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 平山   

目を覚ました途端、下半身に違和感を感じて顔をしかめた。微かに身動ぎをすれば、はりつめた自分自身と下着が擦れる感覚がある。触らずとも、勃っているのがしっかりとわかった。
思考を巡らせば薄ぼんやりとだが、煩悩まみれの酷い夢を見ていたような気がする。彼女を裸にひんむいて、口に出すのも憚れるようなことをしていたような……。じわりじわりと夢の内容が蘇り、下半身にますます血が昇る。唇を噛み締め目を閉じて、深く息を吐く。心臓が、煩く脈打っている。朝立ちは、別に初めてのことじゃない。なのにこんなに動揺しているのは、夢の中で滅茶苦茶にした女が、今この部屋にいるからだ。
「――あ、幸雄さん、起きられましたか?」
部屋の隅にそなえつけられた小さな台所で朝食を作っていた女が、ため息の声に気がついたかこちらを振り向いて微笑んだ。
「あ、ああ……」
「おはようございます」
もう少しで朝御飯できますからね。卵焼きが綺麗に巻けたんですよ。嬉しそうに言いながら、彼女は小さな食器棚から二人分の皿を取り出す。平山は身動きできぬまま、天井を眺めている。
「……幸雄さん、起きられないんですか?」
起きたくても起きることが出来ないのだ。今布団から出れば、確実に“おっ勃っちまってる”のがばれてしまう。
どう誤魔化すかと思いながら曖昧に「ああ……」だとか言っていると、彼女は神妙な顔をして皿を台所のまな板の上に置くと、彼の布団の横に正座をして顔を覗きこんだ。大きな瞳が間近にある。甘い香りがする。あまりにも気恥ずかしく、直視することができなくなり、彼はふいと彼女から目を逸らした。
「どうかされたんですか?」
その通りなのだが、正直に言えるはずもなく、彼は口を閉ざすばかりだった。その様子を見、何を勘違いしたのか彼女はさっと顔を曇らせた。
「……もしかして、体調が悪いんですか?」
「あ、ああ……そうなんだ」
「大変……!」
彼女は素っ頓狂な声を上げて、指の背でそっと彼の頬に触れた。
「言われてみれば、ほっぺたが少し赤いです……耳も、熱い」
滑らかな手がそっと肌を撫でる。そんなことですら今の彼には堪えきれないほどの刺激となって襲いかかった。
「――っ」
「体温計持ってきます」
「いや。いい……いいんだ」全身に必死に力を入れているせいで、彼の声は苦しげに掠れた。「そんなに大したもんじゃない。少し寝りゃ治るだろうから……」
「でも……」
彼女はどうしようどうしようと呟いておろおろと視線を彷徨わせる。思えば、二人で暮らし始めてどちらかが寝込んだことなど一度もなかった。慣れない事態に混乱しているのだろう。こんな嘘、吐くべきじゃなかった……罪悪感がやってきたが、だからと言って本当のことを言うわけにもいかない。心は痛むが、ここは誤魔化し通すしかない。そう考えて、無理矢理自分を納得させた。
「お粥、作りますね。あっ、卵酒も……」
「わざわざそんなのいい」
彼は慌てて言った。余計な手間はかけさせたくない。
「上手く焼けたんだろ? 卵焼き。後で食う。お前は先に食ってろ」
彼女は少し考え込むように俯き黙り込むと、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ、私も後から食べます。幸雄さんが眠られるまで、ずっと側に居ます。手、握っています」
大真面目な顔でそう言うものだから、彼は何だかくらくらと眩暈がしてきた。そんなことをされたら、治まるものも治まらない。
「い、いいからお前は先に飯食ってろよ」
彼女はしばらく「でも……」と渋っていたが、やがて「……わかりました」と頷いた。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
「ああ」
彼は細く息を吐いた。彼女が飯を食っている間、大人しくしておけばじきにこれも治まるだろう。もしもどうしようもなければ彼女の目を盗んで便所へ駆け込まねばならないが……出来うるならあまりやりたくない。ああ、とにかく冷静にならなければ。呼吸を整えて……。
「……幸雄さん」
何だ、と答えるよりも速く、彼の耳にふっと暖かな吐息が吹きかかり、次いで頬にやわらかなものが押し当てられる感覚があった。彼女が口付けたのだ、と理解する前に、全身の緊張がふっと解け、弛緩した。同時に、頭の芯がかっと熱くなり、腰の辺りがぶるりと震える。
「早く良くなってくださいね……。幸雄さんはいつも元気でいてくださらないと、私、嫌です」
彼女の声が、どこか遠くに聞こえた。彼が赤い顔でこくこくと頷くと、彼女はまだ少し不安げな様子のまま、立ち上がり台所へと戻っていく。
彼は震えた吐息を吐き出した。耳が、燃えるように熱い。下着には、微かに濡れたような不快感がある。だが自分自身は相変わらず、というより、益々酷くなっている。
彼女という、いきなり突拍子もないことをするこの世で一番愛しい女がこの部屋に居る限り、俺はきっとこれからも度々布団の中から出られなくなる朝が訪れるだろう。そう思って、彼は片手で顔を覆って何とも情けない唸り声をあげた。

