私の知らない誰か




 ふと見上げた空はいつもより青く澄み切っていて、普段生活している場所よりも高い建物が少ないせいか、空がより高く感じる。平日のお昼過ぎは人もまばらで、朝通った時よりも駅までの道のりはスムーズだった。商談も無事終わり、あとは帰るだけ。初めての仙台出張は思っていた以上に緊張していたようで一気に肩が重くなり、おろしたてのピンヒールがより疲労を感じさせる。本当は一刻も早く座って足を休めたいけれど、昨日帰宅前にさりげなく上司に言われた「お土産、よろしく」の言葉がそうはさせてくれなかった。初めて訪れるその場所の名物が分かるわけもなく、ただ改札近くのショーケースを覗き込みながら歩いていると、ある一つの大福に足が止まった。ふっくらと柔らかそうな生地の中には、餡と生クリームがたっぷりと詰まっている。わ、これ美味しそう。



「あの、すいません。これのおすすめの味って」

「梨央?」



ショーケースの向こう側にいる店員さんに声をかけようと顔を上げると、先にレジ前に立っていた人が私の名前を呼んだ。上から降ってきた聞き覚えのない声を辿って視線を上げると、190センチ近くはあるだろう長身の男性と目が合った。いや、目が合った、気がした。彼は、真っ黒なアイマスクのようなものをしていたから。

 なかなか見ない長身に、真っ白な頭。それに全身黒で統一された服。こんなに目立つ人、私の知り合いにいただろうか。



「あの…?」

「……ごめん、人違い、かな」



 突然伸びてきた手に思わず後退りをしたら、男性はすぐに手を引っ込めた。少しの沈黙の後、うすく笑みを作った男性は、何事もなかったかのようにショーケースを指差す。



「ずんだ生クリーム味」

「え?」

「これが一番おすすめだよ。僕もよく買うんだ」



 お土産買うんでしょ?と彼は自分が買ったであろう紙袋を持ち上げた。その言葉に自分がお土産選びに迷っていたことを思い出して、「あぁ、」と小さな声がもれる。彼が指差した先には、仙台名物のずんだ餡を包んだ鮮やかな大福が並んでいた。



「ありがとう、ございます」

「どういたしまして」



 それじゃあ僕はこれで、とひらひらと手を振って男性は背を向けた。

全身黒ずくめで目隠しをした、怪しい人。それでも彼の勧めてくれた大福は確かに美味しそうで、店員さんに声をかけて、私は初めて“喜久福”と呼ばれる大福を購入した。







 その後もいろいろとお土産を見て回って、新幹線に乗り込んだのは結局出発ギリギリの時間。混むことを見越して取っておいた指定席のチケットを片手に進むと、座席の背もたれから飛び出した見覚えのある白髪が目に入る。もしかして、と座席を覗いたら、やはり真っ黒な目隠しと目が合った。



「君、もしかしてここの席?」

「はい。…あ、先ほどはありがとうございました」



 長い足を窮屈そうに折り曲げている彼の隣に腰掛けながら、ついさっき彼に勧められて買った喜久福の紙袋を見せると、彼は嬉しそうに口角をあげた。



「お仕事帰り?」

「はい、出張で。そちらも?」

「まあそんなものかな。あ、僕は五条悟。よろしくね」

「向坂梨央です。よろしくお願いします」



 正直会ったばかりの人に名前を教えても良いものかと悩んだものの、彼、五条さんがあまりにも自然に名乗るものだから、つい名乗ってしまった。五条さんは私の名前を聞くと「向坂梨央さん、ね」と低い声で呟いた。見た目は怪しいけれど、不思議とそれを忘れさせるくらいのフレンドリーさもある。それと、五条さんの隣にいるのはなんだか居心地が良い。前から親しいような、そんな気さえしてくる。



「良かったらこれ食べる?新幹線で食べる用に買ったんだ」

「あ、はい、じゃあいただきます」



 語尾に音符でもつきそうな勢いで、五条さんはさっき買ったであろう喜久福をひとつくれた。ずんだ生クリーム味。手持ちの関係で自分用には買えなかったから、実はちょっと食べてみたかった。

 袋を開けて小さく一口齧ると、ふわりとずんだの香りが広がる。柔らかな餅の中から、程よく甘い優しい餡とクリームがあふれ出す。これは。



「美味しい…!」



 思わず五条さんの方を見ると、彼はやはり笑顔で。「でしょー?」とご機嫌な五条さんも喜久福を一口で頬張ると、うん、やっぱり美味しいねと微笑んだ。



「五条さんって、何のお仕事されてるんですか?」



 東京までは二時間と少し。大福までもらったのにその間ずっと黙っているのも変な気がして、当たり障りのないことを聞いてみた。正直人には言えない職業かもしれないとも思ったけれど、逆にプライベートな部分の方が聞きづらい。もう何個目か分からない喜久福を頬張りながら、五条さんはこちらを見た。



