プラネタリウム


   メッセージのやり取りは郁ちゃんにエールを送った日に途絶えていた。正確には邪魔になったらいけないからと思い、おやすみのタイミングで止めたのだけれど。
   さすがに例の出来事を真琴くんに言うわけにはいかず、みんなと夕食を楽しんだものの、頭の片隅ではずっと渦巻いていた。あれから数日経った今でも、少しでも思考に余裕があれば思い出してしまう。顔も勝手に、赤くなってしまう。
   そして約束の日曜日を二日後に控えた夜。あとは寝るだけの状態になって、ベッドの上で仰向けになりながらメッセージのトーク画面を開く。まだ連絡は来ていないので郁ちゃんとのトークは随分下のほうにあった。私から連絡したほうがいいのかな。して、いいのかな。でも、なんて送ったらいいんだろう。

「わあ?!」

   手に持ってきたスマホが突然通知音を鳴らして震え出す。驚きでつるりと滑ったスマホは天井に伸びていた腕から胸へと落下してきた。いたい、普通に痛い。

『明後日、ここに13時集合でいい?』

   痛みに悶えながら確認したメッセージにはそう綴られていた。さっきまで下のほうにあったはずのトークが一番上に来ている。
   郁ちゃんから、だ。認識した途端にぶわりと顔に熱が集中した。ご丁寧に駅のマップまで添付されている。内容はこの前のことには一切触れていない、至って普通の内容なのに。なんて返そうかとまた悶々する時間がやってきた。

/

   いつもよりちゃんとメイクして、髪もセットして、お気に入りのスカートを身に纏い、控えめなデザインの揺れるピアスを付けて家を出る。家にいるとそわそわして、落ち着かなくて、約束の十五分も前なのに駅に着いてしまった。
   しかも、心の準備にこの十五分を使おうと思ってたのに。改札を出て少し歩いた先に駅ビルのショーウィンドウの前に立つ郁ちゃんを発見してしまって、思わずたじろいだ。エミちゃんに言われた意気地が無いという言葉を思い出す。今になっても返す言葉はちっとも見当たらない。

「ねえ、あの子かっこよくない?」
「うわマジだ。超美形〜」

   駅の柱の影に身を潜めているとそんな言葉を耳が拾う。もう一度ちらりと郁ちゃんを見てみると、男の子を連れていない女の子たちが数名振り返っていくのが映った。
   ……いや、隣に男の子がいる子も振り返っている。意気地の無い心に焦りが生まれる。やっぱり郁ちゃんモテるよね。かっこいいし、身体はうんと鍛えてるし、なによりも誰よりも、綺麗だし。

「ナマエ?」

   盗み見ていた顔を引っこめて考え込んでいると、脳内を占めていた人物が突然視界に現れてぎょっと肩が跳ねる。

「えっ、あ、い、郁ちゃん!」
「ごめん。来てたの気づかなくて」
「ううん!全然!大丈夫!」

   大丈夫というか私が気づいてても怯んでただけなんだけど。余計なごめんを言わせてしまった。反省しながら見上げれば郁ちゃんの大きな瞳と目が合った。う、と思わず声を漏らす。もちろん聞き逃さない郁ちゃんはきょとんと私を見下ろした。

「……もしかして緊張してる?」
「す、するに決まってるじゃん!だって、この前、郁ちゃんが…」

   緊張というワードに大袈裟に身体が反応して固くなる。言葉の続きを言っていいのか分からない。自惚れているだけだったらどうしよう。ってゆうかなんで郁ちゃん、ものすごくいつもどおりなんだ。ずるりずるりと視線が地面へ落ちる。

「あれって伝わってたんだ」
「ひえ」
「ナマエのことだから、てっきり分かってないと思ったけど」
「……」

   言葉が思い浮かばず俯いているとそんな言葉が降ってきて、がばりと顔を上げる。口元に軽く手を添えていた郁ちゃんが、ほんの少し気まずそうに視線を逸らした。伝わってたんだってことは、つまり、私が都合よく受け取っていたのは合っていたらしい。
   鮮明になってしまった事実のせいで、ぱくぱくと開閉した口からは何の言葉も出てこなかった。顔がとっても熱くて、どうにかなりそう。たまらず口をぎゅうっと結ぶと、郁ちゃんが今度はくすりと笑う。

「緊張してていいよ。僕もするから」

   ほんの少し眉を下げて、困ったような笑顔で言われて心臓をまるごと持っていかれる。
   ねえ、どうしちゃったの郁ちゃん。そんなこと中学のときは言う子じゃなかったじゃん。そんなこと、そんな、胸の奥がきゅんってなるようなこと、言わなかったじゃん。どうして?いつから?
   ひとりじゃ絶対に答えの出ない問いをぐるぐる頭の中で巡らせていると「行こ」と言った郁ちゃんが行き先も言わずに歩きはじめる。慌ててあとを追いかけるけど、なんだか隣を歩くのが恐れ多い。地面に向かって降りている郁ちゃんの手を見て思ってしまう。今日は手、繋がないのかな。

「……」

   なに考えてるんだ私は…!

