私と彼の知り合い




「塩派?キャラメル派?」

「私はキャラメルかなぁ」

「だよね。すいません、キャラメルポップコーンください」



 人の少ない朝一の映画館は静かで、私たちの声とポップコーンの弾ける音だけが響いている。少し早いけれど、この時間を選んで良かった。座席もほとんど空いているし、何より人目を気にしなくて良いというのが一番の利点だ。

隣にいる五条悟という男は、身長が高いだけでなく顔も良いために、どうしたって目立ってしまう。本人は慣れているせいか気にしていないものの、隣を歩く私まで注目を浴びてしまってどうにも落ち着かないのだ。



「朝から向坂さんに会えるなんて、最高の休日だね」



 今日は珍しく一日オフらしく、黒のニットに白パンツというシンプルな私服姿の五条さんは嬉しそうにキャラメルポップコーンを口に運んだ。

 あれから三か月。五条さんは空いている時間を見つけては、私を食事に誘ってくれるようになった。ランチだったりディナーだったり、はたまたティータイムだったり。どんなに短い時間でも、彼は私に声をかけた。急遽仕事でキャンセルされることも多かったけど、それでも時間を作ってくれることが嬉しくて、あまり気にならなかった。何度か会ううちに、五条さんの揶揄うような、口説くような甘い言葉にもずいぶん慣れた。彼から出てくるかわいいとか好きだとか、そういうのは挨拶みたいなものだ。



「お昼は何食べたいか考えた?」

「昨日いろいろ調べてみたんですけど、こことかどうですか?」



 隣の座席に腰掛けた五条さんに、昨日見つけたお店のページが開かれたスマホを差し出す。どれどれ、と五条さんは二人の間のひじ掛けにもたれて顔を寄せた。

 あ、今、すごく近い。それといい匂いがする。

私の手元を覗き込んだ五条さんの前髪が頬に触れてくすぐったい。この前私より一つ年上だと言っていたけれど、肌はくすみ一つなくて綺麗だ。多忙な割には肌が全然荒れていない。しっかりと手入れしているのだろうか。

 私は、こうして五条さんの顔をこっそり見つめるのが好きだ。大抵はすぐに気付かれて揶揄われてしまうけど、それでもやめられない。伏せられた睫毛は私よりも長く、真っ白で透き通っている。目が綺麗なのはもちろん、鼻筋も通っている。本当に、何度見ても綺麗な顔。



「さっきから見つめてるけど、もしかしてキスのお誘い?」

「え」



 いつの間にかサングラスを外した五条さんの目は私を捉えていた。鼻と鼻がくっついてしまいそうな距離で見つめられて、ごくりと唾を飲み込む。あ、えっと、と言葉を詰まらせる私に、五条さんはふっと笑みを浮かべて顔を寄せた。キスされる、そう思ってぎゅっと目を瞑ったけれど、五条さんは私の唇に触れることはなく、耳元で「映画始まっちゃうよ」と囁いた。



「…ッまたからかって…!」

「しーっ、ほらほら、始まるよ」



 唇に人差し指を添えてしてやったりと笑う五条さんは、すっと身を引くと、何事もなかったかのようにスクリーンに目を向けた。またやられた。恥ずかしくて悔しくて、でも何も言えない私は大人しく映画を見るしかなかった。








 結論から言うと、映画はめちゃくちゃ良かった。体中の水分がすべて出て行ってしまったんじゃないかと思うくらい、泣いた。というか今も泣いている。



「あはは、向坂さんってああいうラブストーリー好きだもんね」

「だって…恋人が死んじゃうなんて…!」

「最後生きてたけどね」



 映画館を出ても涙はなかなか止まらなくて、持ってきたハンカチで目元を拭った。こんなに泣いてしまうなんて予想外だ。恥ずかしいし、メイクも崩れているに違いない。ちょっとお手洗いに行ってきますと言うと、五条さんはじゃあ外で待ってるよと手を振った。

