▼ 平山
目を覚ました途端、下半身に違和感を感じて顔をしかめた。微かに身動ぎをすれば、はりつめた自分自身と下着が擦れる感覚がある。触らずとも、勃っているのがしっかりとわかった。
思考を巡らせば薄ぼんやりとだが、煩悩まみれの酷い夢を見ていたような気がする。彼女を裸にひんむいて、口に出すのも憚れるようなことをしていたような……。じわりじわりと夢の内容が蘇り、下半身にますます血が昇る。唇を噛み締め目を閉じて、深く息を吐く。心臓が、煩く脈打っている。朝立ちは、別に初めてのことじゃない。なのにこんなに動揺しているのは、夢の中で滅茶苦茶にした女が、今この部屋にいるからだ。
「――あ、幸雄さん、起きられましたか?」
部屋の隅にそなえつけられた小さな台所で朝食を作っていた女が、ため息の声に気がついたかこちらを振り向いて微笑んだ。
「あ、ああ……」
「おはようございます」
もう少しで朝御飯できますからね。卵焼きが綺麗に巻けたんですよ。嬉しそうに言いながら、彼女は小さな食器棚から二人分の皿を取り出す。平山は身動きできぬまま、天井を眺めている。
「……幸雄さん、起きられないんですか?」
起きたくても起きることが出来ないのだ。今布団から出れば、確実に“おっ勃っちまってる”のがばれてしまう。
どう誤魔化すかと思いながら曖昧に「ああ……」だとか言っていると、彼女は神妙な顔をして皿を台所のまな板の上に置くと、彼の布団の横に正座をして顔を覗きこんだ。大きな瞳が間近にある。甘い香りがする。あまりにも気恥ずかしく、直視することができなくなり、彼はふいと彼女から目を逸らした。
「どうかされたんですか?」
その通りなのだが、正直に言えるはずもなく、彼は口を閉ざすばかりだった。その様子を見、何を勘違いしたのか彼女はさっと顔を曇らせた。
「……もしかして、体調が悪いんですか?」
「あ、ああ……そうなんだ」
「大変……!」
彼女は素っ頓狂な声を上げて、指の背でそっと彼の頬に触れた。
「言われてみれば、ほっぺたが少し赤いです……耳も、熱い」
滑らかな手がそっと肌を撫でる。そんなことですら今の彼には堪えきれないほどの刺激となって襲いかかった。
「――っ」
「体温計持ってきます」
「いや。いい……いいんだ」全身に必死に力を入れているせいで、彼の声は苦しげに掠れた。「そんなに大したもんじゃない。少し寝りゃ治るだろうから……」
「でも……」
彼女はどうしようどうしようと呟いておろおろと視線を彷徨わせる。思えば、二人で暮らし始めてどちらかが寝込んだことなど一度もなかった。慣れない事態に混乱しているのだろう。こんな嘘、吐くべきじゃなかった……罪悪感がやってきたが、だからと言って本当のことを言うわけにもいかない。心は痛むが、ここは誤魔化し通すしかない。そう考えて、無理矢理自分を納得させた。
「お粥、作りますね。あっ、卵酒も……」
「わざわざそんなのいい」
彼は慌てて言った。余計な手間はかけさせたくない。
「上手く焼けたんだろ? 卵焼き。後で食う。お前は先に食ってろ」
彼女は少し考え込むように俯き黙り込むと、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ、私も後から食べます。幸雄さんが眠られるまで、ずっと側に居ます。手、握っています」
大真面目な顔でそう言うものだから、彼は何だかくらくらと眩暈がしてきた。そんなことをされたら、治まるものも治まらない。
「い、いいからお前は先に飯食ってろよ」
彼女はしばらく「でも……」と渋っていたが、やがて「……わかりました」と頷いた。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
「ああ」
彼は細く息を吐いた。彼女が飯を食っている間、大人しくしておけばじきにこれも治まるだろう。もしもどうしようもなければ彼女の目を盗んで便所へ駆け込まねばならないが……出来うるならあまりやりたくない。ああ、とにかく冷静にならなければ。呼吸を整えて……。
「……幸雄さん」
何だ、と答えるよりも速く、彼の耳にふっと暖かな吐息が吹きかかり、次いで頬にやわらかなものが押し当てられる感覚があった。彼女が口付けたのだ、と理解する前に、全身の緊張がふっと解け、弛緩した。同時に、頭の芯がかっと熱くなり、腰の辺りがぶるりと震える。
「早く良くなってくださいね……。幸雄さんはいつも元気でいてくださらないと、私、嫌です」
彼女の声が、どこか遠くに聞こえた。彼が赤い顔でこくこくと頷くと、彼女はまだ少し不安げな様子のまま、立ち上がり台所へと戻っていく。
彼は震えた吐息を吐き出した。耳が、燃えるように熱い。下着には、微かに濡れたような不快感がある。だが自分自身は相変わらず、というより、益々酷くなっている。
彼女という、いきなり突拍子もないことをするこの世で一番愛しい女がこの部屋に居る限り、俺はきっとこれからも度々布団の中から出られなくなる朝が訪れるだろう。そう思って、彼は片手で顔を覆って何とも情けない唸り声をあげた。
[起きられない朝]
2015/12/23