春が来れば懲りずにまた誰かの手を取るだろう



『汝、病める時も健やかなる時もギオルギー・ポポーヴィッチを支え、未来永劫愛し続けることを誓うか』


最悪な夢を見た。

マーマも着た赤色のサラファン。右手の薬指には金色の指輪。ちょっと古風で、でも憧れの結婚式だった。隣の相手があのギオルギー・ポポーヴィッチでなかったら。

ギオルギーは地元で有名な金持ちの息子だった。いつも鋭い角度の乱れたことのない角刈りがトレードマークの男。厚いコートの上からでも分かる均整の取れた筋肉。顔立ちはよくよく見れば整っており、髪型さえ変えれば今の比ではないほどモテるだろうと予想できた。そして、彼の見かけに隠れた本性に「騙された!」と嘆く女性が増えるのも、同じくらい簡単に予想できた。

ギオルギーは大層な夢想家だ。ロマンチストだ。感情豊かというべきか、芸術家気取りと言うべきか、彼の職業柄当たり前の技能というべきか。とにかく、彼はおよそ現代社会での恋愛観において風変りな……気持ち悪いほどに夢見がちな性分を持っていた。愛し合う者同士はいつでもキスをするべきだと考えているし、世界中の誰からも祝福されるべきだと信じ切っている。とりわけ自分のことになると特に夢見がちな価値観は加速する。何人の女性が付き合いきれずに離れていき、ギオルギーの歌だか詩だか分からない嘆きと呪詛を聞いたことか。数えるのもアホらしい。

そんな男と結婚する夢を見るなんて、もっとアホらしい。

夢見が悪かったせいで眠気が一向に収まらない。あくびの連発でヤコフコーチにリンクを追い出されたくらいだ。仕方なく自販機で買った缶コーヒー片手に談話室に行ってみると、件のギオルギーが沈痛な面持ちで座っていた。指を組んで俯いている様子はもはや見慣れていて一種のイベントに近いモノを感じる。つい昨日、恋人に振られたことを相談されたばかりだから別段驚くことではない。けれどあの夢を見たせいか、私は一本しかない缶コーヒーを彼の前に置いて、向かいの席で話を聞く姿勢を取ってしまった。普段ならコーヒーを奢ることもないし、こんな真面目な態度は取らないのに。


「何か考えていることがあるなら吐き出してしまった方が楽だよ」


ギオルギーは繊細な男ではあるが、御しやすい男でもある。傷心の彼の扱い方は心得たものだ。一度全て吐き出させてしまえばある程度は吹っ切ることができる。問題は彼の愛が多過ぎて小分けにして長期間聞かなければいけないことだが。1日1日コツコツ聞いてやれば勝手に立ち直るだろうと、私はまだ俯いたままの彼を見やる。

すると途端に、彼は顔を上げて私を見返してきた。死にそうなほど真っ白な顔色だった。


「……お前は私のことが好きなのか?」
「あ”?」


悪夢が現実になった。

一瞬よぎった結婚式の誓いの言葉。それに近い単語がタイムリーに聞こえて変な声が出た。軽く咳払いして誤魔化してみてもギオルギーの怯えた目は変わらない。この中身だけは優男な彼が女性に向けるには失礼すぎる目だ。


「お、お前は私の相談に彼是二十年近く乗っているだろう。好きじゃなければこれほど真摯に付き合えないんじゃなかと、」


ミラが……。

珍しくハッキリしない言葉の端で聞こえた名前に殺意が湧いた。


「この二十年の付き合いをミラの一言でひっくり返すわけ」
「……すまなかった」
「分かれば良い」


結局飲まないらしいコーヒーは有り難く私の元に戻ってきた。プルタブに指を何度か引っ掛けている間、ふとさっきのギオルギーの悲痛な顔が浮かんでは消える。


「ていうか、仮にも長年の幼馴染が自分のことを好きかもしれない、ってなった時の顔じゃないよね、さっきの」
「それはそうだろう」
「へえ?」
「二十年もの間自分の好きな相手から恋の相談を聞かされ続けるとは、どんな苦行だろうと」


…………そういうところが憎めないんだよ。


「おい、どうした。固くて開けられないのか」
「ああ、うん、えーと、うん」
「相変わらず変なヤツだな」


テーブルに突っ伏してしまった私にギオルギーは見当はずれなことを言い始める。

ギオルギーは確かにロマンチストの権化で痛々しい男だが、悪い人間では決してない。ちょっと思い込みが激しいのと愛が重いのがなければ比較的善良な部類だ。では何故女性に振られるのか。それは彼女たちとギオルギーの愛の重さが釣り合っていないからだ。『好きだ愛している永遠に一緒にいよう僕のプリンセス』と本気で迫って来る角刈り頭は狂気だ。最初は誰よりも自分を愛してくれる男に良い気になっていたものの、限度を超えてそれをされれば耐えきれるわけがない。ギオルギーの頭の中にはお試しで付き合うという可能性なんか微塵もなく、最初から最後までずっと相手と添い遂げる気しかないんだ。とんだ貞淑さだ。ヤマトナデシコかなんかか。

私の手から取り出された缶コーヒーがプシュッと開けられて戻ってきた。


「いいよ、やるよソレ」
「私は紅茶派なのだが」
「おっまえ正直者が過ぎるだろ」


知ってたけど。


「ギオルギーは恋人より旦那向きだよな」


正直者だし、トチ狂っても浮気はしないし、自分の子供はうんざりするほど可愛がるに違いない。


「別れた子たちももったいないことしたよ。私だったら死んでも別れない」


たぶん。

缶の中身を全部一気飲みすると寝不足が嘘みたいにスッキリした。カフェインとか関係なく苦味のせいだと思う。私、普段はカフェラテ派だけど今日は嫌がらせみたいな色のブラック買ったし。盛大にでっかいシワを眉間に寄せながら近くのウォーターサーバーから口直しの水を捻り出す。うっま。流石金かけてる硬水うまい。


「ギオルギー、水いる? ギオルギー、おーい、ギオルギー・ポポーヴィッチ!」


返事がない、ただの屍のようだ。そういや昨日まで恋に破れた屍だったわ。

私はグビグビ水を飲むことに夢中で、机に突っ伏して動かなくなったギオルギーをしばらく放置した。風邪を引かなきゃいいなあと思いつつ、白い肌がピンク色になっていたから手遅れかもしれない。まあ、話は聞いてやったし、きっと明日には愛すべき馬鹿は戻ってくるだろう。空の缶コーヒーを奴の目の前に置いて私はリンクに戻ることにした。

何年か後に結婚しそうな二人。ギオルギー幸せになって。

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