忍足謙也



「あなたには生きている価値なんてないのよ。」


小さい頃から母にそう言われ続けてきた。
早く死ねと遠まわしに言われ続けてきた。
消えろと何度も何度も言われ続けてきた。

だからいっぱい、体に傷をつけてみた。

悲しくなったり不安になったり、怖くなったり泣きたくなったり。そんなときは決まってペンケースの中に入れている細いカッターナイフを手首や腕や足やお腹や…いろんなところに滑らせた。
滑ったら赤い赤い線が生まれて綺麗、ソレで死ねるならどれだけ嬉しい事かと俺は笑えた。綺麗な赤にまみれて死ねる、綺麗な線に覆われて死ねる、綺麗だと思われながら死ねる…。

でも、笑わせてくれない人が傍に居る。


「また切ってもうたんか?」


耳になじみすぎた声、つい反応して瞼がゆらりと揺れては闇を追いやっていく。緩やかに上げた瞼、その奥にある二つの眼球は見慣れた指先を映しこんだ。カサカサしている、荒れている指先。でも爪は整っていて誰かを攻撃する気がなさそう、いざというとき役に立たなさそうな爪。
そろり、視線を上げてみた先、いつもの光景。ふわふわの髪の毛は鉄錆の匂いが似合わない。でも持ち主、謙也の笑顔には似合っていた。
どうにも床に倒れこんでいるらしい俺の肩を抱き上げ、無理やり座らせられる。あぁ頭が重くてぐらぐらする。耳元で謙也が「大丈夫なん?」と問うけれど、大丈夫ではないからぐらぐらする頭でゆらゆら首を振った。


「電話してもでぇへんから来てみれば…案の定っちゅーやっちゃ。」
「…でんわ、しらない…。」
「玄関にカバン置きっぱなしやったで。」


ほら、とカサカサの指が指したのはリビングにあるソファの上。俺の学生鞄がぽっかり口を開けて何かを言いたそうにしていた。というか…アレ、ここはリビングなんだ。
謙也がさっき『また切った』と言っていた、そういえばそうだった気がする。意識がなくなる直前の記憶は曖昧で、思い出そうと意識を覚醒させていけば急に痛んだのは左腕。じわじわ、浸食するような痛み。虫にでも噛みつかれているのではないかという断続的な痛み。
でもその痛みで思い出す、あぁそうだ。母から電話が来て相変わらず罵声を浴びせられたんだった。
それが嫌になって帰ってそうそうやったんだ、切ったんだ。我慢できずにやったんだ、切ったんだ。
なんて弱い自分なんだろう…失笑しながら左腕を見れば白い包帯がすでにぐるぐると巻かれていた。ワイシャツは真っ白でも真っ赤でもなく、葡萄色に近しい重苦しい色に染まっていた。床は、きっと謙也が片づけたのだろう…どこにも変化が見れなかった。


「あぁ…手当しといたで。結構深く切ったんか?後で病院いかなあかんレベルやで。」


不思議そうにあたりを見渡していた俺に少しくぐもった声でそう言い、肩を抱いていた手は包帯の上へ落りた。ここにあった、と指先はツツリ…と俺の手首の下から肘へ向け撫でる。そういえばそうやって切った気がしなくもない、やっぱり曖昧で思い出そうとしても頭が揺れる。
久々だ、こんなにも不安定なのは。いつもならもう少ししっかり記憶しているし深く切ったりなんかしないのに…やっぱり理由が理由だからなのかもしれない。

カチコチ、と時計の秒針の音しかしなくなったリビング。起きたばかりで体温が低い俺は無意識に謙也にすり寄った。学校から帰ってきてすぐに会いに来てくれたんだろう、制服姿の彼は少し汗の匂い。
生きているんだね、汗をかくということは。謙也が生きている、俺の傍で今も生きている。息をして汗をかき心の音を鳴らし瞼を上げ下げし脈を跳ねさせ熱をもてあまし…生きている。


