銀色のお皿にきみの骨を並べて恭しく手を合わせて



鶴丸国永は泣いていた。

涙は一滴たりとも頬を濡らさなかったが、心は六月の雨のようにさめざめと泣いていた。刀が何を、とは思っても止まるわけでもなく。少なくとも人の生を優に超えるほどにはそれを繰り返している。伏見の神社から取り出され、数多の人の手に渡ること幾百年。主と共に入った墓を荒らされた時に感じた獣のような怒りは為りを潜め、陰鬱とした悲しみが鶴丸の心をじわじわと蝕んでいた。


「やれ、こんなところに同胞か」


誰とも知れぬ人間の倉。大金と引き換えに手に入れられたこの身を薄暗い室に置かれてしばらく。同じような経緯でやってきたらしい刀は鶴丸に馴れ馴れしい挨拶を寄越した。柄に数珠が巻かれた太刀の傍らに長い金糸の髪をした付喪神が無表情に立っている。菩提樹の色の髪か、と。一目見ただけでその色を感じ取り、二目で聖人に纏わるものなのだと分かった。


「お前も飾られていた口か」


肉の器を持たぬゆえ、年単位で発していなくとも張りのある声が相手の元にまで飛んでいく。けれど鶴丸の目はまた別の虚空を写したまま、その刀の方へは向いていなかった。


「いかにも。貴殿もそうなのか」
「俺は寺じゃなく神社だがな」
「なるほど、信仰を異にするもの同士の縁が交わったか」
「神道なんぞ信じた覚えはない」


褒められたものではない鶴丸の態度を気にした様子もなく、むしろその刀は身に纏う神気と不似合いな乱暴な動作でその場に腰を降ろす。その拍子に尻の下に敷いたらしい長い髪の毛が痛かったらしく、次に続いた言葉には少しだけうめき声が混じった。


「奇遇だな、やつがれもそうだ」
「へえ」


そこで鶴丸はやっとその刀に興味を向けた。寺やら神仏やらに興味もなければ恨みもない。だが聖人の気を纏った刀が信仰を疑わせるような言葉を口にしたことが少しだけ面白かったのだ。続きを促すように澱んだ琥珀に改めて黒檀を写し、邪魔くさそうに長い髪を払う様をジッと眺める。が、刀は鶴丸の興味に付き合う気はないらしく、そのまま近くの柱に寄りかかるなり黒檀を瞼の下に隠してしまったのだ。


「おい、寝るな寝るな」
「ちと傷心中でな。眠うて仕方ないのだ」
「せっかく暇潰しの相手ができたってのに。お互い久しく会った同胞だぜ?」
「同じ付喪の末席を汚しただけだろうて。長く生きればまた他のに、あえるだろう……」
「は? 生きる?」


俺たちは刀だというのに?

最後だけ欠伸混じりの空気を多分に含んだ言葉を告げ、すやすやと眠りに落ちたその刀を鶴丸は唖然と見つめていた。さめざめと雨を降らせていた暗雲に何かが横槍を入れてきたような、なんとも言えない感覚に濁っていた瞳が急激に冴えていった。


「これはこれで、驚いたが」


なんとも名伏し難い驚きだ。

神は自分勝手で傲慢であると良く言うが、付喪神は人に寄り添って存在するせいか比較的常識的なものが多い、はず。だのにその付喪神であるはずの目の前の刀は同じ時代に作られた鶴丸から見ても自由過ぎる刀だった。彼とて寺から無理やりこのような見知らぬ場所に移されたのだろうに。一度は墓を暴かれ怒り狂い、今度は神社から取り出され泣き疲れた。鶴丸の今までの心の情動が清々しいほどにどうでもよくなる。強烈、とまではいかなくとも長年付き纏ってきた気持ち悪い靄を晴らす程度には鮮烈な驚きだった。

付喪神であろうが神は神。神らしく自由に、傲慢にあってもよいのではないか。彼本来の性質である驚き好きが胸の内からせり上がってくる。途端に、今まで涙で鮮度を失っていた景色がようやっと正しく見えたような気がした。


「はは、退屈で死んでしまいそうだぜ……」


そうだ。俺たちは物だが、生きている物だ。
生きている物は、いつか死ぬのだ。

どこで死ぬか。いつ朽ちるのか。それは神たる鶴丸にも分からないことではあったが、それでも。できることなら刀として死にたいものだ。さめざめとした六月の雨の隙間からは七月の晴天へと様相を変えていく。それは鶴丸国永という刀が心の“死”というものを本当に理解した瞬間。自分という個が生きているという現実を受け止めた瞬間。

それを知るきっかけを与えた刀が己を差し置いて眠りこけているという嬉しくない驚きはいらなかったとは後の言である。

それから幾百の年月が流れた、西暦2205年。


「なんだ鶴丸よ、そのまま口吸いでもするつもりか」


淡い色の睫毛が僅かに揺れたと思えば、薄い唇が揶揄するように弧を描く。縁側で無防備な寝顔を晒していた数珠丸恒次を、昔を思い出しながらしゃがんで覗き込んだところこのざまだ。虚を突かれる形となった鶴丸も、滅多に見れない数珠丸の表情にこんな時だけ笑うのかと苦笑する。


