にも入らず着替えもしなかったのだから、よほどに疲れているのだろう……しかしDIOは面白くない。
「彼女を寝かせてあげなよ。長居して悪かったね。僕もそろそろ部屋に戻ろう」
 プッチはグラスの中身を飲み干し、空になったそれをテーブルに置く。
「仕方のない奴だ」
 親友の言葉を受けてDIOは眠ってしまった相手の背中と足に腕を回してゆっくりと抱え上げた。DIOの胸に頭をもたせかけ、小さな寝言をむにゃむにゃと呟いている。
 もしかして自分は気の利かないお邪魔虫だったのではないだろうか、寄り添う彼らを見てプッチはそんなことを思いつつソファーから立ち上がった。
「二人ともおやすみ。また明日」
「ああ」
 寝室の扉をくぐる二人を見届けてプッチも玄関先へと足を延ばす。
 人の気配が消えたリビングに鳴らない携帯電話だけが取り残されていた。


 青空の下、大きく窓を開けた車内にベガスの陽気な風が吹き抜けていく。その風に髪が乱されるのが嫌だったのかギアッチョは無言で窓を閉めてしまった。
「少しくらいいいだろ」
「そうだぜ、もっと開けてもいいくらいだ」
「……チッ」
 欠伸をするリキエルとウンガロの二人から文句を言われてギアッチョは仕方なく数センチだけ窓を下げた。
 ウンガロは窓にべたりとくっついて大通りの風景を忘れまいとしているようだ。
「クソ……眠てぇ……」
 ドナテロはウンザリとした顔で重たげなまぶたを擦った。車内に流れてくる風の心地よさにますます眠くなる。もう何度目になるか分からないほどの欠伸をついて彼は広いシートに体を沈み込ませた。
「まったく自業自得だよ。君たちはどこまで心配をかけさせたら気が済むのかな?」
 一見、穏やかな笑みを湛えているプッチだが彼は腕と足を組んで明らかに上から睨み付けている。
 夜が明けようかという頃、疲労を滲ませるテレンスとリゾットに連れられて三人はようやく帰ってきた。彼らはリビングのソファーにばたりと倒れ込んでそのままぐうぐうとイビキをかいて寝てしまったらしい。朝になってDIOを訪ねてきたプッチはそんな三人を無理矢理に起こし、それはそれは長い説教を眠気でふらつく彼らの頭に叩き込んだ。
「フン……」
 そんなこともあってドナテロはそっぽを向く。
「みんな無事で良かったね。えっと、ベガスの夜は楽しかった?」
 気が付けば隣にDIOが居るベッドの上で朝を迎えた夢主は、リビングから声を抑えつつも三人を叱るプッチの声で彼らの安否を知った。DIOは気にした風もなくプッチの手厳しい説教に笑うばかりだ。しかしこれ以上、叱られるのも可哀想だし、少しでも場の雰囲気を和ませたくてそんな事を聞いてみる。
「あー……まぁ……ねぇ?」
「おぅ……そりゃあ、なぁ?」
 リキエルとウンガロは曖昧な返事をしつつ昨夜を思い出すとにやけてしまう顔を片手で隠す。
「まさにあれこそ天国だろ」
 ニヤニヤと笑うドナテロに夢主は思わずギアッチョを見る。
「んだよ、俺じゃねぇ。メローネの奴だからな。こいつらを劇場に連れて行ったのは」
 ギアッチョはムスッとした顔で自分に非はないことを主張する。
「劇場?」
「何を鑑賞してきたのやら」
 小さな溜息を吐いたプッチは妖しい場所へ連れて行ったギアッチョをジロリと睨んだ。
「だから俺じゃねぇッ! あのクソメローネだって言ってんだろーがッ!」
 その視線が彼のキレやすい神経を逆撫でしたらしく、DIOが用意したリムジンの窓をギアッチョは叩き割る勢いで殴りつけた。
「わぁ!? ギアッチョ!」
 慌てて夢主が押し止めるとギアッチョは舌打ちをしてプッチから顔を背ける。
 態度は常に最悪。汚い言葉も平気で使う。彼がDIOの組織に属するスタンド使いでなかったらプッチはすぐさまディスクを抜き出していただろう。
(DIOの言葉はもっともだな。私ならさっさと始末するが……遊び半分な所もあるんだろう)
 遊びが本気になり、戻れないところまで進んでしまったらこのギアッチョという男はどうするだろうか。プッチはそれを思うと心なしか楽しくなり、それに付き合わされ巻き込まれるだろう夢主を思うと可哀想にも思う。