「慎、もうやったらあかんで。」
「わかんない、約束してやめれるんなら昔にやめていると思うし…。」


歯切れの悪い俺に「なんやて?」と笑いながら頭を撫でてくれる、労わるように優しく撫でてくれる。守ってあげるといわれているような手に俺は…心臓が少し冷えた。
ここ数年間、何かにつけて自傷行為を繰り返す俺のことをずっと治療しケアしてきた謙也。手間のかかる割に得られるものなんかない俺の世話をし続ける。
それは優しさからくるものじゃない、ソレを俺は知っているよ。だからきっと謙也と約束してもやめられないんだと思う。

本当は嬉しいんでしょ?俺が自傷行為を繰り返すこと。やめないこと。やめられないこと。


「大丈夫やで、慎の面倒は俺が見たるから。」


その分、俺を独り占めできると思っているんでしょ。

俺の顔を覗き込むその笑顔、柔らかくて穏やかなのに暗い匂いが漂う。水底に何を沈めているの?俺の血液で出来た泉に何を隠しているの?
カチコチ、時計の秒針が何食わぬ顔で仕事を続けていく。鉄錆の匂いの中でも歪んだ俺たちの関係を目の当たりにしても無慈悲に仕事を続けていく。それは止まらないカウントダウン。
謙也が本当のことを言うまでの、世界が変わるまでのカウントダウン。

「さ、着替えよか。」そう言う唇がいつもより赤いこと、見つけたけど何も言わず頷いた。ほんのり湿り気を残しているワイシャツを脱ぎ捨てるほうが先だ。徐々に思考が普通に寄っていく、頭の重みを取り除けは普通になっていく。
立ち上がろうと、体を謙也から離した。触れ合っていた場所に少しだけ色がついてしまったけど謙也は気にしないで俺の手を引いた、少し強引に、手を引いた。


「慎は俺が居らんと死んでまいそうで怖いわ。」


言い訳するみたいな、言葉吐いた謙也。そっと赤い唇で俺にキスをした、思った通り…鉄錆の苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い…舌が壊れてしまいそうな、味がした。
それは俺のセリフなんだけど。
吐き出しそうになった言葉、吐き出さなかったのはキスがあまりにも苦かったせい。そういうことに今は、しておこう。




死ぬ夢を見たんだ。
(君がいない世界だった)




カチコチ、変わらないのは時計の秒針だけ。
空気は鉄錆の匂いから冷めた生活臭に変わっていったけれど、それでも時計は変わらない。
着替えどころか風呂も終えた、そうしたら体は気だるく、頭は重い、何をするにも動くことができなくなった俺はソファに横になり静かに瞼を下す。そうすると左腕の痛みがゆっくり感覚を支配していく。
きっと包帯の下は綺麗な赤い線がいるのだろう、見たい、触れたい、血を流したい、溺れたい、血だまりに浸りたい、誰もいない世界へ行きたい、俺が何をしても怒られることがない世界へ。


「慎?」


それが出来たら、謙也だって目を覚ますのに。俺なんか死んで当然だったんだと気づいてくれるはずだ、そうでしょ?

謙也は俺のことを謙也がいないと生きていけない生き物だと思っているんでしょ?違うよ、それは謙也のほうだ。
謙也は俺がいないと生きていけないんでしょ、必要としてくれそうな人がいないと生きていけないんでしょ?
知っているんだよ、だから俺は生きてあげる。だから俺は死にたがってあげる。俺は俺の生死なんてどうでもいいけれど…謙也が死ぬってことを考えたら、心が空っぽになってしまうよ。

薄く開いた視界の先、謙也が笑っているのに悲しそうな瞳で俺のことを見ていた。だから包帯を巻いている手を伸ばしてあげた。ちゃんと抱きしめていて、俺がするりと死んでしまわないように気を付けてね。

謙也の体温、暖かくて心地よかった。


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ハッピーエンドだね(白目)
自分がいないと
死んでしまうんじゃないかという
依存症。
お互い思い合っているね(白目)

でも狂愛にしては
明るい感じになった
と思って…いいよね?

アンケート第2位
忍足謙也でした。
たくさんの投票
本当にありがとうございました!


2015,07,03


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