/

   しばらく歩いて商業施設へと辿り着いた。もちろんまだ緊張はしている。しているけれど、あまりにも郁ちゃんがいつもどおりに振る舞ってくれるものだから、だんだんと緊張にも慣れてきて、ここに来るまで会話が途切れることはほとんど無かった。途中でくすぐったい沈黙は数回流れたけども。
   しかし一体どこへ向かっているんだろう。何故か聞いてもはぐらかされてしまうので、ここまで大人しくついてきた。建物の奥へと進んでいき、郁ちゃんの目指していた目的地に到着するなり、自分の目がきらめいたのが分かった。

「プラネタリウムだ…!」
「来たことある?」
「ううん!むしろずっと来てみたかったところ!」

   興奮気味に訴えると郁ちゃんが安心したように笑う。しかもここは上京してくる前にいつか行きたいなと思って調べていた場所だった。岩鳶から車で一時間くらいのところにもプラネタリウムがあるけれど、都会のプラネタリウムだなんて聞いただけでもテンションが上がってしまう。

「ここなら、ナマエが喜ぶと思って」

   あまりにも平然と言うものだから、緩和されたはずの緊張がまたむくむくと膨らみだす。しかもチケットはネットで購入済みだったらしく、日曜日ということもあってそれなりに混んでいる購入カウンターに並ばずに中に入ることが出来た。
   なんでそんなスマートなんだろう。というかお金は。席に座ってから私の戸惑いに気がついたらしい郁ちゃんが「お金はいらないから」と先手をうってきた。だからなんでそんなにスマートなんだろう。

「よくない…」
「じゃあほかのとこで出してくれる?それならいいでしょ」
「……まあ、それなら。うん」
「ほら。もう始まるよ」

   私の歯切れの悪い返事なんて郁ちゃんはお構いなしだった。渋々鞄から出していた財布を閉まうとどこからかヒーリング音楽が鳴りはじめ、アロマの香りがふわりと漂ってきた。
   天井にきらりと一粒の星が浮かび、そこからじわじわと一面に星空が広がっていく。緊張が楽しみへとだんだん変わっていき、わあ、と声が溢れる。それは私だけでは無かったようで、会場のあちこちから驚きと感動の混ざった声が漏れていた。
   さっきちらっと見えたけど、ソファみたいなベッドみたいなシートの席もあった。もしあそこに郁ちゃんと並んでしまったら緊張でどうにかなってしまうかもしれない。今座っている一般のシートにもリクライニングがついている。さすが東京。感心を抱いているとアナウンスがスタートする。

『春の星空です。まずは北斗七星。北の空に並ぶ七つの星をごらんください。おおぐま座の腰と尻尾にあたる星です。北アメリカの伝説によれば−…』

「わー…」

   感嘆の声が止まらない。アナウンスも丁寧で、静かで心地いい。何度も思いを馳せた北斗七星がまだ昼間なのに輝いている。うっとりした視線をそのまま、天井から郁ちゃんのほうへと動かす。大きな瞳にきらきらと輝く星とリクライニングシートに預けられたサラサラの髪の毛を見て「…きれい」と思わず呟いた。

「綺麗だね」

   ゆるりとこちらを向いた大きな瞳がいつもより近くにあって、胸が早鐘を打つ。普通の声量よりも抑えられた声のせいでさらに刺激され、さっきまでぼろぼろと心の声を漏らしていたはずの口からは何も出なくなって、とにかくこくこくと頷いた。細めた目元をまた天井へと戻した郁ちゃんは少し重そうに瞼をゆっくり瞬かせている。

「郁ちゃん、ねむたい?」
「……少しだけ」
「いいにおいするもんね。寝ててもいいよ?」
「さすがに寝ないよ」
「喜びそうなとこ考えてくれただけで、う、うれしい、し」

   率直な感想を口にするだけなのに、言葉が勝手に尻すぼみなってしまって余計に恥ずかしい。なにも言わない郁ちゃんをおそるおそる見上げた。

「……郁ちゃん」
「やめて」

   やめて、と言われた理由がなんだか分かって、声を最小限に抑えてぷはっと吹き出した。周りの迷惑にならないよう、必死に口元を手のひらで覆って笑い声が漏れないように我慢する。

「ふ、ふふ」
「笑わないでよ」
「だって郁ちゃん、照れてるから」
「さっき言ったでしょ。僕も緊張するって」

   口を尖らせる郁ちゃんの顔が赤いことは予想でしかないけど、表情を見れば照れてることくらい分かる。何度も見てきたんだから。

「もう。可愛いね、郁ちゃんは」
「……言っとくけどそれ、こっちのセリフだから」

   言われた言葉が飲み込みきれず、身体も思考もフリーズした。分かりやすく言葉を失う私を見て今度は郁ちゃんがくすりと笑う。そんなふうに今まで、言わなかったじゃん。
   前言撤回、ここでも十分どうにかなりそうだ。


  

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