マイスタージンガー2
授業後、ハインリヒはどうしてあんな奇妙なことをしたのかのと、彼女に聞いてみた。
『先生をもっと知りたいからだよ』
シュウは、彼女にしては珍しく屈託のない笑顔を見せた後に、カチャカチャと、こうタイプした。
「じゃあ回りくどいことはしないで、直接聞くんだな」
『うーん、確かにそれもいいけど、直接聞いても教えてくれないことが知りたいから』
「ほーう、たとえばどんなだ?」
『先生のほんとの年齢とか』
場の雰囲気は和やかだったが、その一言でハインリヒに緊張が走る。あくまで平静を装っていたが、彼は予想外の彼女の言動に驚いていた。
「なんだ、老けて見えるってことか?それとも若く見えるのか?」
ハインリヒはその質問のもつ意味には全く気付かない、ただの凡庸な問いであると受け取ったふりをする。つづいてタイプ音が響く。
『うーん、そういうことじゃなくて――……』
そこまで言って彼女の手が止まり、断続的に響いていたタイプ音が止む。それからしばらく、人の声もタイプ音も人工音声も響かない時間が続いて、
『ま、いいや』
という軽やかな少女の声が発せられた。
『教えてくれなくても、いつか全部知ってみせるよ』
言動や表情も、映画の中の女スパイにでもなりきっているかのような彼女に、ハインリヒは忠告する。
「知らないほうがよかった、ってことも世の中にはあるんだぜ?」
表面上は、腕白な少女をたしなめる大人、といった対応を取っているが、彼は心はとある疑惑でざわざわとさざ波だっていた。内心、心の揺らぎを彼女に悟られないようにと必死だった。
『私は「知らなきゃよかった!」って思うより、「なんで知らなかったんだろう!」って思うほうが嫌』
そんなハインリヒの心情を知ってか知らずか、怖いもの知らずの少女は自然な人工音声で強く言い切り、食い下がってくる。
「結構な冒険家だな。さっきはたいそうなことを言ったが、俺は数か月前までトラックの運転手で、失業して、いまはお前さんの家庭教師をしている、ただそれだけの男だ。俺はそんなに気合を入れて探されるような、秘密なんざ持っちゃいない」
せせら笑うような言い方をするハインリヒに、シュウは不満そうな顔を向けた後ため息をついた。
『ミステリアスな年上に惹かれる、女の子の気持ちが全く分かってないんだから』
「ミステリアス?俺がか?」
『今さっきまでそうだったのに。台無し』
「そんなこと言ったって、ないもんは無いのさ」
『だったらもう少し、夢をみていたかったな』
「ご期待に添えず申し訳ないね」
荷物をまとめたハインリヒが、机を立った時、軽やかなタイプ音と少女の声が響く。
『先生』
『安心して、先生は年相応に見えるし、年齢なんて全然気にしなくていいくらい格好いいよ』
先ほどの様子とはうって変って、また屈託なく笑うシュウにハインリヒも口端を上げて微笑む。
「それは光栄だな。じゃ、またな」
『教えてくれなくても、いつか全部知ってみせるよ』
彼女が言ったその言葉が――正確には機械が発した声だが――帰宅後もハインリヒの頭から離れなかった。
あれはただの『ミステリアス(に思える)年上の男の秘密を暴いてみたい』という、少女の願望を表す一言だったのだろうか。
そんなはずはない。あの態度から、彼女は明らかにハインリヒが年を取らないと知っている。知ったうえで、彼女は確実にハインリヒにゆさぶりをかけていたのだ。
ということは、これ以上探りを入れられる前に今すぐ彼女の前から消えたりすれば、それは正解だと認めているようなものだが、どうせ知られているのだからこれ以上、彼女が"こちらの事情"に首を突っ込んでくる前に彼女の前を去っても問題ないのでは?――と考えて、ハインリヒは頭を振る。
状況から考えて、彼女はおそらくハインリヒを介する以外の方法で、彼のことを調べている。そして今もさらに多くを知ろうとしている。彼女がもしも、ハインリヒ個人のことだけでなく、ブラックゴーストに関することにまで手を出したら―――
それはとんでもなく危険なことではないのか?
生意気で強引でとびぬけて有能な彼女は、例え自分や周りが止めようとも、『ハインリヒの秘密』を暴こうとすることをやめないだろう。
もしも、すべてを知った時、この少女は自分に対して何を思うのか。
知ったことを後悔するのだろうか、それともこの酔狂な少女であれば、この事実さえ面白いと捉えるのだろうか……?
