12

 少し遠方の任務に出ていた。たったそれだけの間に、一年の3人が特級案件に派遣され、宿儺の器である虎杖悠仁が死んだ。通常であればあり得ない一年の派遣、それに加えてたまたま近くにいた美月が現場に駆け付け、格上の宿儺との戦闘の末に倒れたと聞いて、腸が煮えくり返って仕方がない。幸い宿儺の反転術式のおかげで悠仁は生き返ったわけだけども、今後のことを考えるとどうにも頭が痛かった。今回は無事で済んだけど、きっとこの先も悠仁は狙われ続けるのだろう。その前に彼を鍛えなくては。硝子にも協力を依頼して、これで悠仁が生きていることを知っているのは僕と硝子と伊地知だけ。もう一人協力をお願いしたいな、と窓の外に視線を向けたら、外はもう真っ暗だった。お昼過ぎに恵に美月の見舞いを頼んだけれど、彼女はもう寝てしまっているだろうか。



「ねえ五条せんせー」

「どうしたの悠仁」

「美月ちゃんは、無事だった?」



 映画から目を離さずにそう聞いた悠仁は、少しだけ眉を下げると一時停止ボタンを押した。「無事だよ、寝込んでるけど」次に再生するDVDを選びながらそう言ってやれば、悠仁は安心したように息を吐いた。



「必死に俺を止めてくれたんだ。俺が伏黒を殺しちゃわないように」

「ほんと生徒想いの先生だよね。連れてきて正解だった」

「美月ちゃんは優しいからさ、きっと今頃泣いてるんだろうなあ」



 ぎゅっと夜蛾学長の呪骸を抱きしめた悠仁は、突然目を覚まして動き出したソレに顎を殴られて勢いよく仰け反った。「痛えっ!!」と叫ぶ悠仁を横目に、彼の言う通り美月は今頃自分を責めて落ち込んでいるのだろうと思う。それを慰めるのは、悠仁ではなく僕の役目だ。恵がお見舞いに行ったから大丈夫だろうけど、自分の目でちゃんと確認しておきたい。弱い部分を見せるのがへたくそな子だから、こちらから強引にでも甘やかしてあげなければ。



「じゃ、僕は用事があるので」



 学長の呪骸にぼこぼこに殴られて頬を腫らした悠仁に声をかけると、悠仁は「美月ちゃんのとこ?」とこちらを振り返った。その問いに笑顔を返して、高専の寮へと足を向ける。悠仁にはこのまま映画を見てひたすら呪力のコントロールに集中してもらって、僕は夜蛾学長の元へ。その前に少しだけ、美月の様子を見ておきたかった。任務に復帰したばかりの上にあの宿儺を相手にしたのだ、いつも以上に疲弊しているに違いない。硝子も今日は上への報告で忙しくて美月のところには行けていないだろう。あの美月が生徒である恵を頼るとは思えないし。歩く度にギシギシと床が軋む音をできるだけ抑えながら、寮の一番奥の部屋を目指す。ノックもせずに扉を開けば、開けっ放しの窓ガラスがカタリと揺れた。ベッドの中でスース―と寝息を立てている美月を横目に冷蔵庫の中を確認すると、僕が恵に渡したであろう冷えピタと、飲みかけのスポーツドリンクが入っている。美月の額にはもう温くなった冷えピタが貼られたままになっていて、新しいものと変えてやると美月の瞼がぴくりと揺れた。「美月、」小さく呼びかけると、長い睫毛がそっと持ち上げられる。何度か瞬きをした後、美月は僕を視界に捕えるとゆっくりと上体を起こした。



「………さとる」

「ごめんね、遅くなって。体調はどう?」

「わたしは、大丈夫………」



 顔色を確認しようと顔を覗き込むと、美月はすぐに視線を逸らした。赤みの残る頬とは別に、少し腫れた目元。いつもより少し掠れた声。泣いて、いたのだろうか。一向に視線を合わせようとしない美月の瞳は、ゆらゆらと揺れて今にも泣いてしまいそうだ。「背中、拭いてあげるよ。気持ち悪いでしょ」跳ねてしまった髪を撫でながらそう言えば、美月はこくりと頷くと僕に背を向けた。昔は恥ずかしがっていたのに、そんな余裕もないのか美月はすぐに上着を脱ぎ捨てて、下着のホックも外す。以前と変わらない綺麗な背中は小刻みに震えていて、こちらから顔は見えないが泣いているのがすぐに分かった。その背中に濡れたタオルをそっと滑らせると、美月はぎゅっとシーツを握りしめた。



「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。僕からは何も、見えないから」



 そう言いながら丁寧に背中を拭いていけば、小さな嗚咽が聞こえた。昔よりも小さくなったように感じるその背中で、きっと必死に生徒を守ったのだろう。美月だって呪術師としての経験があるのだ、宿儺を目の前にして恐怖を感じなかったはずがない。硝子に治してもらうほどでもない青いアザが、身体のいたるところにできている。僕や恵とは違う。彼女は一般的な術師で、特別に強いわけでも、才能があるわけでもない。一歩間違えれば、命を落としたっておかしくないのだ。きっと自分でもそれを自覚している。それでも、彼女は逃げ出さずに宿儺に向き合った。そんなところも美月の魅力だけれど、いつかこの手からこぼれ落ちてしまうんじゃないかと不安になる。それでも、彼女を呪術界に引きずり込んででも傍に置きたいなんて思ってしまう僕は歪んでいる。



「ごめんね、悟」

「それって、悠仁のこと?」

「……うん。私、守れなかった」

「美月は、よくやってくれたよ。死ぬと分かっていて宿儺と替わったのは、悠仁の意思だ」



 こっち向いて、と美月の頬に手を添えてこちらを振り向かせる。僕を見つめた美月の瞳はやはり濡れていて、キラキラとわずかな光を反射していた。まだ乾いていない涙の跡をそっと拭うと、美月は瞬きをしてもう一度雫を零した。小さな背中をそのまま抱きしめると、今度は美月は隠すことなく涙を流して肩を震わせる。今日はもうゆっくり休んで、そう言って頭を撫でると、美月はもう一度小さな声で謝った。彼女の熱が下がったら、悠仁のことを教えてあげよう。彼女が宿儺を食い止めたことで、悠仁の心は死なずにすんだと伝えてあげよう。とりあえず今日は、余計なことは考えずに体を休めてほしい。美月から体を離して電気を消してやると、暗い部屋からありがとうと控えめな声が聞こえた。





- ナノ -