「君も口吸いなんて言葉を知っていたのか」
「小坊主どもがしているのをたまにな。盛るのは構わんが見苦しいのは御免だった」
「驚いた。寺も武家もあまり変わらんな」


体勢を起こして隣に腰を降ろした鶴丸の脇で、座り直した体勢のまま数珠丸がまた船を漕ぎ始める。今日は珍しい本丸全体の休養日で、サボリ以外で数珠丸と日向ぼっこできる貴重な時間なのだ。本丸中の縁側を探しまわり、ようやく見つけた彼がまた眠ってしまっては適わないと、鶴丸は最近審神者から教わった知識で彼の気を引くことにした。


「知っているか数珠丸。今の世では口吸いをきすというらしいぞ」
「なに、口吸いでも良いじゃないか。同じ意味だろ」
「口吸いは口と口でしかできないが、きすはどこにしてもきすらしい」


キスが云々の話に信憑性はないけれど、審神者からの又聞きでは仕方ないとして。


「なに、些細な違いさな」
「無関心が明け透けだぞ」
「はあ、眠い」
「まったくなあ」


せっかく話を振ったとしても、そんなことに気を傾ける刀ではないことは鶴丸とてよく知っている。ついには項を晒しながら深く落としてしまった頭に肩を竦める。自称成長期のじじいの特技は今も昔も変わらない。それが鶴丸には嬉しくも悲しくもあった。


「君はもっと新しいものに関心を持つべきだ。そんなんでは毎日がつまらないだろうに」


昔と変わらない存在がいてくれる安堵と、自分の手で変えてしまいたいと思う願望。それらを白い装束の下に隠しながら、庭の景観を眺めて浅く息を吐いた。

鶴丸は何故今になってこの本丸に顕現した彼と話したくなったのか分からない。生きていると当たり前のように言われて、己の存在を認められた気になったのか。それとも少なからず己に驚きを齎してくれた感謝か。あの出会いの後、すぐに鶴丸のいる倉から他の場所に移され置いていかれる形となって、長い年月を経た今でも侭ならないことがたくさんあるけれど。

今確実に言えることは、隣に眠る刀にまた置いてかれて一振りで夏の庭を眺める己は、


「やれやれ、退屈で死んでしまいそうだぜ」



「ほれ、驚いたか」


瞬間、柔らかな感触が鶴丸の頬を撫でた。

硬質で玲瓏とした声が艶美に擦れ、触れたそれ以上に柔らかな音を持ちながら鶴丸の鼓膜を打つ。気付いた時にはその黒檀の瞳が鶴丸の琥珀と一寸もない距離にあり、僅かながらに細められた状態で鶴丸を見上げている。


「口吸いではなくきすだ。これで満足だろう、鶴丸よ」
「え……ぁ、あ?」
「あの時はあまり構ってやらなかったからな。やつがれからのさーびすだ」


しばらくくつくつと繊細な顔ばせを綻ばせた後、豪快な欠伸をして数珠丸はまた目を閉じる。慎重に呼吸と胸の上下を確認すると、今度こそ、正真正銘眠っているらしい。

あの時、とはやはり、あの出会いのことを指しているのだろうか。

あの短い邂逅。興味の欠片もなく軽く流された半刻にも満たない時間。覚えているのはこちらばかりと思っていたあの何百年もの前のことを、数珠丸はちゃんと覚えていたと。そういうことで、いいのだろうか。そう自惚れて、いいのだろうか。


「こりゃ、驚いた……」


じわりと熱を持ち始めた顔。戦装束ではないゆえに剥き出しの素手をそろりと伸ばし、菩提樹色の髪をゆっくりと梳く。恐ろしく長く艶のあった髪が肩口で短くなってしまったことに再会した時は嫌な驚きを受けたものだ。猫のように柔らかい手触りと、見た目通りに心地よい艶。それに安心しつつも、頭の中ではいったい己の知らない間にどういう経緯で髪を切ることになったのか思案する。彼曰く、長く生きてきた数珠丸のこと。何もないなんてことはありえないとしても、どうか健やかであってほしいと願うことは我侭になってしまうのだろうか。

鶴丸は白い睫毛を伏せ、己の眠気がやってくるまでの短い間、安らかに眠る数珠丸の頭を撫で続けた。それが彼の心にとってもまた、安らかであると確信できるように。



「耳年増のような叔父上殿が、キスの意味を知らないわけないだろうに」


などと“たまたま”その場を目撃していた付喪神の言葉を聞いたものは誰もいない。



鶴丸さんが仙台藩に渡るまでと数珠丸が寺に戻って来るまでの行方不明期間が微妙にかぶってたので無理矢理会わせてみました。鶴丸さんが一番死んでた時代は帝に献上された時代だと思うけど、ここでも相当死にかけだったんじゃないかなあと妄想。

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