いや、問題はそこじゃない。と再び彼は頭を振って思考をもとの路線に戻す。
(問題は、彼女に危険が及ぶかどうかということだ。いったい……動機はなんだ、いや、まずどうやって知ったかだ)
* * *
それはまだ、依頼を受けてから一ヶ月目のこと。
彼女は基本、勉強が良くできた。教科によって得手不得手はあったが、突出して苦手なものはなく、間違えた問題もハインリヒの説明によって素早く理解することが出来た。それにはハインリヒが説明上手だということも一因だったが、彼自身はそれに気づかず、彼女に指摘されても自分の隠れた才能については認めようとしなかった。
「お前さんの、その、声についてなんだが」
『ああ、これ?なんでこんなことするのかってこと?』
神速のタイプ音に少し遅れて少女の声がする。
ハインリヒの意を決した質問に対して、シュウは特に気分を害した様子もなく答える。唇を尖らせ澄ました様子は、やりすぎた舞台の演技のような表情だ。
『昔した喉の手術が上手くいかなくて、それで変な声になったから』
「ん?じゃあ、話せるのか?」
『あー……言葉が言えないこともないけど、話すにはちょっと不便。とっても小さな掠れた声しか出ないし、それよりこっちの方が私は気に入ってるから』
「そうか……」
ハインリヒは、なぜ自分はこんな話題を振ったのか、と今更悩んで口ごもる。
最初は、理由を聞けば自分も納得して彼女のこの声と付き合っていけるかもしれないと思ったのだが、彼女と出会ってまだ日の浅いこの時、ハインリヒが感じている強い忌避感はこれでは消えなかった。
加えて、彼女が自身の声を完全に失ったわけではないと知って、ますます彼女がとっている方法に対して異を唱えたくなる。
どうして自分の声を失ったわけではないのに、好き好んで機械を使用するのか、と。
しかし、一方でハインリヒは、それは他人がとやかく言うことではないとも思っていた。それに、彼女に意見をしたい衝動には「機械を必要以上に毛嫌いする」というハインリヒの個人的な心情が混じっていることに彼自身が気づいていたので、彼はそのまま本音を押し殺す。
「まぁ、本人が気に入ってるなら、いいんじゃないか」
そんな当たり障りのない彼の言葉に、シュウはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべてキーボードをたたいた。
『ハインリヒ先生はこの声嫌いでしょう?』
ずばり、心中を言い当てられて、ハインリヒは思わず下に向けていた顔を、シュウに振り返ってしまう。
図星をつかれた不快感より、彼女の観察力に素直に驚いていた。もしかしたら、自分が本音を隠すことが下手なのかもしれないが。
『ビックリしてるみたいだけど、先生って私が話すたびに顔が強張るから、すぐわかるよ』
ハインリヒ自身はまずいことを悟られた、と思っていたのに、当の本人はまったくそんな気は無いようだ。図星をつかれたハインリヒの様子を、「微笑ましい」とでもいうようなにこやかに見つめている。
『出来ればさ、理由とか教えてくれない?』
そんな本人の様子から、ハインリヒはもう気兼ねする必要はないだろうと判断した。
「俺は、なんというか、機械に任せるっていうのが嫌いなんだ。特に、その声みたいに人間との差が近すぎる機械ってのが、どうしても苦手なんでね」
『へぇー……』
「他人から見れば、どうでもいいようなことにこだわっているんだろうな……でも、どうしてもそう思っちまうのさ」
『うん……まあ、先生の具体的な気持ちとかはよくわかんないけどさ、その「どうしても」っていう気持ちだけはわかるよ。私も「他の人から間違ってるって言われても、良くないと分かってても変えられない考え」とかあるから。そういうのって、うまく説明できないし、人に言ったところで分かってもらえないから、難しいよね!』
彼女の同意を求めるような言い方は、いつもの妙に演技がかったところが一切なく、常に明確な喜怒哀楽を表すシュウの顔も、困っているような残念がっているような、なんだか複雑な笑みを浮かべていた。彼女なりのフォローなのだろうか、と思ったハインリヒは、自分の本音を言ったことを少々後悔した。
常に舞台の上の役者のように振る舞い、ハインリヒに対してある種生意気とも取れる言動も目立つシュウのそんな様子を、知り合って一ヶ月ほど経った頃、ハインリヒは初めて目にした。
