今泉くんと共に部室に向かう。
以前は、言葉がなくて気まずいと感じていた静かな二人の空気も、今は全く嫌じゃなかった。
それどころか、隣にいてくれる人の存在をこんなにありがたいと感じたことはなかった。
横を歩く彼の表情を見上げると、涼しい顔をしていた。
何を考えているのか、イマイチ読み取ることができない。
だけど、私のことを大切に思ってくれている、ということだけは、確かに感じられた。
私からは見上げる位の身長と、端正な横顔に、「どうしてこんな素敵な人が私のことを好きなんだろう」と思うと、ちょっと溜息が漏れた。
「どうした?」
今泉くんがこちらに目線を向ける。
ううん、と首を振ると、私の頭に手をポンと置いて、彼はちょっとだけ微笑んでいた。
部室に到着すると、幹ちゃんが「紬ちゃん!」と駆け寄ってきた。
「大丈夫?遅かったから、ちょっと心配しちゃった…」
「ごめんね、準備全部やってもらっちゃって。もう大丈夫だよ!」
いいのいいの!お互い様、と眩しい笑顔で笑う幹ちゃんに、私も釣られて笑顔になる。
「でも、何かあった?私でよければ、話聞くからね!」
私の両手をとってぎゅっと握ってそういってくれる幹ちゃんに、私はまたうるうると来てしまう。
「美しい友情は何よりだが、練習始めるぞ〜」
ロードに跨って準備万端の手嶋さんが、苦笑いしながら近づいてきた。
二人で、ハイッごめんなさい、とドリンクの籠を持って、通司さんの車に向かう。
「そうだ!今日、早速家に寄ってかない?」
「ご迷惑じゃなければ、是非!」
幹ちゃんに相談したかったけど、タイミングが合わずに話せていなかったから、ありがたい。
今日の鳴子くんとのことも、今泉くんを待たせていることも、ちょっと自分だけでは抱えきれない感覚があった。
幹ちゃんに話せば、少しは自分の気持ちも整理できるような気がする。
そう考えると、心が軽くなった。友達の存在ってすごい。
「なぁ。俺も行っていいか?」
「ごめんね、今日は幹ちゃんと二人で話したいから…。」
「そういうことで、今泉くん、ごめんね!」
私がおずおずと言うと、幹ちゃんが合わせてくれて、今泉くんは「分かった」と言いながら、ちょっとだけしゅんとしていたようだった。
申し訳ないけど、今泉くんたちのことを話したいのに、彼に居られては困る。
手嶋さんが今泉くんの背中をポンと叩く。
「フラれたな!今泉」
「手嶋さん…。縁起でもないこと言わないでください」
・・・
今日は隣町まで山間部を抜けて折り返すミドルライド。
ロードでぐんぐん進む彼らを、少し後ろから車で追いかける。
さっき、あんな傷ついた気持ちになったばかりなのに、鳴子くんが先頭にいないことを寂しく思う自分もいた。
先生の車が、鳴子くんと小野田くんを含む後続を待ってから追走するらしく、通司さんの車は先頭を走る今泉くんと、次いで走る青八木さんと手嶋さんを追いかけていく。
真剣にペダルを回す今泉くんの姿ばかり目で追ってしまう。本当に、彼はかっこいいな。
徐に幹ちゃんの携帯が鳴ると、先生の車に同乗していた古賀さんからだった。
「後続から、鳴子と小野田が抜けて、先頭に向かっている」とのこと。
うそでしょ?少なくとも、スタート時間に10分以上の差があったはずなのに。
鳴子くんって、小野田くんって、やっぱりすごい。
普段の練習から皆本当に真剣で、私たちマネージャーはその熱量に負けないよう、必死にサポートしている。
私も、悩んで、元気のない姿を見せて、選手たちに余計な心配を掛けちゃいけない。
部活の時は切り替えて、全力で集中しよう。
そして、二人の気持ちには、もっともっと、ちゃんと考えて答えを出さなきゃ。
幹ちゃんの「鳴子くん!」という声に振り返ると、
総北ジャージが上がってくるのが見えた。
「小野田くんも!」
車はペースを落とし、彼らを前に通す。
私が窓から興奮気味に、
「すごいね!二人とも」
と声を掛けると、
「おおきに!」
と鳴子くんがいつもの様子で不敵に笑う。
気持ちを切り替えると決めた矢先だけど、元気な表情を向けてくれて、正直ホッとする。
小野田くんは、
「いやぁ〜ボクは鳴子くんについてきただけで」
と謙遜している。
「大丈夫か?鳴子」
通司さんが運転席から声を掛けると、
「追いつかな、思って... 気張り過ぎましたわ...」
鳴子くんがペダルから足を下ろし、停まったかと思うと、ふら〜っと横に倒れた。
「「「「鳴子(くん)!?」」」」
車が停車すると、私は鳴子くんに駆け寄った。
通司さんは先方に先行ってろ、と叫ぶと、3人の了承の返事が聞こえた。
この時期になると、部員が熱中症等で倒れてしまうことはたまにある。
けど鳴子くんが練習で倒れるなんて見たことがないから、心臓がバクバクいっている。
「鳴子くん…」
赤い髪をかき分けて、おでこに手を乗せると、火照った身体と比べても更に熱いことがわかった。
「すごい熱…こんな状態で練習出てたの?!」
ハァハァと全身で息をする。
通司さんと小野田くんが木陰まで鳴子くんを運んでくれた。
先生の車だと横になれるので、少しの間休ませながら待つことになった。
通司さんが「どっちか付き添ってやれ」と言ったので、「じゃあ私が」と残ることにした。
「紬ちゃん、これ!」
と、幹ちゃんが手渡してくれた冷えたドリンクと冷えピタの入った冷蔵ボックスをありがとう、と受け取り、木陰に戻った。
・・・
頭の位置を少し高くした方がいいとのことで、恥ずかしながらタオル越しの膝枕をして、
私の着ていたウインドブレーカーを鳴子くんに掛けた。
冷えピタを剥がしておでこにのせると、「ちべた」とふざけた反応をしたので、ちょっと横になってだいぶ落ち着いたようだ。
「紬ちゃん…すまんなぁ」
「全然!マネージャーですから」
上目遣いで弱弱しく言う鳴子くんに気にしてほしくなくて、笑顔で答えると、彼は苦笑いしながら、目線を外した。
「そうやなくて。最近、ちゃんと笑われへんかった。紬ちゃんの前で。正直、避けてた。」
「嫌いに…なったのかと思ったよ…」
ぽつりと本音が漏れてしまう。
ぽたぽたと涙が零れて、とまらなくなった。
そんな私の恥ずかしい顔を見上げて、
「嫌いになるわけ、ないやろ」
と言うと、私の頬に手で触れて笑うと、彼は目を閉じた。
「大好きやで…」
スースーと規則正しい寝息が聞こえて、
ずっとこの時間が続いたらいいのに、と願った。