 化粧室に入ってすぐに鏡を確認すると、やはり酷いことになっていた。目は真っ赤だし、アイラインもマスカラもほとんど落ちてしまってぐちゃぐちゃだ。こんな顔、五条さんには見せられない。あまり待たせてしまっても申し訳ないので、手早く化粧を直して化粧室を出て五条さんの元へ向かうと、五条さんは誰かと話し込んでいるようだった。一緒にいるのはスーツ姿で、背は五条さんよりは低いがそれでも目立つほど長身の男性だ。仕事の話かもしれないと邪魔しないように少し離れたところで待っていると、五条さんの話し相手はふと視線をこちらに向け、目を丸くし、すぐに面倒くさそうな顔をした。

 あの顔、どこかで。



「……………あ、七海?」

「どうも、お久しぶりです」

「は?」



 渋々と私に声をかけた七海につられて、こちらに背を向けていた五条さんが振り返る。久しぶりだね、とお互い挨拶を交わす私たちを見て、五条さんは目を見開いて固まった。

 七海――私が以前働いていた職場の同期。ある日突然会社を辞めてしまって、特に連絡も取っていなかったが、見慣れない眼鏡は何も変わっていなかった。



「彼、前の職場での同期なんです。七海も五条さんと知り合いなの?」

「………私の、高校の頃からの先輩です」

「えっ、そうなんですか?」

「そうそう、僕のかわいい後輩。でもまさか向坂さんを知っていたとはね」



 僕、何も聞いてないんだけどと低いトーンで七海に詰め寄った五条さんは、口は笑っているのに目が笑っていない。七海もそれを知ってか、言うタイミングがなかったので、と真面目に返した。そんな二人のやりとりを不思議に思っていると、七海は私と五条さんを交互に見やって眉間に皺を寄せた。



「お二人はなぜ?」

「僕がナンパしたの。それで今デート中なんだよね。だから邪魔すんなよ」

「………では、私はこれで」

「あっ、七海、またね!」



 くるりと背を向けた七海は一度ちらりと私たちを振り返ったが、何も言わずにその場を去っていった。その背中を見送って、さっランチに行こうかと五条さんはさっきまでのトーンが嘘みたいに明るく言った。

 五条さんは自然に私の手を握ると、そのまま目的のカフェに向かって歩き出す。するりと絡められた指先にどくんと胸が高鳴りながらも先ほどの二人のやりとりが気になって、握った手にきゅっと力を入れると五条さんは視線をだけを私に投げた。



「あの、何か怒ってますか?」

「別に。それより、七海とはいつ頃知り合ったの?」

「えっと、私が新卒で入社した会社で知り合ったので、23の頃かな」



 自分で話を振った五条さんはふうんとだけ呟くと、つかつかと歩道を歩いていく。リーチの差があるせいで速さについていけなくて小走りになると、それに気づいた五条さんは、ごめんと小さく謝って速度を落としてくれた。さっきから、五条さんの様子がなんだか変だ。いつもは甘ったるいくらいに優しくしてくれるのに、さっきから私の目を見てくれない。



「五条さんと七海は高校の先輩後輩なんですね」

「うん。今も一緒に働いてるよ」

「えっ、じゃあ七海も先生をしてるんですか?」

「先生とは違うけどね。まあ職場は同じ」

「へえ。七海って、高校生の時、どんな感じだったんですか?」

「……それは、君の方がよく知ってるんじゃないの?」



 なんとか空気を変えようと質問を投げかけていると、先ほどとは違う明らかに不機嫌な声に、思わず足を止めた。私の方がよく知ってるって、どうして?私たちが知り合ったのは、大学を卒業してからなのに。

 戸惑う私の様子を見てはっと息を飲んだ五条さんは、「ごめん、今のは少し意地悪だった」と罰の悪そうな顔をした。人の往来を邪魔しないように端に寄り、五条さんはやっと私の目をちゃんと見てくれた。



「……七海が、七海の方が君をよく分かっている感じがして、嫉妬した」

「嫉妬って…え?」



 思ってもいなかった答えに目を丸くすると、五条さんはいつも見たいに優しく目を細めて私の髪をするりと撫でた。その手からごめんねと伝わってくるようで、私はされるがままになるしかなかった。五条さんの目は優しくて、でもいつも少し寂しがっているように見える。だからいつも見つめられると落ち着かないし、動けなくなってしまう。

 本当に、ただの嫉妬なんだろうか。そう思っても直接聞いてしまうのは違う気がして、そうですか、そんななんでもない言葉しか出てこなかった。





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