口にした想い




 店内から出ると冷たい風が素足を撫でて、思わず自分の体を抱きしめた。秋を思わせる匂いにそろそろ冬物を出さなければと頭の隅で考えて、明るく灯る街灯を見上げる。ネオン街の煌めきの中に立っているはずなのに、心は正反対に暗く沈んでいた。



「梨央ちゃん酔ってるみたいだし、家まで送るよ」

「いえ、私は……」



 合コンも終わりお店を出たところでそれぞれ気に入った人と一緒に帰るというお決まりの流れに、私は気が進まなくて一人お店の前に佇んでいた。このまま誰も私に気付かずに帰ってしまえば、私も心置きなく一人で帰れる。そう思っていたのに、合コンでやたら親しげに話しかけてきた鈴木さんは、みんなが帰ってしまったところで私の隣を陣取って離れなかった。元々乗り気ではなかったために終始そっけない態度をとっていたはずなのに、鈴木さんはそれを気にするどころがぐいぐいと距離を詰めてきた。私は、この人の下の名前も、仕事も、何一つ覚えていないのに。



「最寄りどこ?それともどこかで休憩する?」

「はなして、ください」

「そんなこと言うなって」



 にやりと口元を歪ませた彼は、嫌がる私の腕を掴んだ。痛くて振り払いたいのに力が入らなくて、酔いが回って足元がよろける。周りにはたくさんの人がいるのに、誰もかれもが見て見ぬふりをしている。それもそうだ。酔った女と男の揉め事なんて、誰だって関わりたくないに決まっている。私だってきっとそうするだろう。

助けて五条さん、そう心の中で無意識に叫んで、思わず視界が滲んだ。五条さんが来るはずなんてないのに、なんて惨めなんだろう。こんな合コンに参加したって、私はまだ、こんなにも。



「おい、その手離せよ」



 ふいに低い声をともに長い手が伸びてきて、鈴木さんの腕を掴んでひねり上げた。いてえ!と叫ぶ彼のことを冷ややかに見下ろしていたのは私が望んでいた人で、久しぶりに見るその姿に緊張の糸が切れて、瞳に溜まっていた涙が頬を伝っていった。それを見た彼は大きな瞳をさらに見開いて、途端に不機嫌に眉を潜めた。



「痛い!分かったから放せって!」

「人の女泣かせといて、それで済むと思ってんの?」



 身長の高い五条さんに見下ろされた鈴木さんは気の毒なほどに震えていて、私は思わず五条さんの袖を軽く引っ張った。「わたしは、だいじょうぶですから」驚きと寒さのあまり震えていた声を絞り出すと、五条さんはしばらく黙ったままだったけれど、諦めたように鈴木さんの腕を放した。男いたのかよ、と捨て台詞を吐いて逃げていく鈴木さんの背中をずっと睨んでいた五条さんはちらりと視線を私に向けると、自分の袖で少し乱暴に私の頬を拭った。



「家まで、送る」



 周りの視線を感じた五条さんは私の手を握ると、それだけ言って歩き始めた。私はそれを振り払うなんてこともできなくて、ただ黙って頷いた。

いつもは温かい五条さんの手が、今日はとても冷たかった。鼻と頬も少し赤くなっていて、どれだけ外にいたんだろうとぼんやりと頭を働かせる。どうしてここにいたの。どうして助けてくれたの。どうして連絡くれなかったの。聞きたいことは山ほどあるのに、ただ手を繋いで歩いているこの時間が心地よくて、そんな疑問もどうでもよく思えた。

 繁華街を二人で並んで歩いて、電車に乗って、最寄り駅で降りて住宅街をただただ黙って歩く。私のマンションに着くまでの間、五条さんはずっと私の手を引いてくれた。寒いし、温かいお茶でも飲んでいきますか。離れがたくて適当に選んだ理由だったけれど、五条さんは頷いて私の部屋までついてきた。



