この身に宿らぬ思いとか



「残りは第7班、か……」



 6班、8班と順調に進み、第10班の猿飛アスマ先生との面談も終え、残すところは第7班のみ。本来であれば順番に面談をするはずだったのだけど、第7班の担当上忍はいつまで経っても姿を現さず、後回しにしているうちに他の班の面談も全て終えてしまった。事前に誰が担当なのかを知らされていないため連絡のしようもなく、気づけば窓の外は夕陽がさしオレンジ色に染まっていた。

 こんなに遅刻するなんて、一体何をしているんだろう。それとも急な任務が入った?いやでも、担当上忍はこの時期はあまり任務を当てられないはずだけど…

 頬杖をついてため息を吐きながら窓から里を見下ろす。もうこのまま帰ってしまおうか、なんて考えたと同時に、教室の扉が小さな音を立てて開いた。



「いやあ、すみません。ちょっと道に迷ってしまって…」



 聞こえた声に振り返ると、その姿に私は目を見開いた。

 夕日を反射してキラキラと光る銀髪に、顔半分を覆ってしまう口布、左目を隠すように斜めにかけられた額当て。木の葉の里には、こんな格好をする忍は他にはいない。久しぶりに見るその姿、それでもすぐに分かる。同じように教室の入り口で右目を見開いて立ち止まった彼は、昔の姿のまま変わらない。






「名前、今日から班を組むことになったカカシだよ」

「妹?リンに少し似てるね」






 どれくらいの時間が経ったんだろう、一瞬にも感じたし何時間も経ってしまったような気もする。ハッと意識を取り戻した私は、立ち上がって頭を下げた。



「アカデミー講師ののはら名前です。第7班の担当上忍の方…ですよね」

「…あ、はい。遅くなってすみません、はたけカカシです」

「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」



 何事もなかったかのように向かいの席を案内すると、彼──カカシは少しだけ頭を下げると言われた通りの席に腰掛けた。私も腰を下ろして第7班の資料を広げながら、他の担当上忍たちに話したのと同じように簡単に彼らの特徴や性格について説明していく。彼もそれを黙って聞きながら、時折こちらに視線を向けては、私はそれに気づかないふりをしていた。

 はたけカカシ。彼は、姉であるのはらリンと同じ班だった忍で、私の初恋の人。当時の私はまだ幼くて、毎日のように彼と姉の後をついて回っていた。──姉が、いなくなるまでは。



「3代目から聞いているとは思いますが、うずまきナルトは九尾を封印された人柱力です。その監視をお任せしたく…」

「大体の説明は聞いています。今まで封印が解けかけたことは?」

「特にありません」



 これはあくまでも仕事であり、忍たるもの私情は挟まない。淡々と事務連絡を続けると、少しずつザワついていた心が落ち着いていく。私はもう大人で、アカデミーの講師だ。彼も、今日は担当上忍としてここに来ている。

 それなのに。時折耳に響く、知らない間に低くなった声が胸を締め付ける。あの頃とは違うはずなのに、あの頃と同じ熱で私を見つめる彼の瞳が痛い。仕事に追われるうちに忘れていたはずの幼い頃の記憶が、少しずつ蓋を開けて漏れ出してしまう。






「カカシ、今日は手裏剣術を教えてよ!」

「またリンについてきたの?…ったく、しょうがないな」





 きっと私の人生で、一番楽しかった頃。大好きな人たちがいて、素直に好きだと言えて、何も考えずにいられたあの頃。キュッと握りしめた手のひらの中で、資料がくしゃりと音を立てて歪んだ。



「説明は以上になります。何か質問はありますか?」



 できるだけ早く説明を終えて、このまま解散してしまおうと資料をまとめて顔を上げると、カカシは真っ直ぐに私を見つめていた。漆黒と目があって、どきりと心臓が音を立てる。目を、反らせない。



「……ご両親は、元気?」



 先ほどまでの他人行儀とは違う、明らかに空気を少し柔らかくした彼の声。彼と会わなくなって、もう10年以上経つだろうか。久しぶりの再会というには味気のない教室に、彼の姿は似合わない。早くに両親を亡くしている彼は、よく私の家で夕飯を食べていたっけ。私の一方的な感情で、それはもう叶わなくなってしまったけど。



「…は、い。相変わらず元気です」

「そう、よかった。おじさんとおばさんにはお世話になったからね。それに名前も──」

「カカシ先生」



 言葉を制止して立ち上がると、先ほどまで綻ばせていた目を丸くすると、ゆっくりと視線で私を追った。



「本日の面談は以上です。今日はもう遅いので、これで失礼します」



 資料を胸に抱えて頭を下げる。これ以上彼と話してしまうと、昔のことをもっと思い出してしまう気がして、怖かった。思い出してしまえば最後、あの頃の感情までを呼び起こしてしまいそうで。



「……お疲れ様です、名前先生」



 私の気持ちに応えるように、カカシはそう言った。彼の目を見るのが怖くて、私はカカシを残したまま教室を飛び出した。

 ずっと、好きだった。初めての恋だったし、“好き”とはなんなのかさえ分からないくらい幼かったけれど、それでも好きだった。この恋が叶わなくても、ずっと傍にいたいと思っていた。

 けれど姉も、カカシが好きだった。いつかこの気持ちを姉にもちゃんと話そうと思っていた。そんな矢先に、姉は死んだ。───愛する人の手によって。



「………うっ……ふ、……っ」



 走って走って、息が切れて座り込んだ。胸が苦しくて痛い。あの日無理やり蓋をしたまま整理もできていない感情が瞳から溢れ出す。

 姉は、死んだ。カカシを好きなまま。それを知っているのに、私だけがカカシと一緒に生きていくなんて出来ない。だから、ずっと会わないようにしてきたのに。

 気づけば夕日も沈んで、外はもう真っ暗だった。もう帰らなくては、と立ち上がる。予期すらしていなかった突然の再会に動揺してしまったけれど、アカデミー講師である私が上忍であるカカシと関わることは、きっともうないだろう。必死に落ち着けようと深呼吸をすると、止まらなかった涙も少しずつ引いていった。今日のことは、もう忘れよう。明日から、またいつもの毎日が始まるんだ。当たり前になった日常の中に突然やってきた非日常に、今はただ忘れようと自分に言い聞かせるしかなかった。






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