二十一話


 十二月上旬。暖房の効いた図書室で、薄暗い窓の外を眺めていると、ふにと固いものが頬を突いた。

「何ボーッとしとるん」
「あ・・・雪降るかなあって」
「なんやそれ。せやけど、確かに降り出しそうやな」

 頬を小突いてきたのは、忍足くんのシャープペンだった。眉を下げて笑う忍足くんの目は優しくて、そんな表情に胸をときめかせてしまう。
 例に漏れず、週末に控えた期末テストの勉強中だ。今回も忍足くんに勉強を付き合ってもらえて、こうして放課後の図書室で勉強している。忍足くんの教えもあって、前よりはかなり自力で頑張れるようになったけれど、それでもわからないところは教えてもらっている。それに結局この勉強会は、忍足くんと少しでも一緒に居たい、邪な気持ちからだ。
 忍足くんは、優しい。元から優しかったけれど、最近は更に、ずっと優しくなった。きっかけは、勿論文化祭の最終日からだ。




「・・・ごめんなさい、わたし」
「ええよ。・・・もう平気か?」
「うん、大丈夫・・・!」

 忍足くんの胸の中で一頻り泣いて、落ち着いた頃。まず意識してしまったのは、忍足くんに抱き締められている、という事実だった。

「あのね、だから、その」
「ん、あぁ、せやな」

 ゆっくり腕が解かれて、身体を離す。泣き崩れてたから意識から外れていたけど、一度思い直した途端心臓が物凄い速さで動き出した。忍足くんの体温とか、腕の逞しさとか、腕の中の広さ、匂い・・・って色々意識してしまって、顔がみるみる真っ赤になっていく。ど、どうしよう。暴れる心臓と、すぐ近くに居る忍足くんの存在に頭がどうにかなりそうだ。

「・・・足、」
「ふえっ!? あ、足! 軽い捻挫だからその、すぐに治るとは思うの! うん!」

 気が動転してうまく話せない。あぁもう、から回ってる・・・!

「階段で、怪我したんやんな」
「・・・あのね」
「?」
「もしかしたら、その、突き飛ばされた、かも」

 すらすらと言葉が出てこなくて、口ごもる。忍足くんにこんなこと、言うつもりがなかったから。告げ口するみたいで、言いづらかった。

「・・・ほんまか」
「うん・・・誰かわからなかったけど、女の子だった。後ろから押される感じがして」
「何か、心当たりは」
「・・・・・・」

 ユリカちゃんの、個人名を出すのは気が引けた。確証はなかったし。それに、仮にも忍足くんの元彼女だ。元彼女のこと、悪く言うのも気まずい。でも呼び出しを受けたことがあるのは事実だし、他に心当たりもなくて。私は、呼び出しを受けたことがあることと、ここ最近起きた嫌がらせのことを、全て話した。忍足くんは、黙って聞いていた。

「・・・みょうじ、保健室からここくるまでに、ユリカと会うたか?」
「え? ううん、会ってないよ」
「そうか・・・俺から一回当たってみるわ。なんや、俺絡みみたいやしな」
「・・・ごめんね」
「みょうじが謝ることとちゃうよ。気にせんとき」

 そう言って、優しく頭を撫でてくれた。今その手で撫でられると、余計にドキドキしてしまう。視線を下げると、先程まで埋めてた忍足くんの胸元が目に入って、恥ずかしくなって目を逸らした。

「忍足くん、どうしてここがわかったの?」
「ん?あぁ・・・これ、みょうじのやろ」

 そう言った忍足くんが、手のひらの中のものを差し出してきた。握られていたのは、ペンギンのキーホルダー。はっとしてスマホを手に取ると、確かに外れてしまっていた。また外れちゃってたんだ。しかも、もうネジがなくなっちゃって直せそうもない。

「保健室行ったときにな、みょうじが出てったばっかやって聞いたんや。そっから外出る方向向かっとったら、これ落ちとるんが見えてな」
「そうだったんだ」
「こいつが導いてくれたんやなあ」

 つぶらな瞳のペンギンのキャラクターを見つめる。この子のおかげで見つけて貰えたんだ。演劇部のシンデレラの発表を思い出す。ガラスの靴にしては子供っぽいし、社交ダンスは踊れなかったけど。だけど、忍足くんは来てくれた。やっぱり、忍足くんって王子様だ。そんなこと言ったら笑われちゃいそうだけど、本当にそう思った。

「・・・そろそろ、帰ろか。みょうじの鞄取ってくるから、ちょっと待っといてな」

 忍足くんは私の足をいたわって、上の階にある教室へ鞄を取りに行ってくれた。忘れていたけど、私は後片付けの途中で足を怪我して、そのままここに来たんだっけ。今日は後夜祭が終われば順次解散で、その後夜祭ももうすぐ終わるようだった。参加したかったな。あとでリカちゃんにLINEしておこう。そう思いながらぼんやりと空を見あげる。綺麗な三日月が、とてもよく見えた。