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授業後、ハインリヒはどうしてあんな奇妙なことをしたのかのと、彼女に聞いてみた。
『先生をもっと知りたいからだよ』
シュウは、彼女にしては珍しく屈託のない笑顔を見せた後に、カチャカチャと、こうタイプした。
「じゃあ回りくどいことはしないで、直接聞くんだな」
『うーん、確かにそれもいいけど、直接聞いても教えてくれないことが知りたいから』
「ほーう、たとえばどんなだ?」
『先生のほんとの年齢とか』
場の雰囲気は和やかだったが、その一言でハインリヒに緊張が走る。あくまで平静を装っていたが、彼は予想外の彼女の言動に驚いていた。
「なんだ、老けて見えるってことか?それとも若く見えるのか?」
ハインリヒはその質問のもつ意味には全く気付かない、ただの凡庸な問いであると受け取ったふりをする。つづいてタイプ音が響く。
『うーん、そういうことじゃなくて――……』
そこまで言って彼女の手が止まり、断続的に響いていたタイプ音が止む。それからしばらく、人の声もタイプ音も人工音声も響かない時間が続いて、
『ま、いいや』
という軽やかな少女の声が発せられた。
『教えてくれなくても、いつか全部知ってみせるよ』
言動や表情も、映画の中の女スパイにでもなりきっているかのような彼女に、ハインリヒは忠告する。
「知らないほうがよかった、ってことも世の中にはあるんだぜ?」
表面上は、腕白な少女をたしなめる大人、といった対応を取っているが、彼は心はとある疑惑でざわざわとさざ波だっていた。内心、心の揺らぎを彼女に悟られないようにと必死だった。
『私は「知らなきゃよかった!」って思うより、「なんで知らなかったんだろう!」って思うほうが嫌』
そんなハインリヒの心情を知ってか知らずか、怖いもの知らずの少女は自然な人工音声で強く言い切り、食い下がってくる。
「結構な冒険家だな。さっきはたいそうなことを言ったが、俺は数か月前までトラックの運転手で、失業して、いまはお前さんの家庭教師をしている、ただそれだけの男だ。俺はそんなに気合を入れて探されるような、秘密なんざ持っちゃいない」
せせら笑うような言い方をするハインリヒに、シュウは不満そうな顔を向けた後ため息をついた。
『ミステリアスな年上に惹かれる、女の子の気持ちが全く分かってないんだから』
「ミステリアス?俺がか?」
『今さっきまでそうだったのに。台無し』
「そんなこと言ったって、ないもんは無いのさ」
『だったらもう少し、夢をみていたかったな』
「ご期待に添えず申し訳ないね」
荷物をまとめたハインリヒが、机を立った時、軽やかなタイプ音と少女の声が響く。
『先生』
『安心して、先生は年相応に見えるし、年齢なんて全然気にしなくていいくらい格好いいよ』
先ほどの様子とはうって変って、また屈託なく笑うシュウにハインリヒも口端を上げて微笑む。
「それは光栄だな。じゃ、またな」
『教えてくれなくても、いつか全部知ってみせるよ』
彼女が言ったその言葉が――正確には機械が発した声だが――帰宅後もハインリヒの頭から離れなかった。
あれはただの『ミステリアス(に思える)年上の男の秘密を暴いてみたい』という、少女の願望を表す一言だったのだろうか。
そんなはずはない。あの態度から、彼女は明らかにハインリヒが年を取らないと知っている。知ったうえで、彼女は確実にハインリヒにゆさぶりをかけていたのだ。
ということは、これ以上探りを入れられる前に今すぐ彼女の前から消えたりすれば、それは正解だと認めているようなものだが、どうせ知られているのだからこれ以上、彼女が"こちらの事情"に首を突っ込んでくる前に彼女の前を去っても問題ないのでは?――と考えて、ハインリヒは頭を振る。
状況から考えて、彼女はおそらくハインリヒを介する以外の方法で、彼のことを調べている。そして今もさらに多くを知ろうとしている。彼女がもしも、ハインリヒ個人のことだけでなく、ブラックゴーストに関することにまで手を出したら―――
それはとんでもなく危険なことではないのか?
生意気で強引でとびぬけて有能な彼女は、例え自分や周りが止めようとも、『ハインリヒの秘密』を暴こうとすることをやめないだろう。
もしも、すべてを知った時、この少女は自分に対して何を思うのか。
知ったことを後悔するのだろうか、それともこの酔狂な少女であれば、この事実さえ面白いと捉えるのだろうか……?
