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カカシくんが久しぶりに店に顔を出してしばらくしてのことだった。
その日、弟はみやびちゃんと所用のため店を休んでいた。アルバイトの子も出勤していたので、私が外に出てあれやこれやと動くポジションに入り、店番と厨房は先日退院したばかりの母に任せていた。

ピークも過ぎた午後、仕出弁当の空箱でいっぱいになった桶を抱えてほくほくしながらお得意先さんから店に戻ると、私は目に飛び込んできた光景に身体を硬直させた。

「ただいま戻りまし……」
「あら、カナお帰り!カカシくんが来てくれたのよ!」
「どーも」

先日見たばかりのカカシくんが、カウンター席に座っていた。定食を食べていたようで、彼は口をもぐもぐとさせながら胸の前でさり気なく手を振っていた。

「いらっしゃい……」
「なんだいその顔。幼なじみが来てくれたんだからもっと嬉しそうな顔しなさいよ」

母は眉間にシワを寄せて、怒ったように言う。彼女は昔からカカシくんをとても気に入っていた。
年頃になって私に彼氏が出来ても「カナには、カカシくんみたいなきちんとした男の子と付き合って欲しいな」なんてよく言っていた。
とにかく、カカシくんは娘を持つ母親という観点から、完璧な男の子だったようだ。

「別に嬉しくないわけじゃないよ。びっくりしただけ」

私は店の奥へと入り、空の容器を流しにまとめ入れ、桶を厨房の裏に戻しながら言った。その後手を洗い、調理場に入る時の身だしなみへと整える。

「愛想がないねぇ。子供の頃はこんな子じゃなかったのに……」
「まぁまぁ、そう言わずに」

カカシくんは笑顔で母を宥める。
私はこのとてもいい人そうに振舞う彼が、今日はどういった理由でやって来たのかが気になって「今日はあの生徒達とは一緒じゃないの?」とかなり遠回しに訊ねた。

「オレ一人だよ。今日は特別講習で別の上忍が見てる」
「そんなのもあったね。懐かしい」

エプロンの紐を結びながら私が言うと、丁度その時店の電話が鳴った。母がすぐさま「はいはーい」なんて独り言を言いながら受話器を取りに向かう。
カカシくんはその隙に、私の方をにやりと見ると「なんで来たの、って思った?」と意地悪く聞いた。
さすがカカシくん。私のことなんてお見通しのようだ。
それでも私は、「ううん、そんなことないよ」とにこやかに返す。

「嘘。顔に書いてあるよ」

彼はどうやら読心術まで身につけてしまったらしい。
私は観念して「あはは、バレた」と愛想笑いをした。

「それで、どういったご用件で?」
「定食を食べにきたんだよ」
「嘘だ。何かしら理由があるんでしょ?」
「ふふ、カナちゃんには敵わないな」

わざとらしい演技のような口ぶりだった。それにまた私をちゃん付けで呼んでいる。私は注意深く彼の様子を観察した。

「今日はこの前来たときはおばさんに会えなかったから、あきらに退院する日を聞いて会いにきたんだ」
「あきらに?最近また会ったの?」
「あぁ、ここへ来た日の何日か後に飲みに行ったんだ。お嫁さんも紹介してもらったよ」

私は彼の返事を聞くや否や、目を丸くした。
弟からはカカシくんと飲みに行くなんて話は全く聞いていなかった。
けれど何日か前に、確かに急に夜のシフトを代わって欲しいと言われた日があった。新婚だし色々あるのだろうと特に理由も聞かずに引き受けたが、まさかカカシくんとだったとは──
私は少しだけ裏切られた気分になる。それに、みやびちゃんも呼ばれていたなんて、完全に仲間外れだ。

「そうなんだ。よかったじゃない」

私はなるべく動揺しているのを悟られないよう、あっけらかんと言った。
いいタイミングで母が電話から戻ってきたので、私はこの場からなるべく距離を取ろうとホールへ出る。
何か出来ることはないかと空いた皿やお冷やが減っていないかを細かく確認するが、今日はピークも過ぎた上にアルバイトの子が一生懸命動いてくれていることもあって、すぐに私は手持ち無沙汰になってしまった。
若干の気まずさを感じながら厨房へ戻ると、カカシくんはまだ母とお喋りしながらのんびりと食事をとっている。

「こんな所でのんびりしてて大丈夫なの?任務は?」

私は少し苛つきながら言った。
今日はもうカカシくんに早く帰って欲しいと思ってしまう自分がいた。それは仲間外れにされたショックからなのか、はたまた初恋の相手にいい年をして意識をしすぎているからなのかは自分でもよくわからなかった。

「そもそも今日は非番でね」
「あぁ、そうなんだ……」

さっさと急がせて返してしまおうという私の作戦は失敗に終わり、心の中でため息をつく。
とにかく、今は彼と思い出を懐かしみながら話をしたりするよりは、遠くから眺めているくらいが気持ち的にはちょうどいい気がしていた。