 [起きられない朝]
2015/12/23

 平山   

「ゆきおさん……」
「ん?」
読んでいた夕刊から顔をあげ、隣に座る女を見る。窓から差し込む夕日のせいか、彼女の頬は赤かった。
「あれ、してほしい、です」
「え?」
「あの、ほら、この間……夕方、してくださった……えっと……」
「?」
彼女は縮こまり、自分の膝を見つめながら吃りがちに言う。
「そ、その、く……唇、を、くっつける、あれです……」
どうやらキスのことを言っているらしい。平山は眉をひそめ、新聞を畳むと卓袱台に置いた。
先日、二人は初めて口付けをした。この小さな部屋で、窓から見える夕暮れの空を眺めながら、触れるだけの優しいキスを一度だけ。
驚いたことに、この女は口付けと言うものの存在をその時まで知らなかったらしい。一瞬だけのキスが終わった後、彼女は急に立ち上がると真っ赤な顔を掌で押さえて、「何ですか今の……!」と素っ頓狂な声をあげたのだ。驚きつつも一応律儀に、愛情を表現するやり方の一つだと教えてやると、「口って、ご飯を食べたり言葉を発したりするだけじゃなかったんですね」と目を丸くさせていた。
無知だなと笑うことは、彼には出来なかった。彼女は今まで親の愛情にろくに触れられぬまま生きてきたという。暴力を振るわれたことはなかったが、家に居ても居ないもののように扱われ、ほったらかしにされて生きてきたというのだ。だから、信愛のための戯れのような優しいキスすらされぬまま、教えられぬままで育ってきたのだろう。そう思うと、ただただ哀しくて、こいつを今以上に大切にしてやらなければと心から思った。
「幸雄さん……駄目ですか?」
彼女が不安げな瞳を彼へと向けている。彼は頬を掻きつつ、「いや……わかった。やってやるよ」と答えた。
彼女は、平山との距離を詰めると彼の服の裾をきゅっと握り、上目使いで見つめてくる。視線をどこに定めればよいのかわからないらしく、瞳はきょろきょろと忙しなく動いている。
彼が彼女の頬に触れると全ての動きがぴたりと止まった。顔を近付け、唇にそっと触れる。あたたかく、やわらかな感触が、脳を焦がし、体を熱くさせる。彼女の甘い吐息が、耳に絡み付く。
顔を離すと、彼女は目を細め、名残惜しそうに自分の唇に指を這わした。
「幸雄さん……」 頬をあわく桜色に染めて、彼女は遠慮がちに言う。「 もう一度、したいです」
言われるがままに、再びキスを落としてやる。触れるだけのささやかな口付けではあったが、普段は全く我儘を言わない彼女がキスをねだっているという状況に、自分の中でじわじわと興奮が昂っていくのを、彼は感じていた。呼気が浅く、熱くなっていく。このまま舌でこの唇をこじ開けてしまいたい。この女を押し倒して抱いてしまいたい。そう強く思う。けれど、先日口付けを覚えたばかりの女にそんなことは早すぎるだろう。怖がらせるに違いない。彼は先程よりも短くキスを終わらせると、彼女から顔を背けて興奮に僅かに速くなった呼吸を整えた。けれどそんなことなど知らない彼女は、彼の服の裾を再びくいと引っ張る。
「幸雄さん、もっと……」
ねだってくれるのは、嬉しい。嬉しいが、このままでは彼女を襲いかねない。彼は聖人ではない。ただの男なのだ。理性のタガが外れないとは言い切れない。
「……よっぽど気に入ったんだな」
「はい……」彼女は言って、照れくさそうに微笑みを溢した。「ただ口が触れるだけなのに、どうしてこんなにふわふわするんでしょう……」
「……」
「凄く……気持ちがよくって、癖になりそうです。ううん、もうきっと、なっちゃってます」
「そ、そうか……」
「ゆきおさん……」
頼むからもうこれ以上喋らないでくれという気持ちと、もっと聞きたいという気持ちが彼の中で闘っている。
「幸雄さん、わたし、お夕飯の準備をし始める時間になるまで――夕日が沈みきるまで、幸雄さんと“これ”、してたいです」
ああ、どうにか理性を保っていられたらいいのだが……。思いながら彼は小さく頷くと、彼女の体を抱き締めて、また優しいキスをしてやった。

