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 平山   

銭湯の入り口の暖簾が夜風に揺れている。風呂上りで火照った体に、秋の涼しい空気が心地良い。壁に寄りかかりぼんやりと星の数なんかを数えていると、「お待たせしました」と肩を叩かれた。横を見れば、風呂桶を抱えた彼女が立っている。
「ほら」と、平山は彼女の手から風呂桶を奪い自分の桶に重ねると、持っていた牛乳を渡した。銭湯に来た時はいつもこれを買うのがお決まりになっていた。一本は少し量が多いし体が冷えるので、二人で半分ずつ飲む。
彼女は嬉しそうに目を細めて、口の部分の青いビニールを剥がすと蓋を取った。彼を待たせないようにと急いで出てきたのだろう、彼女の髪からはぽたぽたと水滴が垂れ、シャツを濡らしている。
「もう少し髪よく拭けよ。風邪引くぞ」
そう言って、彼は首にかけていたタオルで彼女の髪を拭いてやる。濡れた髪から、花のような匂いが淡く香った。
「……よし、こんなもんだろ。行くぞ」
「はい」
二人はゆっくりと歩き出す。
「今日は星が沢山見えますね」彼女はそう言って、半分飲んだ牛乳を彼に手渡すと、今度は私が持ちますよ、と風呂桶を抱えた。それから星をもっとよく見ようとするようにつま先立ちで歩きながら「流れ星、見えないかな」と目を凝らしている。
「何か叶えたいことでもあるのか」
「え?」
つま先立ちでよろめいた彼女の体をさりげなく支えてやりながら、平山は牛乳を一口飲んだ。「ほら、昔っから言うだろ、消える前に願い事をって……」
茶柱が立てば喜んで、公園に散歩に行けば四葉のクローバーを必死になって探す女だから、流れ星のジンクスも信じているのかと何となく訊いてみたのだ。
けれど彼女は「ああ」と彼の言葉でようやくそのことを思いだしたようだった。どうやら、単に見たかっただけらしい。
「そういえばそんなこと、言いますよね。お願い事かあ……」うーん、と考え込み、すぐに首を左右に振った。「私、今とても幸せなのでとくにありません」
「そうか」
「そうです」
「無欲だよな、お前って……」
いつだったか何かしてほしいことだとか欲しいものはないかと訊ねた時も、手を繋ぎたいだの腕枕をしてほしいだの一緒に散歩して川原の辺りで弁当を食べたいだの、いつだってできるようなことをねだってきた。金に執着もしない。装飾品にも興味はない。着古してよれた服に身を包んで、決して豪勢ではない食事をして、仕事に行ってくたくたになって帰ってくる。そんな素朴な生活が、けれど幸せだと彼女は言う。もう少しわがまま言ってくれたって良いのになと、時々思う。
「そんなことないですよ」と、彼女が空を見つめたまま言った。
「え?」
「私は幸雄さんが居なきゃしあわせじゃないから……」
だから、ずうっと一緒に居たいって、思ってるんです。彼女は風呂桶を無意味に揺らした。中の石鹸がかたかた音を立てていた。
「一人の男のひとを独り占めにしたいなんて、凄く欲張りでしょう?」
彼女は彼を見てはにかんだ。濡れた髪が風に重々しく揺れている。艶々の肌は火照って、ほんの少し赤い。
思えば彼女の望みはいつも彼と一緒に何かをすることだった。それほど想われているなんて、思わなかった。くすぐったさが体の奥から湧き上がってきて、彼の耳を赤くさせた。牛乳を一気に飲み干すと、彼女の手を握った。“俺も、お前をずっと独占してたい”そう言うつもりだったのに、彼女があんまりにも幸福そうににっこり笑ったもんだから、愛しさに喉を塞がれて何も言うことが出来なかった。

