真白い闇に声一滴



「嘘」

「嘘つき」

「嘘、嘘、嘘」

「嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘」

「嘘、嘘嘘、嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘」

「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘」

「うそつき」


もう嘘以外の言葉を忘れそうだった。

椅子に縛り付けられたまま、向かい合うのは見知らぬ人間。男であったり女であったり。三十半ばの壮年であったり六十を過ぎた老人であったり、まだ成人に満たない子供の時もあった。そのどれもが一様にくたびれた顔で、目だけを爛々と光らせてあちらこちらを睥睨している。その様子から、何かしらの仕掛けでこちらを見えなくしていることが分かった。

相手とこちらを隔てる薄いガラスか、部屋の隅で燻っている白い霧か、天井からぶら下げられたたくさんのランタンか。それとも目に見えない他の何かが、常人には理解の外にある神秘を実現させているのだろう。


『私は操られていたんだ! あの闇の帝王にッ! でなかったら誰が実の家族を殺すものかッ! 私は無実だッ!』
「嘘、嘘、嘘、嘘」


羊皮紙の上を羽ペンが滑る音。目の前の男が髪を振り乱して絶叫する。どこからともなく現れた闇払いたちが男を引きずり、重苦しい扉の音を最後に再び広がる静寂。

たった一人部屋に残されて。ドゥルシネーアはまた目を瞑ることにした。



***



目を開ける。見覚えのある暗闇。湿っぽい空気と灰の臭い。ざらついた手触りのシーツを撫でたところで、これが明晰夢であることを理解した。

ドゥルシネーアが今いる闇払いたちの本部とは正反対の場所。この世界で一番長く過ごしたあの城が、いわゆる悪の軍勢の配下にあると知ったのはずいぶん最近のことだった。地下深くに広がる殺風景な寝室。ボロボロの灰色の天蓋がついたベッド。いつもそこで目を覚ます。眠る必要のない彼女が眠る理由は、ただそうであれと望まれたからだ。


「忌々しい」


擦れた英語が鼓膜に障る。


「貴様のようなマグルもどきが何故」


粘ついた声。ここの空気とそっくり。目蓋を軽く伏せたまま、ドゥルシネーアはその存在を流し見る。そして直感した。

この男は自分に嫉妬しているのだと。

ドゥルシネーアは少しだけ、彼に同情していた。人を殺し、自分を裂いてもなお得られなかった不老不死を持った女が突然に現れたのだ。しかも魔力なしのマグル。本当のマグルは恐らくこの男の存在すら感知できないだろうから、近いとすればスクイブだが。選民思想が強い男からすればマグルもどきで十分なのだろう。


「御機嫌よう。いい男が台無しですわね、ミスター」


いい男、は決して皮肉ではない。彼の面差しは確かに若い頃の美貌を残していた。たとえ幾度と繰り返された所業で魂を痛めつけ、体は痩せ衰え、肌も窶れ、毛は抜け去り、骨格までもが変形していようと。蛇のように吊り上がった目の色だけは変わらず美しいままなのだろう。

それら二つがより強く煌めいて、彼の憤りを直に感じた。

コンマゼロ秒で乾いた唇が吐き出す磔の呪文。何度も受けたそれだけは彼女の記憶にしっかりと刻み付けられている。あ、と口を開きかけたところで降り注ぐ耐えられない苦痛。苦痛。苦痛の雨。それでも結局終われば耐えきってしまったことと一緒だ。それこそ両手足の指では足りないほどの数を彼女は浴びてきた。


「ぁ、っふ、ふふ、これは魔力の無駄遣い、というのでしょうか。……八つ当たりは楽しくって?」
「黙れ」


白い喉に白い杖が食い込む。魔法族にとっては死を覚悟する脅迫の中、彼女は小さくあくびを溢した。眠かったわけではない。ワンパターンな流れに飽き飽きしていたのだ。

痛みは怖い。過ぎた傷は死に直結するから、生物は痛覚と恐怖とを切り離せない。それはドゥルシネーアとて同じはずなのに、慣れは恐怖を極限まで薄く淡く希釈させる。彼が姿を現すたびに。彼の気に障る態度を取るたびに。何度も同じ呪文を浴びた不死の身体は痛みに慣れ、同じく慣れた精神は口答えをする余裕を難なく生み出した。

反対に余裕をなくしていったのは相手の方だった。磔の呪文をかけている間はベッドの上で見るも無残にのたうち回る女が、終わった瞬間に拷問している相手に微笑みかけてくるのだから。男にはきつい皮肉に映ったことだろう。

煽るようなことを言えば痛い思いをするのはこちらの方だ。それでも言葉遊びの減らず口を叩き続けるのはドゥルシネーアが暇で仕方ないからだった。


「いつになったら外に出してくださるの? 私、そろそろこのお部屋のインテリアにも飽きてきましたの」


ドゥルシネーアがこの部屋に閉じ込められて、体感でおよそ十年の月日が経っていた。



***



結局あそこには二十年もいたわけだが。

名前が気付いたらドゥルシネーアとして生まれ落ちていたように。春島で読書をしていた途中、潮風にうんざりと瞬きをした時、緑の閃光が彼女の顔面に直撃した。まだ美青年の面影を色濃く残していた闇の帝王の呪文。それを受け止めてなお生き残った彼女を、彼は許さなかった。

あらゆる拷問を、実験を、八つ当たりを経て城の地下での幽閉が始まった。それからはただ無為に寝て起きてたまに八つ当たりされて寝て起きての繰り返しだ。長く生きてきた中でも久々に気が狂いそうな生活だった。もっとも、不老不死の再生力は精神的苦痛をも普段通りの不安定さまで回復させ続けたのだが。

残念なことに、無意味な幽閉生活は闇の帝王が打倒されてからも終わらなかった。押し入ってきた闇払いたちに拘束され、魔法省の地下深くで今度は椅子に縛り付けられている。当然だった。魔法使いではないがマグルの政府に問い合わせたところで戸籍などあるわけがない。しかも魔力はゼロなくせに魔法界のものを視認でき、なおかつ開心術と似たような能力を持っている。それも魔法ではない何かの能力なために閉心術などの魔法的防御が一切無効ときた。まあ、普通のマグルよろしく魔法が効くので開心術で彼女の思考は読み放題なのだが。

そんなわけで、彼女は闇払いたちからの尋問を終えてから、“仲間の情報を売れ”と言わんばかりに闇の魔法使いたちの嘘発見器として有用に使われているのだ。

その役目すら仮初であったことを再認識したのは、ある男がやって来た時のことだった。


「俺は無実だ」


今までここにやって来た魔法使いたちと同じ主張。けれど彼女は一瞬、喉の奥がつっかえる感覚を思い出した。今まで同じ単語しか繰り返してこなかったせいで、他の言葉をどう表現してよいか忘れていたのだ。


「俺がジェームズとリリーを裏切るわけがない。他に裏切り者がいる。そうだ、アイツだ、アイツが、」


張りのある肌。艶のある黒髪。疲れを滲ませているもののはっきりした顔立ち。二十歳を過ぎたばかり若者がすべてを威嚇している。ドゥルシネーアはすぐに分かった。紛れもない本心だと。今まで保身のために服従の呪文を言い訳にしてきた彼らとは違うと。


「ほんとう」


ようやっとひねり出した一言が闇払いたちに信用されることなどなく。いつも通り、男がアズカバンという監獄に送られたことを後で知った。


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