 [優しいキスをもう一度]
2015/12/22

 平山   

部屋の中に、暖かなあさげの匂いが満ち満ちている。大根とわかめの入った赤味噌の味噌汁とめざし、それから葱がたっぷりと混ぜられた卵焼きが、部屋の端に寄せられた卓袱台の上で白い湯気をたてている。ベランダに続くガラス戸は、外と中の気温差のせいで結露していた。
ヤカンをコンロの火にかけ、急須に茶葉を入れると、平山は布団にくるまりおだやかな寝息をたてている女へと視線を向けた。
「朝飯出来たぞ」
呼び掛けてみるが、布団のかたまりからはなんの反応も返っては来ない。
彼は呆れたような息を吐いて、彼女の枕元に座り込むと顔を覗き混んだ。頬はあたたかそうな桃色に色付いて、唇はやわく弧を描いている。幸せそうな寝顔だ。
「昨日大根の味噌汁食いたいって言ってたろ。時間かけて火通したから柔らかくて旨いぞ。味もよく染みてる」
彼の声が聞こえているんだかいないんだか、彼女は白い喉を微かに震わせ気だるげに唸る。
二人で暮らし始めた最初の頃、「先に起きた奴が朝飯を作る」という決まりを一応は作っていた。だが彼女は朝に酷く弱くいつまでたっても布団の中にこもって中々出てこないものだから、大抵は彼が朝食を作った。この頃は特に、朝冷え込むものだから彼女を起こすのには難儀している。
「朝御飯は幸雄さんが作ってくださったから」と彼女は夕飯を作るので、結局実質的には朝食は彼、夜は彼女の担当になっている。昼食は二人で狭い台所に肩を並べて作った。
一人で暮らしていた時期が長かったし、彼の作った物を旨そうに食っている姿を見ると何とも言えず幸せな心地になるから、朝早くから飯を作ることは別に苦ではない。
彼女の間の抜けた、無防備な寝顔を見ることができるのも好きだった。今日の彼女は、何か食っている夢でも見ているのか、小さな唇がもごもご動いている。微笑ましくなってふっと息だけで笑うと、それが睫毛を撫でてしまったらしく、彼女は眉をしかめて身動ぎをする。慌てて彼は自分の口を片手で覆う。起こそうとしていた筈なのに、目覚めようとすれば慌てるなんて、矛盾している――。自分の行動に苦笑した。
ヤカンの口から白い蒸気が吹き出し、蓋はかたかたと鳴り始めている。平山はそれでも、ずっと彼女を見つめていた。
幸福だった。春の夜には桜を見に近くの公園まで出向き、夏には隣人から貰ったスイカを食べすぎて夕飯の入らなくなった彼女に呆れて、秋は落ち葉を拾って押し花にして栞を作った。冬は暖房器具なんか持っていないから二人して毛布にくるまって、本なんかを読んで過ごす。素朴だが、満たされた暮らしだ。
彼は彼女のやわらかな髪を撫でた。
幸せだった、とても。けれど彼は時々、それが酷く恐ろしくなる。
平山という男は楽観的な性格ではない。だから、この幸福な生活がいつまでも続くものではないということを、きちんとわかっている。彼女は度々、彼に対して「ずっと一緒に居ましょうね」と言うが、その度に胸が苦しくさせられる。明日にでもどちらかの身に何かがあるかもしれない。仮に平穏無事に人生を過ごし、二人が爺さん婆さんまで生きることができて共に居られたとしても、結局はいずれ死に別れる時が来るのだ。“永遠にずっと”なんてもの、この世にありはしない。この夢のような暮らしはいつか終わる。そんなことを、幸せな暮らしの中でふと思い出し、その度に虚しい心地になる。他の女と一緒に居た頃、こんな悩みで不安になるなど一度もなかった。この女だから、この女との暮らしがあまりにかけがえのないものだからこそ、もしも失った時のことをつい考えて怯えてしまうのだ。
いずれ必ず訪れる別れの為に彼はこうやって、彼女の眠っている時、その姿をじっと眺めるのが習慣となった。睫毛の長さや耳の形、唇の色やほのかに甘い彼女の香りを、全て記憶に焼き付けるように。いつか離れ離れになる時の為の準備を、彼はしている。哀しい準備を。
未来の心配ばかりをして今の幸せを心から楽しめないなんて、本当に面倒な性格だと思う。それでも、どうしようもない。
暫くそうしていると、彼女の目蓋がひくりと動きだし、やがて細く目が開かれた。
「ゆきおさん……?」
ぼんやりとした声が彼を呼ぶ。
「ああ……。おはよう」
おはようございます……。そう呟いた二、三秒後、彼女は「あ!」と叫びながら勢い良く跳ね起きた。
「私、また幸雄さんより遅く……! 朝御飯は……」
「もう出来てる」
彼は肩を揺らし笑って、彼女の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「後は茶淹れるだけだ。早く起きろ」
「ごめんなさい……。お茶だけでも私が淹れますね」そう言って布団から出、ふらつきながら立ち上がる。彼女は大きく伸びをして、卓袱台の上を見やると、わあ、と歓声を上げた。
「おいしそうですね。幸雄さんの作る卵焼き、私大好きです」
そう言って微笑みかけるものだから、たまらなく愛おしくて幸福で、そうしてとても切なく胸を締め付けられて、彼は立ち上がると彼女の体をきつく抱きしめた。