 [欲張りな彼女の素朴でしあわせな日々]
2015/10/24

 平山   

玄関のドアを開けると、布団の上に座り込んで編み棒を動かしていた女が顔を上げ「お帰りなさい」と微笑んだ。白い布団に転がった毛糸玉の朱い色が鮮やかだ。この間から彼女は貸本屋から借りてきた編み物の本とにらめっこをして、不器用なりに懸命に腹巻を編んでいる。何でも「いつも幸雄さん胸を開けていて寒そうだから、腹巻をすれば温かいかなって」だそうだ。
「ただいま……まだ起きてたのか」
「明日はお仕事が休みだから、幸雄さんが帰るまで起きてようと思って」
「わざわざ待たなくても……。寝ていてよかったんだぞ」
「いいえ」彼女は首を振ると、手を止めて鼻を掻き、少し照れくさそうにはにかんだ「日中は時間が合わなくて幸雄さんとゆっくりおしゃべりができないから……少しだけでもお話がしたくて」
「ガキみてえだな」と言ったものの、正直に言えば彼女のその心が嬉しくてくすぐったくてたまらなかった。緩みそうになる唇を噛む。脱いだ靴を下駄箱に仕舞わずに部屋に上がるとくずおれるようにして布団の上に座った。彼女が少し眉をひそめた気がした。
「お茶、飲みますか?」
「いや、いい。……煙草吸っていいか」
「どうぞ」頷いた彼女が台所から灰皿を取ってくるころには、平山はもうすでに煙草を銜えて火を点けていた。吸えば苦味が体の隅々まで染みわたり、体から力が抜けていく。深く重い息を息を吐いて、空になった箱を握った手に力をこめる。静かな夜に紙の潰れる音は思ったよりも大きく響いた。
「幸雄さん……何かありましたか」
「ん……?」
「いつもと、ちょっと違う気がします」
お辛いこと、あったんじゃないですか。彼女は彼をじっと見て、静かに訊いた。図星をつかれて、心臓が跳ねる。「……少し、疲れてるだけだ。寝れば大丈夫だ」言いながら顔を背け、灰皿に灰を落とす。いつも通りに振る舞ったつもりだったが、気が付かないうちにこの女に違和感を与えてしまっていたらしい。
「そうですか?」
ああ。頷くが、実際は大丈夫なんてことはない。辛いのだ。辛くてたまらない。他人を名乗って牌を握る日々は、じわじわと確実に、平山の心を抉っている。
「……幸雄さん」彼女は彼のスーツの裾をそっと引っ張った。ああ、そう言えばスーツを着たままだったと、そこで初めて気が付いた。いつもは帰ったらすぐにハンガーへ掛けるというのに……。「幸雄さん。誰も見てませんし、誰にも言いませんから……だから、私にだけは、甘えてくださっていいんですよ」
「何を言って……」
「ちょっとくらいは頼ってください。その……こいびと、なんですから」
「……」
男が女に頼るなんて、そんなこと出来るわけが……平山は口の中でもごもご呟いていたが、目の前の女の微笑みがあまりにやわらかで、髪からは石鹸の、花のような匂いがやさしく香っていたものだからたまらなくなって、彼は項垂れると煙草を置き、彼女の胸に顔を埋めた。
「悪い……少しだけ、こうしていてもいいか……?」
「幸雄さんの気持ちが軽くなるまで、ずうっとこうしていていいですよ」
彼女の声はどこまでも優しい。掌がそっと、平山の髪を撫でている。幸雄さんの髪、きれいですね。月のひかりの色ですね。彼女は愛おしそうに呟いた。彼は顔を上げないまま、手探りで彼女の髪に触れる。艶やかな黒髪が、まぶたの裏に浮かぶ。
「お前の髪の方が、ずっと綺麗だ……夜の色だ」
「夜の色……ですか?」ふふ、と、彼女が息だけで笑った。「幸雄さんがお月さまで、私が夜……素敵ですね」
私たちも、夜と月みたいにずうっと仲良く一緒に居れたらいいですね。
随分子供っぽいことを言う。けれど、彼は大人しく頷いた。
灰皿の中で、ほったらかしにされた煙草がゆっくりと短くなっていく。