「……とにかく、君たちは随分と楽しんだようだ。帰ったらしばらくの間、教会の雑務を手伝ってもらうからね」
 それを聞いたDIOの息子たちの顔からにやついた笑みがサッと消えた。
「嘘だろ……」
「マジかよ〜」
「あーあ……」
 過ぎ去っていくベガスの街並みに彼らは重い溜息をつくばかりだった。


 大勢の人が行き交う搭乗口の手前で見送りに来た夢主とギアッチョを四人が振り返った。
「またな、夢主」
「いつでも遊びに来いよ。お土産、楽しみにしてるぜ」
「ダディをよろしくね。また手紙書くから」
「うん、三人とも元気でね」
 ドナテロ、ウンガロ、リキエルからお別れのキスとハグを受けて夢主も彼らを抱きしめ返す。最後にプッチが頬を寄せてふんわりとした抱擁を与えてくれた。
「DIOに楽しかったと伝えておいてくれ」
「はい、分かりました」
 素直に頷く彼女の頬を撫でてプッチは先に飛行機へ乗り込んだ三人の後を追う。彼が最後にちらりと振り向くと笑顔で大きく手を振る夢主と目があった。プッチはそれに片手を挙げて応える。
 彼の短くも有意義な休暇はそうして終わりを告げた。
 四人を乗せた旅客機が無事に飛去って小さくなって見えなくなると、夢主は背後のソファーで足を大きく広げて待つギアッチョの前に立った。どこからどう見ても不機嫌そのものだ。ギアッチョはムスッとした表情のままこちらを見上げてくる。
「ごめんね、長く待たせちゃって。でも付き合ってくれてありがとう」
「それが今回の仕事だからな」
 ギアッチョは護衛という任務に慣れていない。いつもはリゾットが下す命令に従って殺す相手を見つけ出し、状況に応じて追い詰めていけばいいだけだ。夢主がチームに来てからそうした命令はかなり減った。いや、わざと減らされているのだろう。
(相変わらず飼い殺し状態なんだよな)
 ギアッチョはのそりと立ち上がって夢主の隣に並ぶ。本当に護衛が必要ならばギアッチョ一人ではなく数人で護る方が確かだ。しかし、そこは常人とは違う彼らだからこそだろうか。スタンドがあれば銃を持った人間でも恐れることはない。ましてやギアッチョの装甲はほぼ無敵なのだから。
「ギアッチョ、お腹減った? 何か食べてもいいけど、その前にお店見てきてもいい?」
 そう言って夢主は空港内の免税店を指差す。女っつーのはどこに行っても同じだな、ギアッチョはそう思う。
「お前が行きたいところに行けばいいだろ。俺はただの護衛なんだし」
 夢主は「それはそうだけど……」と呟いてギアッチョの服の裾を掴んだ。
「二人で買い物に出た事ないでしょ? 折角だから楽しもうよ。出来れば仕事抜きで」
 そう言われた瞬間、ギアッチョの中で様々な感情が弾けて散った。それらをかき消したく思ってもこればかりは自分でもどうしようもない。
「クソッ!」
「ご、ごめんっ! そうだよね、仕事は仕事でちゃんとしないとリゾットに怒られるよね!」
 悪態をついて壁を蹴るギアッチョに夢主は怒らせてしまったのかと冷や汗を流す。
「違ぇよ、このバカッ!」
「え? 痛っ!?」
 強烈なデコピンを食らって夢主は額を押さえた。
「大体、お前の護衛なんて馬鹿馬鹿しくてやってられるかッ! 俺らのチームに居る以上、テメーの事くらいテメーで守れ!」
「は、はいぃ……」
「チッ! さっさと行くぞ!」
 ギアッチョは夢主の腕を掴むと、何事かとこちらを見てくる旅行客たちを押しのけて免税店にズカズカと入っていく。
「ちょっと待ってよ、ギアッチョ!」
 必死に追いかけてくるその様子を見て、ギアッチョは心の中でもう一度舌打ちをした。


 最初はとんだマヌケがやって来た、としか思っていなかったのに今ではどうだろう。
 あのリゾットと共に夢主が暮らし始めてから随分とチームの雰囲気が良くなった。暗殺チームという凶悪で単純明快なチーム名が今では冗談のようにすら思えてくる。
 しかしそれぞれが様々な事情でこの道に入った以上、もはや組織から抜け出すことは出来ない。ギアッチョにだってそれくらいは分かっている。スタンド使いは組織の中でも特に重要だ。それだけに力ある者が上を目指すのは当然だし、むしろこの中でしか存在意義を見出すことが出来ないだろう。
(今更、一般人に戻ってどーする?)
