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あの日々からいつの間にか月日は流れ梅雨に入った。しとしとと降り続く雨を窓から眺める。シンっとした廊下には雑音はなく静かな雨音だけが茉莉香が唯一耳にする音だった。
そんな静寂を切り裂くようにガラリと扉が開かれる。そこから現れたのは花京院だった。

「あれ?茉莉香も来てたの?」
「うん。典明君も今日だったんだ」

あのエジプトの旅でジョースター一行は皆怪我を負った。その中でも重症だった茉莉香や花京院は未だにこうして財団での診察が続けられている。今まで診察時間が被ったことはなかったが、今日は偶然にも重なったらしい。

「結果はどうだった?」
「もう大丈夫だって。君の方は?」
「私も怪我はいいんだけどね、一応経過観察ってところかな」

肩を竦める茉莉香の顔には苦笑が浮かんでいる。彼女の怪我は酷かったものの既にその後遺症は残っていない。ただその傷に纏わるいくつかの事柄で呼ばれるだけだ。ある意味モルモットのような扱いと言ってもおかしくはない。それを知っている花京院も何とも言えない顔をした。

「ジョースターさんはなんて?」
「んー?おじいちゃんは嫌なら辞めてもいいって言ってるけど。まあ、財団には色々お世話になってるしこれくらいならね」

けらけらと笑う茉莉香には特に無理をしているような様子は見られなかった。それに少しばかり安堵しながら花京院は彼女に手を差し出す。キョトンとした彼女に微笑みかけて。

「良かったらお茶に付き合ってくれませんかお嬢さん」
「…典明君の誘いなら喜んで」

重ねられた小さな手を握りながら一回に設けられた喫茶店へと花京院は歩き出した。


「それにしても、雨止まないねえ」

うんざりとした声音で外を眺めながら茉莉香は呟いた。確かに雨は先程よりも威力を増しているようにも見える。

「雨は嫌いかい?」
「雨音も雨も嫌いじゃあないけど…洗濯物が溜まる一方だよ」

花京院はそういえば彼女たちの母、ホリィさんが最近旦那さんの公演に連れだって家を空けているという話を聞いたな、と思い出した。きっと家事は殆ど茉莉香任せなのだろう。そんな茉莉香からすると雨続きと言うのは確かに大事件なのかもしれない。
それにしても。自分の母親も同じようなことをぼやいていたのを思い出して、花京院は思わず笑ってしまった。それに茉莉香は口を尖らせる。

「君や承太郎にはこれのどこが問題なのか分からないみたいだね」

そう口火を切ると茉莉香は滔々と洗濯物が溜まることへの不満を述べていく。洗濯物が溜まれば着るものがなくなっていくし、では洗濯して部屋に干すとしても匂いが気になる。出来ることなら気持ちよく来てほしい側としてはこれは由々しき問題だ。
そんなことを言いたいだけ言うと茉莉香は気が済んだのか冷めた紅茶を一気に呷った。

「ふむ…確かに僕が考えているより大変そうだね」

花京院から言わせればただ着る側はそこまで深く考えてはいない。室内に干している以上外に干した時よりカラッと乾かないのは想像が付くし、それは家事をしてくれている人の責任ではない事も分かっている。ただ茉莉香の意見や、自分の母親の渋い顔を思い返せば同じような悩みを抱えているのは確かだろう。帰ったら一言でも日頃の感謝を伝えるべきだ。そんなことをつらつらと考えていると不意に茉莉香が花京院の手を掴んだ。
驚いて茉莉香の顔を見ると、クリッとした瞳がきらきらと輝いている。

「典明君はいい子だね…!」

自分より5つは下の少女に感慨深げにそう言われてどんな顔をすればいいのか。花京院が唖然としている内に茉莉香はまた愚痴ともつかぬ話を始めた。

「それに比べて承太郎は…!そんなの考えすぎだとか俺は気にしてないだとか…!そういう話じゃないっつーのに!!!」

苛立たしげに吐き捨てた茉莉香に花京院は苦笑してしまう。承太郎の言いたいことは彼にも分かる。そして多分あのぶっきら棒な青年の性格からして、それらの言葉は茉莉香の言い分を聞き流しているのではなく、全て彼女のことを思ってのことなのだろう。
普段なら茉莉香も人の機微に敏い子だから承太郎の思いやりが分かったかもしれない。しかし、家事を一手に引き受けている今の状況ではそれを分かってやれ、というのは酷だろう。
花京院が穏やかな笑みを浮かべているのを見て苛ついていた茉莉香も一息ついた。

「…承太郎の言いたいことも分かるけどさ、でもやっぱイラっとしちゃうんだよねえ」

一つため息をついた茉莉香の手を花京院は宥めるようにポンポン、と叩いた。それに困ったように微笑むと茉莉香が立ち上がる。

「さて、そろそろ帰ろうか」
「ああ…もう暗くなってきたから」
「送らせていただくよお姫様」

花京院の声に食い込むように茉莉香が続ける。その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。そんな彼女に花京院も何か反論しようかと思ったが、移動に関しては彼女の方が一枚上手である。結局よろしく王子様、と肩を竦めた。