「今日のあれ、合コン?」



 今お茶淹れるので座っててください。そう言ってキッチンで以前買ったはずの茶葉を探していたら、五条さんはソファには座らずに、後ろから私を抱きしめた。突然背中に感じる五条さんの熱と声に、とくんと心臓が跳ねる。そうです、と棚を漁っていた手を止めて答えると、五条さんはさっきよりも腕に力を込めた。



「男と一緒に店に入っていったから、そうじゃないかと思って待っててよかったよ」

「えっ、ずっと外で出てくるの待ってたんですか!?」



 合コンが始まってから解散するまで、二時間以上はあったはずだ。その間ずっと外で待っていたというのなら、手も顔も冷え切っていたのも頷ける。どうしてそんなこと、と聞くと、五条さんは私の肩に顔を埋めて、「だって君、すぐ連れていかれそうだから」と言い放った。そんなことはない、と言いかけたけれど、自分の今までの行動を思い返して辞めた。そうだ、私は付き合ってもいない五条さんの家にホイホイとついて行って体の関係を持ってしまったのだから、そういう風に思われたって仕方がない。たとえそれが五条さんにだけだったとしても、五条さんからすれば私は簡単についてくる女なのだ。



「僕がずっとほったらかしてたから、他の男のところに行こうとしたの?」



 くるりと体を回転させられて、五条さんの瞳が正面から私を見つめた。悲しげに揺れる青い瞳は真っすぐに私を映していて、目が逸らせない。そうだとも、違うとも言えなかった。五条さんを、忘れてしまいたかった。でも忘れるなんてできなかった。



「僕のこと、好きだって言ってたのに」



 責めるようなことを言っているのに、五条さんの手は優しく私の髪を撫でた。ごめんなさい、小さな声だったけれど二人の吐息しか聞こえない空間では十分だったようで、五条さんはさらに眉間に皺を寄せた。僕のこと嫌いになった?といつもの態度からは感じられないほど弱々しく問いかけた五条さんは、ゆっくりと私を引き寄せて腕の中に閉じ込める。そんなことないと言葉で言っても伝わらない気がして、私は五条さんの背中に手をまわしてグッとシャツを掴んだ。



「なんで、合コンなんか」

「……私、五条さんに遊ばれたんだって、思って」

「はぁ?なんで」

「だって、五条さん、あれから一度も連絡くれなかったから…」



 ライン送ったのに、と付け足すと、五条さんは思い出したように「あ」と声を漏らすと、私の体を離して自分の頭をガシガシと掻き乱した。不安げに見上げる私を見てバツが悪そうな顔をすると、ポケットから真新しいスマホを取り出して見せた。



「ごめん。あのあとすぐスマホ壊れちゃって、連絡できなかったんだ。データも全部消えちゃったし。だから、会社に行けば会えると思って下で待ってた」

「そんな…だったら七海に伝えてくれればよかったのに」

「七海にお願いするのはなんか嫌だった。でも、そうしとけば良かったね」



 ふ、と柔らかく笑った五条さんにつられて笑うと、梨央、と名前を呼ばれてまた抱き締められる。先ほどよりも温かくなった体温が心地よくて目を閉じたら、甘やかすように頭を撫でられた。彼の手はいつだって優しい。手を引いてくれる時も、頬に触れる時も、頭を撫でてくれる時も。もっと、と訴えるように頬を彼の胸に摺り寄せると、きゅ、とさらに距離が近くなる。



「五条さん、私、言葉にしてくれないと分からないんです」



 五条さんの胸に顔を埋めたままそう言ったら、五条さんはしばらく黙って、それから「そうだったね」と言って笑った。少し体を離して私の顎を掬い上げると、鼻通しが触れてしまいそうな距離で、私を見つめた。



「僕はもうずっと、梨央が好きだよ」



 ずっと聞きたかった言葉を囁いてくれた五条さんは、そっと私の唇に触れた。






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