いや、問題はそこじゃない。と再び彼は頭を振って思考をもとの路線に戻す。
(問題は、彼女に危険が及ぶかどうかということだ。いったい……動機はなんだ、いや、まずどうやって知ったかだ)
* * *
それはまだ、依頼を受けてから一ヶ月目のこと。
彼女は基本、勉強が良くできた。教科によって得手不得手はあったが、突出して苦手なものはなく、間違えた問題もハインリヒの説明によって素早く理解することが出来た。それにはハインリヒが説明上手だということも一因だったが、彼自身はそれに気づかず、彼女に指摘されても自分の隠れた才能については認めようとしなかった。
「お前さんの、その、声についてなんだが」
『ああ、これ?なんでこんなことするのかってこと?』
神速のタイプ音に少し遅れて少女の声がする。
ハインリヒの意を決した質問に対して、シュウは特に気分を害した様子もなく答える。唇を尖らせ澄ました様子は、やりすぎた舞台の演技のような表情だ。
『昔した喉の手術が上手くいかなくて、それで変な声になったから』
「ん?じゃあ、話せるのか?」
『あー……言葉が言えないこともないけど、話すにはちょっと不便。とっても小さな掠れた声しか出ないし、それよりこっちの方が私は気に入ってるから』
「そうか……」
ハインリヒは、なぜ自分はこんな話題を振ったのか、と今更悩んで口ごもる。
最初は、理由を聞けば自分も納得して彼女のこの声と付き合っていけるかもしれないと思ったのだが、彼女と出会ってまだ日の浅いこの時、ハインリヒが感じている強い忌避感はこれでは消えなかった。
加えて、彼女が自身の声を完全に失ったわけではないと知って、ますます彼女がとっている方法に対して異を唱えたくなる。
どうして自分の声を失ったわけではないのに、好き好んで機械を使用するのか、と。
しかし、一方でハインリヒは、それは他人がとやかく言うことではないとも思っていた。それに、彼女に意見をしたい衝動には「機械を必要以上に毛嫌いする」というハインリヒの個人的な心情が混じっていることに彼自身が気づいていたので、彼はそのまま本音を押し殺す。
「まぁ、本人が気に入ってるなら、いいんじゃないか」
そんな当たり障りのない彼の言葉に、シュウはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべてキーボードをたたいた。
『ハインリヒ先生はこの声嫌いでしょう?』
ずばり、心中を言い当てられて、ハインリヒは思わず下に向けていた顔を、シュウに振り返ってしまう。
図星をつかれた不快感より、彼女の観察力に素直に驚いていた。もしかしたら、自分が本音を隠すことが下手なのかもしれないが。
『ビックリしてるみたいだけど、先生って私が話すたびに顔が強張るから、すぐわかるよ』
ハインリヒ自身はまずいことを悟られた、と思っていたのに、当の本人はまったくそんな気は無いようだ。図星をつかれたハインリヒの様子を、「微笑ましい」とでもいうようなにこやかに見つめている。
『出来ればさ、理由とか教えてくれない?』
そんな本人の様子から、ハインリヒはもう気兼ねする必要はないだろうと判断した。
「俺は、なんというか、機械に任せるっていうのが嫌いなんだ。特に、その声みたいに人間との差が近すぎる機械ってのが、どうしても苦手なんでね」
『へぇー……』
「他人から見れば、どうでもいいようなことにこだわっているんだろうな……でも、どうしてもそう思っちまうのさ」
『うん……まあ、先生の具体的な気持ちとかはよくわかんないけどさ、その「どうしても」っていう気持ちだけはわかるよ。私も「他の人から間違ってるって言われても、良くないと分かってても変えられない考え」とかあるから。そういうのって、うまく説明できないし、人に言ったところで分かってもらえないから、難しいよね!』
彼女の同意を求めるような言い方は、いつもの妙に演技がかったところが一切なく、常に明確な喜怒哀楽を表すシュウの顔も、困っているような残念がっているような、なんだか複雑な笑みを浮かべていた。彼女なりのフォローなのだろうか、と思ったハインリヒは、自分の本音を言ったことを少々後悔した。
常に舞台の上の役者のように振る舞い、ハインリヒに対してある種生意気とも取れる言動も目立つシュウのそんな様子を、知り合って一ヶ月ほど経った頃、ハインリヒは初めて目にした。
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