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「お、来た来た!」

満面の笑みでこちらを見るラバーソールに引き攣った笑いが浮かぶ。…以前にも彼に熱烈な歓迎を受けたことがあるが、大概騒動に巻き込まれるのだ。少々身構えても致し方ない事だろう。

「何だよその顔!」
「いや、だって…ねえ?」

ラバーソールの隣に座るダン君に視線をやれば、小さく肩を竦められた。ほら、と言いながら向かいに座ろうとすると、そこじゃない!と言われてしまう。

「ここだよ、こーこ!」
「…なんでわざわざ狭い所に座らなきゃいけないのさ」

確かに長椅子に座るダン君とラバーソールの間には、丁度一人分の隙間が空いている。だからと言って、何故他に人が居ないのにそんな所に座らねばいけないのか。無視して座るが、ラバーソールは根気強く空いてるスペースを叩き続ける。お互い無言で見つめ合って、結局折れたのは私だった。

「で、一体なんなの…」

にこにこを通り越して、ニヤニヤしてるラバーソールから気持ちダン君の方に寄る。何も言わないラバーソールを怪訝に思っていると、肩を掴まれた。…ダン君に。
訳が分からずに顔を向けると、これまたにやりと笑ってダン君が近づいてきて。可愛らしい音と共に頬に柔らかな感触。

「…は?」
「あー!ダンちゃんずりい!」

呆然としていると、逆側から引っ張られて、ラバーソールの胸板に倒れこむ。慌てて顔を上げると、今度は逆の頬にキスされた。

「え?え?」
「さって!オレ執事さんにお菓子貰ってこよーっと!」
「私もコーヒーでも淹れてもらうかな」

頬を押えて唖然としている私に構うことなく、二人はさっさと出て行ってしまった。何が何だか分からずに一人取り残されて、頭を抱える。

「挨拶…?」

欧米なんかじゃ挨拶でキスをするのは日常茶飯事だ。イタリアに居た頃は普通に私もしてたし。しかし、今までそんなことはしていなかったし、そんな事をするタイプの人達でもない。残る可能性は…。

「…悪ふざけか嫌がらせか」

嫌がらせを受けるようなことはしていないし、どうせ悪ふざけの一環だろうが…。ラバーソールだけならともかくまさかダン君までやるとは。珍しいこともあるものだ。彼はどちらかと言うと傍観者として楽しんでいることが多い。大概実行は私とラバーソールで、叱られるのも私たちだ。

「ふむ…」

一体全体なぜこんな悪戯をしようと思ったのか。全くあいつの思考回路は謎だらけだ。とりあえず宙を仰いでいると、扉の開く音がした。緩慢な動作で見れば、ンドゥールさんが居た。

「どうもー」
「ああ、茉莉香か」
「そうでーす」

見えないと知りつつひらひらと手を振る。淀みない足取りで近づいてきたンドゥールさんが向かいに座る。

「ンドゥールさん」
「なんだ」
「さっきラバーソールとダン君が訳が分からない事してきたんですけど…なにか知ってます?」
「訳が分からないこと?」
「ええ」

説明をしようとしたその時、ンドゥールさんの杖が床に倒れてしまう。

「すまない茉莉香。取ってもらってもいいか」
「え?ああ、いいですけど」

腰を上げて机を回り込む。普段ならこれくらい自分でやるのに珍しいな、と思いつつ机の下まで転がった杖に手を伸ばした。掴んで、体勢を戻そうとする。

「取れました、よ」

はい、と杖を差し出した手を取られて、軽いリップ音。思わず持っていた杖を離してしまった。そんな私にンドゥールさんはニッと笑って。

「訳が分からない事、とはこのことか?」
「ええ、まあ」

予想外過ぎる彼の行動に変に冷静に返してしまう。ちなみに脳内は大混乱である。

「後でわかるさ」

そう言ってンドゥールさんは自分で杖を拾って颯爽と去って行った。
…やっぱり自分で見つけられるんじゃないか、なんて見当違いなツッコミをしながら、赤くなっているだろう頬に触れる。ああ、手が冷たくて気持ちいい。
…今までのことで分かったことは一つ。多分、これは館に居るであろう人物のほぼ大多数を巻き込んで行われているということだ。でなければ、あのンドゥールさんがあんなことする筈がない。…いや、面白そうだと思ったらしそうな気もするが!ただ私の頬にキスするなんてことに面白みがあるとは思えない。
頭を抱えて唸ること数分。こうしていても埒が明かないという結果に達する。こうなったら最後の最後まで付き合ってやろうじゃないか、なんて負けず嫌いな気持ちも混ざっているが。…これで種明かしとかなかったら殴る。ラバーソールが泣くまで殴る。
そんな物騒な決意を胸に、私は立ち上がった。