「お休みの日は何してるの?上忍だとほとんどお休み貰えないでしょう」

一方母は久しぶりの彼に興味津々で、ズケズケといろんなことを質問していた。
一応私も彼に興味自体はとてもあるので、回収してきた弁当箱を洗いながら二人の話に耳を傾けていた。

「そうですねぇ……これといってすることもないので、のんびり家で本を読んだり、あとはまぁ新技を開発したりするくらいですかね」
「あら、どっか行ったりはしないの?」
「この年で彼女もいない独り身なもんで、休みの日はいつもそんな感じです」
「そうなの!」

その瞬間、母の声色が変わった気がした。まずい。
私は聞かなかったフリをして、わざとガチャガチャと音を立てて弁当箱を洗い続ける。

「カナー?」

機嫌の良さそうな声色で、母が私の名を呼ぶ。
こういう時、決まって母は何かを企んでいる。

「……なに」

私は振り返らず、低いトーンで返事をした。

「そういえば、今日は用事が終わったらあきらが店に出るって言ってたから、もうカナは上がってカカシくんとお茶でもしてきたら?」

思った通りだ。母はすぐにこういうお節介を焼きたがる。

「ちょっと母さん、何勝手なこと言ってるの?カカシくんにも予定ってもんがあるでしょ」

私は手を動かしながら、努めて冷静に返す。
それに、あきらが本当に店に出るかどうかも怪しい。まぁ、なんとか言って無理矢理連れてくるんだろうけれど。
しかし──

「いや、オレはこの後特に何もありませんけど」

カカシくんはとぼけた声で言った。思わず私は手に持っていた弁当箱をシンクに落とし、二人のいるカウンターの方を振り返った。
そこにあったのは、無言の圧力をかけてくる笑顔が二つ。

「カナちゃんとおばさんが良ければ是非」

カカシくんは、ニンマリとした笑みを浮かべていた。



結局私は母に店を追い出され、カカシくんとお茶をすることになってしまった。もう盛夏だと言うのに、珍しく春のように涼しい日だった。
お互い微妙な距離を保ったまま、無言で通りを歩く。私は久しぶりに彼と二人きりの状況に、ただお茶をするだけだと言うのに全身が緊張の糸でがんじがらめにされているようだった。鼓動がものすごい速度で弾み、少しでも呼吸のリズムを間違えたら息ができなくなりそうなほどだった。
私はこんなに余裕がないと言うのに、チラと彼を盗み見るとなんでもないような涼しい顔をしていた。
確かに彼は昔から少しすかしたような所があったが、それにしても落ち着き過ぎていた。まるで私なんて意識されていないような雰囲気で、少し悲しくなる。
あの頃の淡い気持ちは、もうすでに彼の中で溶けてなくなってしまっているように思えた。

私達は近くの茶屋へ入ると、私はわらび餅を、彼は食べたばかりと言うこともありコーヒーを頼んだ。

「急に連れ出して悪かったな」

通りに面した屋外の席について注文を終えると、対面に座っている彼が口を開いた。
笑っているのか真顔なのかよくわからない表情だった。

「ううん、別に」

私はなるべく緊張しているのがバレないよう、彼の首のあたりを見ながらゆっくりと言葉を返した。顔を見て話すほどの余裕は無かった。

「おばさん、元気そうでよかったよ。変わらないね」
「店に出てる時はね。たまにやっぱり年取ったなぁ、って心配になることが増えたよ」
「そう。じゃあますます花嫁姿、早く見せてやらないとな」
「う、うん……そうだね」

この前彼氏と別れたことを言ったのに、聞いていなかったのだろうか。それとも聞いたのを忘れるくらい興味がないのだろうか。
考えても無駄なので、さらりと流すことにした。
その意に反して、彼は話題を深堀する。

「でも家を出るってことは、自由になるわけでしょ?もう忍に戻りたいとかは思わないの?」

難しい質問だった。
確かに私は、自分の命惜しさに一度忍の道を諦めた。しかし、上忍として立派に任務をこなしている元同期達の活躍ぶりを耳にする度、やはり心のどこかで続けていたらと後悔することもあった。そして、店を離れてやりたい事が出来る様になったら、再びその道を目指す……なんてこともいいなぁなんて思ってもいた。
けれど、それを他言することは決してしなかった。
命をかけて里を守るべき忍があんな情けない理由で辞めておいて、世の中が平和になってきた途端、元に戻りたいですなんて都合の良い出戻りはおいそれと許されるべきではないと考えていたからだ。

「思わないかな」

だから、私は彼の質問に対して否定をした。

「どうして?」
「私は人を救えるほど強くないし、自分の命を里に捧げられるほど肝も座ってない。やっぱり自分が一番かわいいって思っちゃうからダメなのよ」
「でももう今はそんな時代でもない。木ノ葉病院で地道に医療忍者として働くことも出来る。まぁずっとそうである保証もないけどね」
「そもそもあんな逃げ方しといて戻るなんて、ずっと続けてきた同期達にも恥ずかしくて顔向けできないよ」

