初めての夜

 まだ蒸し暑さの残る夏の夜。いつもなら傑の部屋でゲームしたり漫画読んだりして眠くなるのを待つところだが、生憎傑は今夜は不在。そんな時、俺が向かうのはいつの間にか決まって美月の部屋になっていた。別に一人が寂しいわけじゃない。ただ、なんとなく。何もすることがない時は、美月と一緒に過ごしたいと思う。それが映画だろうと漫画だろうとゲームだろうと、はたまた無言だろうと。本当に、ただ一緒に居たかった。



「映画、見よ」



 いつものように扉をノックして顔を見せた美月に用件だけを伝えると、美月は「いいね」と笑って俺を部屋に招き入れた。美月とは気兼ねなく話せる仲だしいつも馬鹿みたいなことばかりやっているけど、こうして二人きりの空間では少しだけ、ほんの少しだけ緊張する。隣に並ぶと沈むベッドとか、映画に小さく笑う声とか、盗み見た時の可愛い横顔とか。今この部屋には俺と美月の二人しかいなくて、いつでも触れられる距離にいて。ドキドキと高鳴る心臓が痛いくらいだ。映画を見るときは決まって、同じベッドにうつぶせに寝転がって、小さなDVDプレーヤーを一緒に覗き込む。イヤホンと右耳と左耳の片方ずつで共有しているせいか、普段話すよりも距離が近い。俺の部屋にはでかいテレビもプレーヤーもあるけれど、この距離がたまらなくて映画を見るのはいつも美月の部屋だ。



「悟は今日は一日オフ?」

「や、夕方くらいまでは外出てた。美月は?」

「私は朝早くから福島の方まで行ってた。帰ってきたのは8時くらいかな」

「だからめっちゃ疲れてんのか」

「やっぱり分かる?」



 学生といえど、呪術師である俺たちは常に任務に追われている。普通に授業だけで終わる日もあれば、朝から晩まで任務を入れられる日もある。同級生でも何日も顔を合わせない、なんてことは別に珍しくもなかった。特に春から夏にかけては繁忙期で、美月が転入してきてからはずっと忙しい日々が続いている。だがそれも、もうすぐ終わる。明日からはしばらく授業だけの日々が戻ってきそうで、こうして気晴らしというか半分は俺の下心だけれど、美月の元にやってきて映画に誘った。半分閉じかけた瞳と目の下に出来た隈に、タイミングを間違えたかと少し後悔する。



「ごめん、眠い?」

「眠い、けどこの映画見たかったんだ」

「その調子だと途中で寝そうだけど」

「私が寝たら部屋戻っていいからね。最後まで見ちゃってもいいし」

「おーそうする」



 重ねた両手の甲に顎を乗せたまま画面を見つめる美月に倣って、俺も映画に集中する。画面の中では宇宙からエイリアンが攻めてきて、有名な洋画俳優が子供を引き連れて逃げていた。紆余曲折を経てエイリアンを倒すというSF映画のありきたりな展開に思わず欠伸が出そうになる。これは美月が見たいと言っていた映画だけど、こいつはこんなのが好きなのかと隣に視線を移せば、いつの間にか美月は頬をシーツに付けてすやすやと寝息を立てていた。初めて見る美月の寝顔に、とくりと心臓が小さく脈打つ音が聞こえる。同じように頬をシーツにつけて近くで美月の寝顔を見つめれば、今触れてもバレないんじゃないか、なんてヨコシマな考えが頭を過る。誰も見ていない空間でそれを抑えられるはずもなく、そっと手を伸ばして美月の頬に触れてみる。ふに、と指が沈んで、その柔らかさに鳥肌が立った。女の頬って、こんなに柔らかいの?それともこいつだけ?頬だけでこの柔らかさって、じゃあ他の場所はどうなってんの?頬に触れていた手をそのまま撫でおろして、背中をすうっと伝っていく。腰のその下にある、少し小高い丘。そこは一体どれほど柔らかいのか。恐る恐る、俺は手を伸ばした。



「…………んっ」

「……!!!!」



 突然身じろいだ美月の声に、ビクリと伸ばしていた手が跳ねて慌てて引っ込めた。待て待て待て。俺は今何をしようとしてた?ほとんど無意識に、こいつの、その、身体を。



「〜〜〜〜ッ!」



 自分のしたことに一気に頭に熱が集まって、勢いのままガシガシと頭を掻きむしる。最悪だ。美月が寝ているのをいいことに、手を出そうとしてしまうなんて。「あー……」と誰にも聞かれることのない声をあげて、仰向けになって天井を眺める。好き。どうしようもなく好きだ。無意識に手を出してしまいそうになるくらいには。最初はただのクラスメイトくらいにしか思っていなかったのに、いつの間にこんなにも膨れ上がってしまったんだ。かといってこの気持ちを伝える勇気も、度胸も、タイミングもない。今度は横向きになってもう一度美月の寝顔を見つめる。正直に言えば、めちゃくちゃ触りたい。疲れているからそうそう目は覚まさないだろうとは、思う。でも、自分の中の理性がそれを許さない。万が一にもバレてしまえば、もう二度と傍にいることは出来なくなるから。



「……一緒に寝るくらいは、別にいい、よな?」



 返事が返ってくるはずもないのに、一人で確認してしまう。もし起きた時に何かを言われても、俺も映画の途中で寝てしまったことにしよう。ただ無防備なこの寝顔の前に、もう少し長く居座りたいと思う。分厚い唇から漏れる寝息をBGMに、眠りにつきたいと思う。最後にもう一度だけ柔らかい頬に触れて、ほんの少しだけ間の距離を詰めて俺も目を閉じた。ドキドキしすぎて疲れたせいか、途端に眠気が襲ってくる。鼻に飛び込む甘い香りが心地よくて、夢の中でも美月に会える気がした。自分よりも一回り小さな体に寄り添って、今夜だけ、そう心の中で何度も呟きながら、俺は美月を腕の中に閉じ込めて眠った。












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