 [君の眠る間に]
2015/12/22

 平山   

寒さに目が覚めた。カーテンの隙間から覗く空はまだ暗い。枕元の時計を見れば、いつも起きる時刻よりまだ少し早かった。彼女は目を擦りながら、隣の布団で眠る平山に視線をやった。白い髪が、常夜灯に照らされ紅茶色に染まっている。耳を澄ませば、規則正しい寝息が聞こえる。彼の寝顔をじっと見つめていると、彼女の胸にふといたずら心がわいた。
目を覚ました時、おんなじ布団に私が居たらきっと驚くだろうなあ。彼の狼狽する顔を想像して、彼女は声を出さずにくつくつ笑った。普段は貞淑で大人しい女だが、時々こんな幼い子のような戯れをしたくなることが、彼女にはあった。冬に外から帰ってきたばかりで冷たくなった手を彼の首筋に押し当ててみたり、他の女性と話していたら拗ねたふりをしてみたり、彼が料理をしている最中、背中に抱きついて離れなかったり……。普段は冷静で、彼女を引っ張っていってくれる彼が慌てる顔を見るのが好きなのだ。
ゆきおさん。小さく彼の名を呼ぶ。返事が返ってこないのを確認して、彼女は自分の布団から抜け出すと、彼の布団を捲りあげ、さっとその中に忍び込んだ。彼が微かに眉をしかめ、唸り声をあげたが、すぐにまた穏やかな呼吸に戻った。
彼女は微笑みながらその寝顔を見つめ、平山の寝巻きの袖を摘まむ。指が、緊張で少し震えていた。
寝巻きに触れるだけでは物足りなくて、今度は彼の手に自分の掌をそっと重ねた。それだけで、耳がかっと熱くなるのを感じる。頬は林檎色だ。
犬みたいに側にすり寄って、彼の匂いをいっぱいに吸い込んだ。使っている石鹸は同じだが、平山の場合は香水だとか整髪料だとか煙草の香りが複雑に混じりあって、不思議な香りがする。けれど彼女はその匂いが好きだった。彼の香りを感じる度に、心から安心する。心から、このひとと出会えてよかったと感じる。
ゆきおさん、そっと呼んで、彼女は彼の頬に口付けた。もう一度、今度は目蓋に。それから額に。随分疲れているのだろう、それだけ沢山のキスを降らせても、全く起きる気配がない。最後に、部屋の温度で少しひんやりとした彼の唇に口付けをすると、再び彼女に眠気が訪れた。あともう少し眠ろう。彼女は大きくあくびをして、彼の横で猫のように丸くなって眠りについた。