お待たせしました、と店員が注文した品を運んで来た。
話がどんどん気まずい方向に向かっていっていることもあり、私は来るなりすぐに食べ始める。話題を変えて欲しかった。しかし、彼は一向に転換しようとしない。

「勿体無いと思わない?」
「思わないよ。私はもう普通の女の子として生きたい。未来の旦那さんと出会って、結婚して幸せな家庭を築きたい。それが今の一番の願いかな」
「ふーん」

彼はコーヒーのカップに口をつけながら淡々と相槌を打った。

「私はカカシくんとは違うから何にもなれないの。もうただの一般人だから」
「そっか。もし店を辞めて次の相手を見つけるまでの間、また忍に戻ったらどうかと思ったんだけどなぁ」
「もう忘れちゃったし、今更医療忍術検定の試験範囲なんて覚えられないわよ」
「本当?あきらはお姉ちゃんの部屋にはまだ検定の教本がたくさんある、って言ってたけど」

わざとらしくすっとぼけたような口ぶりだった。私はとんでもないところをつかれて、言葉にならない声が漏れ出る。
口からわらび餅がつるりと滑り落ちそうだった。

「あきら、カナちゃんのこと心配してたよ。店を頑張らせ過ぎたって」
「それで婚期逃したらオレのせいだとか面白おかしく言ってたんでしょ、あいつ。昔はかわいかったのに、ほーんと大きくなったら生意気になって」

なんとか調子を取り戻して、少しずつ話題を弟へと逸らそうとする。
とは言え、そう上手く行くはずもなく「もう元彼には未練ないの?」と再びガンガン掘り起こされていく。

「もう気持ちがお互い家族みたいになっちゃったの。私はそれでもよかったんだけど、向こうはダメだったみたいで。もう半年くらい前から終わりそうだなーとは思ってから、もうすーっかり未練なんてないかな!」
「そう。ならさっさと次に進めそうだな」

思い切って話すと、このあっさりした態度だ。向こうから尋ねてきたと言うのに、肩透かしを食らった気分だ。
私はすっかり消耗していた。もうこのわらび餅を食べ終わったら、用を思い出したとか言って退散しようと思った。

コーヒーを一口飲んだ後、不意に彼が空を見上げる。空には鷹が叫び声にも似た鳴き声を上げながら、大きく旋回していた。
この様子だと、緊急の召集だろうか。

「あれ、非番だって言ったのになぁ……」
「召集?」
「あぁ、何かあったらしい。せっかく付き合ってくれたのに悪かったな。ちょっくら火影様のところへ顔を出さにゃならん」

私はやっとカカシくんとこの緊張から開放されると思うと、内心ホッとしていた。
別に彼を嫌いになったわけじゃない。困惑の気持ちと、気疲れに耐えられず逃げ出したかった。

「ううん、休みの日も大変ね。いってらっしゃい」
「会計はこれで足りると思うから。それじゃ」

お会計は私も払うよ、そう言おうとする間も無く彼は目の前で立ち消えた。本当に一瞬だった。
テーブルの上に残されたお金を見ると、何か下に置いてあるのを見つけた。手にとって見ると、なんと花火大会のチケットだった。しかも珍しい特別観覧席のチケットだった。
お金とチケットを取り出し間違えたのかと思うが、金額は置いてある分で足りている。むしろ多いくらいだ。
なかなか見たことのないものをしげしげと眺めていると、ふと裏面に何か書いてあるのが見えた。綺麗な筆跡の文字だった。
読むと、「カナちゃん もしよかったら一緒に」と書かれている。

「花火、大会……」

呟いて、その言葉の感覚と本当にこれが今起こっていることなのかを確かめる。
あの夢で見た夏祭りの日、確か花火大会があった。
私はどうにか忘れようと心の中で灰色に染めて閉じ込めておいたカカシくんとの記憶を、ゆっくりじりじりと溶かすように思い返してゆく。一気に思い出してしまえば、どっと何かが溢れてしまいそうだった。
まだきっと幸せで、辛いことなんてほとんど知ることもなかったあの頃──私は記憶を溶かし始めてすぐに心の古傷がズキズキと痛むような気がして、もうそこでやめてしまった。つるんと柔らかくて冷たいわらび餅を食べて、一緒に胸の奥へ再び押し込む。一気に黒蜜の甘ったるい余韻が喉の奥に広がって、いくらか気持ちがマシになった。

全て食べ終えると、カカシくんが置いて行ったお金で会計を済ませ、さっさと店に戻った。
花火大会のチケットはとりあえず財布の札入れへと忍ばせ、次会った時に返そうとそれ以降チケットを見ないようにした。


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