 [夜と月]
2015/10/10

 平山   

朝食を済ませ、食後の一服をと煙草を銜えてライターを取り出したが、火花が散るばかりで中々火が点かない。オイル切れか……と思いつつも粘って何度もホイールを回していると、小さな鏡台の前で平山に背を向け髪を梳いていた筈の彼女がいつの間にか目の前に立っている。
「幸雄さん」
躍起になって火を点けようとしている彼の肩をちょんと叩き、彼女は予備のライターを差し出した。
「……悪い」
ライターを受け取り無事に火を点け、煙を肺に吸い込みほっと息を吐き出す。そうしながら、平山の視線は何かを探すようにそわそわ部屋を彷徨った。
「……あ、ごめんなさい。新聞でしょう? まだ取ってきてないんです」彼が口を開く前に、彼女が慌てた風に言った。
「ああ……いいんだ。俺が行く」
「いいえ。座ってらしてください」
そう言うなり玄関へ駆けて行き、郵便受けから新聞を取り出してくると彼に手渡した。
「ああ……」ぶっきらぼうに受け取って、新聞を広げる。渇いた喉に煙草の煙が染みて、小さくコホ、と咳をすれば、彼女はすぐさま台所へ向かい、麦茶を持ってきて「どうぞ」と差し出してくる。
「ん……」
いつからだろう。一々言葉に出さなくとも、彼女が察してくれるようになった。
そうして彼もまた、彼女の考えが不思議とわかるようになってきた。表情や手の動き、漂う空気の感じで、何となく。
彼女が隣にちょこんと座った。
「いいお天気ですね」
「ああ」
「午後は少しお散歩しましょうか」
ぽつりぽつりと言葉を交わして、穏やかな時間が過ぎていく。そうしながら、彼女の膝に乗せた手がそわそわと動いていることに気付いた。ああ、これは手を繋ぎたい時の癖だ。平山は腕を伸ばし、落ち着かない彼女の手を握ってやる。彼女はぱっと顔を上げ、静かにほほえんだ。
新聞の字を見つめてはいたが、彼の意識はもうすでにそこには無い。幸せそうに寄り添う彼女の姿を横目でちらりと眺め、ほとんど無意識に口を開いていた。
「……何か」
「え?」
「……いや」
彼女は二度三度、ぱちぱちとまばたきをして彼を見つめていたが、何を言いたいかは読み取れなかったらしい。繋いだ手をくいと引いて、「何ですか? 気になります」と甘えるみたいな声で言う。
「……」
「幸雄さんったら」
「何でもないっ……」
側に居るだけで安らいで、何も言わずとも互いの気持ちがわかって……まるで夫婦になっちまったみたいだなんて、言えるわけがない。
自分の考えに耳を真っ赤にしてしまった彼を、彼女は不思議そうに見つめていた。

 [おしゃべりな空気]
2015/09/08

 平山   

網戸から吹いてくる風に、レースのカーテンが揺れている。隙間から漏れる夏の日差しが眩しい。風が流れる度、窓辺に置いた蚊取り線香の香りが畳に寝転ぶ二人の所まで運ばれてくる。平山の肌蹴た胸元にじわりと汗が滲んでいる。右手で乱暴に胸を掻き毟り、彼は唸るような声を漏らした。
「暑い」
「そうですね」
「そうですねじゃねえよ。お前がくっついてるからだろ」
彼の隣には彼女がぴたりと寄り添っている。左腕にしっかりとしがみついて、呼吸の音が聞こえるほど密着していた。横になるといつもこうだ。左側にくっついて、甘えるみたいに腕に頬を摺り寄せてくる。
冬ならまだしも夏場にこれをやられるのは辛い。
「もう少し離れろよ」
「え……」
「暑いんだよ。お前だってこうしてたら暑いだろ」
彼女はでも……とぐずついていたが、平山が掴まれた腕を軽く揺らすと「わかりました」と渋々手を離し、彼から拳二つ分ほどの間隔を開けた。それから数分の間落ち着かない様子でもぞもぞと身じろぎをしていたが、やがて彼に背を向け体を小さく丸めて大人しくなった。
平山はほっと息を吐いたが、しばらくすると今度は反対に彼の方が落ち着かなくなってきた。
確かに、離れると涼しい。汗ばんだ体を撫でる風が心地良い。だというのに、何だか心がもやもやとする。
肩に寄せられる温かな頬が無い。いたずらで耳元に息を吹きかけられることもない。指を絡められることも、足先でつんと足の裏をくすぐられることも。
いつのまにやら彼女が左隣に居ることが当たり前のことになりすぎていて、体中が違和感を感じてしょうがない。
彼は彼女の背をちらちらと見ていたが、やがて我慢しきれなくなり手を伸ばすと後ろから抱きしめた。
「わっ」畳の目を弄っていた彼女は素っ頓狂な声をあげ、顔を彼の方へと向ける。「どうしたんですか、幸雄さん」
平山はばつが悪そうに彼女から目を逸らし、ぶっきら棒に言った。
「……何か調子狂うんだよ。お前が離れてると」
彼女は目を瞬いてぽかんとしていたが、やがてぷっと噴き出しくるりと向きを変え「幸雄さんの甘えんぼ!」と、ぎゅうっと彼に抱きついた。

