伝えたい言葉があるんだけど、言えないのはなんでだろ



 暗部を抜け、担当上忍になってから数年。未だにこの選択が正しかったのかと迷いを抱える日々が続いている。俺には下忍を育てる才能なんてないし、上忍として、忍として至らなかった俺が一体新人たちに何を教えられるというのか。そんな暗い感情を抱えながら、せめてかつての自分と同じチームワークを持たないやつを忍にさせまいと、アカデミーを卒業したばかりの下忍たちに厳しく指導してきた。こんなやり方が正しいのか、正直俺にはわからない。それでも迷いながらも、ミナト先生やオビト、リンの顔を浮かべながらなんとかやってきた。

 そして、今年も新しく担当する下忍たちが決まる時期がやってきた。事前に3代目から、ミナト先生の忘れ形見であるうずまきナルトと、うちはイタチの弟であるうちはサスケの担当になるとは聞いている。かつての自分の班のような顔ぶれに、淡い記憶が頭の中を駆け巡る。いつも一緒にいた、俺とオビトとリンとミナト先生、そしてもう一人──…



「いやあ、すみません。ちょっと道に迷ってしまって…」



 それは、担当上忍としての最初の仕事である、アカデミー講師との面談の日だった。いつものように第3演習場の慰霊碑とリンの墓参りに行って、約束の時間を大幅に過ぎた頃。すっかり夕日が差し込む教室の扉を開いて、中にいた人物を見て俺は固まった。

 いつも一緒にいた、俺とオビトとリンとミナト先生、そしてもう一人──…俺たちの後をいつもついて回っていた、名前の姿がそこにはあった。

 途端に思い出す、もう10年以上も前のこと。





「私ね、大人になったらカカシみたいな強い忍者になりたいの」

「名前の実力じゃ無理だと思うけど…ま、頑張ってみれば?」

「それでね、そしたらね、その時は、私をカカシの───」





 ガタン、と椅子がぶつかる音がして意識が現実に引き戻される。視線を音の方に向けると、名前は立ち上がって頭を下げていた。



「アカデミー講師ののはら名前です。第7班の担当上忍の方…ですよね」



 控えめな視線と、少し震えた声でとうに知っている名前を名乗った名前。彼女に会うのは、暗部に入って以来だ。そのもっと前から口を聞くことも無くなって、次第に目を合わせることも無くなって。暗部として動くようになってからは、姿を見ることすら無くなった。それでも名前のことを忘れることはなくて、何度も何度も頭の中で思い描いていた。そんな彼女が、頭の中で思い描いていたよりも大人の姿で、今目の前に立っている。



「…あ、はい。遅くなってすみません、はたけカカシです」

「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」



 久しぶりの再会、久しぶりの会話。あまりに突然の出来事に戸惑っていると、名前は何事もなかったかのように向かいの席を指し示した。慌てて名前の向かい側の席に座ると、挨拶もそこそこに俺が担当する第7班のメンバーの説明が始まる。3代目にある程度の情報はもらっているから聞かなくても分かるだろうと思っていたけれど、名前の説明は彼らのプロフィールだけではなく、アカデミーでどうやって過ごしてきたのか、周りとの関係はどうだったのか、彼らには何が足りないのかなど事細かく教えてくれた。

 名前の説明を聞きながら、そっと名前に視線を向ける。資料を捲りながらポイントを示す細い指。伏し目がちになった長いまつ毛。時折落ちてくる髪を耳にかける指先。どれもが、あの頃とは違う。俺の知っている名前はもっと幼くて、まだ子供で、こんなに“女性”ではなかった。それでも面影を残していて、あの頃の感覚が蘇ってくる。

 いつも、俺たちの後ばかり追っていた名前。任務前は行かないでと泣いてみんなを困らせて、任務帰りは誰よりも真っ先に迎えにきてくれて。忍がどういうものかも分からないくせに、アカデミーに入学までして。あの時はおじさんとおばさんが泣きながら止めていたっけ。鈍臭くて馬鹿なのに、その何も知らない笑顔に、少しだけ癒されていた。