「こう見えても学校の先生をしてるんだよ」

「こう見えても」

「だってさっきから怪しい人を見る目で見つめてるから」

「う、すみません」



 確かにちらちらと盗み見ていたけど、バレているとは思わなかった。というか、“それ”はやっぱりちゃんと見えているんだ。

 仕事終わったしいいかな。そう呟いた五条さんは、私がずっと気になっていた目隠しに手をかけると、するりとそれを引き下ろした。彼の素顔を見て、思わず声を漏らす。

 髪と同じ真っ白な長い睫毛に、青空を思わせるような透き通った青い瞳。あまりにも整ったその顔は、神様が作った最高傑作ともいえるほど、綺麗だった。まるで時間が止まってしまったみたいに、そこから視線を外せなくなる。黙ったまま動けずにいる私を見て、五条さんはふふ、と目を細めた。



「なになに、かっこよすぎて見惚れちゃった?」

「え、あ…えっと、」



 目隠しを外した代わりにサングラスをかけた五条さんは、僕ってナイスガイだよねと得意げに笑う。そりゃあもう、あまりにも綺麗で驚いた。驚きすぎて言葉も出ない。テレビで見る俳優やモデルなんかよりも、彼はずっと美しかった。



「こういう顔、スキでしょ」

「そうですね…嫌いな人の方が少ないと思いますけど」

「もっとよく見てくれてもいいんだよ?」



 ずいっと顔を寄せられて、思わず仰け反る。それでも背の高い彼からは逃げられず、互いの息遣いすら感じられる距離で見つめられて、顔が熱くなるのが分かった。サングラスの隙間から覗く青い瞳が、より一層濃くなったような気がする。



「あはは、真っ赤になっちゃった。可愛いね」

「か、かわいいって…」



 初心だね〜とケラケラ笑った五条さんは、からかってゴメンネ?と自分の席に収まった。やっぱりからかわれてたんだ。そう思っても顔の熱は引かなくて、パタパタと手で扇ぐ。別に男性経験がないわけではないし、少し顔を近づけられたくらいで照れたりなんかしない。それでも、あの顔で、あの距離で見つめられれば、誰だってこうなるはずだ。誤魔化すようにお茶を飲んだけれど、焦りすぎて少し咽た。そんな私に笑いかける五条さんの目はとても優しくて、むず痒い。



「あの、そんな風に見つめられると、恥ずかしいんですけど…」

「だって向坂さんが可愛いから」

「また、そういうこと言って…」



 本当に思ってるよ、と少し低めのトーンで囁かれると、背中がゾクゾクとした。

 この人、絶対に慣れてる。こんなにかっこいいのだから、今までたくさんの女の人を堕としてきたんだろう。



「他の人にも言ってるんでしょ」

「言わないよー。向坂さんだけ」

「絶対言ってる!だってなんかチャラい!」

「酷い言われようだな」



 私の失礼な言葉に怒った様子もない五条さんは、やっぱり優しい眼差しを向けてくる。そういう目を、いつも向けている恋人でもいるんだろうか。そう考えてしまう自分が恥ずかしくなる。彼はついさっき出逢ったばかりの知らない人なのに。まんまとこの顔にしてやられるなんて。





その後も会話が途切れることはなくて、気づけば東京駅まであと10分というところまで来ていた。もうすぐ着くね、と五条さんが荷物を片付け始めたので、私も倣って出していたものをカバンに詰めた。仙台から東京まで二時間と少し。どう時間を潰そうかと考えていたのに、五条さんと話していたらあっという間だった。

 東京駅到着を知らせるアナウンスが流れて、胸がきゅっとなる。名残惜しいけれど、もう行かなければ。



「それじゃあ、私はこれで…」

「待って」



 電車を降りようと立ち上がったけれど、五条さんに腕を引かれて、再び座席に戻される。驚いて顔を見やると、五条さんは手のひらサイズのメモ用紙を私に差し出した。



「これ、僕の連絡先だから。気が向いたら連絡して」



 紙に書かれていたのは、電話番号とメッセージアプリのID。普段であればナンパだと言って断るはずなのに、待ってるから、と真剣な目に見つめられて、恥ずかしくなった私は五条さんの手からメモ用紙を奪った。返事をすることもできないまま、私は慌てて出口へ進む。五条さんも行先は同じ東京なのだからここで降りるのだろうけど、真剣な瞳と言葉にどうしようもないくらい心臓が跳ねて、私は振り返ることも出来ずに改札へ向かった。






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