(ば、馬鹿違うっ、俺はただお前があんまりにも寂しそうにしてたからってだけで……今も暑くて仕方ねえけど我慢して……)
(はいはい。わかってますよ幸雄さん)

 [あまえんぼさびしんぼ]
2015/08/23

 平山   

戯れのような軽いくちづけが次第に深くなっていき、気付けば二人はもつれあうようにして畳の上に転がっていた。こうなってしまえばすることは一つしかないわけで、彼は彼女の寝巻きのボタンをゆっくりと外していく。背に回された彼女の手にきゅっと力が込められたのがわかる。指先は小さく震えていたが、彼を見つめるその瞳はとろとろに蕩けていた。
布団、敷くべきだろうか……。服を脱がし、現れた柔らかなふくらみを掌で弄びながら思考の端で考えるが、すぐに「必要ないか」という結論に達した。そんなことをしている余裕はとてもじゃないがなさそうだ。彼女は精一杯声を押し殺そうと唇を引き結んでいる。それでも喉の奥から堪えきれずに「ン、ン」と切れ切れに漏れる声が彼の脳内を揺さぶっている。
布越しになぞっていた秘部からやがて熱いものが溢れて来ると、彼は彼女の下着を下ろし……途中ではたと何かに気付いたように手を止めた。起き上がり、側の箪笥へ向かう。余裕がないとはいえ、最低限やるべきことを行うだけの理性はまだ何とか残っていた。
幸雄さん? 瞳に涙をいっぱいに溜め、彼女が彼を呼ぶ。足首に引っ掛かった下着が酷く扇情的だ。
「待て、ゴム着ける……」
「ごむ?」箪笥から取り出された物を見つめ、彼女はぱちぱち瞬きをした。「何に使うんですか?」
「何にって、お前……」
からかわれているのかと思ったが、きょとんとした表情を見るにどうやら本当に知らないらしい。
「こ、子供が出来ねえようにだよ……ナマでやったら出来ちまうかもしれねえだろ」
「子供が出来るんですか……?」
こいつ、よもやガキはコウノトリが運んでくるのだと思っているんじゃあるまいな……ぽかんとした間抜け面を眺め思う。確かにこういったことに関する知識は乏しい女だと思ってはいたが、予想以上だ。だが、次に彼女が口にしたことは更に彼の度肝を抜いた。
「……赤ちゃん、出来たらいけないんですか?」
「へ……へ!?」
何言ってんだこいつは。いや、確かに欲しくないわけではない。こいつに似ればさぞかし可愛いだろう。自分の好いた女に似た子が出来るなんて、嬉しくないわけがない。と、言うことは必然的に身を固めることになるわけで……。養える自信は、ある。ちょっとぼんやりしていて間が抜けている女だが、一緒に居ると楽しいと思えるし、この先もずっと側に居て、のんびりとささやかな幸せを感じながら過ごしていきたいと思う。いやいや、だがこんな重要なことを今決めちまっていいものか……。ああ、部屋に帰ってきて、こいつとこいつにそっくりのガキがほわほわ笑って出迎えてくれたらそれは例えようもなく幸せなことだろう。
考えれば考えるほど手の中のものを使うという選択肢が無くなっていく。彼女はこちらの気も知らずにふんわり笑って「幸雄さんに似た赤ちゃんが産まれたら、きっとお利口に育つでしょうね」なんてとんでもないことをさらりと言ってのけるから、ああ今すぐこんなもの放り投げて憎らしいくらいとぼけた顔をした世界一愛しいこの女を滅茶苦茶に抱いてしまいたい。

 [親バカ狂想曲]
2015/08/16

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