「3代目から聞いているとは思いますが、うずまきナルトは九尾を封印された人柱力です。その監視をお任せしたく…」

「大体の説明は聞いています。今まで封印が解けかけたことは?」

「特にありません」



 名前がアカデミーの講師をしているなんて、知らなかった。俺も名前も、いつの間にか大人になってしまった。

 名前は、のはらリンの妹だ。班のメンバーでもなかったし、まだ忍者にもなっていなかった名前が俺たちといつも一緒にいたのは、彼女がリンが大好きだったから。姉と同じ班というだけで俺に懐いていた名前は、どこへ行くにも一緒だった。特に、リンとオビトが修行している間、名前のお守りをするのが俺の役目だった。

 妹みたいなやつ。最初は、そう思っていた。それでも一緒に過ごすうちにその存在は大きくなっていって、今思えば幼いながらに、俺は名前に恋をしていた。側にいるのが当たり前で、それはこの先もずっと変わらないんだろうと、なぜかそう思っていた。そんな未来を壊してしまったのは、俺の方だというのに。



「説明は以上になります。何か質問はありますか?」



 昔は、仲が良かった。そんなことも感じさせないくらい他人行儀な話し方で、名前は説明を終えた。俺もそれに倣うべきだったのかもしれない。

 資料から顔を上げた名前と目が合うと、溢れ出した気持ちは止まらなかった。



「……ご両親は、元気?」



 小さく、名前の瞳が揺れる。

 俺の父親は、俺が幼い頃に亡くなった。だから一人での生活には慣れていたし、それが当たり前で寂しいなんて感じていなかった。そんな俺を不憫に思ったのか、名前はよく食事に誘ってくれた。もちろん最初は断っていたが、名前のゴリ押しに負けて、いつの間にかのはら家に混ざってたまに食事を摂るようになっていた。リンと名前の両親はとても親切で、暖かくて、この両親にしてこの子あり、というまさに優しい家庭だった。



「…は、い。相変わらず元気です」

「そう、よかった。おじさんとおばさんにはお世話になったからね。それに名前も──」

「カカシ先生」



 久しぶりの再会に、話したいことはたくさんあった。元気にしているのか、どうしてアカデミーにいるのか、それから──あの日の、ことも。

 そのままの勢いに任せて会話を続けようと言葉を探していたら、名前は制止するように俺の名前を呼んだ。

 “カカシ先生”

 俺は担当上忍で、名前はアカデミーの講師で。今日は面談のためにこうして向かい合っているだけで、それ以上の何者でもないのだと、その呼び名が語っていた。



「本日の面談は以上です。今日はもう遅いので、これで失礼します」



 資料を胸に抱えて立ち上がった名前は、そう言って頭を下げた。俺と名前の間には、深い深い溝がある。まるでそう告げるように。


 当然だ。俺が、名前の人生から大切なものを奪ったのだから。



「……お疲れ様です、名前先生」



 少しでも歩み寄れたら、と一歩踏み出しかけていた足を元の位置に戻す。名前は、俺の顔を見ることもなく教室を飛び出していった。




 俺が、甘かったのだ。10年以上の時を経て、大人になって忍界の暗い部分もたくさん見てきた今なら、また前みたいな関係に戻れるんじゃないかと。

 俺は大切な仲間を3人も失った。それでも前に進み続けなければいけなかったし、他の仲間も俺のことを気にかけてくれていた。だから、たくさんの後悔や自責の念を抱えながらもこうして生きている。

 でも、名前は違う。彼女は最も大切な家族を亡くしたのだ。

 いや、違うな。俺が名前から、リンを奪ったのだ。





「なんでッ……なんでお姉ちゃんを!」

「お姉ちゃんを返してよ!!」

「この……人殺し──…!」





 今日は任務には出ていない。朝起きて家を出て、ここに来ただけだ。それなのにどうして、俺の右手はこんなにも血まみれなのだろう。血に塗れる感触が、肉をこの手で貫く感触が。涙で濡れた、俺を見つめる二つの瞳が。

 ──俺はやっぱり、ココから動けない。



「……………ごめん、名前」



 俺が、許してもらえるはずなんてないのに。なのにまるで何もなかったみたいに話しかけて、きっとまた、名前を傷つけた。



「カカシ先生、か…」



 椅子に背を預けて天井を見上げる。幼い頃胸に抱いた気持ちを、もう一度、もう出てくることがないようにと奥の奥にそっとしまった。




「その時は、私をカカシの───」



聞きそびれたその言葉の続きを、結局聞くことができないまま。







- ナノ -