 あれこれとみやげ物を手に取る夢主の背後でギアッチョは辺りを埋め尽くす人々を眺めた。彼らにはスタンドが見えない。もしここでギアッチョがスタンドを出しても彼女以外には理解されず、店内を凍り付かせても単にパニックになるだけだ。
(夢主以外は、か)
 異性でスタンド使いを知ったのは彼女が初めてだ。前ボスの娘もそうだったらしいが、荒っぽく、常に死と隣り合わせなギャングの世界に限って言えば男のスタンド使いが圧倒的に多い。だからこそ女である夢主がスタンド使いで、しかもチームに配属されたときは驚きと戸惑いが隠せなかった。
「ギアッチョ、どっちのTシャツがいい?」
 そう言って見せてきたのはド派手なイラストと共にベガスの名前が描かれたとても日常では使えそうにないTシャツだ。彼女はそれの色違いまで引っ張り出してギアッチョに意見を求めてくる。
「どっちでもいいぜ。俺は着ないからな」
「ダメ? 格好いいと思うよ? ギアッチョなら似合いそう」
 クスクスと笑っているので本気で言っているとは思えない。
「買うならもっとマシなやつにしろ」
「はーい」
 素直にシャツを元の場所に戻して他のフロアへと歩いていく。ギアッチョはその後ろを着いて歩きながら夢主の背中を見てある事を思い出した。
 DIOの背中に付けられた爪痕……あれはもう、どう考えてもそういうことだ。あの色男にいいようにされているかと思うと自分でも理解しがたい複雑な思いがこみ上げてくるが、もはや他人が踏み込めない雰囲気が二人の中で出来上がってしまっている。
(クソッ、見せつけてくれるぜ!)
 単純に好きだと思った。全く飾ろうとしない夢主の態度が好ましかった。だが、知り合う前からすでに心を決めた男がいたのではどうしようもない。
「やっぱり無難に食べ物かな〜」
 のんきな声でベガスの街並みがプリントされた箱を見ている。中身はチョコレートのようだ。
「DIOってチョコ好きだったかな?」
「知るか。つーかそんなもん、わざわざここで買う必要あんのかァ?」
 呆れたギアッチョは夢主の額を小突く。さして痛くもないその攻撃にへらへらと笑ってばかりだ。
(大体、息子が四人もいるような奴を好きになるか?)
 DIOのあの性格だ。きっと認知もしていないに違いない。孕ませた女の顔すら忘れているだろう。ギアッチョは他人事ながら不快感が増すのを感じた。夢主だってそのうち捨てられるかもしれないというのに、本人は分かっているのだろうか。
「男の趣味が悪すぎんだよ」
 彼女がお菓子の種類に頭を悩ます後ろでギアッチョはぽつりと呟く。
 あれは本気で付き合ってはいけない部類だ。一夜の遊びくらいで楽しむべき者だ。どう考えても穏やかな家庭など築けそうにないことに思い至らなくてはならない。
「お前、遊ばれてるって事に気付かないのか?」
 今まで何度も口の中で転がしてきた言葉をギアッチョは今日も喉の奥へとしまい込んだ。
 夢主を傷つけたく思うのは幸せそうな彼女に対するただの妬みだ。
(わざわざ護衛を付けさせて、アジトに来てまで飯を食う奴が遊びなわけねぇか)
 恋人を暗殺チームという危険な所に置かせてまで一体何がしたいのか、DIOの考えはギアッチョにも分からない。
「チョコレート見てたらお腹減ってきた。ねぇギアッチョ、どこかでご飯食べようよ」
「お前なぁ……チッ、考えるのが馬鹿らしいぜ」
「え、ギアッチョもお土産選んでたの?」
「この馬鹿」
 勘違いをする夢主の額をもう一度小突いた。素早く避けることも出来ない彼女を見てやはりこの世界には向いてないと思うと共に、ギアッチョは何故か安堵すら感じてしまうのだった。




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