(「うわっ」という素っ頓狂な声が彼女の今日の目覚ましになる)

 [あなたの眠る間に]
2015/12/13

 平山   

全身が熱を持っている。噴き出した汗に肌がじっとりと濡れている。乱れた髪が額に張り付いていて鬱陶しいが、それを払いのけることもせず、目蓋をそっと閉じて静かに快感の余韻に浸っていた。――ゆきおさん。わたあめみたいなふわふわの甘い声で名前が呼ばれ、彼は気怠げに細く目を開く。腕の中に閉じ込めた小柄な女は、火照って林檎色に染まった頬を平山の裸の胸に押し当てていた。呼吸が、まだ少し乱れている。
「……平気か? 痛くなかったか」
今夜、彼は彼女を初めて抱いた。
抱く前は、経験のない彼女を出来る限り気遣おうと思っていた。けれどいざ抱いた途端、理性なんか簡単に吹っ飛んでしまった。体の相性が、想像もしていなかったほどに良かったからだ。どの部分に触れてもひくひく震えて身をよじる姿は愛おしく、必死に我慢しようとしてそれでも漏れる声を聞くだけで腰の辺りが刺激された。彼女の中は温かく、ぎゅうと彼自信を強く締め付け、目の前がちかちかと明滅して……気遣うなんて余裕はとても持てそうになく、ただただ必死に掻き抱いて、貪った。酷く自分勝手な抱き方だったと、終わった今になってゆっくりと後悔の波が訪れている。
けれど彼女は首を横に振り、静かに微笑んだ。
「平気でしたよ。……はしたない声、沢山出てしまってごめんなさい」
「……あ、謝ることじゃねえよ、そんなこと」
「でも、私恥ずかしくって……」
そう言って俯いた彼女の腹から、くるる、と小さな動物の鳴き声のような、可愛らしい音が聞こえた。腹の虫がなったのだ。彼女はますます頬を赤くさせて縮こまった。彼はふっと笑い、やわらかな頬を軽く抓る。
「眠ってろ。何か作る」
「いいですよ。我慢しますから」
「無理しなくていい。待ってろ」
彼女の返答を待たずに布団から出て、服を着ると平山はキッチンへ向かった。味噌汁と、握り飯でも作ろう。そう思い、コンロに火をかけ湯を沸かし、夕飯の残りの冷や飯に、以前彼女が漬けた梅干しを入れ握りはじめる。湯が煩く音をたて沸騰しはじめた頃、突然彼の背にふわりとぬくもりが飛びついてきた。鼻腔を微かに汗の香りを孕んだ花の匂いがくすぐる。振り向けば、彼女が背中に顔を埋めていた。
「……どうしたんだ」
先程肌を重ねたばかりでこんなにも急に密着されるのは心臓に悪い。しかも、よくよく見てみれば裸にブラウスを一枚羽織っただけの格好だ。声が上ずるのを何とか堪え「眠ってろよ」と言えば、背後の彼女は震えた声を絞り出した。
「わ、わたし……」背に触れる小さな手は服越しでもわかるほど燃えるように熱い。「さっきまでずっと、幸雄さんとくっついて、つ、“繋がって”いたから、離れちゃうと……な、何だか、寂しくって……」
「なっ……!」
あまりの殺し文句に、流石に動揺を隠せなかった。体が熱を持ち始め、声は掠れる。体が、再びこの女が欲しいと疼き始めている。
「そういうこと言われると……また、すぐにでもお前のこと抱きたくなる……」
そう言った彼の唇に、やわらかなものが押し当てられた。それが彼女の唇だと気が付いた時にはすでにぬくもりは離れていて、最愛の女は真っ赤になりながら、俯きがちに彼の服の裾を引っ張っている。彼は米粒でべたついた手を洗うと、静かに息を吐いた。
「……飯、食わなくていいのかよ」
「いいんです……」静かに答えると彼女は微かに笑みを見せた。「ご飯を食べるの、とっても好きですけれど、幸雄さんに食べられる方が、私は好きみたいです」
……腹減っても知らねえぞ。ぶっきらぼうにそう言うと彼はコンロの火を消し、小柄な体を抱きすくめると台所の冷たい床の上に倒れ込んだ。

 [食べることよりすきなこと]
2015/11/14

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