誰もいないこの空間。 線香の独特の匂いを感じながら佇む私の視線は宙をさ迷いそして地面に落とされた。 白を基調とされた非現実的なこの場所に存在感を放つ花たちと線香、そしてアイツが眠る棺。 ぼんやりと合掌するわけでもなかった私の横に喪服を纏った男性が近付いた。 「お顔、拝見なされますか?」 『…お願いします』 無駄のない動きは彼がプロであることを証拠付けており、かくいう私も思わず見とれてしまい反応が少し遅れてしまった。 彼は白い棺までゆったりとした足取りで向かうと、一つ合掌をしてから硝子細工を扱うみたく優しい手つきでその戸を開ける。 役目を終えた彼は私に一礼するとそのまま外へと消えてしまい、再びこの空間には私とアイツの亡骸のみが残された。 心拍数を落ち着かせながらアイツの元へと向かい、開かれた戸の中を覗きこむ。 『おい、』 小さく蚊のような声でも閑静なこの場では大きく反響し、私の耳に届く。 呼び掛けられた側は勿論私の声に反応することはなく、今にもその瞼を開けそうな亡骸はまだ頬に(化粧かもしれないが)赤みがあった。 そのような冷静な考えが過ってながら私の心境は恐怖に塗り潰されていて、思わず一歩後ずさる。 だけどもここで逃げては背いてはいけないと己を叱咤し、震える足で再び棺に近付き中にいるアイツを見た。 (綺麗でしょ?) 瞬間、通夜が終わった直後に目を腫らしながら言った友人の言葉が頭をよぎった。 確かに綺麗で本当にただ眠っているみたいで、でも確かにコイツはもうこの世にいなくて――死んでしまっていて。 今まで夢のように思えた事実が急に私にのし掛かり、いやが上にもその存在を知らしめようとする。 その事実を認めてしまえば何かが壊れてしまいそうで、溢れるモノを出すまいとキツくもう開くことのないように瞼を閉ざす。 もう顔も思い出も声も仕草も口癖もボヤけてしまったアイツ。 どうしようもなく泣きそうになるのはこの非日常な空間に呑まれたからだとか、はたまた線香の煙が目に染みるからだとかだと信じたかった。 そうもしないと都合の良い私を、コイツの死を事実として受け入れてしまいそうになるから。 (もっと一緒にいたら良かった) (そう思うのは生者の勝手なエゴである) 2012/09/29 15:46 |