「お待たせ。ほな、帰ろ」
「うん、・・・わあっ!」

 ひょい、と忍足くんに抱き上げられて、体育祭の記憶が蘇る。捲れかけたスカートを必死で抑えながらも、忍足くんにしがみついた。

「裏門の方行くから、誰もおらへんから安心し」

 私が恥ずかしがるのを気遣ってくれたのだろう。でも、私が恥ずかしいのは他の人の目だけではなくて、忍足くんに密着してしまうことなんだけど・・・再び忍足くんの体温に包まれて、ドキドキした。恥ずかしい、けどなんとなくだけど、雰囲気に飲まれて少しだけ。少しだけ、くっつきたくなってしまった。きゅっと忍足くんの制服を掴んで、頭を忍足くんに預ける。忍足くんの心臓の音が聞こえた。忍足くんも、ドキドキしてる?
 人気のない裏門に辿り着くと、一台車が停まっていた。黒く光るその車は、・・・・・・私の勘違いでなければ、リムジンだった。
 忍足くんはなんでもないようにリムジンに近づくと、運転席から燕尾服を着た初老の男性が出てきて、ドアを開けてくれる。忍足くんはその、執事らしい人に声をかけると、私を車の中に滑り込ませた。

「え、え、えっと」
「すまん跡部、よろしゅう頼むわ」
「えっ、跡部くん」
「ったく、社交ダンスバックレたかと思えば車出せとは、お前も随分偉くなったもんだな、忍足。おいみょうじ、行き先は」
「あっはい! えっと、」

 リムジンに乗っていたのは、紛れもなく跡部くんで。運転席に座り直した執事さんは、私の告げた住所をナビに打ち込んだ後、車を発進させた。

「す、すみません、わざわざ・・・」
「気にするな、怪我人を歩かせるような真似しねえよ。俺が気に食わねえのはそっちの眼鏡だ」
「あとでちゃんと説明する言うたやろ。ほんま手厳しいな、跡部は」

 あ、跡部くんと忍足くんと、一緒に跡部くんの車に乗っている・・・なんでこんなことに。色んな意味での緊張で身体がガチガチに固くなった。跡部くんとはそもそも初対面なのに・・・全校生徒の名前を覚えてるって話、本当なんだな。緊張で目をぱちぱちさせていると、シートに置いていた手が、温かいもので包まれる。忍足くんが、手を握ってくれていた。

「今日、もう疲れたやろ。家着いたら、ゆっくり休みや」
「・・・うん」

 そう言った忍足くんの声は甘く優しくて、それだけで、少し安心してしまった。確かに、今日は一日が長くって、疲れた。ちょっと色んなことがありすぎて、精神的に疲れてしまったんだ。たくさん泣いたし。優しい力で握ってくれる手のぬくもりが、温かくて、心地良い。優しい気持ちが、皮膚を通して伝わってくるみたいだ。・・・今日は忍足くんとの距離がとても近くて、落ち着かない。でも、忍足くんが居てくれるお陰で、心が暖かくほぐれていくような心地だった。・・・その日の夜は、抱き締められたことをつい思い出して、なかなか寝付けなかったけれど。





 あれから、ちまちまとした嫌がらせはぱったりと止んだし、足もすぐに治った。ユリカちゃんは、学校を休んでいるみたい。忍足くんが言うには、話をしてくれたみたいなんだけど、詳しくは教えてもらえなかった。元々付き合っていた二人だから、私に言いたくないこともあったのかもしれない。だから、深くは聞かなかった。
 図書館の閉館時間になって、荷物をまとめて立ち上がった。

「ほな、帰ろか」
「うん。ね、忍足くん」
「ん? どないした?」
「あのね、・・・誕生日プレゼントのこと、なんだけど」

 そう、誕生日プレゼント。本来あの社交ダンスは、忍足くんへの誕生日プレゼントの代わりのものだったから。わたしはそのことがずっと気がかりで。

「社交ダンス、結局できなかったし、それどころかすっごい迷惑もかけちゃったし・・・お礼も込めて、他になにかしたくて」
「そんな、気にせんでええのに・・・」
「だって、今回だって勉強見てもらったりしてるわけだしね、お礼、したいの」

 私だって、忍足くんになにかしたい。もうかれこれずっと、助けてもらいっぱなしだ。忍足くんが何で喜ぶか、たくさん考えたけどやっぱりわからないし・・・忍足くんは少し考えるように視線を動かしたあと、「そやったら、」と口を開けた。

「テスト明けの日曜日、予定空いとるか?」
「日曜日? 空いてるけど・・・」
「ほんなら、決まり」

 薄く笑った忍足くんが、目を合わせてくる。視線に捕まっちゃったみたいで、ドキッとした。

「デート、してくれへん?」





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